第35話・もう一つの戦場・前編
帝国との戦いに敗れた常勝将軍ザウードは、元黒鉄王国の王城へと急いで戻ると、軍議室に集まったヴァイナー大王や他の将軍達の前で、自分が見たものを嘘偽りなく報告した。
「――というわけで、アース人の強大な力に抗う術もなく、おめおめと逃げ帰った次第でございます」
「…………」
「ふんっ、何を言うかと思えば馬鹿馬鹿しいっ!」
無言で耳を傾けていたヴァイナー大王を余所に、他の将軍達が一斉に非難の声を上げる。
「矢を吹き飛ばす強風だの、大軍を囲む長大な土壁だの、寝言も大概にせんかっ!」
「己の敗北をお伽噺で誤魔化そうとは、常勝将軍の名も地に落ちたものですな」
「偉大なる大王様に虚偽の報告をするとは恥知らずめ。己の首を斬り落とすがいい!」
大王からの信頼が厚い常勝将軍に、他の将軍達は積もり積もった妬みを爆発させて、ここぞとばかりに罵声を浴びせる。
そんな針のむしろにありながら、ザウードは萎縮する事なく、ただ焦りに駆られていた。
(やはり、信じては貰えぬのか……)
この目で見て、実際に兵を失った彼でさえも、まだ半信半疑なのだ。
それくらい、アース人の異能は常識を逸脱し過ぎていた。魔術も魔物も実在する、この世界の人間から見ても。
(だが、この事実を受け入れなければ、帝国に勝つ事はできぬ)
ザウードはすがるような思いで、無言の主君を見上げる。
すると、ヴァイナー大王はゆっくりと口を開いた。
「静まれ」
「「「――っ」」」
小さな、だが重く響き渡る一言によって、罵詈雑言を吐いていた他の将軍達が一斉に口を閉ざす。
そうして静まり返った軍議室の中で、大王は淡々とザウードに問いかけてきた。
「強風を操る者、土壁を生み出す者、そして、槍も通らぬ鋼の肌を持つ巨漢に、踊るように殺戮する女剣士……アース人はこの四人だな?」
「はい、その通りでございます」
他の将軍達と違って一笑にせず、自分の報告を信じてくれたらしい大王に、ザウードは湧き上がる喜びをどうにか抑えて、冷静に頷き返した。
「まだ他に居ないとは限りませんし、風と土を操る者の姿は、残念ながら確認できておりません。また、女剣士はただの達人という可能性もありますが、少女と言える年齢でそれほどの技量を身に付けるなど、それこそ悪魔の助力でもなければ――」
「貴様は真面目が過ぎるな」
勘違いがあってはいけないと、事細かに報告するザウードを見て、大王は呆れたように笑う。
それから急に顔を引き締めて、腹に響く声で問いかけた。
「ザウードよ、悪魔のごとき四人の破壊者、貴様ならばどう殺す?」
「だ、大王様っ!?」
他の将軍達が思わず驚きの声を上げるが、大王は欠片も気にせず、ザウードの目を真っ直ぐ見詰めてくる。
常人ならば失神しかねないその視線を、常勝将軍は真っ向から受け止めた。
「策は既に講じております」
「聞かせよ」
「はい。まずは強風への対処ですが、こちらはそう難しくもありません」
土壁の上に現れた帝国弓兵を守っていた強風。それが合戦の最初に放たれた何万という矢の雨から、帝国軍五千人を守り切っていた事は疑いようがない。
こちらの射撃が防がれ、一方的に射貫かれるという非常に厄介な力ではあるのだが――
「矢を一斉に放つのではなく、間を開けて長く射ち続けるだけで、いずれは力尽きるかと」
五千人もの大勢を守り切る強風、そんな大きすぎる力を、いくら悪魔のごとき破壊者といえど、何時間も放ち続けられるとは思えない。
そんなザウードの推測に対して、大王は意地悪な顔で問いかける。
「アース人の力が有限であり、いずれ疲れ果てるという保証はどこにある?」
「もしも無限の力であれば、矢を吹き飛ばすなどとセコい真似などせずとも、巨大な竜巻でも起こして我が軍を蹂躙していた事でしょう」
「なるほど」
確かにその通りだと、大王も納得して頷く。
実際、アース人の異能も無限ではないのだが、それ以上に風使いの少年が殺人を忌避していたから、防御だけで攻撃には参加しなかったとは、この場も誰もが知らぬ事であった。
「土壁はどうする?」
「そちらが一番容易いかと。予め攻城兵器を用意しておき、突撃をせずゆっくりと進軍すれば、あとは普段通りに戦うだけで事足ります」
続く大王の問いにも、ザウードは迷わず答える。
長大な土壁も確かに脅威ではあったが、それは何もない平原に突如として要塞が現れたという、奇襲による効果が大きい。
元より強固な要塞に挑むつもりで準備をしておけば、厄介ではあっても戦えぬ敵ではない。
「むしろ問題なのは、鋼鉄の巨漢と女剣士です」
自軍を紙切れのように蹴散らしていった、二人の化け物を思い出して、ザウードの眉間にシワが寄る。
「あれはまるで、お伽噺に出てくる竜殺しの英雄……あれを退治するとなれば、それこそ竜を倒すほどの犠牲が必要かと」
「であろうな」
苦悶の表情を浮かべるザウードに対して、大王も静かに頷き返す。
「万の兵で取り囲み、相手が疲れ果てて膝をつくまで、千も二千も突撃させる他にあるまい」
「はい……」
大王国に忠誠を誓う勇敢な兵士達に、敵の体力を削るだけの踏み台として死ねと命じる。
それが将の役目であり、自国のために兵を死なせるという本質は、普段の戦争と何一つ変わるわけではない。
だがそれでも、罪悪感を抱かずにはいられないザウードに反して、ヴァイナー大王は豪快な笑みを浮かべてみせた。
「つまり、かつて世界を破壊した悪魔達といえども、我が赤原大王国の敵ではないという事だ」
黒鉄王国や帝国との戦いによって損耗したとはいえ、遠征軍にはまだ八万強もの兵士達が残っている。
「そして、悪魔達すら打ち倒した時、我が大王国に逆らおうという者はもはや一人も残らぬ」
「大王様……」
「かつて、大陸の統一寸前までいった帝国を破壊した悪魔達。それと同じ悪魔達を打ち倒し、我が大王国が大陸の統一を成し遂げる……はははっ、これぞ運命ではないかっ!」
大王は好戦的な歓喜の雄叫びを上げるが、その奥に冷静な計算が潜んでいる事を、ザウードだけは見抜いていた。
(確かに、あの悪魔達すら打ち倒せたのなら、残る国々も大人しく降伏して、今回の遠征を終わらせる事が可能だろう)
元々、全ての国と戦争をする気などなかったのだ。いくつかの国を滅ぼし、その恐怖と圧力によって、残りの国々に降伏を促すという、当初からの計画は何一つ変わらない。
ただ、異能を振るうアース人という、恐ろしく強いが倒せばその分得るものも大きい、大魚が立ち塞がっただけの事である。
(まだどれほどのアース人が残っていて、どのような力を持っているか分からぬのでは、分の悪い危険な賭けでしかない……だが、賭けずに勝てる戦などどこにもない)
ザウードは賭けの要素を極力削る努力によって、常勝の名を得てきた。
そんな彼が遂に敗北したように、戦いには絶対などあり得ない。
だから、大陸の統一という大きな夢を追うならば、どれほど危険でも賭ける他にないのだ。
そして、彼らが信じる大王は、今までその賭けに全て勝ち続けてきた。
「全軍を以て、白翼帝国に攻め込むぞっ! この大陸を統治するのは、異界から来た悪魔共などではない。このヴァイナー大王なのだっ!」
「「「ははっ!」」」
大王の輝くような威光に打たれて、他の将軍達も思わず膝をつく。まさにその時であった。
「大王様、伝令でございますっ!」
滝のような汗をかいた一人の騎士が、勢い良く扉を開け放って軍議室の中に飛び込んできた。
「貴様、軍議の最中であるぞっ!」
「も、申し訳ございません!」
ノックもなしの無礼な入室に、将軍の一人が怒鳴り声を上げて、それに打たれた騎士は崩れるように膝をつきながらも、焦った様子で喋り続ける。
「どのような罰もお受け致します。ですから――」
「よい、気にするな」
大王が掌を向け、騎士の言葉を遮る。
その顔に不快の色はない。ただ冷静に騎士のマントを留める金具を見詰めていた。
「その紋章、貴様は本国の留守を任せた第三騎士団の者だな? 察するに、寝る間も惜しんで馬を走らせて来たのであろう?」
「は、はい、その通りでございます!」
言い当てられた騎士は驚いてから、慌てて己の所属と名前を告げる。
そして、深い疲労のために震える手で、懐から一枚の封書を取り出した。
「く、詳しくはこちらに……一刻も早くお目通しを……」
「うむ、ご苦労であった」
大王が褒め言葉と共に封書を受け取ると、騎士はようやく重責を果たした安堵感からか、そのまま気を失い倒れ込んでしまった。
「この者を介護してやれ」
大王は軍議室の外にいた適当な兵士を呼び寄せ、倒れた騎士を運び出させると、封蝋を剥がして封書の中身を取り出す。
そして、現れた手紙に目を通し、雷を受けたように固まった。
「――っ!?」
「大王様?」
いつも豪胆かつ冷静沈着な大王が、驚愕の表情を浮かべて硬直するという、あまりにも珍しい光景に、将軍達は不安そうに声を上げる。
だが、大王はその声も聞こえない様子で、二度三度と手紙を読み返してから、ゆっくりと天井を仰いで震えだした。
「ふっ……ふふふっ、あーはっはっはっ! 悪魔使いの皇帝め、若造のくせにやりおるわ!」
「だ、大王様っ!?」
いったい何があったのかと慌てふためく将軍達の前で、ヴァイナー大王は急にピタリと笑い声を止めると、冷めた声で静かに告げた。
「南部地域――元・六緑連合王国が謀反を起こし、奴らの監視を任せていた要塞が全て壊滅した」
「……はっ?」
「――っ!?」
他の将軍達が信じられず、呆然と間抜けな声を漏らしてしまうなか、ザウードだけが大王と同じく真実に辿り着く。
「白翼帝国がアース人を使って、南部の決起を促したのですね」
「な、何だとっ!?」
「そんな馬鹿なっ!?」
他の将軍達はようやく理解し、だがやはり信じられず騒ぎ出す。
ザウードはそんな騒音も耳に入らぬほど、敗北感に打ちのめされていた。
(この戦、始める前に終わっていたのか……)
そう、常勝将軍がエスタス平原に向かうずっと以前に、遠い南東の地で勝敗は決まっていたのだった。
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