第40話・金剛力也《こんごうりきや》【鋼の肉体】・03
戦勝の宴から十日が経ち、勝利に沸いていた人々の興奮や、戦後の処理に追われていた役人達の仕事が落ち着き、日常へと戻り始めた頃合いを見計らって、巨漢の高校生・金剛力也は皇帝アラケルの執務室を訪れた。
「ルペスの町に帰りたい」
「ほう」
戦争の前まで働いていた、北の金山に戻りたい。
そんな力也の要望を聞いて、皇帝は少しだけ驚いた表情を浮かべる。
「駄目だろうか?」
「いや、構わぬ。其方らの尽力により、赤原大王国の侵略という脅威は去った。最強の大王国軍を退けた我らが帝国に、他国が攻め込んでくる事もなかろう」
平和が訪れたのだ。よって、強大な戦力である力也が、帝都に張り付いている必要もない。
だから好きにしてくれて構わないと、力也の意志を認めたうえで、皇帝は静かに問いかけてきた。
「
「――っ!?」
自らが無意識で使っていた言葉の意味に、力也は驚愕して言葉を失ってしまう。
そんな彼を見て、皇帝は微笑ましそうに目を細めた。
「其方がこちらに残ってくれると言うのならば、余は諸手を挙げて歓迎しよう。これまでの多大な戦果を考えれば、相応の爵位と領地を与えてしかるべきなのだが、其方はそのような物など望まぬのであろうな」
「…………」
力也はまだ自分の感情に戸惑っていて、返事をする事ができなかったが、皇帝の言う通りであった。
彼は金銭が欲しかったわけではない。名誉=人から認められたいという欲はあったが、地位や権力を求めていたわけではない。
本当に欲しかったのは、自分を認めて受け入れてくれる仲の良い友人や、そして何よりも……。
「力也よ、急かすような真似をして悪かった。ただ、まだ時間は残っているのだし、今一度ゆっくりと考えて貰えると嬉しい」
「いや、俺の方こそすまない」
戸惑う彼を気遣って、話を素早く切り上げた皇帝に、力也は頭を下げて謝ると執務室を後にした。
(この異世界に残る……)
召喚された当初は、そんな可能性など微塵も考えていなかった。
けれども今は、地球に帰るという選択肢の方が、可能性の枠から薄れようとしていた。
(俺は人を殺した)
そこに後悔や罪悪感はない。あの大王国軍を野放しにすれば、力也を笑顔で受け入れてくれた帝国の人々が、無残に殺されたり犯されたりしたのだろう。
言ってしまえば、コルヌー村を滅ぼしたゴブリン共と変わらない。
だから、この手で大王国の騎士を何百人と殴り殺した事に、力也はなんの重みも感じていない。人間の都合で巻き込まれてしまった馬達には、可哀想な事をしたと思うくらいだ。
(思えば、俺は最初からそうだったのだろう)
義父を殴り倒した時も、その事で妹を怖がらせ、母親に多大な迷惑をかけてしまった事は、首を吊ってしまいたいくらい後悔も反省もしていた。
けれども、大切な妹を汚そうとした義父に対しては、やり過ぎて申し訳ないとか、そんな感情は一切浮かんでいなかったのだ。
(俺は悪人に対して情けを持てない、冷酷な人間なんだ)
その根っ子は何一つ変わっていない。だが、手を血に染めた事によって、間違いなく変わった事がある。
(次があれば、俺は間違いなく相手を殺す)
それが異世界ではなく地球であろうとも、異能という強大な力を失っていようとも関係ない。
人を殺し犯すような邪悪と相対したその時、力也は己の拳を容赦なく振り抜いて、相手の息の根を止める。そう確信できた。
(こんな奴が、地球に帰っていいわけがない)
少なくとも、平和な日本に居場所はないだろう。
そこまで理解していながらも、最後の踏ん切りがつかず、力也は悶々としたまま帝城を後にする。
そして屋敷に戻ろうとした所で、一台の馬車とそこに乗り込むクラスメートの姿を見つけた。
「耕平?」
「うん?」
呼ばれて振り返った地味な男子・土岡耕平の元に、力也は駆け足で近寄る。
「どこかに行くのか?」
「あれっ、言ってなかった? 落ち着いたからクレメンス伯爵の所――ほら、俺が畑を耕してた町、あそこに戻るんだよ」
「そうだったのか」
自分と同じ事を考えていたと知り、力也は驚いて目を丸くする。
それから、慌てて耕平を呼び止めた。
「すまない、少し話をしてもいいか?」
「別に構わないけど……」
耕平はそう言いつつ、馬車に荷物を詰め込んでいた妙齢のメイド・ウルバに視線を向ける。
すると、彼女は「畏まりました」とすぐに了解し、気を利かせてくれたのか、御者と共に馬車から離れていった。
「で、話って何だ?」
共に戦った戦友だけあって、気安く話を促してくれる耕平に、力也は緊張した面持ちで尋ねる。
「耕平は、この世界に残るのか?」
「それかぁ……」
痛い話題を出されたと、耕平は苦悶の表情を浮かべる。
だが、力也の真剣さを感じ取ったのか、真面目に答えてくれた。
「俺は薬丸と違ってさ、地球に帰ってやりたい事とかないんだよな~」
両親と同じ医者になって、沢山の人を救いたい。そんな薬丸志保のように立派な目的を、この歳でしっかりと持っている者の方が、むしろ少数派であろう。
「もちろん、地球の方が快適だから帰りたいって気持ちはあるぞ? 天園が色々と仕入れてくれてるけど、やっぱ不便だし」
暑くてもクーラーがない。小腹が空いてもコンビニがない。テレビが見られないし、ネットゲームなんかで遊べない等々。
ある程度は代替えができても、完全に日本の快適な暮らしは得られないのだ。
「でもさ、あっちじゃ地味でモテない男の俺が、こっちじゃモテモテの大英雄なんだぜ? もったいなくて帰りたくねえよ~……」
これまた健全な男子ならば当然の葛藤である。
地球に帰ればどこにでもいる、いくらでも替えが効く高校生の一人にすぎないが、この異世界ならば強大な異能を持った、掛け替えのない英雄でいられるのだ。
そんな強い承認欲求を振り切れる者が、いったいどれだけいるだろう。
「クレメンス伯爵も俺を凄く買ってくれてるし、伯爵の娘二人もさ、俺の事をメチャクチャ褒めてくれて、腕に胸を押しつけてきたりしてさ……あぁー、帰りたくねーっ!」
思わず叫んで蹲る耕平が、それでもまだ迷っている理由は一つだった。
「でもさ、こんな俺でも帰らねーと、父ちゃんや母ちゃん、姉ちゃんや弟も心配するだろうなって思うとさ……」
家族などの大切な人達がいるから地球に戻りたい。実にありふれた、だからこそ重い理由であった。
そうして、心の迷いを打ち明けてくれた耕平に、力也は深く頭を下げる。
「ありがとう、話してくれて」
「いいって、俺も話せてスッキリしたし。こういう事、翔太の奴には相談し辛いしさ」
「そうだな」
笑って手を振る耕平に、力也は頷き返す。
志保の事もあって、サッカー部員・風越翔太は地球に帰ると既に決めている。きっと止められるだけで共感は得られないだろう。
「じゃあ、邪魔して悪かった」
話を終えて、力也は背を向けて去ろうとする。
そんな彼を、今度は耕平の方が呼び止めた。
「力也はどうすんだ?」
「えっ?」
「帰るのか、残るのかさ」
あんな質問をしてきたのだから、自分と同じように迷っているのだろう。
そう胸の内を悟って尋ねてきた耕平に、力也は僅かに考えてから答えた。
「俺は――」
◇
三日後、馬車に乗って帝都を発った力也は、ルペスの町に戻っていた。
「泥棒が入った形跡はありませんね」
世話係のメイド・イーラが、住居としていた一軒家の鍵を開けて、まずは中の様子を窺う。
「埃が溜まっていますね。二ヶ月近くも空き家にしていましたから、仕方がありませんが……力也様、荷物は玄関の前に置いてください。先に掃き掃除を行います」
「分かった」
力也はメイドの言葉に従い、帝都から持って来た鞄を玄関の前に置く。
不用心にも思えるが、特に高価な物が入っているわけでもないので、泥棒に盗まれても痛手ではない。
そもそも、救国の英雄に盗みなど働けば、町の人間が総出で犯人を見つけ出して、吊し上げるに違いなかった。
「箒は?」
「いいえ、結構です」
掃除道具を探そうとする力也を、メイドは素早く手で制す。
「炊事洗濯に家事掃除は私の職務ですので、力也様は休んでいて下さい」
「しかし――」
言いつのろうとする力也の口に、メイドは人差し指を当てて黙らせる。
「お気遣いなく。それよりも、行きたい所があるのではありませんか?」
「――っ!?」
胸中を見抜かれて驚愕する力也に、メイドは微笑んで銀貨の入った財布を差し出してくる。
「主の願いを汲み取るのも、侍女の仕事にございます」
「……すまない」
「そこは謝罪よりも礼を言って下さった方が、仕事に張り合いが出ます」
「ありがとう」
力也は笑って言い直し、財布を受け取って駆けだした。
そして、道中で焼き菓子を沢山買ってから、町の外れへと向かう。
「…………」
久しぶりに目にした石造りの孤児院と、広い庭で遊ぶ子供達の姿に、力也はつい近づくのを躊躇ってしまう。
だが、漂ってくる焼き菓子の香りと、彼の目立つ巨体に、子供達の方がすぐに気がついた。
「あっ、力也様だっ!」
「本当だ、力也様ぁーっ!」
子供達は満面の笑みを浮かべて、一斉に力也の元に駆け寄ってくる。
「ねぇねぇ、お話聞かせて。大活躍したんでしょう?」
「町の人達がみんな言ってたよ。怖~い敵の兵隊を、力也様がみんなやっつけてくれたって!」
「何千人って兵隊を、一人で吹き飛ばしたんだよね!」
エスタス平原で大王国軍を退けた彼の活躍は、尾ひれがついてこの町にも届いていたらしい。
その武勇伝を聞きたいと、大はしゃぎする子供達に気がついたのか、孤児院の扉が開いて怒鳴り声が響いてきた。
「こらぁーっ! 何を騒いで――あっ!?」
怒声の主である年長の少女・ティアは、叫んでいる途中で力也の姿に気がつき、血相を変えて駆け寄ってくる。
「力也様、ご無事だったんですねっ!?」
「あぁ」
「良かった……」
頷く力也の体に傷一つないのを確かめて、ティアは深く安堵の溜息を漏らす。
噂で彼が無事なのを耳にしていても、その目で確認するまでは不安だったのだろう。
目尻に涙まで浮かべているティアの姿を見て、力也は自分の決断が正しかったのだと改めて思う。
(俺が帰っても、真奈美や母さんはこんな風に喜んでくれない)
側にいても怖がらせて、嫌な思いをさせてしまうだけだ。ならば、彼はいない方がいい。
耕平との話でその事に気がついたのだ。地球に帰る一番の理由、自分の帰りを待っていてくれる家族が、力也にはいないのだと。
(これでいいんだ)
胸の奥に痛みを抱えたまま、それでも力也は決別を告げる。
そんな感情が表に出ていたのか、ティアが心配そうに顔を曇らせた。
「力也様、やっぱりどこかに怪我をしたんじゃ……」
「いや、大丈夫だ」
力也は慌てて笑顔を浮かべ、手に抱えていた焼き菓子を子供達に差し出す。
「それより、冷めないうちに食べてくれ」
「「「やったーっ!」」」
「もぉ、あんた達は……」
奪い合うような勢いで焼き菓子に手を伸ばす子供達の姿に、ティアは呆れて溜息を吐く。
それから、苦笑して力也の顔を見上げた。
「とりあえず、お茶でも如何ですか?」
「頂こう」
頷く力也を先導して、ティアは孤児院に向かって歩き出す。
そうして玄関扉に手をかけたところで、ふと気がついた様子で振り返った。
「そうだ、言い忘れてました」
「うん?」
戸惑う力也に向かって、ティアは少し照れて頬を赤くしながらも告げた。
「お帰りなさい、力也様」
そこに特別な意味はなく、ただ彼の無事を祝い、また会いに来てくれた事に対する、純粋な感謝が込められていたのだろう。
だから、力也も自然に笑って応えていた。
「ただいま」
帰る家が、迎えてくれる家族ができて、今にも溢れ出しそうな涙を堪えながら。
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