第41話・薬丸志保《やくまるしほ》【治癒】・02

 エスタス平原での戦争時、保険委員の薬丸志保は平原からほど近い、ウォーラン伯爵の屋敷で待機していた。

 広間でソファーに座りながらクラスメート達、特に風越翔太の無事を祈っていた彼女の前に、突如として小太りで坊主頭の少年・旅川瞬一が、二人の騎士と共に現れる。

 その騎士達は共に血だらけで、今にも死にそうな重傷を負っていた。


「薬丸さん、頼むのね!」

「任せて」


 次の負傷者を運んでくるため、『瞬間移動』で平原に戻る瞬一に代わり、志保は急いで騎士達に駆け寄る。

 一人は肘の上で右腕が斬り落とされており、もう一人は折れた槍が腹に突き刺さっていた。


「絶対に助けますから、安心してください」


 意識が朦朧としている患者達をそう励ましながら、志保は異能『治癒』を発動し、まずは腕が斬り落とされた騎士の止血を行う。


(ひとまずはこれで大丈夫)


 無くなった腕の再生も可能だが、それは後回しにする。どれだけ負傷者が担ぎ込まれてくるか分からないので、体力を温存しておきたかったのだ。

 そうして、一人目は応急処置に留めて、より重傷な二人目に向き合った。


(うっ、胴を貫通している)


 騎士の腹に刺さった槍は深く、背中の側にまで飛び出していた。

 おそらく腸が破れており、普通であれば出血と漏れ出た便による感染症で、間違いなく助からない。

 だが、今の志保ならば奇跡を起こす事ができるのだ。


「すみません、異物を取り除くのに手を貸してください」

「畏まりました」


 お手伝いとして帝城から一緒に来ていたメイド達を呼び、騎士の体を横にする。

 そして、志保はすぐに治療できるよう手をかざし、二人のメイドが騎士の体を固定し、もう一人のメイドが厚い皮の手袋をはめて、槍の穂先を握り締めた。


「お願いします、三、二、一、〇ッ!」

「ふっ!」


 合図に合わせて、メイドが全身の力をこめて、背中の方に貫通する形で槍を引き抜く。


「がっ!」


 激痛が走り悶絶する騎士に向かって、志保はすぐさま『治癒』の力を放った。

 眩い光が迸り、破れた腸が再生し、漏れ出ていた便は消滅し、腹に空いていた穴が見る間に塞がっていく。

 そうして、傷が完全に癒えた騎士は、苦悶の表情から安らかな顔となって眠りについた。

 志保は念のため呼吸と脈を測り、何も問題がない事を悟ってようやく安堵の息を吐く。


「よかった……」


 だが休む暇もなく、再び瞬一が重傷者を伴って現れた。


「お代わりをお持ちしたのね!」

「いくらでも来なさいっ!」


 志保は額の汗を拭いながら己に発破を掛けて、新たな患者に向かう。

 そうして、十八人の重傷者を治療したところで、ようやく瞬一が戦場に戻るのを止めた。


「はぁはぁ……これで終わり?」

「と、とりあえず、死んじゃいそうだった人はこれだけね」


 異能の使いすぎで息が上がった志保に、こちらもげっそりとやつれた瞬一が答える。


「つまり、怪我人はまだまだいるのね」


 命に別状はない程度――指を二・三本失ったり、片目を潰されたり、腕や足の骨を折られたりといった者達が、今治した人数の何倍もいるのだろう。

 考えただけで目眩がし、倒れ込みそうになった志保を、メイドの一人が慌てて抱き支える。


「志保様っ!?」

「だ、大丈夫です。少し疲れただけで……」

「それはいけません。後の事は私達に任せて、少しお休みになってください」

「でも――いえ、分かりました。お願いします」


 志保は強がって反論しようとしたが、すぐに思い直して頷き返す。


(ここで無理して倒れたら、救える人も救えなくなる)


 ミイラ取りがミイラならぬ、医者が患者になっては本末転倒である。

 志保はメイドの手を借りて、ソファーに深く腰を下ろした。


「はぁ……」

「ゆっくりとお休みください」


 メイドは台所から水差しを持って来て、疲労した志保の前に置くと、他のメイド達と共に治療を終えた騎士達を広間から運び出して、客間のベッドへと連れて行く。


(体力凄いな。私も鍛えないと)


 でなければ、本物の医者など務まらないだろう。

 そう反省しつつ、志保は改めて考え込む。


(私が、いや『治癒』がなくなれば、こうして人を救う事はできなくなる)


 彼女は地球に帰って医者になる。だから、その日は遠からず確実に訪れるのだ。

 それに責任を感じる必要はない。志保達はそもそも異世界に強制転移された被害者なのだから。

 けれども、少なくない人々と交流し、死んで欲しくないと思うくらいには情が湧いている。


(だから、せめてやれる事をやろう)


 志保はそう決心し、まずは負傷した兵士達達の治療に専念するのだった。





 時は戻り、戦勝の宴から二週間ほどが経ち、土岡耕平や金剛力也が帝都を発った頃、志保も皇帝アラケルに面会を求めて、以前より温めていた計画を告げた。


「医療知識を伝え、大勢の人を救うために、医療学校も兼ねた病院を建てたいんです」

「病院とは、怪我や病気の治療をする施設だったか?」

「はい」


 皇帝に頷き返しつつ、志保は用意してきた資料を広げる。


「調べさせて貰いましたが、現在、白翼帝国には病院がありません。薬師や歯医者などがいますがどれも個人経営で、正しい治療が行われているとは言えません」


 二十一世紀の人間が、千年前の医者を無能と誹るようなもので、酷く傲慢な真似だと理解しつつも、志保はあえて強く言い切る。


「また、魔術によって治療を行っている方もいましたが、こちらも問題があります。魔術の使用にはとても体力を使うらしく、一日に治療できる患者の数が少なすぎて、とても手が足りていません」


 魔術の才能を持つ者は希少だ。そして、魔術師セネクのように優れた才能の持ち主は、貴族や金持ちのお抱えになるのが普通である。

 そのため、平民の治療を行って日銭を稼ごうなどという者は、大抵が才能に乏しい者達であり、治療できる回数が限られ、また大怪我や大病を治す事ができなかった。


「魔術師を増やせれば良かったのでしょうが、そのような方法はありませんよね?」

「ないな。セネクの話によると、色々と試した者もいたそうだが、上手くいかなかったらしい」


 皇帝の話を聞いて、志保は少しだけ背筋が寒くなる。

 魔術師同士で子供を作る、なんて平和的な話だけでなく、惨い人体実験をした者もいたのだろう。医療の歴史と同じくらい、魔術師の歴史も血みどろに違いなかった。

 ただ、今の本題はそこではない。


「ともあれ、治療の手が足りていません。そして、魔術師を増やす事はできませんが、正しい医療知識を持った医者ならば、いくらでも増やす事ができます」

「そのために病院を建てたい、という事か……」


 志保のプレゼンテーションを聞き終えた皇帝は、難しい顔で黙り込んでしまう。


「あの、駄目でしょうか?」

「いや、病院の建設自体は構わぬ。大恩ある其方の頼みであるし、何より我が帝国の利益となる事だ。拒む理由がない」


 不安がる志保に対して、皇帝は慌てて首を横にふる。

 そもそも、皇帝も医療技術の改革は考えていたのだ。しかし、常闇樹海や赤原大王国という脅威に加えて、アース人の反乱も警戒しなればならないという、余裕が全くない状況だったため、後回しにするしかなかった。

 樹海と大王国という大きな問題が片付いた今、それを志保が行ってくれるというなら渡りに船である。


「ただ、問題が二つほど思い浮かぶ。一つは、仕事を奪われる事になるだろう、今いる治療師達の反発だ」

「あっ……!?」


 全く考えていなかった事を突かれて、志保は思わず声を上げてしまう。


「その人達にも病院で学んで貰う事にすれば……」

「学ぶ意欲がある者はそれで良い。ただ、自分が学んできたものを否定され、新しい知識を覚えろと言われ、はい分かりましたと従える者は少なかろう。特に年寄りはな」

「…………」


 皇帝の指摘に対して、志保は何も言い返せずに黙り込む。

 地球でも新技術が感情論や経験則で否定され、なかなか受け入れて貰えない事が多々あるのだ。異世界人が地球の技術を学べと言われれば尚更だろう。

 地球の知識や技術を平然と受け入れている、皇帝が異常なだけなのだ。


「まぁ、これは何とかしよう。救国の英雄たるアース人の教えと喧伝すれば、従う者は増えるであろうし、何よりも皇帝たる余が支援する施設なのだ。火をかけるような愚か者はおるまい」


 仮に現れたならば、必ずや見つけ出して厳重に罰する。

 そう瞳で語りつつ、皇帝は二つ目の問題を告げた。


「一番の問題は、病院の建設にどの程度の費用が必要なのか、想像が付かぬという事だ」

「あっ……」

「余は神楽の漫画でしか知らぬが、病院というのは大きな建物に加えて、治療に使う道具や薬、そして多数の医者が必要なのであろう? 初期の費用に加え、継続的な費用がどの程度かかるか分からぬのでは、おいそれとは頷けぬ」

「すみません……」


 己の不備を悟り、志保は羞恥のあまり俯いてしまう。

 そんな彼女を、皇帝は優しく慰める。


「いや、志保は悪くない。本来であれば二つ返事で承諾し、いくらでも金を出すべき案件なのだ。ただ、今は国庫に余裕がなくてな……」


 皇帝は苦笑いして、素直に財政状況を説明した。


「先の戦いに我らは勝利した。これによって得られた物は多いが、金銭的な利益に限れば、得た物はなくむしろ減るだけであった」


 何故ならば、あれは防衛戦=自国の領土を守る戦いでしかなく、侵略戦=他国の領土を奪い取る戦いではなかったからだ。

 それでも、普通であれば捕虜から身代金を取れたりするものだが、あの戦いではそもそも捕虜を取っていない。六緑連合王国の決起を知り、さっさと撤退して欲しかったので、大王国軍の足を鈍らせるような真似は極力避けたかったからだ。


「兵士達への報酬を支払うと、もう国庫が空っぽ寸前でな。財政の改善も検討はしているが、直ぐにとはいかぬ」


 常闇樹海を焼き払った事で、手を付けられるようになった広大な平原を、土岡耕平がその異能で耕している真っ最中なのだが、そこに種を撒いて収穫が得られるのは、早くとも来年の話である。

 他にも、金剛力也のお陰で金山の採掘量が増えたり、産形健造のフィギュアが数十万円のプレミア価格で落札されたりしているのだが、一人で国の財政を覆せるほどではない。


「半年も待ってくれれば多少は余裕ができると思うのだが、それでは遅いのだな」

「はい」


 申し訳ない顔をする皇帝に、志保は残念そうに頷き返す。

 半年も経ったら彼女達が地球に帰る日が目前だ。病院を建てている暇などない。


(駄目なのかな……)


 親しくなった人達のために、何も残していってあげられない。

 それが無念で項垂れる志保を余所に、皇帝は執務室の扉に視線を向けた。


「何か金策でもあれば良いのだが、翔太はどう思う?」

「えっ!?」


 志保が驚いてそちらを向くのと同時に、いつの間にか扉の横にいたメイド長・イリスが素早くドアノブを回す。

 すると、扉が勢い良く開いて、聞き耳を立てていたらしいサッカー部員・風越翔太が、転がりながら部屋の中に入り込んできた。


「あははっ、バレてたか」

「ちょっと、何してんのっ!?」

「いやー、薬丸がスゲー真面目な顔で城に入って行くのが見えたからさ」


 それで気になって後を付けてきたのだと、翔太は悪びれもなく笑って立ち上がる。


「だからって、泥棒みたいな真似をしなくても……」


 志保は思わず頭を抱えてしまうが、そんな二人を見て皇帝は愉快そうに笑った。


「違うだろうと分かってはいても、自分以外の男と会うとなれば、気にせずにはおれぬよな」

「えっ、それってつまり――」


 皇帝に嫉妬してしまうくらい、私の事を――と志保が尋ねる前に、翔太は慌てて叫ぶ。


「あーっ、お金がないって話だったよな! なら寄付でも募ったらいいんじゃね?」

「ふむ、その手があったか」


 誤魔化すための苦し紛れから出た案だったが、思いの外良くて皇帝は顔を輝かせる。


「帝国の国庫は厳しいが、貴族や商人の中にはまだ余裕のある者達も居るであろう。彼らから寄付を募れば、それなりの金額は集まるであろうな」


 アース人達の異能を利用しようと、余計な者達まで集ってくる可能性があったため、無意識の内に避けていた方法だが、今回に限ればそう悪い事にはなるまい。

 そんな皇帝の内心は知らず、志保は満面の笑みを浮かべた。


「じゃあ、病院を建てていいんですねっ!?」

「集まった金額と相談し、施設の規模や人員を勘案する必要はあるがな」

「やったぁ!」


 まだまだ問題は山積みだが、ひとまず許可を得られて、志保は大喜びで飛び上がる。

 そして、翔太の手を掴んで執務室から飛び出していった。


「さあ、早速寄付を募りに行くわよ!」

「えっ、俺も行くのかよっ!?」

「私の事が心配なんでしょ?」

「いやあれは、薬丸みたいなお堅いタイプほど、イケメンにあっさり処女を食われちゃいそうだなって……」

「はいはい」


 いつものセクハラにも最早動じず、志保は翔太を引きずって歩いて行く。

 そんな二人の姿に皇帝はまた微笑みながらも、イリスに命じてメイドを一人手助けに向かわせるのだった。





 皇帝の許可を得てからは、慌ただしい日々が続いた。


「志保様には息子の命を助けて頂いたのです。喜んで寄付をさせて頂きましょう」

「優れた医術を学べる施設ですが、もちろん寄付させて頂きます。その代わりと言っては何ですが、我が家の娘の雇っては頂けませんか?」

「命を賭して駆けつけるとお約束しましたよね? 今がその時でございます」


 志保が『治癒』で救ってきた人々を中心に、予想以上の早さで寄付が集まり、お金の問題はあっさりと解決した。

 だが、そこからが大変であった。医学書は天園神楽の『ネット通販』でいくらでも取り寄せられるものの、それをどこから教えるのかが難しい。

 何せ感染症予防の衛生管理といった概念すら、ろくに知られていない異世界なのだ。手洗いの大切さとその理由といった、小学校や幼稚園レベルから始める必要がある。

 また、道具の問題もある。例えば歯医者のドリルなどは、神楽の異能で購入はできても、電気がないので使えない。

 それに薬品なども含めて、できる限りこの世界の技術で用意可能な物で、治療する方法を伝えたかったのだ。


「そうじゃないと、病院を作った意味がないから」


 志保はそう言って己に活を入れ、散々迷ったり困ったりしつつも、伝えるべき知識の選別を行っていく。

 そうして、教える準備が整い、施設や道具が揃って、医者の卵が集められたのは、動き出してから四ヶ月後の事だった。


「みなさん、まずはお礼を言わせてください。私のワガママに付き合って、ここに集まってくれて、本当にありがとうございます」


 小さな屋敷を改装して造られた病院の広間で、志保は深々と頭を下げてから、集まった十四人の生徒達を見回す。

 全体的に若い女性が多く、その中には志保が救った元娼婦の姿もあった。


「そして、謝らなければなりません。私はあと三ヶ月もすれば、故郷である地球に帰ります」

「…………」


 事前に告げていた事なので、生徒達も今さら騒いだりはしない。

 ただ、寂しく残念そうな表情を浮かべる彼女達に、志保は改めて頭を下げた。


「言い訳にしか聞こえないと思いますが、私の異能『治癒』は、この世界に長く存在してはいけないと思うのです。何故なら、いつかは失われてしまうからです」


 仮に志保がこの異世界に残ったとしても、あと六十年もすれば寿命で彼女は死に、『治癒』も同時に失われてしまう。

 そうして残るのは『治癒』に頼り切って発達しなかった医術と、治す術を失った怪我や病気に怯えてパニックを起こす人々。


「ですが、知識は違います。ここで皆さんが学んでいく医術は決して失われません。皆さんが亡くなったとしても、子供や孫に、そのずっと先まで伝えられて、何億何兆という人々を救い続けるのです」


 それこそが学問の力であり、人間の素晴らしさであった。

 先人が一歩一歩積み重ねてきたものを、今の自分達が引き継ぎ、少しでも先に進ませたうえで、未来の子供達に繋げる。

 その道はいずれ『治癒』なんて一代限りの異能すら追い抜いて、より大勢の人々を救い幸せにするのだろう。

 志保はそう信じている。だからこそ、医術の種をこの世界に残すのだ。


「今苦しんでいる人々を、そして未来の子供達を救うために、沢山学んでいきましょう!」

「「「はい、先生っ!」」」


 元気よく返事をする生徒達から向けられる、輝く尊敬の眼差しに、志保は照れ臭くて赤くなりながらも、優しく微笑み返すのだった。

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