第45話・火野竜司《ひのりゅうじ》【炎使い】・02

 火野竜司が初めて殺した生き物は、おそらく虫である。

 多くの子供がそうであるように、何の罪悪感もなく足元を這うアリを踏み殺した。

 それから月日が経ち、高校一年生となった竜司だが、意外にも虫より大きな生物を殺す事はなかった。

 快楽殺人犯などが人間に手を出す前のステップとして、犬や猫を殺すという話はありふれているが、竜司はそういった小動物の殺害には手を出さなかったのだ。

 これは何も、彼が動物好きだったというわけではない。ただ単純に、生物を殺したいという欲求が特に無かっただけである。


 彼は日夜、喧嘩に明け暮れていたが、それは自分の強さを実感できる事が楽しいからだった。

 向かってくる敵を殴り、蹴り飛ばし、地面に叩き伏せて、「あぁ、俺はこいつより強ぇ」と分かった時が、全能感に浸れるその一瞬が、何よりも気持ち良かったのである。

 だから、小動物に限らず弱くて歯ごたえのない相手には手を出さなかったし、勝敗さえつけば良かったので、警察に追われるリスクを負ってまで、喧嘩相手を殺す気もなかった。

 そんな竜司が虫よりも大きな生物を殺す事になったのは、異世界の樹海に向かった時だった。




「はっ、燃えろ燃えろっ!」


 騎士が操る馬の後ろに乗りながら、竜司は常闇樹海に次々と炎を放っていく。

 そうして、強大な異能の力を楽しんでいると、頭上から聞いた事もない鳴き声が響いてきた。


「キュエェェェ―――ッ!」

「あん?」


 何事かと見上げれば、翼の生えた鹿としか形容しようがない不気味な魔物が、何十匹も空を飛んでいた。


「あれは翼鹿ペリュトン。人間を狙って殺す危険な魔物です!」


 騎士がそう説明して、護衛として付いて来た他の者達と一緒に剣を引き抜く。

 そんな彼らに向かって、ペリュトンの群れは奇声を上げながら降下してくる。

 しかし、鎖帷子すら貫く強靭な鹿の角が、役目を果たす事はなかった。


「うるせぇ」


 竜司が不機嫌に右腕を振り、空に向かって炎の津波を放つ。

 それはペリュトンの群れを全て呑み込み、一瞬で燃やし尽くした。


「……キュェッ」


 翼を失って地面に墜落した消し炭が、断末魔の呻き声を上げて動かなくなる。

 それを見て、護衛の騎士達が一斉に歓声を上げた。


「凄い、一流の騎士でも手こずるというペリュトンを、こうもあっさり……」

「流石はアース人、いや竜司殿だっ!」

「騒ぐなよ」


 騎士達のお世辞にそう言い返しつつも、竜司は満足そうな笑みを浮かべる。

 このペリュトンという魔物は決して弱くない。地球に居た頃の竜司であれば一対一でも危険で、群れが相手となれば確実に殺されていただろう。

 だが、それを殺した。しかも容易く一瞬で。


(くくっ、強ぇじゃねえかよ、俺は)


 思わず自画自賛してしまう。それくらい最高の気分だった。

 その陶酔感を深めるのは、殺害という名の美酒。


(思いのほかイイもんだな、殺しってのも)


 喧嘩に負けた腹いせに、仲間を引き連れて復讐に来られるとか、そういったウザい真似をされなくて済む。何より、勝敗が明確なのが良い。


(死んだら負け、生きていれば勝ち……あぁ、その通りだ)


 どこかで耳にした言葉が、今ほど実感できた事はない。

 相手に死という覆しようのない敗北を刻み、絶対的な勝利を手にして己の強さを噛みしめる。これほど美味いモノなどこの世には存在しないだろう。

 それをもっと味わうために、竜司は騎士の背中を叩く。


「おらっ、次に行くぞ!」


 そうして、樹海の魔物を焼き尽くした彼が、ついに人間を手に掛けたのは、大陸の南東にある暑い街での事だった。




『聞こえるかな、竜司よ。お待たせして申し訳ない、存分に焼き尽くしてくれ』

「はっ、遅すぎんだよ!」


 スェイス区にある宿屋の一室でベッドに座り、専属のメイド・ラケルタの胸を弄って暇を潰していた竜司は、トランシーバーから流れてきた皇帝の声を聞き、嬉々として立ち上がる。

 そして、部屋の窓を開け放ち、そこから見える要塞に向かって異能を解き放った。


「死にな」


 空に生み出した巨大な火の玉を、真下の要塞に向かって勢い良く落とす。

 要塞に触れた瞬間、火の玉は炎の津波と化して、外に居た兵士達を焼き尽くし、室内に居た兵士達も蒸し殺す。

 大王国の兵士三百人余りが、何も出来ず何も分からず、あの世に送られていく光景を眺めて、竜司は恍惚の笑みを浮かべる。


(強すぎるぜ、俺はよぉ)


 今の彼を前にすれば、厳しい訓練を積んだ屈強な兵士さえも、地を這うアリと変わらない。

 まさに蹂躙としか言えない、生物としての格が違う強さ。


(だが、俺はもっと強くなれる)


 竜司には確信がある。この異能という力は、肉体と同じく鍛えるほどに強くなると。

 実際、召喚された直後と、常闇樹海の件を経た今では、明らかに火力が増していた。

 ただ、肉体と違ってただのトレーニングでは意味がない。何もない野原を焼き続けても、炎の扱いが上手くなる程度で、根本的な火力の増強は望めないだろう。

 必要なのは実戦。強大な敵を焼き殺し、己の方が強いのだという事を、自分にも世界にも認めさせる事。

 竜司はそれを直感的に理解していた。だから願う。


(もっとだ、もっと殺してぇ!)


 大量の兵士を、強大な魔物を、殺して殺して殺し尽くした時、自分はどこまで強くなれるのだろうか。

 まるで神のごとき力を得て、この星を丸ごと焼き尽くせるほどに強くなれたら、どれほどの恍惚感が得られるのだろうか。

 それを想像しただけで涎が止まらず、竜司はトランシーバーを握り締めて、舌なめずりをしながら告げた。


「皇帝さんよぉ、次の獲物はどこだ?」


 この後、竜司は次々と大王国軍とその要塞を焼き尽くして、六緑連合王国を解放し、それによって白翼帝国を救ったのであった。




 そして今、六緑連合王国のスェイス王国で、解放の英雄として祭り上げられながらも、竜司は酷く退屈していた。


(つまらねぇ……)


 ベッドの上で両腕に半裸の美女達を抱きかかえ、豊満な胸を揉みしだくという、世の男性が羨む行為をしながらも、心は全く満たされていない。

 その理由はたった一つ、もう三ヶ月も大きな戦いをしていなかったのだ。

 大王国軍の残党を狩ったり、密林の魔物を焼き払ったりはしていたが、もうそんな小さな敵が相手では、強くなれないし飢えも満たされない。


「おい、ラケルタ」


 竜司は両腕に抱いていた連合王国の美女達を鬱陶しげに追い払い、この異世界に来た初日からずっと使ってきた、大人しいメイドの少女を呼び寄せる。


「次の戦いはいつだ?」


 早く敵を殺させろと、餓えた獣のような殺気を浴びせられ、ラケルタは震えながらも答える。


「おそらく、早くとも一年は戦争が起きる事はないかと……」

「あっ?」


 怒りのあまり全身から炎を噴き出す竜司に、ラケルタはさらに怯えながらも説明する。


「赤原大王国の支配を脱した事で、連合王国の統治者も民も満足してしまったようです。自分達の方から大王国に攻め込むつもりはないのでしょう」


 地の利がある自国で防衛に徹するだけならともかく、大王国の領土に進行しても即座に潰されると、互いの戦力差を良く分かっているのだ。


「そして大王国ですが、連合王国の制圧よりも国内をまとめる方を優先したようなのです」


 征服していた六区が反乱を起こし、監視の大王国兵達を皆殺しにして、元の六緑連合王国を名乗りだした。

 これを放置すれば、ヴァイナー大王は他国どころか国内からも舐められて、内乱によって大王国は滅びてしまうだろう。

 だから、連合王国を徹底的に叩きのめすために、必ずや大軍が差し向けられる。

 だが、それは今ではない。ヴァイナー大王は己が臆病者と蔑まれる侮辱に耐え、これを機会に国内の膿を排除する方針を取ったようなのだ。


「ですから、大王国軍が連合王国に攻め込んでくるのは、その後になるわけで――」


 そんなラケルタの説明を、竜司は半分も聞いていなかった。聞く必要がなかった。


「つまり、ここに居ても戦えねえんだな?」

「……はい」


 僅かに逡巡しながらも頷いたラケルタを見て、竜司は即座にベッドから下り立つ。


「帰るぞ」

「えっ?」

「帝国に帰るんだよ」


 戸惑うラケルタに対して、竜司は冷め切った声で繰り返す。

 もうお互いの体で知らない箇所はないほど、長く付き合っているラケルタだからこそ理解できた。今の竜司は本気でキレる寸前だと。

 だから、彼女は説得の言葉を吐くなんて、火に油を注ぐような真似はせず、唯々諾々と従うのであった。


「畏まりました。丁度二日後に、定期連絡のために旅川瞬一様が訪れる事になっておりますので、その際に同行させて貰いましょう」


 普通に船や馬で帝国に帰ろうとすると一ヶ月は掛かってしまうが、瞬一の『瞬間移動』ならば文字通り一瞬で済む。


「おう」


 竜司はぶっきらぼうに返事をすると、部屋の隅で震えていた連合王国の美女達を呼び戻し、ベッドに押し倒す。

 そうして、二日後までの暇潰しを始めた彼に背を向け、ラケルタは静かに部屋を出ると、自分達が去る事を伝えるために、スェイス王国の国王・サトゥルの元に向かうのだった。




 引き止めようとしてきたサトゥル達を眼力だけで黙らせ、数ヶ月ぶりに帝国への帰還を果たした竜司は、面会の許可を取りに行くというラケルタを無視して、自らの足で執務室に向かう。

 そして扉を乱暴に蹴り開け、驚く皇帝の前に立った。


「よぉ、久しぶりだな皇帝さんよ」

「あぁ、久しぶりだな竜司よ。連絡もなく急に帰国するとは、何か問題でも起きたのだろうか?」


 直ぐに平静を取り戻して、柔和な笑みを浮かべる皇帝に対して、竜司は歯を剥き出しにした笑みで答える。


「問題も大問題だ。あの腰抜け共が戦争を始めねえから、暇で暇で死にそうなんだよ」


 女を抱いて退屈を紛らわすのも既に限界だった。


「だから、戦争を始めようぜ? もっとドデカい、もっと大量に殺せる戦争をよぉ」


 そしてもっと強くなった時、どれほどの恍惚感が得られるのか。

 想像しただけでいきり立つ竜司に、皇帝は困ったように苦笑を浮かべる。


「確かに其方の力があれば、どのような戦争にも勝てるであろう。だが――」

「ゴチャゴチャうるせぇ!」


 竜司は最後まで言わせず、皇帝の襟首を乱暴に掴み上げる。


「ヤるのか? ヤらねえのか? 何なら、テメエらを相手に初めてもいいんだぜ?」


 皇帝を殺し、騎士団を滅ぼし、帝国を乗っ取って世界中に戦争を仕掛ける。実に簡単な話ではないか、どうして今まで気がつかなかったのだろう。

 もうっちまうか?――と、我慢の限界が近づき、襟首を掴んでいた竜司の手に火が灯る。

 服が焼け、胸に激痛が走るなか、皇帝は脂汗を流しながらも、真っ直ぐに竜司を見つめ返して答えた。


「分かった。其方の望む戦場を用意しよう」

「はっ、分かりゃいいんだよ」


 竜司はあっさりと手を放し、満面の笑みを浮かべる。


「じゃあ、早く準備しろよ。俺の気が変わらねえうちにな」


 そう言って背を向けると、竜司は執務室の外で大人しく待っていたラケルタを抱き寄せ、興奮を静めるためにベッドのある部屋へと向かうのだった。





 竜司が執務室から出て、ラケルタが扉を閉めた瞬間、壁際で一言も喋らずに控えていたメイド長・イリスは、真っ青な顔で皇帝の元に駆け寄った。


「陛下っ!?」

「心配ない」


 皇帝はそう言って微笑んだが、その胸には真っ赤な火傷ができていた。


「すぐに志保様を呼んで参ります!」


 そう言って駆け出そうとしたイリスの腕を、皇帝は素早く掴み止める。


「大事にしたくない。治療は其方だけでしてくれ」


 薬丸志保を呼べば当然、どうしてこんな火傷を負ったのかと聞かれ、竜司との揉め事がバレてしまう。それは都合が悪い。

 そう言って頭を振る皇帝を見て、イリスは一瞬泣きそうな顔になりながらも、すぐさま冷静なメイド長の顔に戻って頷き返す。


「畏まりました」


 そう言うが早いか執務室を飛び出して、驚く早さで大量の水差しを抱えて戻ってくる。


「暫しご辛抱下さい」


 イリスはそう告げて、服の上から水をかけて火傷を冷やし始める。

 その治療を大人しく受けながら、皇帝はイリスの左手を掴んで顔を曇らせた。


「すまない」


 彼女の手は血で赤く染まっていた。竜司が皇帝を脅迫していた時、あまりにも強く拳を握り締めていたせいで、自分の爪で掌を引き裂いてしまったのだ。

 そこまでして怒りを堪えてくれた。本当は即座に竜司を殺したかったはずなのに、皇帝がそれを望まないと理解していたから。

 それが嬉しくて、皇帝は血で汚れたイリスの手を、自らの舌で清めた。


「陛下、汚うございます」

「其方の身に汚い所などない」

「――っ」


 イリスは思わず真っ赤になりながらも、次の水差しを右手で持って、皇帝の火傷を冷やし続ける。

 そうして応急手当を終え、皇帝が濡れた服を着替えたところで、イリスの方から静かに切り出した。


「陛下」

「分かっている」


 その先を言わせないように、皇帝は素早く頷き返す。


「ようやく掴み取った平穏を崩す事などできぬ」


 竜司のワガママに付き合って、侵略戦争を始める事などできない。ならば、取るべき手段は一つだ。

 そうと理解していても、皇帝は口にするのを躊躇ってしまう。


「……彼には多大な恩がある」


 竜司がいなければ常闇樹海の脅威を焼き払う事はできなかった。そして、六緑連合王国の決起を成功させ、赤原大王国を退ける事もできなかった。

 彼は紛う事なく、白翼帝国を救った大英雄なのである。

 その大きすぎる恩に仇を返す真似など、できる事ならばしたくはない。


「だが、彼は帝国を地獄に導こうとしている」


 この世界に召喚された直後の竜司ならば、あのように愚かな真似はしなかっただろう。少なくとも、掴み止めようとしてきた騎士を殺さないよう、手加減する程度の理性は持っていたのだから。

 けれども、今の彼は違う。強大な異能を手に入れ、その力で敵を焼き殺す快楽に酔いしれて、己が愚行を働いている事すら理解できなくなっている。

 彼をそんな風に変えてしまったのは、他ならぬ皇帝だ。

 召喚し、異能を与え、戦う場所も用意して、ただの喧嘩家にすぎなかった狂犬を、血に餓えた狼に成長させてしまった。

 だから、責任を取らなければならない。それがどれほど罪深く、良心が咎める行為であろうとも。


「イリスよ、白翼帝国の皇帝アラケルの名において命ずる」


 皇帝は君主の仮面を被り、そして静かな声で告げた。


「火野竜司を始末せよ」

「畏まりました」


 イリスも冷徹なメイド長の顔で応え、皇帝の意志を忠実に汲み取り、それを実行するために動き出すのであった。

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