第27話・境目未紗希《さかいめみさき》【未来視】
一年A組の面々が異世界に召喚されてから三ヶ月以上が経ったその日、少し内気で臆病な少女・境目未沙希は、朝ご飯に出された卵焼きを食べながら、ふと食堂の中を見回して思う。
(今日は人が少ないな)
三十二人のうち七人が欠席していた。
どうせ文句を言ってうるさいだけなので、自室で別の食事を出されるようになった金家成美や、その料理を作っている味岡料助の姿がないのは普段通りである。
少し前から帝都の外へ仕事に出ている、土岡耕平と金剛力也がいないのも仕方がない。
大陸中を食べ歩いている旅川瞬一と大図計介、そして夜遊びの激しい火野竜司、彼らが揃っていないのは少しだけ珍しかったが、それだけの事である。
誰かが怪我や病気で寝込んだとか、そういった心配はなさそうであった。
(けど……)
未沙希は何か引っかかる物を覚えたが、気のせいだろうと首を振って、豆腐の味噌汁を飲み干した。
(さて、今日は何しようかな)
朝食を終えて自室に戻った未沙希は、ベッドに腰掛けて考え込む。
学校の授業がなくて生まれた大量の自由時間をいかに潰すか、それが最近の悩みであった。
(勉強も飽きちゃったし……)
無事、地球に帰れるかも分からないのでは、やる気が出ないのも仕方がない。
かといって、漫画やゲームで暇を潰すのも難しかった。
天園神楽に買い物をして貰おうにも、フィギュア制作で稼いでいる産形健造などとは違って、未沙希は仕事をしておらずお小遣いが少なかったのだ。
(亜姫ちゃんがいればな……)
中学校時代からの親友は別のクラスだったため、この異世界には来ておらず、当然ながら遊ぶ事はおろか電話もできない。
A組にも話をする友達はいるのだが、薬丸志保は風越翔太にべったりだし、法木摩耶は魔術の勉強に熱中しているので、邪魔をするのが憚られた。
(そうだ、摩耶ちゃんのいる書庫で本を借りてこよう)
漫画やライトノベルは無いにしても、この異世界特有の神話やお伽噺を書いた本はあるだろう。
未沙希はそう閃いて、屋敷を出て帝城へと向かった。
(いつ見ても圧迫感があるな……)
元々は魔物と戦うための要塞であったため、装飾が少ない無骨なお城を見上げて、未沙希はちょっと怖く思いながらも入り口に向かう。
異世界アースからの客人であり、英雄とそのクラスメートである彼女達は、本来は貴族でもなければ入れない帝城に、顔パスで入る事が許されている。
なので、未沙希は入り口の横に立つ衛兵に対して、会釈をしただけで通り抜けようとした。けれども――
「申し訳ございません、城内にどのようなご用でしょうか?」
「えっ、あ、あの、書庫で本を借りてこようと……」
衛兵から急に話しかけられて、未沙希は驚きながらも反射的に答える。
すると、衛兵は驚かせた事を詫びるように優しく笑った。
「そうでしたか、お時間を取らせてしまい申し訳ありません」
「い、いえ、お気になさらず」
未沙希は慌てて頭を下げ返すと、少し早足で城の中へと入った。
(何かあったのかな?)
城に入る用件を聞かれた、ただそれだけの事であり、むしろ普通の事なのだが、今までとは違った対応に、未沙希はどうにも引っかかりを覚えてしまう。
そうして、考え込みながら書庫へと向かう彼女の前から、文官らしき貴族達が歩いてきた。
「あぁ、ひとまず帝都に集めろ。彼の協力を得られれば不要となるが、念のために荷馬車の用意も怠るな」
「クレメンス伯爵の手勢と物資はそれでいいとして、他はもう東のウォーラン伯爵領に向かわせておいた方が――」
何やら忙しいらしく、文官達は真剣な表情で話し合いながら、未沙希には目もくれずに通り過ぎていく。
(やっぱり、何かあったんだ)
そう思って城内を見回せば、人々の顔には余裕がなく、ピリピリとした空気が漂っているように感じられた。
(また魔物が出たのかな?)
今では七英雄と称えられている光武英輝達が、常闇樹海を焼き払っていた時も、今と似た空気が流れていた気がする。
(でも、あの時よりも緊迫しているような……いや、まさか……)
嫌な予感が脳裏を過ぎるが、未沙希は頭を振ってそれを追い出し、早足で書庫へと向かう。
そして、勉強していた摩耶にろくに挨拶もできず、適当な本を一つ借りると、すぐに城を出て屋敷に戻ろうとする。
だが、城壁の向こうから地を揺るがすような雄叫びが響いてきて、思わず足を止めてしまった。
(な、何っ!?)
未沙希は怯えて震えながらも、声の正体を確かめるために、城門の向こうをそっと窺う。
帝城を中心として、第一城壁と第二城壁の間に広がる、兵舎と訓練場の他には何もない更地。
そこでは今、全身鎧を身にまとった大勢の騎士達が、激しく剣をぶつけ合っていた。
「叫べ、腹から声を出せっ! 気迫で負けた奴から死ぬぞっ!」
「「「おおおぉぉぉ―――っ!」」」
髭面の騎士団長・アークレイの怒号に応えて、騎士達はさらに声を張り上げて、まるで実戦さながらにぶつかり合う。
その中にはクラスメートの一人、剣崎武美の姿もあった。
「どうした武美っ! これはお綺麗な道場稽古じゃないんだぞっ!」
「ぬかせっ!」
多数の騎士に囲まれて、四方八方から槍で攻撃を受けながら、武美はそれらを全て避けきり、騎士団長の煽りにも大声で言い返す。
そんな、普段よりも明らかに激しい騎士達の訓練を目にして、未沙希の中に生まれていた嫌な予感は確信へと変わっていた。
(せ、戦争が始まるんだ……っ!)
衛兵が警戒を強め、貴族達が緊張感を漲らせ、騎士達が有事に向けた訓練を行っている。
これを見て戦争が迫っていると不安を抱かないのは、余程の平和ボケした脳味噌の持ち主だけだろう。
(ど、どうしようっ!?)
未沙希は激しい混乱と恐怖に見舞われながら、屋敷の自室へと駆け戻る。
そして、激しく脈打つ胸を押さえながら、自らに問いかけた。
(これは、使わないと駄目だよね?)
未沙希の異能は『未来視』、文字通り未来の光景を見る事ができる力だ。
最初にこの力を使ったのは、異世界に召喚されたその時、そして最初に見たのは広大な森が炎に包まれて、無数の動植物が焼き殺されていく地獄絵図であった。
「ひぃ……っ!?」
「どうしたのだ? 顔色が優れぬが、体調が悪いのか?」
あまりにも惨たらしい光景に、思わず悲鳴を漏らしてしまった未沙希の元に、皇帝アラケルが駆け寄り心配してくれた。
「い、いえ、大丈夫です! 何でもありません」
「ならば良いが……ところで、其方の名前と異能を教えて貰えるだろうか?」
「境目未紗希です。異能は……分かりません」
皇帝の問いに対して、未沙希は思わず嘘を吐いてしまった。
異世界人が信用できないというよりも、先程見た未来の光景がただ恐ろしく、嘘であって欲しいと思ったからだ。
皇帝が無理に追及してくる事はなかったため、未沙希の『未来視』について知る者は、今のところ彼女自身しかいない。
そして、目にした光景が嘘でなかった事は、常闇樹海の焼失という大事件によって証明されていた。
(また、あんな惨たらしい光景を見せられるかもしれないなんて、怖い……)
けれども、何も知らぬまま戦争に巻き込まれる方が怖かった。
だから、あの日からほとんど使わずにいた力を、未沙希は解放する。
(未来を、帝国で起きるだろう戦争を見せてっ!)
そう願った瞬間、未沙希の脳裏に草原の風景が流れ込んできた。
まるで現実かと錯覚するくらい、映像も音も、匂いや感触すらもリアルな未来の光景。
そこは鉄の灰色と、血の深紅で埋め尽くされていた。
雨のように降り注ぐ矢、敷き詰められた槍衾、振り下ろされる無数の剣。
そして、怒声と悲鳴を上げて、血を垂れ流し、四肢が飛び散り、無残に死んでいく何千という兵士達。
「うぐっ……!」
あまりの惨さに堪えきれず、未沙希は思わず『未来視』を止めて、今の時間へと戻った。
「はぁはぁ……やっぱり、戦争が起きるんだ」
間違いない。異能で見た未来の光景は、何もしなければ百%必ず起きる。
そう、彼女が未来を変えようとしない限りは。
(と、止めないと……)
気持ちが落ち着くのを待って、未沙希はゆっくりと立ち上がる。
ギリシャ神話のオイディプスを筆頭に、未来を知って行動を変えたせいで、結局はその未来が訪れてしまう、決して未来は変えられないという話はよくある。
だが、未沙希の『未来視』に限っては、見た未来を変える事が可能だった。
それを検証するために、彼女は「今日の夕食は何か?」という、ごく近い未来を見た事がある。
結果はパンとクリームシチューというものだったが、彼女が料理当番の料助に「ご飯が食べたい」と頼んでみたところ、夕食はあっさりとご飯と肉じゃがに変わった。
つまり、彼女の『未来視』は未来を変えられる。むしろ、まだ変更の余地が残っている未来を見られる力なのかもしれない。
(今ならまだ変えられるはずっ!)
未沙希本人に戦争を止められるような力はない。だが、この事を誰かに、例えば特に反戦意識の強い学級委員長の光武英輝や洗平愛那に話せば、未来を変える事ができるだろう。
だから、未沙希はドアノブを握り締めて――そこで、氷像のように固まってしまった。
(……大丈夫なの?)
未沙希は臆病で、だからこそ一時の感情で流されず、慎重に考える事ができる。
そして、彼女の『未来視』はただ未来を見るだけの力であり、そこに何らかの意図や悪意など存在しない。
つまり、見た未来の善悪や正邪は、未沙希が判断するしかないのだ。
(これは、変えていい未来なの?)
戦争が起きて何千もの人々が死ぬ。一見すると悲劇の未来でしかない。
だが、それは必ずしも『未沙希達の悲劇』ではないのだ。
(……っ!)
ドアノブを握り締めた未沙希の手が、恐怖のあまりガタガタと震え出す。
(召喚されたあの時、私が見たものを打ち明けて、未来を変えていたとしたら……)
常闇樹海は焼き払われず、そこで生きる何千何万という生命は救われただろう。
けれども、それは正しい行いなのか? 樹海が残ったまま、そこから這い出てきた魔物達によって、罪もない村人達が虐殺され続けた未来が、正しいなどと言えるのか?
それと同じ事が今、彼女の細い肩に重くのしかかっていた。
(私が言えば、未来を変えられる)
戦争を防ぎ、何千もの人々が死なずに済む。
だがその結果として、何十万人もの屍が築かれる、最悪の未来が来ないという保証はどこにもない。
未沙希の瞳に映るのは、このままいけば必ず起きる未来だけであり、彼女の行動によって変わった未来は、変化が確定したその時まで見る事はできないのだから。
彼女は未来が見える。だからこそ余計に、今は見えない未来が怖い。
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
心臓を握り絞められたような重圧に襲われて、未沙希は今にも倒れそうなほど息を切らせる。
力には責任が伴う。ならば当然、未来を変える力には、変えた未来の責任がのし掛かる。
そして、ただの内気で臆病な少女には、暗闇を切り拓いていく英雄のような勇敢さも、目を閉じたまま断崖に突き進む愚かさもないのだった。
「う、うぅぅ……っ!」
結局、扉を開ける事ができず、そのまま泣き崩れてしまった未沙希は知らない。
未来ではなく現在、もはや変えようもない今この時、白翼帝国から遠く離れた東の地が、炎と鮮血によって赤く染まっていた事を。
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