第29話・光武英輝《みつたけひでき》【光使い】・03
ここ数日の間、学級委員長の光武英輝は焦っていた。
(マズい、きっと戦争を起こす気なんだ)
妙に慌ただしい城内の様子や、急に激しくなった騎士達の訓練を見れば、そうとしか思えなかった。
だから、その事を問い質そうとしたのだが、メイド達は口を濁すばかりで、ならば皇帝と直接話をと思えば、「申し訳ありませんが、陛下は視察に出ておられまして、今はお会いできません」と断られるばかり。
そうして、英輝が何もできぬまま朝食を終えて、自室で悶々としていると、ノックの音と共に一人のメイドが訪れた。
「英輝様、今よろしいでしょうか」
「何ですか?」
「皇帝陛下から皆様に大切なお話があるとの事です。食堂にお集まり頂けますでしょうか」
「……分かりました」
ついに来たかと、英輝は険しい表情を浮かべながらも、頷いて再び食堂に向かう。
そうして、席について待っていると、他のクラスメート達もやってきて、最後にメイド達を引き連れた皇帝アラケルが現れた。
「皆、時間を取らせてしまって済まない」
まず謝罪を口にする皇帝の横で、メイド達が静かに食堂の扉を閉めるのを見て、英輝は訝しむ。
(待て、まだ全員集まってないぞ?)
土岡耕平や金剛力也など、帝都を離れている者達は仕方ない。火野竜司の姿も見えないが、どうせまた娼館で寝泊まりして、帰って来ていないのだろう。
ただ、朝食の時にはいた洗平愛那など、数人の姿がないのは明らかにおかしい。
(意図的に省いたのか?)
その理由を英輝が解き明かすよりも早く、皇帝がいつになく険しい表情で話し出す。
「とても重大な話なのだが、落ち着いて聞いて欲しい」
「…………」
重い空気に呑まれ、押し黙る一年A組の面々の前で、メイド達がいつか見たこの異世界の地図を広げた。
皇帝はその右側を指さしながら告げる。
「現在、この大陸の東半分は、赤原大王国という大国によって支配されている。この赤原大王国が我が白翼帝国の隣にある、黒鉄王国への侵攻を開始した」
「「「……えっ?」」」
一年A組の大半が、呆然として間抜けな声を漏らしてしまう。
英輝は帝国が仕掛ける戦争ではなかった事に、他の者達は戦争という現代日本では無縁だった出来事その物に驚いて。
動揺を見せなかったのは、騎士団長から既に話を聞いていたらしい剣道少女・剣崎武美と、ずっと暗い表情で俯いていた内気な少女・境目未紗希の二人だけであった。
そんな一同に対して、皇帝はもう一度同じ説明を繰り返す。
「信じられぬかもしれぬが本当の事だ。赤原大王国が黒鉄王国を支配するために、大軍で攻め込んだのだ」
「そ、それって、戦争って事ですかっ!?」
ようやく理解して悲鳴を上げる皆に、皇帝は重々しく頷き返し、側に控えていたメイド達に指示を送る。
「余の言葉だけでは信じられぬだろうと思い、神楽に取り寄せて貰った機械を用いて、証拠を用意しておいた」
「あまり愉快な光景ではありませんが、どうかご確認下さい」
メイド達はそう言いながら、英輝達に一枚ずつ小さな紙を配っていく。
それはポラロイドカメラで撮ったらしき写真であり、距離があるため少しぼやけていたが、見た事のない街を取り囲む、何万という大軍の姿が写っていた。
「これは……」
「黒鉄王国を見張らせていた密偵が、決死の覚悟で届けてくれた物だ。昼夜を問わず走り、早馬を潰すほど急いでくれたが、それでも五日が経っている」
「じゃ、じゃあ、この街は……?」
誰かが思わず呟いてしまった問いに、皇帝は僅かに黙り込んでから、沈痛な面持ちで答えた。
「黒鉄王国の王都は既に、赤原大王国の手で滅ぼされたとみて間違いなかろう」
「そ、そんな……」
一つの街が滅ぼされた。人の手によって、何万という人々が殺された。
その事実に対して、震える事しかできない一年A組の面々に、皇帝は矢継ぎ早に告げる。
「赤原大王国が次に攻め込むのは、おそらくこの白翼帝国であろう」
「――っ!?」
自分達のいる場所が他国に攻め込まれる。戦争になり、もしかしたら自分達も殺されてしまうかもしれない。
その絶望と恐怖に呑み込まれて皆が言葉を失うなか、英輝は立ち上がって叫んだ。
「だから、俺達に戦えと言うんですかっ!?」
このまま皇帝に主導権を握らせていれば、必ずそういう話になって丸め込まれる。
そう直感したからこそ、英輝は敢えて自分から切り出した。
「前にも言ったはずです。人間同士の殺し合いなんてまっぴら御免だし、戦争の道具になんかされたくありません!」
そこまで言い切った所で、この場に愛那達が呼ばれなかった意味をようやく悟る。
(戦争に反対し、丸め込むのに邪魔となる者達を、あらかじめ排除しておいたんだ)
何て汚い大人だと、英輝は怒りのこもった目で皇帝を睨む。
だから、怒りに囚われて考えが足りなかった。戦争反対派の筆頭たる英輝を、何故わざわざ残しておいたのかと。
「貴方だって、俺達を戦争に使わないと言ったはずだっ!」
「そうだな。其方達を戦争に駆り立てるような真似はできないし、しないと誓った」
英輝の糾弾を、皇帝は大人しく認める。
その上で、ただ淡々と事実を突きつけてきた。
「しかし、この度は我らが戦争を仕掛けるのではない、赤原大王国に侵略されるという話なのだ。其方らがいくら戦争は嫌だ、平和が良いと叫んだところで、大王国軍が帰ってくれるわけではない」
「それは……」
正論で言い返せず、口ごもるしかない英輝から目を外して、皇帝は他のクラスメート達を見回した。
「このまま大王国軍に攻め込まれたならば、帝国はあえなく滅ぼされるであろう。その場合、其方らも無事では済まぬ」
「えっ!?」
「一騎当千の力を持つ英雄や、素晴らしい英知や技術の持ち主達を、大王国が見逃してくれるとは思えん」
「…………」
国を容易くひっくり返せるほど、強大な異能を持ったアース人達を、これほど自由にさせている皇帝の方が異常なのだ。
普通の支配者であれば完全に従属させるか、危険分子として抹殺するかの二択しかない。
「大王国の支配者・ヴァイナー大王は敵に対して情け容赦のない人物だと聞く。何でも逆らった国の男は皆殺しにして、女子供は全て奴隷にされるとか」
「ははっ、まさか、そんな……」
誰かが乾いた笑い声を上げる。今まさに黒鉄王国において、その虐殺と陵辱が行われていようとは、想像できるはずもない。
「な、なら、戦わずに降伏すればいいでしょうっ!?」
英輝は咄嗟に反論する。降伏も視野に入れていた黒鉄王国が、他国への見せしめや自軍への贄とするために滅ぼされたとは、やはり知る由もなく。
そんな彼の甘い意見に、皇帝は暗い表情で頷いた。
「確かに、降伏すれば命だけは助かるやもしれぬ。だがその場合でもやはり、其方らは大王国への服従か死を選ばされるであろう。少なくとも、アースへの帰還手段は断たれるに違いない」
「そんな身勝手が――」
許されていいはずがないっ!――と英輝は叫びたかったが、頭の冷静な部分がそれを止めさせた。
この異世界では、いや地球でも、力を持った強者が正義であり、何をしても許されるのだ。
違うのは単純な暴力以外の『力』が幅を利かせているかどうか、それだけでしかない。
反論できず黙り込む英輝に対して、皇帝は痛ましげに顔を歪めながらも優しく語りかける。
「其方らをこのような災厄に巻き込んでしまったのは、全て余の責任である。いくら恨んでくれても構わない。だが、其方らが無事に故郷へと帰るため、そして罪なき帝国の民を守るために、どうか力を貸しては貰えないだろうか?」
「「「お願い致します」」」
常闇樹海の時と同じように、メイド達も一斉に頭を下げて頼み込んでくる。
これほど必死の頼みを断るのは罪悪感が疼く。だが、あの時とは相手が違うのだ。
(魔物ではない、同じ人間を殺すなんて、やっぱり許されるはずがないっ!)
たとえ正当防衛であろうとも、人殺しは悪であり、戦争は決して許されない。
そんな染みついた常識を捨てる事ができず、英輝は苦渋に顔を歪めながらも、絞り出すように答えた。
「それでも、俺は戦争に協力なんてしませんっ!」
「……そうか」
皇帝は心底残念そうに頭を振ったが、英輝に対してそれ以上は何も言わず、他のクラスメート達を見回す。
「民の笑顔を守るため、力を貸してもよいという者がいたら、手を挙げて欲しい」
そんな綺麗事を言っても、戦争に参加する奴なんているはすがない――という英輝の願いは、意外な声によって即座に崩された。
「は~い、アタシで良ければ~」
「「「えっ!?」」」
手を挙げた遊び人・鳥羽遊子を見て、クラスメートの全員が驚愕の声を上げてしまう。
「ちょっと遊子、意味分かってんのっ!?」
何をやっているのだと、友人が慌てて止めようとする。
だが、遊子はいつものヘラヘラとした笑みを浮かべながらも真面目に答えた。
「アタシらが協力しないと、地球に帰れなくなるんでしょ~? それはチョー困るじゃん?」
「いや、そうだけど……」
「それにさ、メイドのドルっちとか、カジノのおっちゃん達とか、知り合いが死んじゃったら悲しくね~?」
照れ臭くて笑みを浮かべながらも、遊子は挙げた手を下ろそうとはしなかった。
その姿を見て、壁際に控えていたメイドの一人・ドルミーレが、思わず目尻を潤ませる。
「遊子様……」
「ドルっち……」
見つめ合い頬を赤らめる二人の間に、何やら怪しい雰囲気が立ちこめる。
それに苦笑を浮かべながらも、皇帝は遊子の元に歩み寄り、彼女の手を強く握り締めた。
「ありがとう、遊子。幸運の女神と名高い其方が味方とあれば、必ずや我らに勝利がもたらされるであろう」
「女神って、流石に盛りすぎじゃね~?」
遊子は口で否定しつつも、満更でもない笑みを浮かべる。
そうして、皇帝に褒められる姿に嫉妬して、今度はオタク少女・天園神楽が立ち上がった。
「はい、はいっ! 私も協力します!」
ネットスーパーなんて異能でどう戦う気だよ――と何人かのクラスメート達は呆れた顔をするが、当の皇帝は満面の笑みを浮かべて、神楽の肩を抱き寄せる。
「ありがとう、余の神楽」
「だ、だから私は貴方のモノじゃないし……」
皆の前という事もあり、恥じらって否定はしているものの、だらしなく蕩けきった笑みを浮かべる神楽を見て、誰もが「駄目だこいつ……」と溜息を吐く。
そんな緊張感の緩んだ食堂に、今度は凜々しい少女の声が響いた。
「まさか、鳥羽や天園に先を越されるとはな」
剣道少女・剣崎武美が少し無念そうに、だがそれ以上に嬉しそうな顔で立ち上がる。
「剣崎、お前まで……」
不良の火野竜司はともかく、彼女は人殺しに反対だと思っていた英輝は愕然としてしまう。
そんな彼を、武美は静かに見つめ返す。
「私とて人を殺めたくなどない。剣道は人殺しの道具ではなく、己の心身を鍛えるためにあるのだから」
それこそが剣術と剣道、殺し合いの術と、互いに高め合う道の違いだと、武美は思っているのだから。
「だが、剣の道を外れる前に、人の道を外れては意味がない。守れる力を持ちながら、無辜の民が蹂躙される様を黙って見ているなど、父上に申し訳が立たぬ」
剣の道は人の道、剣道の師匠でもある父親が、武美に教えた言葉である。
「私は人斬りの罪人にはなっても、人を見捨てる腐れ外道にはなりたくない」
「――っ」
武美の鋭く責めるような視線から、英輝は目を逸らす事しかできなかった。
そこに追い打ちをかけるような真似はせず、彼女はクラスの男子達に向かって叫ぶ。
「さあ、女子が三人も名乗り出たというのに、黙っているような腰抜けばかりなのか?」
「そんな見え見えの挑発に釣られるわけねーだろ」
お調子者のサッカー部員・風越翔太が、そう言いつつも立ち上がる。
「人殺しはできるだけ勘弁して欲しいけどさ、荷物運びや偵察くらいなら喜んで手伝うぜ」
「だ、駄目よ風越君! 手伝いだって、巻き込まれて死んじゃうかもしれないのよっ!?」
隣に座っていた保健委員・薬丸志保が、血相を変えて彼の腕を引っ張る。
けれども、翔太は笑って彼女の手を握るだけで、決して座ろうとはしなかった。
「ここで俺らが手伝わないと、地球に帰れなくなるかもしれねーんだぜ?」
「で、でも……」
「帰って医者になるんだろ?」
「……バカ」
他の誰でもない、自分のために翔太が戦う決意をしたのだと知って、志保はもう何も言えず、真っ赤になって俯くしかなかった。
そんな甘い空気に対して「リア充爆発しろ」という怨嗟の呟きが漏れるなか、何人かのクラスメート達が恐る恐る手を挙げ始める。
「じゃあ俺も。戦える異能じゃないから、手伝いくらいしか出来ないけど……」
「私も、やっぱり帰れなくなるのは困るし」
「殺されたり奴隷にされるよりは、なぁ?」
戦争は怖くて嫌だが、自分達の命と自由を守るためには仕方がない。
そんな渋々といった様子ながらも、協力を申し出てくれた一年A組の面々に、皇帝は感動した面持ちで一人一人握手をしていった。
「ありがとう。其方達が無事に故郷へ帰れるよう、我らも全身全霊を尽くして戦うと誓おう」
「私達も尽力を惜しみませんので、何でもご申しつけ下さい」
メイド達はそう言って拍手をし、彼らの勇敢さを称えた。
「いや~、何か照れるし」
「我が身を守るためでもあるし、そう賞賛される事ではないのだがな」
遊子や武美など協力を申し出た面々は、照れながらも嬉しそうに笑みを浮かべる。
そんな明るい者達とは対照的に、挙手を拒んで気まずい顔をしていた数人にも、皇帝はフォローを怠らなかった。
「手伝えぬという者達も気に病まないで欲しい。先程も告げたが、全ては其方らをこの世界に招き、戦火に巻き込んだ余が悪いのだから」
「…………」
「ただ、もしも我らが敗れた時は、せめて女子供達だけでも守るために、その力を使ってはくれぬだろうか?」
「ま、まぁ、そのくらいなら」
「う、うん、仕方ないよね」
反対者達は渋々と、だが内心では深く安堵しながら頷き返す。
この場にはいないが、喧嘩っ早い竜司なども参加するのだろう。戦車やミサイルよりも強力な異能の持ち主達が、槍や弓しか持たぬ中世レベルの敵軍になど負けるはずがない。
だから、自分達までおはちが回ってくる事はない。その上で、いざという時は戦うという事にしておけば、クラスメート達からの風当たりが多少は弱まる。
打算による保身まみれの賛同。そんな事は全て見抜いているだろうに、皇帝は変わらぬ満面の笑みで、彼らの手も握り締めた。
「ありがとう。其方らが背中を守ってくれるなら、我らも安心して戦場に向かえる」
「…………」
真っ先に反対し、最後まで頷かなかった英輝すら除け者にせず、皇帝は握手をして回った。
「では、早速で悪いのだが、今後の方針についてもう少しだけ話をさせて貰いたい」
「「「はいっ!」」」
戦場に向かう者も、王都に残る者も、揃って素直に返事をして、皇帝の話に耳を傾ける。
そんな中で、英輝は何もできなかった己の無力さに打ちひしがれて、力なく項垂れていたのだった。
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