第49話・味岡料助《あじおかりょうすけ》【完璧な料理人】・03

 火野竜司の葬儀で一時的に帰国した分の穴埋めなどもあって、最初の予定よりも長く青海王国に留まっていた味岡料助も、ようやく出向を終えて帰る日が近づいていた。


「料助よ、この度は誠に大義であった」


 送迎の宴が催された豪華な食堂で、重臣達が見守るなか、国王ブラーヴが満面の笑みで料助を褒め称える。


「其方のお陰で我が国の料理は百種類以上も増え、さらには醤油や味噌、マヨネーズといった素晴らしい調味料まで作れるようになった。これにより、青海王国は豊かな食事と新たな交易品を得る事ができた」


 国王はそう告げると、後ろに控えていた従者達に合図を送り、とても大きく重そうな宝箱を持って来させる。

 そして従者達が蓋を開けると、目も眩む輝きと共に、ビッシリと詰まった黄金の延べ棒が現れた。


「これと同じ物を三つ用意させた。其方の偉大な功績と、其方を寄こしてくれたアラケル皇帝への礼にはとても足りぬが、どうか受け取って欲しい」

「あ、ありがとうございます」


 黄金の輝きに気圧されながらも、何とか礼を告げた料助に、今度は国王の隣に控えていた、とても四十代後半とは思えない若々しい女性・王妃ロティスが声をかけてくる。


「料助、私からもお礼を言わせてください。貴方は愛しい我が子を救ってくれたのですから」


 そう言って、彼女の背後に隠れていた可愛らしい男の子・第二王子アルフォンスの背中を押す。


「病弱でベッドから起きられぬ日もあったこの子が、今ではこの通り元気になりました。全ては貴方のお陰です」


 肉や魚が嫌いでタンパク質不足に陥っていたアルも、料助が作った豆や卵の料理によって、肉付きが良くなり肌つやも取り戻していた。

 だというのに、アルの表情は暗く曇っていた。


「料助様、本当に帰ってしまうのですか? もっと沢山美味しい料理を作って欲しかったし、一緒に遊んで欲しかったのに……」


 この二ヶ月半ですっかり懐いたアルはそう言って、とても悲しそうな顔で料助の服を掴んでくる。

 その母性をくすぐられる仕草に、料助は罪悪感を覚えつつも答える。


「ごめんね。でも、君が食べられる料理のレシピは全部、お城の料理人さん達に教えたから、俺が居なくても大丈夫だよ」

「でも……」

「アル、その辺にしておきなさい」


 ぐずる弟を、背の高い好青年・第一王子ジュネスが窘める。


「別れ難い素晴らしい方ならばこそ、帝国の方々も帰りを待っていると分かるだろう?」

「……はい」


 兄に言われて渋々引き下がったアルの姿に、国王は苦笑を浮かべてから手を叩く。


「さあ、お堅い話はこのくらいにして、宴を楽しもうではないか!」


 国王の合図に合わせて、食堂の外で待機していた大勢の給仕達が、一斉に料理を運んでくる。


「其方に鍛えて貰った城の料理人達に、教わった料理を全て作らせたぞ。弟子達の修行の成果をとくとご覧あれ!」

「あははっ……」


 一々やる事が派手だなと、料助は苦笑を浮かべつつ、長いテーブルにズラリと並べられた沢山の料理に向かう。

 そうして、国王一家や重臣達と共に食事をし、料理の話で盛り上がったりしながら、送迎の宴は滞りなく幕を閉じた。

 ただ、そんな宴の間、一番縁の深い第一王女・アンジェが、ずっと俯いて一度も話しかけてこなかった事が、料助の心に引っかかっていた。





 宴が終わり、荷造りもメイド達が済ませてくれて、後は明日の朝に出発するだけとなり、料助がベッドに入って寝ようとしたところで、部屋の扉が静かにノックされた。


「はい」


 こんな夜中に誰だろうかと、不審に思いつつも扉を開けると、そこには見慣れたアンジェの執事が立っていた。


「夜分遅くに申し訳ございません。姫様が是非ともお話がしたいとの事でして、ご足労いただけませんか?」

「アンジェ様が?」


 執事の言葉に、料助は驚いて目を丸くする。

 だが、直ぐに決心して頷き返した。


「分かりました、行きます」


 落ち込んだ様子のアンジェを思い出し、料助は寝間着のまま部屋を出るが、直ぐに背後から肩を掴み止められる。


「その格好では風邪を引いてしまいますよ。せめてこちらを羽織ってください」

「ありがとう……ってうわっ!?」


 差し出されたコートに思わず袖を通そうとしてから、料助は慌てて背後を振り返り、そこに立っていたメイド・ケルースを見て腰を抜かしそうになる。


「ケ、ケルースさん、いつの間に……っ!?」

「料助様の部屋に近づく足音が聞こえましたので」


 メイドはしれっとした顔でそう答える。彼女の部屋は隣なのだが、そこで料助の身を守るために、ずっと警戒を行っていたようだ。


「さあ、こちらのコートを」

「あっ、はい……」


 色々と聞きたい事はあったが、下手に追及するのも怖くて、料助はもう大人しくコートを着せて貰い、今のやり取りにも全く動じていない執事の後を追った。

 そうして、ランプの小さな明かりだけを頼りに、暗く静まり返った城の中を進んで行ったのだが、階段を下り始めたところで料助は違和感を覚える。


(あれ? アンジェ様の部屋に行くんじゃないのか?)


 料助達が居た客間は城の中層にあり、アンジェ達国王一家の私室は上層にある。階段は上るべきでこれでは逆だ。


「あの――」

「こちらで間違いございません」


 料助は疑問を告げようとしたが、執事はそれに先回りして答える。

 そうして、少し不安を抱きつつも案内されたのは城の一階にある、玄関とは反対方向にある扉だった。


「姫様はこちらでお待ちです」


 執事がゆっくりと扉を開くと、薄暗かった城の中に、冷たくも美しい月の光が差し込んでくる。

 そうして現れた中庭の中心で、長い黄金の髪と、まるで花嫁のような白いドレスを輝かせて、アンジェが一人静かに立っていた。


「…………」

「さあ、どうぞ」


 あまりの美しさに、思わず言葉を失い立ち尽くす料助の背を、執事がそっと押してくる。

 そうして、かがり火に吸い寄せられる虫のように、料助はフラフラとアンジェの元へと向かった。


「アンジェ様……」


 花嫁のように着飾った第一王女は、近くで見るとより綺麗で、料助は頬を赤くして彼女の姿に見入ってしまう。

 そんな彼を見上げて、アンジェは嬉しそうに微笑んでから頭を下げた。


「料助様、このような時間にお呼び立てして申し訳ございません」

「い、いえ、別に構いません! それで、お話っていうのは?」


 胸の鼓動を誤魔化すように、料助は急いで話を促す。

 すると、アンジェは途端に顔を曇らせてしまった。


「深い用事があったわけではないのです。ただ、料助様にもう会えなくなるのかと思うと、寂しくて……」

「――っ!?」


 美少女の悲しげなはにかみ笑いという、男子高校生にはとても耐え切れない渾身の一撃を受けて、料助は危うく理性が崩壊しそうになる。

 だが、脳裏に思い人・皇女リデーレの笑顔を浮かべて、何とか必死に堪えた。


「また帝国に来てくれたら、いくらでも会えますよ」


 料助がそう無難に返すと、アンジェは嬉しそうに一歩詰め寄ってくる。


「アース人の方々は近々、元の世界に帰ると噂に聞いていたのですが、料助様はこちらの世界に残るのですね?」

「えぇ、まぁ」

「良かった……」


 ホッと胸を撫で下ろすアンジェを見て、料助の理性はまたも揺さぶられてしまう。


(こ、これって、俺に気があるって事っ!?)


 夜中に二人きりで、貴方に会えなくなるのが寂しい、残ってくれて嬉しいと言うなんて、どう考えても特別な好意があるとしか思えない。

 だが、今までの人生で女子にモテた経験がなかった料助は、こんなとびきりの美少女、しかも一国のお姫様が自分ごときを好きになるなんて信じられなかった。


「は、話ってそれだけですか? 夜も遅いし、それじゃあ!」


 勘違いから暴走して恥を掻くのが怖くて、料助は強引に話を打ち切ってその場を去ろうとする。

 だが、そんな彼の手を、アンジェの細い手が必死に掴み止めた。


「お待ち下さい。最後にこれを」


 アンジェは自らの首にかけていた真珠のネックレスを外し、お互いの胸が触れ合うほどに密着してくる。

 そして、つま先を立てて背伸びをし、唇が触れ合いそうなほど顔を近づけながら、料助の首にネックレスを着けた。


「私からのお礼ですわ。どうか受け取ってください」

「は、はい……」


 真っ赤になって固まる料助から、アンジェはこの時を惜しむようにゆっくりと離れる。

 そして、ドレスの裾を摘まんで一礼すると、中庭の入り口で待っていた執事を連れて、城の中へと消えていった。


「…………」


 何を言えずに彼女を見送り、真っ赤になって立ち尽くす料助の元に、メイドが深い溜息を吐いてから歩み寄ってくる。


「料助様、用事も済んだようですので、部屋に戻ってお休みください」

「あ、うん……」


 料助はまだボーとしたまま、メイドに手を引かれて歩き出す。

 そうして、部屋に戻ってきたところで、メイドは手品のごとき素早さで彼の首からネックレスを外した。


「傷が付いては大変ですので、こちらは私が預からせて頂きます。それではおやすみなさい」

「おやすみ……」


 頭の中がまだアンジェの体温や香りでいっぱいだった料助は、生返事をしてベッドに潜り込む。

 だが、眠れるわけもなく悶々とし続けていた彼は、当然のように知らなかった。

 青海王国において、女性が自分の装飾品を男性にプレゼントするのは愛の告白であり、アンジェの物だとよく知られている真珠のネックレスをしたまま、国王夫婦に帰りの挨拶をしたり、皇帝や皇女の元に帰ったりしたら、自分の人生が決定していた事を。

 それらを全て計算した上で、アンジェがこの夜にネックレスを贈り、それを見抜いたメイドが慌てて回収した事も、料助は何も知らずに思春期の男子特有の煩悩に翻弄されるのだった。

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