第33話・エスタス平原の戦い・前編

 赤原大王国の常勝将軍ザウードが、三万の大軍を率いて白翼帝国の攻略に出発したのは、黒鉄王国の王都を壊滅させてから、二週間が過ぎてからの事だった。

 その間も怠けていた訳ではない。むしろ忙しく駆け回っていた。

 王都を早々に壊滅させたからといって、黒鉄王国にはまだ大小様々な貴族達、特に西南北の辺境伯とその軍勢が残っている。

 それらを脅して屈服させ、または滅ぼし、王国領内を完全に掌握するために時間が必要だったのだ。

 お陰で後顧の憂いは断たれ、ザウードは今こうして帝国に向かって進軍を始めたのである。

 ただ、全軍の三分の一にもあたる三万という大軍を率いながらも、ザウードの表情に余裕はなく、眉間にはシワが寄っていた。


「将軍、どうかなさいましたか?」


 馬に乗って隣を歩む副官が、気を遣って声をかけてくる。

 それに対して、ザウードは素直に懸念を口にした。


「帝国が召喚したアース人とやらの事が、どうしてもな」

「あぁ、三百年前に世界を崩壊させた悪魔の再来、という奴ですか」


 ザウードの真剣な表情とは対照的に、副官は苦笑を浮かべる。


「魔術よりも不可思議かつ強大な力で、天を割り、地を裂き、恐るべき竜すら打ち殺したなどと言われていますが、所詮は昔話でしょう?」


 誇張されたお伽噺であり、現実にそんな人間がいるはずもない。

 副官がそう言って笑うのを、ザウードも責めたりはしない。

 帝国を含む西方の民はともかく、彼ら東方の民はアース人の伝説など、真面目に信じてはいないからだ。

 善い子にしていないと破壊の悪魔が来ますよと、親が子供を叱りつけるのに使うくらい、広く知られてはいるものの、それが実在したと考えている者はいない。


(三百年前に帝国の拡大に力を貸し、そして初代皇帝の死と共に内乱を起こし、瞬く間に衰退させた者達はいた。それは間違いないのだろう)


 だが、雷を降らせたり洪水を起こしたりと、まるで神のような力を持っていたというのは、流石に誇張だろうというのが一般的な見解であった。

 ザウードも今まではそう思っていた。けれども、この度の西方遠征へ向かう準備として、改めて帝国の情報を集めていくうちに、気になる話を耳にしたのだ。


「現れた新たなアース人は、魔物が巣くう樹海を焼き払い、地竜の亜種を倒したというぞ?」

「そういう大仰な噂を広めて、周辺諸国を牽制するのが目的では? 実際は小さな森を燃やして、出てきた地虫を倒したという程度の事でしょう」


 副官は再び笑って流す。むしろ、今の話を兵達に聞かれて、将軍の正気を疑われないかと、気を遣っているようにすら見えた。

 だから、ザウードはそれ以上、アース人の事を口にするのは止める。

 けれども、胸に巣くった不安はどうしても拭えなかった。


(本当に誇張された昔話ならば良いのだが……)


 出陣の前、ザウードはどうにも気になって、大王国お抱えの魔術師に尋ねてみた事がある。


 ――アース人の伝説はどこまでが本当なのだ? それと、我々でもアース人を召喚する事は可能なのか?


 それに対して、魔術師は面白い冗談を聞いたという顔で笑った。


 ――伝説はあくまで伝説ですよ。万物の根源たる精霊を介さず、世界を変革できる都合の良い力など、この世にあるとは思えません。


 とても現実的で真っ当な意見であり、ザウードはそれ以上尋ねる事を止めた。

 だが、見逃さなかった。魔術師は異世界が存在する事も、そこの人間を召喚する術がある事も、決して否定はしなかったのだ。

 そして、顔では笑っていた魔術師の目に、微かな怯えが混じっていた事も。


(どうにも引っかかりは消えぬが、私のやるべき事は変わらない)


 アース人が伝説だろうと現実だろうと、帝国軍を打ち倒して、ヴァイナー大王に勝利を捧げる。それが将軍たる彼の役目なのだ。

 そうして、ザウードが頭から懸念を追い払っていると、前方からこちらに向かってくる、馬に乗った大王国兵の姿が目に入った。


「あれは帝国へ向かわせた使者ですね」


 その体に傷一つない様子を見て、副官が驚いた顔をする。

 使者が白翼帝国に伝えたのは、黒鉄王国の時と同様に侮辱極まる降伏勧告だったからだ。

 この度の遠征において、大王国への恐怖を周知させるため、生け贄とされた黒鉄王国と同様に、帝国も必ず攻め滅ぼす対象とされている。

 かつて大陸の統一寸前までいった伝説の大帝国、その唯一の正当な後継者である現在の白翼帝国。

 これを討ち滅ぼしてこそ、大王の大陸制覇が成されるからだ。


(仮にアース人の伝説が真でも、いや真ならば余計に、帝国は滅ぼさねばならない)


 何かあれば再び異世界から悪魔を召喚して、この世界を滅ぼしかねない恐ろしい国。

 周辺諸国からそうタブー視されていたからこそ、今のような小国に落ちぶれても、帝国は何とか相続してこれたのだ。

 そんな国を、再び悪魔を召喚したと噂されている帝国を、真っ正面から打ち滅ぼしたとなれば、もはや赤原大王国に逆らおうという者は居るまい。

 少し甘い条件を提示してやるだけ、戦わずして軍門に降るであろう。

 ヴァイナー大王はそう計算したからこそ、己が右腕と信頼する常勝将軍に、帝国の攻略を命じたのだ。

 その将軍ことザウードの前に、使者は急いで駆け寄ってきて、馬から飛び降り地面にひれ伏した。


「ザウード将軍、ただいま戻りました」


 死して味方を鼓舞するはずが、おめおめと生きて帰り申し訳ないと、深々と詫びて首を差し出す。

 そのまま斬首を待つ使者に対して、ザウードは馬を下りて、その肩を優しく叩いた。


「よくぞ無事で帰った」

「将軍っ! しかし――」

「お前が無事で帰された。その情報こそが我らの勝利に貢献するのだ」


 使者を励ますためでもあったが、それはザウードの本心であった。


「侮辱的な降伏勧告に怒りもせず、お前に傷一つ付けなかった。敵はそれほど冷静な人物だという事だな?」

「はい」

「なるほど、手強い相手のようだ」


 深く頷く使者を見て、ザウードはむしろ嬉しそうに笑みを浮かべる。


「だが、冷静な人物の方が与しやすくていい。怒りで頭が沸いた馬鹿は、何をするか分からなくて苦手なのだ」

「ははっ、将軍らしいですな」


 副官は釣られて笑いながら、使者の手を掴んで立たせてやった。

 そうして、ザウードは再び馬に跨がり、帝国に向かって進みながら、隣を歩む使者に問いかける。


「皇帝には会ったのだな。どのような人物だった?」

「はっ、噂通りの美男子で、皇帝よりも吟遊詩人の方が似合っていそうな優男に見えましたが……」

「怒りもせずお前を無事に帰したのだ。ただの優男ではあるまい」

「左様で。それに、帰り際に気になる事を言っていました」

「何と?」

「『ザウード将軍によろしく』と」

「ほう」


 ザウードは思わず感嘆の声を漏らす。

 使者はヴァイナー大王の使いとして向かっただけで、帝国の攻略に向かう将軍が誰かといった機密は、何一つとして漏らしていない。

 つまり、皇帝は自らの情報網によって、大王国軍の指揮官を掴んでいたという事だ。


「ますます手強い相手のようだ」


 ザウードは改めて気を引き締めながら馬を進ませる。

 そうして、大王国軍はこの度の戦場となるエスタス平原へと辿り着く。

 今は亡き黒鉄王国の国境から、白翼帝国の領土へと少し入ったそこには、既に帝国軍が陣を構えて、大王国軍を来るのを待ちわびていた。

 その数はおよそ五千。今や名ばかりの小国と化した帝国とはいえ、総力というには少なすぎる。

 おそらく、農民からの徴兵は行わず、訓練を積んだ職業軍人だけをかき集めたのだろう。


(戦は数だが、弱兵に足を引っ張られて敗北した名将も少なくない。そう考えれば悪い手ではないが……)


 ザウードはそう納得しつつも、帝国軍が布陣している場所を見て目を丸くした。


「何故、あんな所に?」


 帝国軍は平原の端っこ、背後には森が広がり、左翼には川が流れているという、逃げ場のない袋小路に陣取っていたのだ。


「帝国人は自殺願望でもあるのですかな?」


 隣の副官は呆れて笑い声を上げる。それくらい利に沿わぬ行動なのだ。

 異世界では背水の陣と呼ばれている戦術は、こちらの世界にも存在した。

 ただそれは、殲滅しやすい囮となって、敵を城から誘い出し、その隙に隠していた別部隊が城を攻め落とすという奇策である。

 今回のように城もない野戦では、全くもって意味がない。だが――


「切れ者と思しき皇帝が、何の策もなくあのような愚を犯すとは思えん」

「そう混乱させ、こちらを足踏みさせるのが目的なのでは?」


 むしろ警戒を強めるザウードに対して、副官は深読みのしすぎではないかと忠告する。


「元より勝ち目のない戦ならば、退路を断って最後の一兵まで戦うという気概は、見上げたものだと思いますが」

「うむ……」


 正論ではあるのだが、やはりどうにも納得がいかず、ザウードは言葉を濁す。

 巷の噂や使者の話からして、帝国の皇帝は冷静な策略家であり、滅びた黒鉄王国のように激情的な戦士ではない。

 死の美学に殉じるより、どのような手段を用いても戦に勝ち、国を守ろうとするタイプであろう。


(伝説の悪魔を召喚したというのが本当ならば尚更な)


 ザウードは魔術に詳しくないが、とても手間が掛かるという事くらいは知っている。

 異世界から人間を召喚するなどという、途方もない事を成そうとするならば、長い年月と優秀な人材が必要に違いない。

 いつか訪れる今日のような危機のために、何年も前から準備を怠らなかった用心深い人物が、死ぬまでの時間稼ぎなどという、下らぬ戦法を取るはずがない。


(何かがある。だが、それを探る時間はないか)


 敵軍を視界に収めて、背後の兵士達は既に荒ぶっている。ここで一時撤退などして、士気を下げるのは得策ではない。

 それに間者を潜り込ませても、帝国軍の策を暴ける保証はなく、余計な時間を与える事は、敵を利する行為になりかねない。


(敵の目論見が掴めぬなど、そう珍しい事でもない。ならば、私もいつも通り戦うだけだ)


 疑念は残るがそれを奥に仕舞い込んで、ザウードは頭を切り換える。

 やるべき事は何も変わらない。敵を打ち倒し、ヴァイナー大王に勝利を捧げるだけだ。


「全軍、進めっ!」


 ザウードは三万の兵士達に向かって叫び、袋の鼠にしか見えぬ帝国軍に向かって、焦らず距離を詰めていくのだった。

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