第28話・生け贄の咆吼

 白翼帝国の東には、大陸中央の草原を支配する黒鉄王国がある。

 武を尊ぶ戦士の国で、四方を他国に囲まれているという最悪の地理にありながらも、今まで独立を貫いてきた強国であった・・・・

 そう、もはや過去形で語らねばならない。

 何故なら、黒鉄王国の王都は今、東の覇者・赤原大王国の大軍によって包囲されていたからだ。


「これはどういう事だっ!? 国境守備のエルバドール辺境伯は何をやっていたっ!?」


 黒鉄王国の国王・ティミド二世は城の窓から、城壁の外に広がる十万近い大軍を見下ろして、狼狽えながらも怒声を張り上げる。

 それに対して、甲冑を着た中年の将軍が苦々しい顔で答えた。


「戦いもせず、赤原大王国に寝返ったのでしょう」

「何っ!?」

「あれほどの大軍が悟られもせず、ここまで攻め込めたとなると……」


 状況から考えてそれしかありえない。だがそれでも、国王は辺境伯の謀反が信じられなかった。


「奴はくつわを並べた我が親友だぞ? それが他国と共謀して、我に剣を向けるなど……」


 そこまで信頼できる相手だからこそ、赤原大王国という一番危険な相手との国境を任されていたのだ。

 やはり信じられぬと嘆く国王に、将軍は辛そうに顔を歪めて告げる。


「おそらく、辺境伯自身は裏切っておりません。その前に殺されたのかと」

「何っ、誰がそんな――」


 途中で気がついたのだろう、愕然として震える国王に代わって、将軍は答えを口にした。


「辺境伯の息子です。彼が家督を欲しさに、故国を裏切り父親を手にかけたのでしょう」

「おのれ、あのドラ息子がっ!」


 そうとしか思えない、その可能性ならばあり得ると、辺境伯親子の事をよく知る国王は、怒りのあまり壁を叩く。


「勇猛な父親とは似ても似つかぬ、遊んでばかりの放蕩息子とは耳にしていたが、ここまで愚か者だったとは……」


 もちろん、裏には赤原大王国の間者がいたに違いない。


 ――貴方はとても優れた方だ。辺境伯はそれが分かっていない。赤原大王国に楯突いて滅ぼされるなんて、貴方を信じる民への裏切りだ。辛いでしょうが領民を守るために、頭の固い父親を廃し、今こそ貴方が辺境伯になるべきですっ!


 辺境伯の息子はそんな甘言に惑わされた、ある意味では犠牲者なのだろう。

 だがどちらにせよ、欲に負けて父親も故国も裏切った大罪人には変わりなかった。


「騎士の風上にも置けぬクズめ、地獄に落ちるがいいっ!」

「…………」


 思わず呪いの言葉を吐く国王に、将軍は何も言えず黙り込む。

 ただ、そうして憎悪を募らせるだけでは、敵に包囲された状況は好転しない。

 国王が必死に激情を鎮め、建設的な話を始めようとしたその時、一人の兵士が慌ただしく駆け寄ってきた。


「ご報告を申し上げます。赤原大王国の使者を名乗る者が、国王陛下との面会を求めて、一人で城門の前に現れました」

「分かった、通すがよい」


 親友を謀殺した憎き敵国であろうとも、たった一人で来た勇敢な使者を、話も聞かずに帰したとあっては黒鉄王国の名が廃る。

 国王はそう判断し、使者を謁見の間に招くよう兵士に命じた。

 そうして、国王や将軍の他、大臣など国の主要人物が揃った謁見の間に、剣の一つも身に帯びず、鮮やかな衣装を着た大王国の使者が現れた。


「黒鉄王国の国王・ティミド二世陛下にお目にかかれた事、恐悦至極に存じます」

「…………」


 侵略者がどの面を下げて――という怒声を呑み込む国王に対して、使者は恭しい礼を終えると、懐から羊皮紙を取り出して朗々と読み上げた。


「我らが偉大なる大王・ヴァイナー様のお言葉を伝える。王都にある全ての武器と食料、そして全ての女達を差し出し、我が前に膝を付け。さすれば命だけは助けてやろう」

「……貴様、今何と言った?」


 あまりにも想定外の言葉に、脳が理解を拒んでしまい、国王は思わず尋ねてしまう。

 それに対して、使者はただ淡々と要求を繰り返した。


「王都の武器、食料、そして女達の全てを差し出せば、他の者達の命は助けてやろうと、大王様はおっしゃった」

「ふざけるなっ!」


 国王は思わず怒鳴って立ち上がり、周りに控えていた将軍達も、怒りのあまり剣を抜き放つ。


「民を守るためならば、我が首の一つくらいは差し出す覚悟でいたが、言うに事かいて妻や娘達を差し出せだと? 畜生にも劣る外道共めっ!」


 国王からの激しい殺気に対して、使者は怯えた様子すら見せず、冷笑を浮かべて言い返す。


「畜生のエサになるよりはマシではありませんか?」

「……はっ?」

「あぁ、失礼致しました。言葉が足りませんでしたね」


 虚を突かれて固まる国王に、使者はあくまで丁寧な言葉遣いで冷酷に告げる。


「貴方のご友人、エルバドール辺境伯のように、犬のエサにされるくらいならば、全てを差し出して命乞いをなされた方が賢明かと」

「…………」


 怒りによって歪んでいた国王の顔から、一瞬で感情が消え失せる。

 あまりにも大きすぎる憎悪に満たされた事で、もはや表情も迷いも無くなったのだ。


「将軍、この者の首をはね、大王国の外道共に返してやれ」

「はっ!」


 国王の淡々とした命令に対して、将軍は迷わず頷き返す。

 勝ち目のない大軍に囲まれた状況で、使者を殺して降伏の道を閉ざす行為がどれだけ愚かか、その場にいる誰もが頭では理解している。

 だが、己の命よりも大切な心の領域を、赤原大王国は土足で踏みにじったのだ。許せるはずもない。


「我の鎧を用意せよ。そして全ての男達に伝えるのだ。大王国の外道共から愛する者達を守るために、武器を取って我に続けとっ!」

「ははっ!」


 出撃の準備を始める国王の前で、将軍は剣を振りかぶり、二人の兵士に取り押さえられた使者の首に向かって、勢い良く振り下ろす。

 謁見の間を彩る赤いカーペットが、鮮血でより鮮やかに染まるなか、使者の首は斬り落とされた後でさえも、冷たい笑みを浮かべたままであった。





 王都を囲む赤原大王国軍の中心に、鮮やかな深紅の布を使った天幕が立てられていた。

 敵の間者や暗殺者など恐れもせず、堂々とここが軍の中枢だと主張しているその中に、常勝と名高い壮年の将軍・ザウードはゆっくりと入って行った。


「ご報告を申し上げます」


 ザウードは跪いて礼をしながら、小脇に抱えていた袋を差し出す。

 それはまだ真新しい血によって、赤黒く汚れていた。


「使者を任せたクローニクが、ただ今戻りました」


 黒鉄王国の将軍に斬り落とされ、投石器によって自陣に投げ返されてきた、見るも無惨な姿となった部下の首が、その袋の中に入っている。

 気の弱い者ならば顔を青ざめ、気の強い兵士であれば怒りに顔を赤くした事だろう。

 だが、それを目にした天幕の主・ヴァイナー大王は無骨な顔を歪ませて、歓喜の笑みを浮かべた。


「でかしたっ!」


 二mにも及ぶ巨躯を揺らして歩み寄り、リンゴなど軽く握り潰す巨大な手で袋を開き、醜く歪んだ部下の頭部を愛おしげに持ち上げる。


「よくぞ成し遂げた、クローニク。貴様の名は我が胸と大王国の歴史に、永遠に刻まれるであろうっ!」


 元より生きては帰れない使者の役目を、自ら買って出た勇敢なる部下に、大王はあらん限りの賞賛を送る。

 そこに嘘偽りは欠片もない。そのような人物だからこそ、クローニクも自らの命を捧げたのだ。


「ザウードよ、クローニクの家族には遺体と共に、孫の代まで餓えぬほどの褒美を送り届けよ」

「ははっ」


 常勝将軍は深く頷き、優しく袋に収め直された部下の頭部を恭しく受け取る。

 それに対して、大王は満面の笑みを浮かべたかと思うと、一瞬で猛獣のように獰猛な表情となって、天幕の外へと出ていった。


「兵を集めよっ!」


 魔術も何も使っていないというのに大軍の隅々まで届く、まるで雷のような大声を上げながら、大王は用意されていた演壇の上に登る。

 そして、ザウードが事前に命じていたため、待つまでもなく整然と並んでいた、十万人もの軍団に向かって吠えた。


「聞け、我ら勇敢なる赤原の戦士達よ! 我の寛大な慈悲を伝えに向かった同胞・クローニクを、黒鉄の臆病な鼠共は、このように惨たらしい姿で返してきた!」


 怒声を張り上げる大王の後ろで、ザウードは血に染まった袋を高く掲げる。

 それを見上げた兵士達の瞳に、怒りの炎が勢い良く灯った。


「我らが同胞の命を奪った、卑劣な鼠共に相応しいものは何だっ!?」

「「「報復をっ! 報復を!」」」


 大王の問いに、十万の兵士達はまるで地震のような足踏みを響かせながら叫び返す。

 無論、彼らは使者が黒鉄王国に伝えた、侮蔑極まる降伏勧告の内容など知りもしない。

 大王もそんな素振りは微塵もみせず、ただ義憤にかられた表情で叫び続ける。


「我らの覇道を阻む、愚かな鼠共に相応しいものは何だっ!?」

「「「死をっ! 死をっ!」」」

「そうだ! 全ての男を殺し、全ての女を妻とし、全ての子供に我ら赤原大王国の偉大さを教え込めっ!」

「「「うおおおぉぉぉ―――っ!」」」


 大王の口から直々に、殺戮、強姦、そして奴隷とする許可が与えられて、猛り狂う兵士達は一斉に歓声を轟かせた。

 そうして、味方の士気を最高潮に仕上げた大王を眺めながら、ザウードは心の中で笑みを浮かべる。


(まったく、いつもながら恐ろしいお方だ)


 使者が殺されてしまうほど敵を挑発するなど、本来であれば愚行の極みである。

 味方の士気を高めたが、それ以上に敵の戦意を煽り、さらには退路を断ってしまうからだ。

 戦場において、逃げ場を失い命を捨てて襲いかかってくる、死兵ほど恐ろしい者はない。

 愛する妻や娘達を守るために、黒鉄王国の男達は今まさにその死兵と化してしまった。

 いざとなれば降伏して命だけは助かると、逃げ道を用意してやった方が、敵は弱くなるというのに。

 数多の戦を潜り抜けてきたヴァイナー大王も、そんな事は百も承知である。

 だというのに、あのような挑発を行ったのは、先々まで見据えた戦略のためであった。


(この度の西方遠征は、黒鉄王国一つでは終わらない)


 他の国も全て征服し、赤原大王国を東の覇者から大陸の統一者へと変える、言わば最後の大戦争なのだ。

 そのためには、大王国軍の強さと恐ろしさを、全ての者達に広めなければならない。


(いくら屈強な十万の大軍でも、全ての西方諸国を打ち倒す力はない)


 本国の守りに置いてきた兵まで動員すれば、力押しも不可能ではないが、それは無理な話である。

 大王国も一枚岩ではない。大王の地位を狙っている貴族達や、戦に負けて服従したものの、いまだに反抗的な地域など、火種は大小無数に燻っている。

 それもあって、これ以上の外征よりも内政に力を入れるべきだと、大王の方針に反対する派閥も多い。

 故に、この遠征はあらゆる手段を使ってでも、速やかに終わらせる必要があった。


(だから、力で攻め滅ぼすよりも、恐怖で屈服させる事が肝心なのだ)


 赤原大王国は何も敵を全て殺すなどという、理性を持たぬ魔物ではない。

 大王国への忠誠を誓うならば、毎年一定の税を支払わせるだけで、自治を許している属国も多い。

 だというのに、黒鉄王国に対して惨すぎる要求を突きつけたのは、他の西方諸国を屈服させるための贄とするためであった。


(我らに従うならば無傷で済ませてやろう。だが逆らうならば、男は皆殺しにして女子供は奴隷にする……この恐怖に抗える者が、いったいどれだけいるか)


 エグい真似をなさると、ザウードは畏怖と尊敬の混ざった目で大王を見つめる。

 西方諸国、特に打算的な貿易大国の青海王国などは、勝ち目のない戦で人材と資金を浪費するよりは、税を課されても大王国の傘下に入って販路を広げる方が儲かると、あっさり白旗を揚げるであろう。

 そうして降伏させるために、民には恐怖を、為政者には理由を与えてやらねばならない。

 赤原大王国に逆らえば、黒鉄王国のような虐殺に遭うぞ。だから残念だが従うしかないのだと。


(後の数百万人を無傷で手に入れるために、ここで数万人を殺戮する。単純な算数ではあるな)


 善良な民では思いつきもしない、普通の兵士や貴族では思いついても躊躇う、そんな非道な計算を、ヴァイナー大王は迷いもなく実行する。

 そう、ただの蛮行にしか見えぬ事すら、全て計算で行われている。それが大王の一番恐ろしい所であった。


(黒鉄王国の男を皆殺しにする事で、彼らが消費するはずだった食料が、全て我らの物となる)


 本国からの補給線は当然確保してあるが、これからさらに西方へと進軍しながら、十万の大軍を食わせ続けるのが大変な事には変わりないのだ。食料はいくらでも欲しい。


(残った女達を与える事で、兵士達の士気低下を防ぎながら、暴走の抑止も行える)


 故郷を遠く離れ、右も左も分からぬ異国で戦い続けるというのは、兵士達の心に多大なストレスを与える。

 それが原因で逃げ出すくらいならまだいいが、無辜の民に暴行を働き、人々の怒りを爆発させてしまい、大人しく降伏していた国が反旗を翻し、他国との戦闘中に背後を突いてきた、などという最悪の結果を招いては堪らない。

 そのため、大王はこの度の遠征で、許可なく蛮行を働いたものには極刑を下すと言明していた。

 実際、父親を殺して大王国に寝返った辺境伯の領内で、少女に暴行を働いた兵士が、大王自らの手によって処刑されていた。

 補給の確保に、鉄の規律を維持しながら、兵士達のガス抜きも怠らない。

 それも計算して、大王は黒鉄王国の王都で暮らす民に、虐殺と隷属の二択を押しつけたのであった。


「早かったな」


 大王の呟きが耳に届いて、ザウードは物思いから抜け出す。

 そして、大王の視線を追いかけて、使者の命と引き替えに手に入れた好機――王都の城門を開いて大挙してくる、黒鉄王国軍の姿を目にした。


「身よ、我らが同胞の命を奪った臆病な鼠共が、穴蔵から顔を出したぞ! 今こそ同胞の仇を討ち、我らが力を示す時ぞっ!」

「「「うおおおぉぉぉ―――っ!」」」


 大王の言葉に、十万の大軍も殺気立った雄叫びで応じながら、身に刻み込まれた鉄の規律に従って、恐ろしい素早さで陣形を整えていく。

 ザウードも自らが指揮する兵士達の元に向かいながら、城門から出てきた黒鉄王国軍――農具で武装した市民まで加えて、およそ二万人まで膨れ上がった敵を、哀れみのこもった目で見つめた。


(愚かな……)


 東の辺境伯領こそ大王国に寝返ったが、まだ西南北を守る辺境伯達が残っている。

 だから、城壁の内側にこもって防戦に徹し、彼らが助けに駆けつけるのを待ちながら、何としても他国に援軍を求めて、大王国軍を逆に包囲して殲滅する。それが黒鉄王国に残された最善の策であったのに。

 実際問題、大王国軍が王都の制圧に手こずっていれば、若いが優秀な皇帝が、伝説の破壊者を蘇らせたと噂されている白翼帝国などは、次は我が身とならぬために、黒鉄王国の加勢に駆けつけたであろう。

 そうなれば大王国軍は惨敗していたかもしれない。さらにはヴァイナー大王が討たれて、それを皮切りに内乱が生じて、赤原大王国が滅びるという、最悪の結果を招いた可能性もあった。

 だが、妻子を守るという使命感と、友と誇りを傷つけられた怒りに負けて、黒鉄王国軍は引きこもるのではなく、城外に打って出る道を選んでしまった。

 それが全てヴァイナー大王によって舗装された、地獄への道だと知りもせず。


(せめて勇敢な戦士として散るがいい)


 自分達への贄とされた黒鉄王国軍に、ザウードは抱いていた哀れみを捨てて、冷静な常勝将軍の顔となり、配下の兵士達に進軍を命じた。



 その日の戦闘で、黒鉄王国軍は半分寄せ集めの兵でありながらも、五倍もの大軍を相手に奮戦し、大王国軍の一割を死傷たらしめた。

 だがそれと引き替えに、八割の成人男性と国王を失った黒鉄王国は、老人や女子供まで一丸となり必死の抵抗を続けたが、翌々日には城門を打ち破られて、その歴史に終止符を打ったのだった。

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