第37話・終わる開戦、始まる終戦

 十年以上前の戦で敗れ、赤原大王国の一部となっていた南部のスェイス区が、突如として反乱を起こした。

 どのような手段を用いたのか、駐屯していた大王国兵達は要塞もろとも一瞬で焼き殺されてしまい、運良く要塞の外に出ていた者達も、何が起きたのか分からず混乱しているうちに、反乱の首謀者である元区長・サトゥルに扇動された民に囲まれ、積年の恨みを叩きつけられて全員殺されたらしい。

 こうして、反乱の知らせが大王国に届くのを封じたサトゥル達は、枯れ野に火を放つような勢いで他の五区も解放していった。


 六緑連合王国の再興を合い言葉に、同じように恨みを募らせていた者達を仲間に加えて、各区の大王国兵に連携の暇を与えず、各個に撃破していった。

 南部は大王国の首都から遠く離れた辺境で、配属された将兵の質が高くなく、長い間反乱の兆候がなかったため、気が緩んでいたのも災いしたのだろう。

 本国が気付いた時にはもう、六区は全て解放されて、スェイス王国のサトゥル国王を盟主とする、新たな六緑連合王国によって支配されていた。




「――という事だ」


 ヴァイナー大王はそう説明を終えて、本国から届いた手紙を将軍達の前に放り投げる。

 将軍達は慌ててそれを掴み、交替して何度も目を通したが、南部で起きた反乱が鎮圧できず、滅ぼしたはずの連合王国が敵となって復活したという報告内容は、決して変わる事がなかった。


「そんな馬鹿な……」


 まだ信じられぬと狼狽える他の将軍達を余所に、常勝将軍ザウードだけは苦い敗北感と共に真相を悟る。


「要塞もろとも焼き殺された……帝国が召喚したアース人の中には、西の果てにある広大な樹海を、魔物ごと焼き尽くした者がいると耳にしました。おそらく、その者が荷担していたのでしょう」

「であろうな」


 ヴァイナー大王も頷いて同意する。

 南部の大王国兵達は精鋭とは言えぬが、戦に負けて牙を抜かれ、魔物から身を守るための最低限の武器しか許されていなかった六区の民を相手に、一日ともたず敗れ去るほどの弱兵ではない。

 ザウードがその目で実際に見た、まさに悪魔のごときアース人達の力を借りたとみて間違いなかった。


「皇帝の若造め、異世界の悪魔共だけでなく、南部の腰抜け共まで誑かして利用するとは、やる事が余程悪魔じみておるわ」


 ヴァイナー大王は苛立ちと賞賛の混じった言葉を吐き、目を閉じて深く深呼吸をした後で、重々しく命じた。


「全軍撤退だ。この城も放棄し、本国へ引き返すぞ」

「だ、大王様、よろしいのですかっ!?」


 他の将軍達は驚愕し、思わず引き止めてしまう。

 彼らとて二正面作戦の愚かしさはよく理解している。

 まして、有力な食料生産地域であった南部の反乱を抱えたまま、常勝将軍さえ退けた白翼帝国に再び攻め込むなど、自殺しに行くのと変わらない。

 だから、一度本国へと帰還し、態勢を整えたうえで反乱の鎮圧に向かう。これ以外の最善手はない。けれども――


「大王様が自ら出陣したというのに、何も得られず帰ったとなれば、王弟派が黙ってはいませんぞ!」

「せめてこの地だけでも占領し、遠征の成果を出さねば示しがつきません!」


 赤原大王国の象徴たるヴァイナー大王が敗北したとなれば、その知らせは六緑連合王国だけでなく、他の地区や貴族達の反乱も引き起こしかねない。

 だから、黒鉄王国の領地を手に入れ、表向きだけでも勝利を演出するべきである。

 そう訴える将軍達を、ヴァイナー大王は呆れた顔で見返した。


「ふんっ、中身のない空箱など、父殺しの辺境伯にでもくれてやれ」


 中身――住人が虐殺されて生産能力を失った王都を筆頭に、黒鉄王国は大王国軍に食い荒らされて、もはや旨味など残っていない。

 そんな地を占領し、白翼帝国などの周辺国から守るために多数の兵を配置するなど、百害あって一理なしだ。


(体面よりも実利を優先されるか、大王様らしい)


 ザウードは跪いた姿勢のまま笑みを浮かべてから、大王の心境を思って胸を痛める。

 南部の反乱を鎮圧し、他にも不穏な芽がないか探って潰し、大王国をまとめあげて、再び西方遠征の準備を整えるには、一体どれほどの年月が必要な事か。

 少なくとも大王の心身は全盛期を過ぎ去り、今のように戦場を駆ける事は難しくなるだろう。下手をすれば病で伏してしまう可能性もある。

 また、今回の戦が切っ掛けとなって、西方諸国が手を結び、大王国に対抗する時間を与えてしまう事にもなる。

 西方も征服し、大陸を統一するという大王の夢は、限りなく不可能になったと言えた。


(この度の西方遠征こそが、夢を叶える最後の機会であったのに……)


 その夢を潰されて、ヴァイナー大王は腸が煮えくり返るほど悔しい事だろう。

 できる事ならば南部の反乱など無視して、今すぐ白翼帝国を攻め滅ぼしたいはずだ。

 だが、大王はそれをしない。仮に帝国を倒せたとしても軍の大半を失い、ここぞとばかりに反乱の炎が勢いを増して、赤原大王国その物が滅びてしまうと、冷静に予知できてしまうから。


(臣下を動揺させるだけだから、感情のままに怒り狂う事も許されない。それが大王様自らが選んだ道とはいえ、お労しい……)


 ザウードは不敬ながらも同情を抱いてしまう。

 そんな彼を余所に、撤退を渋っていた他の将軍達を、大王は一喝して黙らせた。


「くどい、全軍撤退だ。急げ」

「「「は、はいっ!」」」


 もう一度言えば首を落とすと、鋭い殺気を浴びせられて、他の将軍達は怯えながらも敬礼し、撤退の準備を始めるため、我先にと軍議室から飛び出して行った。

 そうして、一人残されたザウードの前に、大王がゆっくりと歩み寄る。


「いつまでそうしているつもりだ、貴様も早く行け」

「まだ敗戦の責めを負っておりません」


 手を振って追い払おうとすヴァイナー大王に対して、ザウードは跪いたまま首を差し出す。


「大王様の兵をあたら失い、この度の遠征に失敗した事は、全て私の落ち度です」


 そうして、全ての責任を常勝将軍のせいとすれば、大王への批判を減らす事ができる。

 だから、この命を以て最後の奉公がしたいと、斬首を待つザウードに対して、ヴァイナー大王は呆れ果てた溜息を吐いた。


「馬鹿め。貴様の首を貰ったところで、喜ぶのは敵だけではないか。下らぬ真似をしている暇があったら、我に楯突いた連中の首でも持ってこい」

「……一命に替えましても」


 大王の寛大な慈悲に、ザウードはこぼれ落ちそうになった涙を堪えて、床にこすりつけるほど頭を下げる。

 そして立ち上がり、次なる戦いに備えるため、今は撤退の準備を始めるのだった。





 赤原大王国の常勝将軍を退けた後、白翼帝国の軍はエスタス平原から最も近い、ウォーラン伯爵領で陣を張って待機していた。

 大王国軍が再び攻めて来た時に備えていたのだが、それが杞憂と判明したのは、開戦から五日後の事であった。


「見ての通り、大王国軍は撤退を始めたみたいです」


 皇帝用の大きな天幕の中で、角刈りのっぽの大図計介が異能『地図作成』によって、黒鉄王国の王都周辺の地図を空中に映し出す。

 そのリアルタイムで変化する俯瞰映像には、八万人以上もの大軍が一斉に東へと移動していく光景が流れていた。


「念のため、自分の目でも見てきたけど間違いないね」


 小太り坊主頭の旅川瞬一も、『瞬間移動』で現場を確認してきたと太鼓判を押す。

 そんな凸凹コンビの報告に、皇帝アラケルは満面の笑みを浮かべた。


「ありがとう。これでこちらも帰還できる」

「一度退いたと見せ、こちらが油断した所で奇襲をかけてくるという事は?」


 隣で見ていた騎士団長のアークレイが、用心深く罠の可能性を示唆する。

 当然、皇帝もそれは考えていたが、ゆっくりと首を横に振った。

「大王国軍が撤退したという事は、六緑連合王国の件を知ったという事だ。尻に火が付いた状態で、速攻を仕掛けるならばまだしも、時間のかかる策を弄している暇はあるまい」

「仰る通りで」

「また、仮に奇襲を目論んだところで、計介と瞬一の目をかいくぐるのは不可能であろう?」

「確かに、お二方はまるで神の目と足ですからな」

「いや~」

「そんなに褒められると困るね」


 照れて頬を掻く凸凹コンビの姿に、皇帝も騎士団長も揃って笑みを浮かべる。


「とはいえ、其方の危惧も最もである。あと五日ほどは様子を見よう。帰還の準備だけ進めておいてくれ」

「了解致しました」


 敬礼して天幕を去るアークレイを見送り、皇帝は凸凹コンビに向かって深々と頭を下げる。


「瞬一、計介、改めて礼を言う。連合王国と協力関係を結べた事といい、其方らの力添えがなければ、我が白翼帝国は滅ぼされていた事だろう」

「だから、そんなに褒めないで欲しいね」

「自分達のためだし」


 より照れてそう言い返す瞬一達の姿に、皇帝はつい苦笑を浮かべてしまう。


(紛れもない事実なのだが、相も変わらず奥ゆかしいな)


 エスタス平原で活躍した土岡耕平達は当然として、瞬一達と火野竜司の力によって、南部の反乱を成功させる事ができなければ、大王国は退かなかったのだ。

 表だって吹聴できる武勇でないのは残念だが、瞬一達も間違いなく救国の英雄であった。


「帝都に戻りしだい厚くお礼をしよう。何か欲しい物があれば遠慮なく言って欲しい」

「じゃあ、考えとくね」

「楽しみにしてます」


 瞬一達はそう言って天幕から去って行った。

 そうして、メイド長・イリスの他に人がいなくなった所で、皇帝はようやく安堵の溜息を漏らした。


「山場は超えたか」

「お疲れ様です」


 紅茶を差し出してきたイリスの手を、皇帝はしっかりと握り締める。


「ありがとう。余がここまで来られたのも、全て其方のお陰だ」

「急に褒めたりしても、何も出ませんよ?」


 イリスはそう言って苦笑しながらも、皇帝の頭を胸に抱き寄せ、幼い頃のように優しく撫でた。


「本当にお疲れ様でした」


 周囲を安心させるため、常に自信と余裕に満ちた笑みを浮かべていた皇帝だが、内心では不安に苛まれていた事を、子供の頃からずっと側にいたイリスだけは知っていた。

 実際ここに至るまで、不安になって当然なくらい、危険な場面がいくつもあった。

 赤原大王国が黒鉄王国を滅ぼさず、協力して帝国に攻め込んでいたら。あくまで戦争を拒み、アース人が誰も協力してくれなかったら。六緑連合王国がこちらの話に乗らず、反乱を起こさなかったら。または反乱の報告が遅れて、大王国が全軍で攻め込んで来ていたら。

 失敗して帝国が滅びる可能性はいくつもあった。全て思惑通りに進み、こうして大王国を退けられたのは奇跡と言っても差し支えない。


「幸運の女神たる遊子の加護が、余にもあったのかもしれんな」

「それは考えすぎでしょう。全ては陛下の努力があればこそです」


 イリスはそう励ましつつも、こんな時に他の女の名前を出すなと拗ねて、皇帝の耳を引っ張る。

 その心地よい痛みに、皇帝は苦笑を浮かべながら、愛する者の胸から頭を離した。


「人を誑かして戦に駆り立てたのを、努力と言い張るほど傲慢ではないさ。ともあれ、こうして山を越えられた――いや、山頂を越えられたのは喜ばしい」


 言葉とは裏腹に、皇帝は険しい表情を浮かべる。


「そう、山を登り切っただけ。まだ山を下るという仕事が残っている」


 樹海の脅威が取り除かれ、大王国という最大の敵を退け、ようやく平和が訪れた。

 問題は、その平和を維持していく事こそが、何よりも難解だという事。

 何故なら、平和を築いた立役者であり、それを破壊する火種でもある、強大すぎるアース人達がいるのだから。


「三百年前と同じ失敗だけは、絶対に避けねばならぬ」


 そのために手は打ってきたが、絶対の保証などない。

 これからはアース人達の動向に目を光らせ、内乱の目を事前に潰し続ける、長く苦しい戦いが始まるのだ。


「イリスよ、これからも余を支えてくれるか?」

「愚問ですよ、陛下」


 昔のように甘えて手を握ってくる皇帝に、イリスは優しく微笑み返し、その掌に誓いの口づけをするのだった。

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