第46話・宇畑夢人《うばたゆめと》【強奪】

 時は赤原大王国との戦争が始まる直前。遊び人・鳥羽遊子から馬鹿にされたと思い込んだ宇畑夢人は、食堂を抜け出して自室に戻ると、ベッドに飛び乗って枕を殴りつけた。


「くそっ、ビッチの分際で見下しやがって! お前なんて最初にモンスターに食われる役だろうっ!」


 ポスポスと何度も枕を殴りながら、夢人は苛立ちを吐き出し続ける。


「かき氷しか作れないチビの分際で、俺を冷たい目で見やがって! 何の力もない無能の分際で、知ったような口を聞きやがって!」


 そうして暴れていると、不意に扉がノックされた。


「ひっ……!?」

「宇畑、何だか騒がしいが大丈夫か?」


 驚き固まる夢人に対して、扉の向こうから心配そうに声をかけてきたのは学級委員長・光武英輝であった。


「どこか悪いのなら、医者を呼んで貰おうか?」

「な、何でもない。どっか行けっ!」

「……そうか、大丈夫ならいいんだ」


 気遣いを無下にされて、少しだけ気落ちした声を出しながら、英輝は扉の前から去って行く。

 そうして、彼が十分に離れるのを待って、夢人は声を抑えながらも呪詛を吐いた。


「くそっくそっ、戦争から逃げた臆病者の分際で、何様のつもりだっ!」


 もしこの場に上運天詩織が居れば「いや、あんたも参戦しなかったでしょ」と見事なツッコミを入れた事だろう。

 だが残念な事に、夢人は己を顧みるという事を知らなかった。


「どいつもこいつも、俺のエサの分際で、引き立て役のくせに……ここは俺が主役の世界だろうっ!」


 苛立ちの原因をまとめれば、それが全てであった。

 異世界に召喚されて強大な異能を得る。漫画やアニメで何度も見た、そしていつか自分もと憧れていたシチュエーション。それがついに現実となったのだ。

 異能で邪悪なモンスターをバッサバッサと薙ぎ倒し、美少女達に感謝されて一大ハーレムを築く。そういう物語の主人公に夢人が選ばれたのだ。そうであったはずなのに――


「何で俺以外の奴らが英雄扱いされてんだよ! シャルロットは俺の嫁だろっ!? 料理人風情が邪魔してんじゃねえよっ!」


 何もかもが上手くいかない。本来ならとっくに夢人が大英雄として成功しているはずなのに、その功績は全て他のクラスメート達に奪われて、ようやく出会えた真のヒロインとも、ろくに会話もできず離ればなれになってしまった。


「俺が最強なのに、俺が主人公なのに……っ!」


 クラスメート達を妬み、ベッドの上で歯ぎしりを続けるだけの夢人は知らない。

 物語の主人公達は強大な力を得たから英雄に成ったのではなく、自らの意志で行動し、大勢の人々を救ったからこそ英雄と呼ばれるようになったのだと。

 そして、この屋敷の壁や床には幾つもの金属筒が張り巡らされており、二階の自室で夢人がわめいていた独り言は全て、一階の控え室にいるメイド達に盗聴されていた事も……。





 戦争の終結から約三ヶ月が経っても、夢人の苛立ちが消える事はなかった。

 むしろ、暫く姿を見なかった不良・火野竜司が屋敷に帰ってきた事によって、ある意味でより激しくなっていた。


『……んっ……竜司様……っ!』


 竜司に抱かれて響くメイドの嬌声。空き室を一つ挟んだ、二つ隣の部屋まで響くその声を、夢人は壁に耳を当てて齧り付くように聞いていた。


「くそっ、何で俺には専属メイドがいないんだよっ!」


 体を好きにしても良いメイド。そんな男のロマンであり、異世界主人公の特権とも言うべき美少女が、どうして自分には与えられず、竜司なんて不良に与えられるのか。


「図体がデカいだけの金剛や、地味な土岡にさえいるのに……っ!」


 そう悪態を吐きながら股間をまさぐる夢人は当然ながら知らない。専属メイドは危険すぎる人物の監視、または帝国に貢献してくれた者へのお礼として付けられるもので、そのどちらにも自分が該当しない事を。


「くそっ、くそっ、くそっ!」


 夢人は恵まれたクラスメート達を殺したいほど妬みながら、ただ己を慰め続ける。

 そして次の日の朝、真夜中まで盗み聞きをしていたため寝不足で、食堂に行かず二度寝を貪っていると、部屋の扉が控えめにノックされて、聞き覚えのある声が響いてきた。


「夢人様、朝食をお持ちしました」

「――っ!?」


 それは昨夜、彼が盗み聞きをしていた声の持ち主、竜司の専属メイド・ラケルタであった。


「よろしければ、扉を開けて頂けませんか?」

「あっ、あぁ……」


 夢人は驚きながらも飛び起き、言われた通りに扉を開ける。

 すると、湯気を立てる朝食をトレーに乗せたラケルタが、優しい笑顔を浮かべて立っていた。


「ありがとうございます。失礼致しますね」


 ラケルタは一礼して部屋に入ってくると、机の上にそっと朝食のトレーを置く。

 そんな彼女の体を眺めて、夢人は思わず唾を飲み込む。


(この体を、火野の野郎は好きに……)


 ラケルタは落ち着いた物腰から見て、自分達より一つか二つ年上なのだろうが、小柄で童顔なため年下にも見える。そして、胸は年相応以上に大きい。

 この胸を揉んだらどんな感触がするのかと、つい凝視してしまう夢人に対して、彼女は心配そうな顔で近づいてくる。


「夢人様、食堂にいらっしゃいませんでしたが、ひょっとして体調がよろしくないのですか?」

「あっ、いや……」


 イヤらしい目で見ていたのがバレたのかと、挙動不審になる夢人の額に、ラケルタはその小さな手を当ててきた。


「熱はないようですね、良かった」

「うっ、あ……」


 目の前まで近づいたメイドの髪から、妙に甘い香りが漂ってきて、夢人の心臓が激しく脈を打ち始める。


(くそっ、中古女のくせに……っ!)


 そう毒づきながらも、昨夜盗み聞きした声と共に、乱れるラケルタの姿が脳裏に浮かんで、夢人は酷く興奮してしまう。

 そして、思わず彼女の大きな胸に手を伸ばそうとしたその時。


「おい、何やってんだ?」


 部屋の入り口に、半裸の火野竜司が現れた。


「ひっ……!?」

「竜司様っ!?」


 悲鳴を上げて固まる夢人から、ラケルタが慌てて飛び退く。

 それを見た竜司は、寝起きなのか大きなあくびをした後で、同じ質問を繰り返した。


「何やってんだって聞いてんだよ」

「夢人様が食堂にお出でになられなかったので、朝食を運んできただけでして……」

「あっそ」


 ラケルタの返答を、竜司は適当に聞き流しつつ、喉が渇いていたのか、朝食のトレーに載っていたコップの水を飲み干す。

 それから、真っ青な顔で固まる夢人を見て、ラケルタに向かって苦笑した。


「朝からキモいオタク野郎の世話までしなきゃならねえとは、テメエも大変だな」

「お、俺はキモくなんか……」

「あっ? 人がヤッてるのを聞いてマス掻いてる奴が、何言ってんだ?」

「――っ!?」


 気づかれていたのかと驚愕して固まる夢人は見て、竜司は驚き目を見開いてから、天を仰いで爆笑した。


「はははっ、マジでマス掻いてたのかよ! キモすぎんだろ!」

「……っ」


 先程のはただの当てずっぽうだったらしい。夢人は羞恥と怒りのあまり顔を真っ赤にしながら、腹を抱えて笑う竜司を睨みつける。


「はっ、マス掻き野郎がなにガン付けてんだよ」


 竜司は全く怯みもせず、朝食の卵焼きを素手で掴んで食べる。

 それから、何故か暑そうに額の汗を拭った後で、面白い事を思いついたと邪悪に笑った。


「仕方ねえな、お優しい俺様が、哀れなマス掻き野郎にオカズをくれてやるよ」


 そう言って、ラケルタの手を引っ張って、夢人の前でベッドに押し倒す。


「竜司様っ!?」

「普通のやり方じゃ、テメエもマンネリだったんだろ?」


 驚き恥じらうラケルタの服を、竜司は妙に興奮した様子で脱がしていく。それを夢人は何もできずに眺めていた。

 だが一瞬、ラケルタと目が合ったその時、何かが頭に囁いてきた。


(これは、チャンスじゃないか?)


 不良に無理やり襲われている少女を救うという、まさに主人公的な活躍をする絶好の機会。

 悪を挫き、善を成す、ヒーローになるための最初の一歩。

 だから、これは正当な暴力で、自分を馬鹿にしたクソ不良に復讐するとか、そんな醜い私怨では決してない。


(やってやるっ!)


 自分でも不思議なほどの興奮に包まれて、夢人はゆっくりと足を進める。

 そして、ラケルタにのし掛かって、無防備な背中を曝す竜司に、己の右手を振り下ろした。


(くらえっ、『栄光の手ハンズ・オブ・グローリー』ッ!)


 自分で付けた名前を心の中で叫びながら、異能の力を解放する。

 それは禍々しい紫色の光となって、竜司の全身を侵食していった。


「があああぁぁぁ―――っ!」


 突然の激痛に襲われて悲鳴を上げる竜司の体から、赤い光が吸い取られて、夢人の中に流れ込んで行く。

 そうして、紫の光によって全てを奪い取ると、夢人は会心の笑みを浮かべた。


「へへっ、ざまーみろっ!」


『強奪』――それが本来の名前であり、異能を奪う異能という、まさに最強主人公に相応しい力。


「テ、テメエ、何しやがった……っ!」


 力を奪われて息も絶え絶えなくせに、生意気にも睨みつけてくる竜司に向かって、夢人は己の掌を向ける。

 そして、今奪い取った『炎使い』の力で火の玉を生み出した。


「悪党に答える義理はないっ!」


 夢人は好きなアニメの台詞を丸パクりしながら、容赦なく火の玉を撃ち出す。

 それはラケルタを突き飛ばした竜司を呑み込み、瞬く間に燃やし尽くしていった。


「――っ!」

「竜司様っ!」


 喉を焼かれて断末魔すら上げる事ができぬまま、ただラケルタの悲鳴に包まれて、火野竜司だった肉体が炭と化していく。

 それを見届けて、夢人は絶頂するような快感に包まれて叫んだ。


「や、やった、やったぞぉぉぉ―――っ!」


 苦渋を味わうこと半年以上、ついに『強奪』で強力な異能を手に入れて、ムカつく不良を殺す事までできた。

 これからようやく自分のストーリーが始まるのだと、喜びに浸る夢人を余所に、部屋の扉が外から開けられ、騒ぎを聞きつけたクラスメート達が現れた。


「おい、さっきからうるさ――な、何だっ!?」

「燃えてる、燃えてるって! 誰か水を――いや、凉乃を呼んできてっ!」


 竜司を燃やし尽くした火が移り、ベッドや壁まで燃えている部屋の惨状を目にして、クラスメート達は大騒ぎを始める。

 そして、『氷使い』・氷堂涼乃によって鎮火され、黒焦げとなったモノの正体を知らされた瞬間、彼らは一斉に夢人を責め立てた。


「お前、自分が何やったか分かってんのかっ!」


 普段は飄々としたサッカー部員・風越翔太が、見た事もない怒りの形相で夢人に掴みかかってくる。

 その後ろでは保健委員の薬丸志保が、消し炭に向かって掌をかざしながら、ボロボロと涙を零していた。


「駄目……治せない、治せないの……っ!」


 彼女の異能はどんな怪我や病気も治せる。生きてさえいれば。

 つまり、竜司は本当に死んでしまったのだと証明されて、クラスメート達は怒りと悲しみに包まれる。


「確かに嫌な奴だったけど、何も殺さなくたって……」

「この人殺しっ!」


 そうやって自分を責めてくるクラスメート達が、夢人には理解できなかった。


「何だよ、悪いのはあいつの方だろ? 俺はそこのメイドを助けたんだ!」

「…………」


 彼が必死に主張しても、クラスメート達は全く耳を貸さず、敵意に満ちた目を向けてくる。

 そうして、一触即発の空気が流れていた所に、メイド達を引き連れて皇帝が現れた。


「アラケル様っ!? 宇畑が火野を……っ!」

「話はメイド達から聞いている」


 涙を浮かべて取り乱している天園神楽を、軽く抱きしめて慰めてから、皇帝は竜司であった消し炭の前に跪き、暫し何も言わずに見つめてから、立ち上がって夢人の方を向いた。


「念のため確認させて貰うが、其方が竜司を殺したのだな?」

「そ、そうだ。でも悪いのは火野の方だっ!」


 繰り返し主張する夢人に対して、皇帝はゆっくりと首を横に振る。


「夢人よ、どのような理由があったにせよ、同胞たる竜司を殺した其方を、このままここに置いておく訳にはいかぬ」


 そう言って、皇帝は険しい顔をしたクラスメート達を見回す。仮に皇帝が何もしなくとも、彼らが夢人を許さないだろう。


「故に、帝都からの追放を命じる」

「なっ……!?」

「ラケルタ、其方もだ」


 絶句する夢人の背後で蹲っていたメイドにも、皇帝は冷たい目で命じる。


「専属メイドでありながら竜司を守れず、夢人の手を汚させてしまった。その罪、せめて夢人の世話をして償うといい」

「……はい」


 本来ならば死刑でも当然のところを、恩情によって追放刑で許された。そう受け取ったようで、ラケルタは文句も言わずに頷き返し、立ち上がって夢人の手を取った。


「夢人様、行きましょう」

「くっ……お前ら、覚えてろよっ!」


 夢人は仕方なくラケルタに従いながら、自分を見捨てた薄情なクラスメート達に向かって捨て台詞を吐く。

 そうして、メイドと二人で帝都の外に向かって歩き出すうちに、夢人の顔から怒りは薄れ、次第に愉悦の笑みが浮かんでいった。


(ふんっ、まぁいいさ。主人公には悲惨な過去も必要だからな)


 無能な者達に偽物の罪を被せられ、本当は有能な真の英雄が追放されるという、流行の展開そのままだ。

 ここからようやく、成り上がりと復讐の物語が始まるのかと思うと、夢人はワクワクして止まらなかった。


(最初のヒロインが中古ってのが気に入らないけど)


 夢人は隣のラケルタをチラリと窺う。暗い表情をしながら彼の腕にすがりつき、押しつけられてくる大きな胸は、とにかく温かくて柔らかい。


(まぁ、真のヒロインとやる前の、練習台くらいにはしてやるか)


 だらしない笑みを浮かべながら、夢人は明るく前を向く。


(よし、まずは真ヒロイン・シャルロットを迎えに行こう。そして、あの時邪魔をしやがった味岡の前で、シャルロットと愛し合うところを見せて悔しがらせてやる。それが終わったら帝国に復讐をして、金家も鳥羽も剣崎も、メイド達も全員、俺のハーレム奴隷にしてやるっ!)


 妄想に浸るあまり、それをブツブツと呟いている事にすら気付かぬまま、夢人は盛大に夢と股間を膨らませて、堂々と帝都を去って行ったのだった。





 その夜、帝都からほど近い町にある宿屋の一室で、夢人は物言わぬ屍と化していた。

 メイドの体を散々楽しみ、疲れ果てて眠ったところで、致死量の睡眠薬と麻痺毒を盛られ、さらに額と心臓にナイフを深々と突き刺されて。

 その実行者ことラケルタは、ベッドの上の死体にはもはや目もくれず、淡々と体の汚れをタオルで拭き取り、メイド服に袖を通していた。

 そうして、彼女の身支度が終わったのを見計らったかのように。部屋の扉が外から開き、同僚のメイドが姿を現した。


「無事に終わったようですね」

「ご覧の通り」


 簡単すぎて退屈だったと、肩を竦めるラケルタに対して、同僚のメイドは苦笑を浮かべながら、夢人の死体をシーツでくるむ。

 それから、金貨の詰まった袋を差し出してきた。


「旅費です」

「ありがと」


 ラケルタは笑顔で袋を受け取る。

 彼女はこれから半年ほど、諸国を漫遊する事になっていた。

 いずれは帝都に戻り、顔も名前も変えて元の仕事に戻る予定なのだが、今すぐには出来ない。

 どれだけ巧みな変装をしても、人殺しをした数まで分かる見代数馬に見つけられ、検見崎政義に罪を暴かれて、夢人を殺した事が露見しては困るからだ。

 宇畑夢人は帝都を去り、その後は行方不明。そういう事にしておくのが誰にとっても一番なのだから。


「じゃあ、後は任せたわ」

「えぇ、良い休暇を」


 ラケルタは軽く報告を済ませると、死体の始末を同僚に任せて宿屋を後にする。

 そうして、半月の光しかない薄暗い夜道を、一人で静かに歩き出した。


「殺したかったな」


 火野竜司を、あんな形ではなく自らの手で。

 そもそも、先に死ぬのは夢人のはずだったのだ。

 急に竜司が死ねば、他のアース人達に不信感を抱かれてしまう。

 だから、媚薬を仕込んだ朝食と香水によって、発情した夢人がラケルタに襲いかかり、それを目撃した竜司が夢人を殺すか大怪我を負わせて、問題となって追放されたところをラケルタが密かに始末する。本来はそういう筋書きだったのだ。

 だが実際には、竜司は夢人に異能を奪われ、何千人と殺してきた火球を自らに放たれて――押し倒していたラケルタを突き飛ばし、自分だけが焼き殺された。


「何であんな事をしたんですか?」


 問いかけても答えは返ってこない。半年以上もずっと仕え続けてきた彼は、もうどこにも居ないのだから。

 自分の体を何度も何度も抱いたけれども、好きとか、まして愛してるなんて言葉は、一度たりとも口にしなかった彼が、本当は何を思っていたのかなんて、もう永久に分からないのだ。


「殺したかったな」


 もう一度だけ同じ言葉を呟いて、ラケルタは夜空を見上げる。

 半分に欠けた月が、何故か少しだけ滲んでいた。

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