第42話・味岡料助《あじおかりょうすけ》【完璧な料理人】・02

 薬丸志保が病院建設のために奔走している頃、定食屋の息子・味岡料助は馬車に乗り、青海王国へと旅立っていた。


「はぁ~……」

「ご気分が優れませんか?」


 重い溜息を吐く料助を見て、向かいに座った世話係のメイド・ケルースが心配して声をかけてくる。

 それに対して、料助は首を横に振った。


「いや、体調は大丈夫なんですけど、やっぱり他の国に行くのが不安と言うか……」


 嘘である。実を言うとそこは不安ではない。

 護衛として精鋭の騎士が四人も付いて来てくれたので、道中も命の危険はない。

 向かう先が全く知らぬ国ならともかく、宇畑夢人の件などもあって仲良くなったお姫様・アンジェがいる青海王国である。礼儀作法を間違ったくらいなら笑って許して貰えるだろう。

 そもそも、今回はその青海王国から頼まれて、料理技術を教えるため出向する事となったのだ。料助の身に何かあっても、青海王国が全力で守ってくれるだろう。

 だから、何も不安になる事など無いのだが……。


「そんなにリデーレ様と離れるのが恋しいのですか?」

「なっ……!?」


 メイドに容赦なく図星を突かれて、料助は顔を真っ赤にして固まり、反論する事も忘れてしまう。

 皇帝アラケルの妹・皇女リデーレに彼が懸想している事は、とっくにバレバレだったようだ。


「私はむしろ、お二方の仲を邪魔するべき立場なのですが……料助様は女性に対する積極性がなさ過ぎです」

「うぐっ……!」


 また容赦なく痛い所を突かれて、料助は思わず胸を押さえる。

 この異世界に召喚されたその日に、リデーレの笑顔に惚れ込んでからというもの、彼がしてきた事といえば、毎日美味しい料理を作ってきた、ただそれだけであった。

 下手に下心を出さなかった事で、より信頼されたという面も確かにあるのだが、お陰で二人の関係は完全に『天才料理人と一番のファン』で固定されてしまった。間違っても恋愛的な甘さはない。


「でも、リデーレ様って歳のわりにまだ子供って言うか、恋愛に興味なさそうだから……」

「そうやって自分に言い訳をして、行動に移らないところが駄目だと申し上げているのです」

「はぐっ……!」


 言い訳を全力でひねり潰されて、料助は膝から崩れ落ちる。

 そして、恨みがましい目でメイドを見上げた。


「ケルースさん、俺をイジメて楽しい?」


 その問いに、メイドはとても真面目な顔で言い返す。


「料助様は受け身と申しますか、女性に振り回されるのがお好きなようでしたので」

「……えっ?」


 言われてみればリデーレからして、天真爛漫で男を振り回すタイプである。

 そもそも、奥手で消極的な彼に合うのは、正反対の積極的な女性以外にない。


「俺って、そういう子が好みだったのか……」


 気がついていなかった性癖を自覚させられて、料助は愕然として頭を抱える。

 そんな彼を見つめて、メイドは心の中で溜息を吐いた。


(だからこそ、これから向かう先が危険なのですが)


 天然無垢な皇女と、計算尽くの腹黒王女、一見して真逆ではあるのだが、積極的な女性という面では一致している。


(料助様がアンジェ様に籠絡されたとしたら、陛下はどうなさるのでしょうか?)


 むしろ料助を青海王国に譲り渡す事で、両国の関係を深める事が狙いなのか。その辺りは皇帝からも特に指示がない。

 だから、自分はどう動くべきなのか、考えあぐねているメイドはもちろん、料助の方も全く知らない。

 籠絡されかけているのはむしろ、初めて恋を知ったお姫様の方なのだと……。





 道中でメイドから色々と言われつつも、無事に青海王国の城に辿り着いた料助を出迎えたのは、今日も金髪縦ロールが美しい第一王女・アンジェであった。


「料助様、ようこそ青海王国へ。我ら一同、心より歓迎致しますわ」


 背後に並んだ大勢の従者達と共に、一糸乱れぬお辞儀で出迎える。

 まるで王族を出迎えるような歓迎ぶりに、料助は圧倒されながらも何とか頭を下げ返す。


「ほ、本日はお招き頂き。ま、誠に恐悦至極にございます」


 そんな彼に、アンジェは柔らかく微笑み返す。


「ふふっ、そう緊張なさらずとも結構ですわ。この度は料助様が料理を教えてくださる師であり、私達が教わる弟子なのですから、もっと不遜になさいませ」

「いや、そう言われても……」


 言われたとおり気安く接したら、アンジェ本人はともかく背後に控えた従者達から、殺気のこもった視線が飛んできそう怖い。

 そう怯える料助に対して、アンジェは気にせず歩み寄り、自ら彼の手を取った。


「長旅でお疲れでしょう。まずはゆっくりとお休みください」

「すみません」


 気を遣って貰って申し訳ないと頭を下げる料助に、アンジェは再び微笑みかけながら、手を引いて城の中へと案内する。

 そうして、とても豪華な客間に通されて、まずはお風呂で旅の汚れを落とし、用意されていた上質の服に着替え、暫くソファーに座って休んでいたところで、青海王国の執事が尋ねてきた。


「お食事の準備が整いました。食堂までお越し下さいませ」

「はい、分かりました」


 料助は慌てて立ち上がり、メイドや護衛の騎士達もそれに続く。

 そうして城の廊下を進んでいた途中で、不意に執事が立ち止まり、横の一室を掌で指しながらメイド達の方を見つめた。


「お付きの方々はこちらでお食事をお取り下さい」

「えっ?」


 みんな一緒に食事をするではないのかと、戸惑う料助を余所に、メイド達は一瞬躊躇ったものの、ここで逆らい青海王国の不興を買うのは得策ではないと判断したのか、大人しく指示された部屋に入っていく。


「では、料助様はこちらへ」

「は、はい」


 反論する暇もなく、料助は一人になって心細く思いながらも、執事の後を追いかける。

 そうして到着した広くはないが煌びやかな食堂では、アンジェが一人で席に座っており、彼を見るなり立ち上がって頭を下げた。


「申し訳ございません。お父様達は今日は都合が悪くて、紹介はまた後日にさせて頂けますか?」

「いえ、お気になさらず」


 他国の国王や王妃と一緒に食事をするなんて、緊張しすぎて味が分からなくなると、料助はむしろ安堵して胸を撫で下ろす。

 そういう風に彼が緊張するから、気を遣ってこの場に国王達を呼ばなかったのだ――という名目の元に、二人きりになりたかったという王女の狙いには、全く気がつきもせず。


「お席にお掛けください。料助様のお料理にはとても及びませんが、我が国の名物をご用意させて頂きましたわ」

「ありがとうございます」


 料助達が揃って席に着くのと同時に、皿を手にした給仕が現れて、数々の料理をテーブルに並べていった。


「へー、美味しそうだな」


 色取り取りの料理を眺めて、料助は正直な感想を漏らす。


「海岸沿いの国だけあって、魚料理が多いんですね」

「これだけが自慢ですから。さあ、どうぞお召し上がり下さい」


 謙遜して微笑むアンジェに勧められて、料助はフォークを手に取る。


(これはイワシの塩焼きか、小骨まで丁寧に取られていて食べやすい。こっちのフライはアジかな? 身は新鮮で臭みがないし、衣はサクサクで美味い。オマールエビのポワレに似た料理もあるし凄いな)


 新鮮な魚に豊富な香辛料と、素材が良いのもあるが、料理人の腕も素晴らしい。

 正直な話、料助が教える事などあるのかと思ってしまう。


「でも、蒸し料理はないのか」

「蒸し料理?」

「それに醤油とかタルタルソースとかがあれば、今より美味しくできそうだな」


 異能『完璧な料理人』に頼るまでもなく、現代日本の知識によって、早々に改善案を口にする料助を見て、アンジェは満面の笑みを浮かべる。


「やはり、料助様をお招きして正解でしたわ」

「はぁ、どうも」


 急に褒められて、料助は照れながらも料理を食べ進める。

 そうして食事を終えて、蒸し料理や醤油の作り方を軽く話した後で、不意にアンジェが切り出してきた。


「ところで料助様、お疲れのところ申し訳ないのですが、この後少し付き合ってくださいませんか?」

「はい、構わないですけど」

「ありがとうございます」


 つい反射的に頷いた料助の手を掴んで、アンジェは食堂の外に歩き出す。


(どこに行くんだろう?)


 王女の細く柔らかい手に、料助はついドキドキとしながらも城の中を進んでいく。

 そうして案内された部屋の中には、アンジェと似た美しい金髪の、だが少し細身で肌の艶が良くない男の子が、ベッドの上で本を読んでいた。


「お姉様っ!」

「アル、今日は元気そうね」

「うん、朝から気分が良かったから、少しだけ剣のお稽古もしたんだよ」


 アンジェはベッドに駆け寄って、男の子を優しく抱きしめ、彼もそれに笑顔で応える。

 そうして、家族の抱擁を終えた後で、アンジェは王女らしい顔に戻って、部屋の入り口で立ち止まっていた料助を紹介した。


「アル、こちらは白翼帝国からお越しになった、アース人の料理人・味岡料助様よ。ご挨拶なさい」

「はじめまして、料助様。僕は青海王国の第二王子・アルフォンスと申します。気軽にアルとお呼びください」

「ど、どうも、味岡料助です」


 子供とはいえ流石に王族らしく、立派な挨拶をする男の子・アルに、料助もどうにか挨拶を返す。

 アンジェはそんな彼を手招きしながら、苦笑を浮かべて告げた。


「料助様をお呼びしたのは、様々な料理を教えて頂きたかったのもそうですが、この子の事があったからなのです」

「アル君の事が、ですか?」

「はい、お恥ずかしい話なのですが、この子は偏食家でして、肉や魚の類が食べられないのです」

「えっ?」


 料助が少し驚いてアルを見ると、彼は気まずそうに顔を逸らした。


「だって、生臭くて不味いんだもの……」

「もぉ、そうやって好き嫌いばかりしているから、お兄様のように丈夫な体になれないのですわっ!」

「むぅ……」


 アンジェがお姉さんらしく叱りつけるものの、今まで散々聞き飽きた説教らしく、アルはふくれっ面で聞き流すだけだった。

 そんな姉弟の姿を微笑ましく思いつつ、料助は慎重に質問した。


「アル君は肉や魚を食べたりすると、体が痒くなったりするのかい?」

「いえ、そんな事はないです」


 その答えを聞いて、料助は胸を撫で下ろす。


「そうか、アレルギーじゃないんだな」

「アレルギー?」

「免疫の過剰反応……えっと、人が元から持っている毒とかに対する力が、必要以上に働いてしまう事があって――」


 首を傾げるアンジェ達に何とか説明をしながら、料助は考え込む。


(アレルギーなら薬丸を呼べば解決できたけど、ただの偏食となると俺が頑張るしかないか)


 薬丸志保の『治癒』は病気なら治せるが、ただの好き嫌いは性格の範疇であり、治す事はできない。『洗脳』でもできれば話は別だが。


「肉や魚が駄目で体が弱いとなると、やっぱりタンパク質の不足が原因かな」

「タンパク質?」

「食べ物の中には栄養素っていう、人の体を作るのに大切な物があって――」


 また首を傾げるアンジェ達に、料助は家庭科で習った範囲の事を、できるだけ簡単に説明する。


「――といった感じで、ただお腹一杯食べればいいわけじゃなく、肉や野菜をバランス良く食べないと、健康を損なってしまうんです」

「なるほど。医術にも通じておられるとは、料助様は本当に凄いお方ですわ」

「いや、そんな大層なものじゃ……」


 アンジェから大げさに褒められて、料助は照れて頭を掻く。

 今、自分が何気なく漏らした知識が、この異世界の人間達から見れば、下手な医術以上に人を救える力があるとは全く知りもせず。


「とにかく、アル君の体調不良は肉や魚を食べない事による、タンパク質の不足が原因だと思います」

「うぅ……」


 異世界の知識を持つ料助からも、体の弱さは偏食のせいだと断言されて、アルは幼い顔を悲しそうに歪ませる。


「……どうしても、お肉を食べなきゃ駄目ですか?」

「いや、無理に食べる必要はないよ」

「えっ、本当っ!?」


 目を輝かせるアルに頷き返してから、料助はアンジェの方を窺う。


「厨房を貸して頂けますか?」

「はい、もちろんですわ」


 そのために弟と会って貰ったのだと、アンジェは満面の笑顔で頷いて、また料助の手を掴んで歩き出した。

 そうして案内された厨房で、料助は無数に用意された食材と向き合った。


「アル君って、卵や牛乳も駄目なんですか?」

「あまり好きではないようですが、肉や魚と違って全く駄目ではありませんわ」

「そうですか、なら生臭さを消せば大丈夫かな? 後はやはり豆を中心に――」


 料助はタンパク質が豊富な食材を中心に選び、天園神楽の『ネット通販』で取り寄せ、帝国から持って来ておいた器具なども使い、機械も顔負けの早さで調理していく。

 そして二時間後、できあがった料理と共にアルの部屋へと舞い戻った。


「さあ、めしあがれ」

「うわーっ!」


 料助がテーブルに並べた初めて見る、そして肉や魚の匂いがせず、とても美味しそうな料理の数々に、アルは目を輝かせる。


「凄い、これはどうやって作ったんですか?」

「これはヒヨコ豆を潰した物を、刻んだ野菜と一緒に丸めて、オリーブオイルで揚げた物で、こっちはプリンと言って――」


 料助の説明を聞きながら、アルは次々と料理を口に運んでいく。

 そして未知の美味に出会い、さらに目を輝かせて叫んだ。


「美味しいっ! これならいくらでも食べられそう!」


 偏食なのもあって食の細かった弟が、勢い良く沢山食べる姿に、アンジェは慈愛の笑みを浮かべた後で、料助に向かって深々と頭を下げた。


「まさかアルの体まで治して下さるなんて、感謝の言葉もございません」

「いや、そんな直ぐに治るってものでもないので」


 あまり過剰な期待はしないで欲しいと、料助は謙遜しながら念を押す。

 ただ、体調不良の原因が栄養不足ならば、彼の料理で改善できる事は否定しなかった。

 そんな彼に、アンジェは満面の笑みを浮かべた。


「本当に、料助様をお招きして良かったですわ」


 偏食家の弟も食べられる料理を増やす、という事しか狙っていなかったのに、体調まで改善する料理を出してくるとは嬉しい誤算であった。

 これにより、末息子を溺愛している国王や王妃、兄の第一王子からも、料助の評価がぐんと上がるだろう。

 そして、何としても彼を青海王国のものにしよう、という流れになる事を企んでいたとはつゆ知らず、アンジェの美しい微笑みに、料助はただ顔を赤くするのだった。

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