第30話・洗平愛那《あらいだいあいな》【救世の声】

 白翼帝国と赤原大王国の間で戦争が起きる。その情報は自室で真面目に勉強をしていた、三つ編みの学級委員長・洗平愛那の耳にも少し遅れて届いた。


「戦争になるって、それは本当なの?」

「はい、間違いございません」


 驚く愛那に、鋭い目つきのメイド・クルスは頷き返す。


「国境に防衛の軍を向けるため、既に準備が始まっております」

「駄目よ、そんなの!」


 愛那は思わず机を叩いて立ち上がる。


「戦争なんていけないわ。どうして話し合いで解決できないのかしら……」


 ここでも同じなのかと、愛那は心底ガッカリして溜息を吐く。

 生まれ故郷の地球でも、常に戦争が絶えず人々に不幸を振りまいている。

 愛那はそれを憂い、両親と共に反戦、反核兵器のデモに参加し、軍事力の放棄を訴え、平和の尊さを語りかけてきた。

 だが、ほとんどの人々は彼女達の話を聞いてくれず、むしろ現実の見えていない夢想家と嘲笑してくる有様で、世界から戦争がなくなる事はなかった。


「いいえ、挫けては駄目よ」


 愛那は頬を叩き、己を叱咤激励する。

 地球では誰も彼女の声に耳を傾けてくれなかった。でも今は違う。彼女は自分の思いを他者へと伝える、『救世の声』とでも言うべき異能を授かったのだから。


「まだ間に合います。戦争なんて愚かな真似は止めるよう、皇帝陛下に直訴しましょう」

「はい、愛那様」


 明らかに皇帝の意志に反する行いだというのに、クルスは蕩けきった瞳で同意するだけで、部屋から飛び出て行く愛那を止めようともしない。

 そうして、帝城へと向かった彼女達だが、入り口の前で衛兵に止められてしまった。


「お待ち下さい。現在は非常事態故に、アース人の方々といえども、許可のない方を城内にお通しする事はできません」

「そんなっ!?」

「申し訳ございませんが、これも命令ですので。どうしても入城したいという事でしたら、誰にどのようなご用か教えて下されば、私共が許可を取りに――」


 衛兵が何やら説明していたが、早く戦争を止めたい愛那は、一秒たりとて待ってなどいられなかった。


そこを通して下さい・・・・・・・・・。これは平和のためなのです」


 怒りではなく、むしろ愛を込めて優しく語りかける。

 その声が鼓膜を揺らした瞬間、頑なだった衛兵の表情が蕩けるように崩れた。


「……はい、お通しします」

「ありがとうございます。それと、皇帝陛下はどこにいらっしゃいますか?」

「……おそらく、執務室におられるかと」

「分かりました」


 とても幸福そうな笑みを浮かべて、扉を開けてくれた衛兵の横を通りすぎて、愛那は帝城の中に入り込む。

 そうして、皇帝の元へと向かおうとした直後、廊下の先から皇帝専属のメイド長・イリスが駆け寄ってきた。


「愛那様、お待ち下さい」

「何ですか? 私は――」

「陛下よりお手紙を預かっております」


 イリスは妙に緊張した様子で愛那の言葉を遮り、封蝋が押された封筒を差し出してくる。


「どうか今すぐご覧下さい。読めばわけも分かって頂けるはずです」

「……分かりました」


 ここまで必死に頼まれては断れず、愛那は出鼻を挫かれた気分になりつつも封筒を開き、皇帝直筆の手紙に目を通した。


『洗平愛那嬢、この度、赤原大王国との間に起きようとしている戦争に、優しい其方は心を痛めて、何とか止めようとしている事だろう』

「流石は皇帝陛下、ご存じだったのね」

『余もできる事ならば戦争など避けたい。赤原大王国に和平の使者を送り、平和的に解決できないか模索するつもりである。だが、大王国は既に黒鉄王国を攻め滅ぼし、罪なき民を虐殺した冷酷無比な侵略者である。おそらく話し合いは失敗に終わるであろう』

「まぁ、何て酷い!」


 愛那は皇帝も平和主義者だった事に喜び、そして抱いていた怒りを大王国へと向ける。

 そんな彼女の心情も全て計算尽くだというように、皇帝の手紙は続いた。


『だからこそ、其方に頼みたい事がある。赤原大王国へと向かって、平和の尊さを教え、戦の愚かさを諭し、この戦争を止めては貰えないだろうか』

「――っ!?」

『残念ながら、余の言葉は届かない。だが、天使のごとく清らかな其方の声ならば、悪鬼のごとき赤原大王国の民にも、平和の尊さを悟らせ、この戦争を止める事ができるであろう』

「~~っ!」


 背筋に甘い痺れが走り、愛那は思わず恍惚の笑みを浮かべてしまう。

 あの若く美しい皇帝にすら不可能な事が自分にはできる。暴力を振るう事しかできない野蛮な者達を、自分の愛で厚生させる事ができる。

 それは地球において、綺麗事ばかりの偽善者と嘲られ、学級委員長になっても尊敬されなかった彼女が、心の奥底で渇望していた事だった。


『どうか、赤原大王国に其方の平和を望む声を届けて、この戦争を止めて欲しい』

「えぇ、分かりました!」


 目を輝かせて頷く愛那の手から、イリスがそっと皇帝の手紙を取る。


「残念な事に、我が帝国にも戦争を望む者がいるため、陛下も表だって愛那様に助力する事ができません。ですがどうか、よろしくお願い致します」


 そう言って頭を下げながら、旅費の詰まった袋と地図を差し出す。

 金貨のズッシリとしたその重みこそが、皇帝からの期待の現れだと悟って、愛那は喜んでその袋と地図を受け取った。


「お任せください。必ずや私がこの戦争を止めてみせましょう」


 愛那はそう宣言すると、早速来た道を戻って行った。


「さぁ、行きましょうクルス。私達の手で、この世界に平和をもたらすのです!」

「はい、愛那様」


 歴史の偉人、いや神話の救世主のように、言葉によって暴力を根絶し、愛と平和で世界を包み込む。

 そんな素晴らしい未来を夢見て、愛那はメイドと二人で帝都を旅立っていったのだった。





 愛那を追い返す事に成功したイリスは、額に冷や汗を浮かべながら、皇帝の執務室へと戻っていった。


「陛下、ただいま戻りました」

「よくぞ無事に戻った」


 疲れた顔をしているが、正気を保っているイリスを見て、皇帝は安堵の表情で駆け寄り、彼女の細い肩を抱きしめる。


「危険な真似をさせて、すまなかった」

「謝らないでください。陛下の御身をお守りする事こそが、私の生き甲斐なのですから」


 イリスはそう謙遜しつつも、愛する男の胸に頬を寄せて、その温もりに浸る。

 そうして、暫くの間抱き合ってから、二人はどちらともなく体を離し、主人と従者の顔に戻って向き合った。


「愛那は余の狙い通り、大王国へと向かったのだな?」

「はい、これで当面の危機は免れたかと」

「そうだな」


 皇帝は椅子に深く腰をかけ、再び安堵の息を吐く。

 それから、暗い表情になって問いかけた。


「クルスは?」

「残念ながら……」


 イリスもまた顔を曇らせて首を横に振る。


「愛那様に動きがあった場合、真っ先に報告するよう申しつけておりましたのに、それが無かった時点で察してはおりましたが、完全に操り人形と化しておりました」


 蕩けた目で愛那に付き従うだけで、何の意志も感じられなくなっていた部下の姿を思い出して、イリスは恐怖に背を震わせた。

 火野竜司や土岡耕平などに付けている専属メイド達は、対象の護衛と監視を役目としている。

 愛那の専属メイド・クルスもそうであり、できる限り愛那をこちらの人間と接触させないようにと厳命していた。

 だというのに、彼女は皇帝に直訴しようとした愛那を止めもしなかったのだ。

 今回、愛那の動きを察知して先手を取れたのは、他のメイドが気づいて素早く報告してくれた幸運と、このような事態を見越して皇帝が対応策を用意していたお陰でしかない。


「そうか、クルスでも駄目だったか」


 優秀なメイドの一人を失ったと知って、皇帝は罪悪感に胸を痛める。


「彼女ならばと思っていたのだがな……」


 クルスは両親に捨てられた浮浪児で、街の片隅でゴミを漁っていたところを、元暗殺者で今は執事のコルニクスに拾われて、徹底的に鍛え上げられた皇帝直属のメイドであった。

 そんな貧しく厳しい生い立ちであったために、綺麗事ばかり口にする愛那の事を、彼女は嫌うどころが憎悪していたのだ。


『アース人じゃなかったら、八つ裂きにしてやるのに』


 同僚のメイド達にもそう漏らしていたという。だからこそ、人の心を染めてくる愛那の言葉にも耐えられると期待し、専属メイドの仕事を任せたのだが、結果はあの有様であった。


「やはり、アース人は恐ろしいな」

「はい、恐ろしゅうございます」


 三百年前に大陸を蹂躙したその力は伊達ではないのだと、皇帝とイリスは改めて気持ちを引き締める。


「愛那は己の異能を『救世の声』――世に平和をもたらす声などと言っていたが、あれはそんなお優しいものではない。あれは全ての人間を自分の思い通りに変えてしまう『洗脳』とでも言うべき力だ」


 アース人達は異能のお陰で抵抗力が有るのか、そこまで効き目がないようだし、社長令嬢・金家成美のように全く効果がない者もいる。

 だが、この世界の人間にとって、愛那の言葉を脳を蝕む猛毒に他ならなかった。


「異世界より召喚したあの日、愛那は混乱していた事もあってか、余の質問に答えた他には『よろしくお願いします』としか言わなかった」


 今後もよくしてくださいという、ただの挨拶。だというのに――


「余はその一言だけで、『愛那のためによくしてやろう』という気持ちになってしまった。そう変えられてしまった」


 一晩寝て起きた時、ようやく自分の心に起きた異変に気がついて、皇帝は心底震え上がったものだ。

 あれがもしただの挨拶ではなく、自分に従えという命令だったら、皇帝は愛那の奴隷と化して、帝国は瞬く間に滅びていたかもしれないのだから。


「その恐ろしさをこの身で知っていたというのに、クルスには本当に悪い事をしてしまった……」


 謝罪しようにも、愛那の言葉に長い間曝され続けたクルスの心は、もはや欠片も残ってはいないのだろう。

 元不老児の彼女には家族もいないため、恩給を渡して働きに報いる事もできない。

 そう再び胸を痛める皇帝の頭を、イリスは優しく抱きしめた。


「クルスもまた、陛下の御身をお守りする事が生き甲斐だったのです。あの子の事を思うならば、どうか痛みに足を止める事なく、前にお進みくださいませ」


 まだ赤原大王国という本命の脅威が残っているのだ。帝国を守るために休んでいる暇などない。

 そう優しくも厳しい言葉をかけるイリスの胸から、皇帝は笑みを浮かべて離れる。


「ふっ、部下を失った悲しみに浸る暇も与えられぬとは、皇帝とは因果な仕事だな」

「えぇ、だから他に誰もやりたがりませんので、陛下に頑張って頂かないと困ります」


 普段の調子を取り戻した皇帝を見て、イリスは優しく微笑んで離れ、紅茶の準備を始める。

 そうして、一服して空気を切り替えたところで、イリスは冷たい声で切り出した。


「愛那様はどうなされますか?」


 始末するべきだ、と静かな殺意が込められた問いに、皇帝は首を横に振る。


「駄目だ、時期が悪い」


 ひとまず帝都から追い払ったのはいいが、どう動くか分からない不安要素など、始末しておいた方が確実ではある。

 だが、大王国との戦争を控えた今、愛那を殺害した事が露見すれば、痛手どころでは済まされない。


「今、アース人達の信頼を失えば、帝国は為す術もなく大王国に滅ぼされてしまう。その危険を犯すわけにはいくまい」

「仰る通りです」


 部下の仇を取れぬのは無念だが仕方がないと、イリスは大人しく意見を引っ込めた。

 そんな彼女に紅茶のお代わりを注いで貰いながら、皇帝は冷たい笑みを浮かべる。


「まだ、愛那が役に立たぬと決まったわけでもないしな」

「と言いますと?」

「余が手紙に書いた通り、大王国を切り崩してくれるかもしれぬだろう?」


 赤原大王国を説得して戦争を終わらせて欲しい。それは邪魔となる愛那を遠ざけるための方便であったが、実現すれば帝国には大きな得となる。


「愛那は人の心を蝕み、国を腐らせる猛毒だ」


 争いを止めて平和に暮らそうという、その理念自体は正しい。

 ただ、愛那はその異能によって、平和の理念を強制的に押しつけてくる。

 そして何よりの問題は、彼女の異能が声を聞いた者にしか効果がないという事だ。


「全ての人間が愛那の声に耳を傾け、戦を止めて平和になるのならば、それもまた良いのかもしれぬ」


 たった一つ、愛那の思想によって統一された平和な世界。そこに自由という幸福はないが、少なくとも戦争という不幸はない。

 それを善しとするか悪しとするかは、その人の価値観によって異なるだろう。

 皇帝はその善悪を定めるつもりはない。ただ現実的に不可能だという理由によって、愛那の理想郷を否定する。


「仮に帝国の民が愛那の声に支配され、戦争を放棄したとしても、愛那の声を聞いていない大王国の手によって滅ぼされるだけの話だ」


 愛那はそれが分かっていないのだ。彼女の平和を訴える声は、国から牙と爪を抜き取って、餓えた他国の餌に変えてしまい、むしろ戦争を招くだけなのだと。


「そうして戦争を繰り返し、自分に従う民だけを残す、という野望の元に動いているのならば、まだ救いがあったのだがな」


 残念ながら、愛那は善意のみで動いている。だから、皇帝が止めようと説得したところで、聞く耳は持たないだろう。


「神楽から貰った異世界の本に、『地獄への道は善意によって舗装されている』とあったが、まさにその通りであるな」


 平和を訴える声によって、戦争が起きて無数の屍が築かれる。何と言う皮肉だろう。


「愛那は国を腐らせる猛毒だ。ならば、自国ではなく他国に押しつければいい」


 馬鹿とハサミは使いようと、これまた地球の本から学んだ言葉を使い、皇帝は薄く笑みを浮かべる。


「この戦争には間に合わぬだろう。そう手を打ったのでな」


 イリスの手を経て、皇帝が愛那に渡した地図には、黒鉄王国を大きく迂回して、大王国の首都へと向かう道筋が描いてある。

 戦場のど真ん中に飛び込まれてきても迷惑なので、わざと遠回りをさせたのだ。

 旅に慣れていない女子の足も合わさって、愛那が大王国領に入った頃には、もう戦争は終わっているだろう。


「だが、赤原大王国の牙を抜いてくれるのなら、それにこした事はない」


 この度の戦争に勝ち、大王国軍を一度は追い返したとしても、再び攻めてこないという保証はない。

 それを少しでも阻止する手段として、皇帝は愛那という猛毒を大王国へと向かわせたのだ。


「それぐらいは役に立って貰わねばな」


 でなければ、犠牲となったクルスが報われぬ。

 そんな思いを言葉にはせず、ただ静かに目蓋を閉じる皇帝の横で、イリスも生ける屍となってしまった部下のために黙祷を捧げるのだった。

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