第50話・境目未紗希《さかいめみさき》【未来視】・02

 火野竜司の死から二ヶ月近くが経ち、誰もが感情に折り合いを付けて、前に向かって歩き出した頃になっても、内気で臆病な少女・境目未紗希だけは自責の念に囚われて動けずにいた。


(私なら、火野君を助けられたのに……)


 肌寒い風が吹く帝城の庭園で座り込み、枯れた花を見つめながら、未沙希は何百回となく繰り返した後悔に苦しむ。


(私が未来を見てさえいれば……)


 宇畑夢人が火野竜司を殺す、その最悪な出来事を予知して、回避できたはずなのに。

 未沙希は『未来視』を使わなかった。赤原大王国との戦争を予知したあの日以来、一度も使えずにいた。

 その理由はたった一つ。未来を背負う責任に耐えきれなかったのだ。


(樹海の時も、戦争の時も、私が未来を変えていたら……)


 結果が出た今だからこそ言える。樹海を焼き払い、大王国を戦争で打ち負かした、現在こそが最善の未来であったと。

 もしも未沙希が行動して未来を変えていたら、間違いなく酷い事になっていた。少なくとも帝国は滅びていただろう。


(樹海を焼かず、戦争も起こさず、みんなが幸せになれるなんて、そんな都合の良い未来があるはずもない)


 仮にあったとしても、それは何億分の一という確率で掴めるような奇跡だろう。

 帝国の全国民、何十万という人々の命を勝手に賭けて、挑めるような勝負ではない。


(だから、今が正しい未来だって分かってる、分かっているのに……)


 それでも、別の方法があったのでは、救える命があったのではと、良心の呵責に苛まれてしまう。

 それもこれも全ては『未来視』のせい――未来を知って変えられるという、大いなる力と責任を与えられたせいだった。


(どうして、こんな異能だったんだろう……)


 未沙希は天を仰ぎ、神か運命か知らないが、自分に『未来視』を与えたモノを恨む。

 使えば未来の責任に苦しみ、使わなければ竜司を助けられなかったように、過去に後悔してやはり苦しむ。どちらを選んでも苦痛しかない、最悪の異能としか思えなかった。

 きっと異能を与えたモノは、彼女が苦悩する姿を肴にしてワインを飲むような、最低のサディストに違いない。


「どうして……」


 こんなに苦しめられるのか、自分がどんな罪を犯したというのだと、未沙希は再び天を仰ぎ――


「どうして?」


 可愛らしい金髪の美少女に上から覗き込まれた。


「ひゃぁぁぁ―――っ!」


 思わず悲鳴を上げて飛び退く未沙希を見て、美少女は天使のように無邪気な笑みを浮かべる。


「ふふっ、ドッキリ大成功っ!――って言うのよね、アースでは」

「姫様、悪戯が過ぎますよ」


 美少女の背後に控えていた銀縁眼鏡のメイドが、軽く溜息を吐きつつ窘める。

 そこにいたって、未沙希はようやく目の前の少女が誰か理解した。


「リデーレ、皇女様?」

「リデーレでいいわ、未沙希」


 金髪の美少女ことリデーレはそう言って、尻餅をついていた未沙希に手を差し伸べてくる。

 その手を掴んで立ち上がってから、彼女はふと気がついた。


「あの、何で私の名前を……」


 リデーレとはろくに会話をした事がなかったのに、どうして自分の名前を覚えているのか。

 そう問いかけると、可愛らしい皇女は不思議そうに首を傾げた。


「境目未紗希で合ってるよね? 初めて会った日に自己紹介して貰ったと思うけど……」

「僭越ながら姫様、未沙希様が自己紹介をなされていた時、姫様は料助様を連れ出して、厨房でお食事をなされていたかと」

「あっ、そうだった! あの後、お兄様に教えて貰ったんだった」


 メイドからツッコミを受けて、リデーレは思い出したと手を打つ。

 どちらにせよ、彼女は未沙希を含めた一年A組全員の顔と名前を、最初の日に覚え切っていたようだ。


(天然っぽく見えても、あの皇帝陛下の妹さんなんだな……)


 そう少し失礼な感心をする未沙希の顔を見て、リデーレはまた嬉しそうに笑う。


「良かった、元気が出たみたいね」

「えっ?」

「料助が帰ってくるって聞いて、出迎えに来てみたら、貴方がドヨ~ンとした顔で俯いていたから心配だったの」

「あっ……」


 未沙希は羞恥のあまり赤くなる。年下の皇女が心配して励まそうと思うくらい、自分は酷い顔をしていたらしい。


「ご、ごめんなさい!」

「いいの、気にしないで」


 慌てて頭を下げる未沙希に、リデーレは明るく笑い返す。


「それより、何か悩んでいるんだったら私に相談してみない? こう見えても、私ってば皇女様なんだから!」


 エッヘンと平らな胸を張るリデーレの姿に、未沙希は思わず噴き出しそうになる。

 それから、すぐに暗い表情になって考え込んでしまう。


(話して、いいのかな?)


 リデーレには何の打算もなく、本気で心配してくれているのが分かる。

 だが、彼女に悩みを話せば、背後に控えているメイドの口から、今まで隠していた『未来視』の事が、皇帝にも伝わってしまうだろう。

 そして、自分の異能が悪用されないかと心配してから、未沙希は不意に馬鹿らしくなって力を抜いた。


(いいや、もうどうでも……)


 こんな自分を苦しめるだけの異能なんて、もう知らない。いっそ誰かに利用され、責任も背負って貰った方が、自分が腐らせるよりは遥かにいい。

 そう捨て鉢な気持ちになって、未沙希は秘密と苦悩を漏らす。


「私、未来が見えるんです」


 そう言って、樹海と戦争の件を予知しながら何もしなかった事も、助けられたはずの竜司を死なせてしまった事も、全て包み隠さず打ち明けた。


「――そんな感じで、異能の事を恨みながら、ウジウジと悔やんでいたんです」

「…………」


 無言で真剣に話を聞いてくれたリデーレを見つめて、未沙希は自嘲の笑みを浮かべる。


「分かっています。本当は異能が悪いんじゃなくて、全部私が弱いから駄目なんだって……」


 未来の責任を背負える強い心さえあれば、『未来視』は悲劇を防いで人を救える素晴らしい力なのだ。

 ただ、大いなる力に相応しいヒーローのように高潔な精神を、臆病で弱い未沙希は持っていなかった。それだけの事でしかない。


「私なんかの愚痴を聞いてくれて、ありがとうございました」


 これ以上、自己嫌悪を吐き出しても、相手を不快にさせるだけだと気がついて、未沙希は話を打ち切り、頭を下げてその場を去ろうとする。

 だが、腕を掴まれ引っ張られたかと思うと、気がつけばリデーレの小さな胸に顔を埋め、頭を抱きかかえられていた。


「えっ……?」


 驚く未沙希の頭を撫でながら、リデーレは我が子をあやす母親のように優しく囁く。


「辛かったね。苦しかったね。でも、もう大丈夫だよ」

「…………」

「貴方は悪くなんてないよ。ぜーんぶ意地悪な運命の女神様が悪いの」

「違う、私が弱かったから……」

「優しいね。人のせいにしなくて立派だね。でも、何でもかんでも一人で背負わなくていいんだよ」

「う……うぅっ……」


 全てを包み込むようなリデーレの優しさに、未沙希は堪えきれず涙を零す。

 年下の子に慰められて泣くなんて恥ずかしい。これは人を駄目にする優しさだ、自分の弱さから目を背けてはならないと、羞恥や自戒の念も湧いてくる。

 けれども、今まで誰にも打ち明けられなかったこの苦しみを、理解して貰えた嬉しさの前では、自制心など防波堤にもならなかった。

 そうして暫しの間、抱えていたものを全て吐き出すように泣きじゃくってから、未沙希はようやくリデーレの胸から顔を上げた。


「ごめんなさい、ドレス、汚しちゃって……」

「ふふっ、未沙希は謝ってばかりだね」


 赤面しながら頭を下げる未沙希に、リデーレはメイドからハンカチを貰って差し出してくる。

 それで顔を拭いてから、彼女は勇気を振り絞って切り出した。


「あ、あの、よかったら、私と友達になってくれませんか? それで、またこうやって話をして貰えたら……」


 やはり、一国の皇女に対して図々しすぎたかと、未沙希の声はどんどん小さくなってしまう。

 だが、彼女が慌てて取り消すよりも早く、リデーレが目を輝かせて両手を握ってきた。


「喜んで! いつでも会いに来てね。美味しいお菓子と紅茶を用意して待ってるわ」

「は、はいっ!」


 未沙希は嬉しくてまた込み上げてきた涙を堪えて、元気に頷き返す。

 これで彼女の問題が解決されたわけではない。心が強くなったわけでも、『未来視』の重圧から解放されたわけでもないのだ。

 けれども、苦悩を打ち明けられる本当の友達ができたから。


「リデーレ様……」

「どうしたの、未沙希?」


 頬を赤らめ瞳を潤ませる未沙希を、リデーレは無邪気な笑顔で見つめ返す。そして――


「ただいま戻りました……って、これ、何があったの?」


 長い出向を終えて帰国した味岡料助は、思い人の皇女とクラスの女子が見つめ合っている不思議な光景に、ただ呆然と立ち尽くすのだった。

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