第38話・剣崎武美《けんざきたけみ》【剣豪】・02

 東の覇者・赤原大王国の侵攻を退け、帝都へと凱旋した皇帝アラケルと約五千の兵士達、そして勝利の立役者たるアース人達を、帝都の人々は割れるような歓声で出迎えた。


「キャーッ、英雄達のお帰りよっ!」

「ありがとう、僕達を守ってくれて!」

「皇帝陛下、万歳! アース人、万歳!」


 常闇樹海の時と同じかそれ以上の人々が詰め寄って、祝福の花を撒き散らし、勝利の歌を合唱し、輝く笑みで出迎えてくれる。

 そんな、自分が守り抜いた人々の姿に、剣道少女・剣崎武美は誇らしさを覚えながらも、胸の内は暗く淀んでいた。


(私は、どうして……)


 深く思い悩みながらも、それを表に出して心配をさせぬよう、ぎこちない笑みを浮かべて人々に手を振り返す。

 そんな彼女の様子を、騎士団長・アークレイが心配そうに窺っていたのに気づかぬほど、武美の心は千々に乱れていた。




 凱旋パレードを終え、皇帝が壇上で改めて人々に勝利を宣言したところで、武美達はようやく解放された。


「皆、お疲れ様だった。後日、戦勝の宴を開き、改めてこの度の礼をしようと思うが、今日の所は屋敷に戻り、ゆっくりと体を休めて欲しい」

「ふぅ~、ようやく柔らかいベッドで眠れるぜ」

「そういや、この屋敷に帰ってくるの久しぶりだな」

「料助の料理も久しぶりだ」


 風越翔太、土岡耕平、金剛力也と、エスタス平原で共に戦った仲間達が、疲れた顔で屋敷へと向かうなか、武美は誰にも悟られぬよう気配を殺して、そっと城門の方へと戻って行く。

 そうして、流石に今日は誰もおらず静まり返っている、屋内訓練場へと向かった。


「お願いします」


 体に染みついた癖で、一礼してから中に入り、自宅の稽古場を思わせる板張りの床に正座をして、ゆっくりと目蓋を閉じた。

 遠くから勝利を祝う人々の声が響くなか、武美の目蓋に蘇るのは、戦場で斬り殺した敵兵達の姿。


(あの日、私は何人殺した?)


 思い出せない、数え切れないほどに殺した。間違いなく三桁はこの手にかけただろう。

 既に常闇樹海の一件で、魔物を何百匹と斬り殺していたので、今さら血に怯える事はなかった。

 鎧よりも分厚い筋肉と脂肪に守られ、巨大な棍棒を振り回す緑肌鬼オークに比べれば、厳しい訓練を積んだ赤原大王国の兵すら、子供のように容易い相手であった。

 四方八方が敵だらけで、刃が幾度となく眼前を通り過ぎるようなあの戦場でさえも、武美は死の恐怖を覚える事なく、ひたすらに死を与える側であったのだ。

 だから、何も怖くはない。けれども、その事実が怖い。


(私は、あんなにも人を手に掛けたのに……っ!)


 目蓋を閉じたまま、武美は顔を悲痛に歪ませ――次の瞬間、床を両手で叩き、腕力だけで高く飛び上がりながら旋回し、背後に手刀を繰り出す。

 それを咄嗟に受け止めた髭面のむさ苦しい男ことアークレイは、冷や汗を浮かべながら愉快そうに笑った。


「お前、まるで猫みたいだな」

「それはこちらの台詞だ」


 深く考え込んでいたとはいえ、足音も気配もなく彼女の背後を取るなど、人間離れした技である。

 そう感心しつつも、武美はアークレイの顔を睨み上げた。


「何の用だ? 用事が無いなら一人にしてくれ」


 そうつっけんどんに追い返そうとするが、アークレイは怯まずに笑い返してくる。


「俺は騎士団長なんでな、団員のお悩み相談もお仕事の内なんだよ」

「私はお前の部下ではないぞ」

「ははっ、悩みがあるのは否定しなかったな」

「むっ……」


 図星を突かれ、頬を膨らませる武美に背を向けて、アークレイは壁に掛けられていた木剣を二本持ってくる。

 そして、片方を彼女の方に差し出してきた。


「俺達みたいな口下手は、こいつで語るに限るだろ?」

「貴様が口下手なら、この世にお喋りなどおるまい」


 武美はそう皮肉を返しつつも、素直に木剣を握って構えを取る。

 アークレイも笑って構え、どちらともなく打ち合いを始めた。

 袈裟斬りを受け止め、籠手打ちを払い、突きを避け、踏み込んで鍔迫り合いを始め、時には蹴りや拳も繰り出す。

 傍から見ると実戦さながらの激しい剣戟であったが、お互いに本気ではなく、ストレス発散の遊びのようなものであった。

 そうして、無言のまま一時間ほど切り結び、二人の汗で床が濡れてきた頃、アークレイの方から口を開いた。


「人を手にかけた事を、後悔しているのか?」

「……いや」


 武美は僅かに言い淀みつつも、首を横に振る。


「自分達のためでもあるし、何より人々の笑顔を守れたのだ。後悔などない」


 参戦を表明した時にも言った事だ。人を見捨てる腐れ外道になるくらいなら、人斬りの罪人になると。


「後悔はない、ないんだ……そんな自分が怖い」


 武美は俯き、木剣を握る自らの手を見つめる。


「人を殺したら、もっと罪悪感に蝕まれるものだと思っていた」


 漫画や映画でよくあるように、死者が夢の中に出てきて恨み語を言い、飛び起きて恐怖に震える。自分もそんな風に苦しむのだろうと覚悟していた。

 けれども、そんな事は一度もなかった。あの戦いから十日以上も経つのに、悪夢にうなされる事など一度もなかったのだ。


「自分が手にかけた兵士達に対して、申し訳ないという思いはある。けれども『悪い事をした』という実感が湧かないんだ」


 相手もこちらを殺しにきていたから、死ぬ覚悟ができている兵士だったからと、考えれば色々と理由は見つかる。

 それでも、人を殺した事には変わりないのに、罪の意識が芽生えない。


「私は身も心も、人の道を外れた外道になってしまったのだろうか……?」


 剣の道は人の道という、父親の教えも忘れ去り、魔道に落ちた人斬りと化してしまったのか。

 そしていずれは、血を求めて罪もない人々を斬り殺す、腐れ外道に成り果ててしまうのか。

 そんな自分が怖いと震える武美の肩を、アークレイは無骨な手で叩いた。


「武美、お前は本当にイイ女だな」

「な、何だ急に世辞などっ!? 私は真面目な話をしているのだぞっ!」

「世辞でもねえし、真面目だよ」


 顔を真っ赤にして怒鳴る武美を、アークレイはいつになく真剣な表情で見つめ返す。


「人の道だの何だのは、正直に言って俺には分からねえ。敵をぶっ殺すのは善い事なんだから、悩む必要なんかねえだろと思っちまう」


 それはお互いの生まれ育った文化の違いだろう。

 物心ついた頃から人殺しや戦争は悪い事だと、何度も教え込まれてきた日本人の少女と、主君や民を守るために剣を取り、敵を討つ事が使命と育てられた異世界の騎士では、根本的に常識が異なる。

 そのため、アークレイが武美の悩みを完全に理解する事は不可能だ。


「けどな、俺にも一つだけ分かる事がある。お前は人のせいにしないイイ女だって事だ」

「だから、見え透いた世辞など止めろ!」


 恥じらってさらに赤くなる武美を見て、アークレイはつい笑ってしまう。

 それからまた真面目な顔に戻って、ゆっくりと告げた。


「なあ武美、お前は俺達のせいにしてよかったんだ。こんな異世界に無理やり連れてきて、人殺しなんかさせやがってとな」


 事実、アークレイや皇帝達のせいなのだ。責任は全て彼らにあり、武美達は巻き込まれただけの被害者にすぎない。

 それこそ社長令嬢・金家成美のように、一方的に罵倒する権利がある。

 けれども、武美はそれをしなかった。他人のせいだという考えが、思い浮かんですらいなかった。


「人のせいにせず、全部自分で背負って、考え、行動し、悩めるお前は、本当にイイ女だよ」


 だから、人の道を外れた外道などではないと、アークレイは武美の頭を優しく撫でた。


「――っ」


 黒髪を隔てて伝わってくる、無骨な掌の感触に、武美の心臓が急に早鐘を打ち出す。

 そうして、黙り込んだ彼女の頭を右手で撫でながら、アークレイは左手で握っていた木剣で、彼女の横腹を軽く叩いた。


「ほい、俺の勝ちだな」

「き、貴様は……っ!」


 空気を読まぬ不意打ちに、武美は思わず歯ぎしりして、それから俯き、誰にも聞こえないよう小さく呟いた。


「……卑怯者め」


 先程までの悩みが吹き飛んでしまうほど、自分の心をかき乱すこの男が、憎くて、憎いほど恋しいと、自分の心に気がついてしまいながら。

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