第43話・光武英輝《みつたけひでき》【光使い】・04

 光武英輝は実の父親を嫌っていた。何故なら、父親が悪人だったからだ。

 人を騙して破産させ、一家心中に追い込んでおきながら、これで会社が儲かり出世できると喜ぶ、どうしようもない悪党だったのだ。

 けれども、ただ純粋な悪であったのなら、英輝はむしろ楽であっただろう。

 父親は人を死に追いやった紛れもない悪人でありながら、職場では真面目で優秀な会社員であり、何よりも家庭では母と自分を愛してくれる善い父親であったのだ。

 仕事が忙しくて家にはあまり居なかったが、授業参観や運動会にはいつも来てくれたし、たまの休日には遊園地や水族館によく連れて行ってくれた。


 だから、英輝も昔は素直に父親の事を尊敬していた。中学校に上がってすぐの頃、父親のせいで兄の一家が心中したと、見知らぬおばさんから罵倒を浴びせられて、真実を知ったその時までは。

 そうして、英輝が嫌って距離を取るようになっても、父親は変わらず彼を大切にし、授業参観や進路相談にも来てくれたが、その事が逆に辛かった。

 いっそ完全な悪であったならば、心の底から軽蔑して嫌う事ができたのに、家族への愛情も本当であったから、憎みきる事ができない。

 激しい苦悩の末に、英輝が導き出せた結論はただ一つ。


「俺は父さんのような悪人にはならない。胸を張って歩ける、正しい生き方をするんだ」


 そんな誓いを胸に、彼は今まで生きてきたのだった。





 エスタス平原の戦いから一ヶ月以上が経過し、勝利の喜びに沸いていた帝都も落ち着いてきた頃、英輝は焦燥に駆られていた。


(このままでは、また戦争が起きてしまう)


 その根拠は兵士や貴族達の噂話にあった。


「先の戦争で勝利したのはいいが、領土も何も得られなかったのは痛いな」

「帝国の国庫を満たすために、次はこちらから打って出るべきではないか?」

「狙うなら黒鉄王国しかない。今なら容易く仕留められるだろう」


 財産、領土、名誉、そんな欲に駆られて、再び戦争を始めようという声が、少しずつ上がってきていたのだ。


(これは俺達のせいだ)


 剣崎武美などの活躍によって、先の戦争ではあまりにも綺麗に勝ちすぎた。

 戦死者は少なく、怪我人も薬丸志保の力で治ってしまったために、戦争の痛みが大勢に伝わらなかったのだろう。


(今度こそ止めないと)


 英輝は人殺し自体を嫌悪しているので、先の戦争にも猛反対したが、自分達の身を守るために仕方なかったという事も理解している。

 けれども、侵略戦争だけは許せない。何の罪もない人々を殺して領土を奪うなど、それは決して許されない悪だからだ。


(絶対に止める。けど、どうすれば……)


 先の戦争に反対し、戦える力を持ちながら参戦しなかった事で、英輝のクラス内における発言力は下がっていた。

 常闇樹海を払った七英雄の一人として、帝国の人々からはまだ高い人気を得ているが、反戦活動に協力してくれそうな信頼できる相手となると思い浮かばない。

 そうして苦悩した末に、どうしても良案が思いつかなかった英輝は、帝国の頂点たる皇帝に直接問い質すという、破れかぶれの行動に移った。


「黒鉄王国を侵略するって、本気なんですか?」


 執務室に入った途端、単刀直入に問い質した英輝を見て、皇帝は驚いて目を丸くしてから苦笑を浮かべた。


「そう囁いている者達はいるな。余に進言してくる者もいる。だが、余は黒鉄王国を侵略するつもりはない」

「本当ですか?」


 最良の答えを得られたというのに、英輝は鋭い目つきで皇帝を睨み続ける。

 どのような言葉を尽くそうとも、皇帝が自分達を戦争に利用した事実は変わらないのだ。信用できるわけがない。

 そんな英輝に対して、皇帝は怒りもせずに説明を始めた。


「理由は大きく分けて二つある。一つは赤原大王国から帝国を守るためだ」

「えっ?」

「先の戦で我らから痛手を受け、南東の地区で反乱が起きた事もあって、大王国軍は撤退した。しかし、その戦力が失われたわけではない」


 本国の防衛に残していた分も合わせれば、まだ何十万という大軍を大王国は保持しているのだ。


「其方らアース人が如何に強くとも、大王国の全軍には勝てぬ」


 だから、策を弄して撤退させた。それ以外に帝国が生き延びる道はなかったのだ。


「だというのに、我らが黒鉄王国を征服し、大王国へと至る道を確保したら相手はどう思う?」

「それは……」


 青ざめて言葉を失う英輝に、皇帝は深く頷き返す。


「自国を守るために、大王国は今度こそ全力で我らを潰しにかかるであろう」


 つまり立場が逆転するのだ。侵略者の帝国と、防衛側の大王国。

 そうなれば、大陸統一という大王の野望に乗り気でなく、先の戦争に反対していた者達とて、進んで剣を取るだろう。

 家族や友を守るために、己の命すら惜しまぬ狂戦士と化した何十万という大軍を前にして、異能を得ただけの高校生など何の役に立つというのか。


「理解できたであろう? 黒鉄王国を侵略するなど、自ら絞首台に立つのと変わらぬのだ」

「…………」


 こんな簡単な事も思い至らなかったのかと、責められたような気持ちになって、英輝は言葉を失い俯いてしまう。

 そんな彼の姿にまた苦笑しながら、皇帝はもう一つの理由を告げた。


「二つ目に、そもそも黒鉄王国を手に入れても利益がない」

「えっ?」


 どういう事か意味が分からず、顔を上げる英輝の前で、皇帝は地図を取り出して説明する。


「黒鉄王国は豊かな平原と鉄鉱山を有しており、四方を他国に囲まれながらも存続してきた強国であった。しかし、大王国の侵略に遭い、今や崩壊したも同然となっている」


 真っ先に寝返った東の辺境伯領など、無傷で済んだ者達もいるが、王都や西の辺境伯領などは完全に滅ぼされてしまった。


「男達は皆殺しにされ、自害しなかった女子供は奴隷として連れ去られ、残ったのは年老いた老婆ばかりだという。そんな地を得て何の意味がある?」


 農地も鉱山もそこで働く人がいてこそ、初めて利益が生み出されるのだ。

 労働力を失った空っぽの土地など、むしろ損しか生み出さない。


「其方らが常闇樹海を焼き払ってくれたお陰で、今は土地の方が余っており、働き手の方が不足しているという状態なのだ。帝国が黒鉄王国に手を出す意味などない」


 だから心配する必要はないと、皇帝は話を終わらせる。

 しかし、英輝は安堵するどころか、顔を真っ青にしていた。


「待ってください。黒鉄王国に何もしないのですか?」

「うむ、侵略など口にしている者達は、余の方から諫めておくので――」

「そうじゃなくて! 酷い目に遭った黒鉄王国の人達を助けてあげないんですかっ!?」


 泣いている人がいれば手を差し伸べる、それが正しい行いだろうと、英輝は声を荒げる。

 けれども、皇帝はそんな彼を見て、呆気に取られた顔をした後で、真剣な表情に戻って言い捨てた。


「そのような事をする必要性がない」

「えっ……」

「余は白翼帝国の皇帝である。帝国の民を守るためならば何でもしよう。だが、他国の民を救うために動かす指は持ち合わせておらぬ」


 それが帝国の利益となるならば、青海王国のように手を結ぶし、六緑連合王国のように手を貸す事もある。けれども、今の黒鉄王国にその価値はない。

 冷酷にそう言い切る皇帝の姿が、一家を心中に追いやった父親の姿と被って、英輝は青ざめていた顔を怒りで赤く染めた。


「……分かりました。なら俺が助けに行きます」


 もう話す事はないと、英輝は背を向けて執務室の扉に手を掛ける。


「待ちたまえ」


 そう呼び止めてきた皇帝を、英輝は冷たい目で睨みつけた。


「俺に命令する権利なんて、貴方にはないはずですが?」

「そうだ、其方は余の臣下ではないからな」


 英輝の失礼な態度にも、皇帝は怒りもせず笑い返す。


「だから、これはただのお節介だ。メイドを一人連れて行くといい」


 そう言って、無言で壁際に控えていたメイド長に合図を送って、適当なメイドを呼びに行かせた。

 それを見送りながら、英輝は再び皇帝を睨む。


「監視ですか?」

「いや、ただの手伝いだよ」


 そう答える皇帝の目には、子供の思い上がりを諫める大人の優しさが宿っていた。

 それがまた何故か父親の目を思い出させて、英輝はいたたまれず、今度こそ背を向けて執務室を去るのだった。





 手伝いとして付けられた無愛想なメイド・フォルテと共に、英輝は帝都を発った。

 少し前に帝国軍が通った道を辿り、まだ血の臭いが残っているエスタス平原を過ぎり、さらに東へと向かって、ついに黒鉄王国の領内に入り込む。

 そうして、西の辺境伯が治めていた街に辿り着いた彼が見たのは、まるで地獄のような光景であった。


「酷い……」


 街のそこら中に腐った死体が転がり、それをカラスや野犬達が喰い漁っている。

 家々の扉は打ち壊され、食料や金目の物は全て奪い尽くされて、もはや人が住める状態ではない。

 そんな、死と破壊と腐臭だけが残された街を目にして、英輝は必死に嘔吐感を堪える。


「これが人のやる事なのか……っ!」


 戦争とは、特に中世のような時代ならば、このような非道も珍しくなかったと知識では知っていた。

 けれども、己の目で見たそれは想像していたものよりも遥かに残酷で、だからこそ許せない。

 そう怒りを募らせる英輝を、無愛想な顔で観察していたメイドが、不意に耳を立てて呟いた。


「あちらから人の悲鳴が聞こえました。如何なさいますか?」

「助けに行く!」


 そのために来たのだからと、英輝はメイドが指さした方に駆け出す。

 そして、野犬の群れに囲まれながら、必死にシャベルを振り回して抵抗している三人の老婆達を見つけた。


「危ない!」


 英輝は野犬を追い払うため、光の剣を生み出そうとする。

 だがそれよりも早く、彼を追い抜いたメイドが、一瞬で無数のナイフを投げ放った。


「「「ギャンッ!」」」


 ナイフは全て野犬の頭や腹に命中し、血と悲鳴を上げて崩れ落ちる。

 そうして、半分以上の仲間を瞬く間に殺された野犬達は、尻尾を巻いて逃げ去っていった。


「君はいったい……」

「お手伝いです」


 尋常ではない投擲技術に、愕然とする英輝に対して、メイドは変わらず無愛想な返事をしながら、驚いた顔で立ち尽くしている老婆達に歩み寄る。


「ご無事ですか?」

「あぁ、助かったよ」


 温和な顔立ちの老婆が礼を言う横で、長身の老婆が胡散臭そうに英輝達を睨む。


「あんたら何者だい? あの畜生共じゃなさそうだが……」


 ここらでは見かけない黒髪の少年に、高い戦闘力を持ったメイド。不審に思わない方がおかしい。

 そう警戒する老婆達に、英輝は正直に説明する。


「俺達は白翼帝国から、貴方達を助けに来たんです」

「私らを助けに?」


 そんな事をして何の得があると、長身の老婆はさらに疑いを深める。

 だがそれを、温和な老婆が手で制した。


「およし。悪い子達じゃなそうだし、助けてくれると言うのなら、ありがたく手を貸して貰おうじゃないかい。早く埋葬してあげた方がみんなもきっと喜ぶよ」

「……そうだね」


 長身の老婆はまだ疑いつつも、同胞の亡骸がこれ以上、畜生共に喰われるよりはマシだと納得したのか、持っていたシャベルを英輝に差し出す。


「じゃあ、こいつで穴を掘っておくれ。場所はどこでもいいよ。どうせ街全体が墓場みたいなもんさ」

「……はい」


 英輝は改めて暗い気持ちになりつつもシャベルを受け取る。


(遺体の埋葬を終えないと、お婆さん達はここを離れそうにないな)


 だから、生きている人達を救うためにも、亡くなった人達を弔おうと、地面にシャベルを突き刺す。

 その時、今まで黙っていた小柄な老婆が、震える声で呟いた。


「帝国から来た、黒髪の子供……あんた、まさか異世界の悪魔なのかい?」

「――っ!?」


 英輝は思わず手を止めてしまう。それが何より無言の肯定となった。


「本当なのかいっ!?」

「この子が、伝説にある破壊の悪魔……」


 長身の老婆達も驚愕し、体を震わせながら英輝を見つめてくる。


(しまった……っ!)


 帝国の人々は揃って英雄と称えてくれていたので、他国の人々からどう思われているかという事を、完全に失念していた。

 恐れられ石を投げつけられるのかと、英輝は思わず身構える。

 だが、現実はその真逆であった。


「あんたが本当に、異世界の悪魔なんだねっ!」


 小柄な老婆はそう叫ぶと、歓喜の涙を流しながら、英輝の足にすがりついてきた。


「お願いだよ、その力で赤原大王国の畜生共を皆殺しにしておくれっ!」

「……えっ?」


 全く予想もしていなかった言葉で驚き固まる英輝に、他の二人の老婆達までもが、必死の形相ですがりついてくる。


「あの畜生共を追い払ったのも、あんたらなんだろう? なら追いかけて皆殺しにしておくれよ!」

「お願いします悪魔様。私の魂でも何でも捧げますから、どうかあの子達の仇を……っ!」


 家族を奪った大王国への憎しみに目を血走らせ、深い悲しみに滂沱の涙を流しながら、老婆達は口々に叫ぶ。


「お願いだから!」「奴らを殺して!」「殺してぇぇぇ―――っ!」


 その狂気に、英輝は耐えられなかった。


「やめてくれぇぇぇ―――っ!」


 老婆達を力尽くで振り払い、走って、走って、気がつけば街の外で膝を突いていた。


「はぁ、はぁ……」


 項垂れ息を荒げる英輝の前に、いつの間にか息一つ上がっていないメイドが立っていた。

 そして、彼女は変わらぬ無愛想な顔で淡々と問いかけてくる。


「大王国に行って、皆殺しにしないのですか?」

「そんな事できるわけないだろっ!」


 馬鹿な事を言うなと、英輝は激昂して叫び返す。

 だが、メイドは身じろぎ一つせず問い返してきた。


「あの老婆達を救いに来たのでしょう?」

「それは、そうだけど……俺は復讐の手助けをしに来たんじゃない! 人を救うって、そういう事じゃ――」

「そういう事ですよ」


 英輝の言葉を遮って、メイドが断言する。

 その瞳には初めて激しい感情が――怒りが宿っていた。


「大切な人を殺された者にとっての救いは、殺した者を殺し返す復讐以外にありません。まさか、殺された人の事など忘れて、自分だけ幸せになれとでも言うつもりですか?」

「そ、それは……」


 英輝は反論できずに押し黙る。全面的にメイドの言い分が正しいからだ。

 長年共に過ごした夫を、腹を痛めて産んだ子供を、ようやくできた可愛らしい孫を、殺され、汚され、奪われた老婆達に、復讐なんて下らないと綺麗事を吐ける者がいたら、それは仏か悪魔か、どちらにせよ人間ではない。


「あの方達は一方的に奪われた被害者なのです。その恨みを晴らし救う事は正しい行いではありませんか。何を迷う必要があるのです」


 だから、今すぐ復讐を遂げるべきだと、メイドは大王国のある東を指さす。

 けれども、英輝は首を振って頑なにそれを拒んだ。


「駄目だっ! 酷い目に遭ったからって、復讐だからって人を殺すなんて、そんな悪い事はできないっ!」

「……そうですか」


 意志を変えない英輝を見て、メイドの瞳から怒りの熱が消える。

 そして代わりに、冷たい侮蔑の色が宿った。


「理解しました。貴方は『悪い事がしたくない』のですね」

「何を言っているんだ?」


 そんな事は当たり前だろうと呆れる英輝に対して、メイドは言葉を重ねる。


「優先順位の問題です。貴方は『悪い事がしたくない』が一番上にあって、『人を救いたい』はその下にしかないのです」

「――っ!?」


 氷柱で胸を刺されたように、英輝は愕然と凍りつく。

 メイドの言葉は、ずっと気がつかずにいた彼の闇を引きずり出すものだったから。


「誰かを救う気はある。けれども、自分の手は絶対に汚したくない。それが悪いとは言いません。けれども――」

「やめてくれ……」


 震える声で命乞いをする英輝に、メイドは容赦なく言葉の刃を振り下ろす。


「貴方は、手を汚してでも救いたい大切な人も、守りたい信念も何もない、空虚な偽善者です」

「あぁぁぁ―――っ!」


 英輝は絶望の悲鳴を上げて地面に蹲る。メイドの指摘が全て真実だったから。

 そうだ、彼には何もない。他人を犠牲にしても出世し、家族に良い暮らしをさせたいという愛情も、異世界の学生を利用してでも、自国の民を守りたいという使命感も。

 あるのは、自分だけは悪人になりたくない、綺麗でいたいという醜い自己愛だけ。


「俺は、最低だ……」


 そうと理解したのに、復讐を代行するため大王国へ向かう事も、埋葬を手伝うため老婆達の元に戻る事もできず、ただその場に蹲り続ける。

 そんな己の醜さに打ちのめされて、英輝はただ涙を流し続けた。

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