第26話・戦火の足音
坊主頭で小太りな旅川瞬一と、角刈りのっぽな大図計介の凸凹コンビは、老執事のコルニクスに護衛されながら、今日も今日とて異世界での食べ歩きライフを楽しんでいた。
「極彩色で見た目はちょっとアレな魚だったけど、味は悪くなかったね」
「うん、美味しかった」
大陸の南東にある温暖な港町で出された、新鮮な魚を使った塩焼きやフライ。
それをたらふく平らげた二人は、満足げに膨らんだ腹を撫でながら、ゆっくりと町の中を歩いて行った。
「お腹いっぱいだし、今日はここに泊まる?」
「ん~、大丈夫ですかね?」
計介の問いに対して、瞬一は悩んで老執事の顔を窺う。
すると、元凄腕の暗殺者である彼は、ゆっくりと首を横に振った。
「港町は賑やかで楽しげですが、正邪問わず人が出入りするものです。お二方が安眠するには向かぬかと」
そう言いながら老執事は素早く振り返り、足音を消して瞬一達の背後に迫ろうとしていた小汚い少年に、ニッコリと笑いかける。
すると、スリと思しきその少年は、ビクッと背を震わせて逃げていった。
「これは駄目そうね……」
「いつもすみません」
「いえいえ、これが私のお役目ですので」
呆れる瞬一と頭を下げる計介に、老執事は優しく微笑みかける。
「じゃあ、ちょっと早いけど今日は帰るかね」
宿に泊まるのも旅の醍醐味だが、スリや強盗に襲われては元も子もない。
なので、瞬一は彼らにとって一番安全な場所、帝都の屋敷に戻る事に決めた。
「『瞬間移動』様々ね」
「地球でも使えたらなー」
「海外旅行だってし放題ね!」
「でも、外国語が喋れないし、地球だって海外は危険だし……」
「おや、そうなのですか?」
三人はそんなお喋りをしつつ、町を出て人目のない所を探す。
そうして、丁度良い岩陰を見つけたところで、老執事がお願いを口にした。
「瞬一様、よろしければ帝都へ戻る前に、赤原大王国の首都に寄って頂けませんか?」
「赤原大王国?」
それは大陸の東側を支配する大国であり、老執事の勧めもあって、瞬一達が真っ先に旅をしていた場所でもあった。
「あぁ、薬の買い足しね」
瞬一はすぐに納得して頷き返す。最初に赤原大王国に立ち寄って以来、十日に一度くらいの割合で同じ頼み事をされていたからだ。
「えぇ、よろしくお願い致します」
大王国の首都は大陸で一番の大都市なので、最も品質の良い薬が手に入るから――と老執事は説明しているが、それはもちろん嘘である。
「この歳になりますと、頭や腹の痛みを抑える薬が手放せませんで……」
「はははっ、そんな風には見えないけど」
わざとらしく咳払いをする老執事の姿に、計介は笑いながら地図を浮かび上がらせる。
「赤原大王国の場所は……」
スマホのように指でスライドし、現在地から遥か数百㎞は北にある大都市を映し出す。
さらに画面を拡大させて、周囲に人がいなくて瞬間移動しやすい場所を探し出した。
「ここでどう?」
「屋根の上? まぁ、アパートみたいな高い建物っぽいし、人に見られそうもないから大丈夫かね」
大王国の首都はとにかく広い。普段のように街の外に移動してから入っていくのでは、目的の店に着く前に日が暮れてしまう。
そうして、あっさりと他国への首都侵入を可能とする二人の姿に、老執事は改めて戦慄と興奮を覚えるのだった。
◇
東方の覇者・赤原大王国。三百年前に起きたアース人による大混乱の後、一気に勢力を失った白翼帝国とは対照的に、大小無数の国々を吸収して拡大していき、今や敵なしとなった大陸一の大国。
その首都へと下り立った瞬一達は、目的の薬屋に向かって騒がしい通りを歩いていった。
「いつ来てもこの街は賑やかね」
下町を思わせるゴチャゴチャとした、だが活気に溢れた店や人々を見回して、瞬一は笑みを浮かべる。
「うん、騒がしいけど落ち着く」
計介も楽しそうに頷く。白い肌に青い目と金髪といった、ヨーロッパ系のような人達ばかりの白翼帝国とは違い、赤原大王国には黒髪黒目に褐色の肌といった、アラブ系のような人達も見られるため、日本人でもそこまで奇異の目で見られず、のんびりと街を見て歩けるのだ。
そんな二人の姿を見て、老執事は複雑な思いを抱きつつも、それを表には決して出さず、薬屋に向かって進んでいった。
「お邪魔致します」
少し外れた小道にある店の扉を開き、日光で薬が悪くならないよう、薄暗くされた店内に声をかける。
すると、店に漂う怪しげな香りとは対照的な、明るい笑顔の中年男性が現れた。
「おや、いらっしゃいませ」
「いつもの薬を頂けますかな?」
「はい、少々お待ち下さい」
ここ最近、定期的に訪れる顔見知りとあって、中年の店主は慣れた様子で店の奥から小さな陶器の壺を持ってくる。
「銀貨二十枚になります」
「うん? 先日までは銀貨十七枚だったはずでは?」
急な値上がりに老執事が首を傾げると、店主は申し訳なさそうに頭を下げた。
「実はここ最近、兵士の方々が荷馬車を徴収しているとかで、商品の入荷が少々遅れておりまして……」
「それは災難でしたな」
老執事は文句も言わず、むしろ多目に銀貨を支払うが、別に同情したわけではない。
そもそも、薬の売買など茶番でしかないのだ。本命は小さな壺の底に隠された手紙――赤原大王国の動向を書き記した密書にあった。
この薬屋の店主からして、何十年も前から送り込んであった、帝国の密偵なのである。
以前から数ヶ月に一度、それと悟られぬよう商品に隠したり、暗号を用いた手紙を使って、ずっと大王国の動きを帝国に伝えていたのだ。
本来は旅の商人に扮装したこれまた別の密偵を経て、帝国へと密書が運ばれていたのだが、瞬間移動という便利すぎる異能の持ち主が現れたため、皇帝の命を受けた老執事がこうして受け取るようになったのだった。
(皇帝陛下の予感が当たりましたな)
老執事は表向き笑顔で薬屋を後にしながらも、胸の内は刃のように鋭くなっていく。
密書の中身を確認するまでもなく、先程の何気ないやり取りだけで、店主が伝えたかった事は分かっていた。
それは出来れば起きて欲しくはない、だがいずれは避けられないと、予想されていた事だからだ。
(すぐに陛下へお知らせしなくては)
老執事はそう逸る気持ちを抑えつつ、前を行く瞬一達の顔を窺う。
彼らは何も気づいていない呑気な笑顔を浮かべて、通りに並ぶ出店を眺めていた。
「おっ、あのでっかい卵焼きみたいの美味しそうね」
「また食うの?」
「長距離の移動でカロリーを消費したから、補給が必要なのね」
さっき腹一杯食べたばかりだろうと呆れる計介に、瞬一は丸い腹を叩いて堂々と言い返す。
そんな二人の姿に、老執事は思わず笑みを漏らす。
(本来であれば数十日もかかる情報を、お二方のお力によって、こうして一瞬で知る事ができたのだ。あと数時間ほど遅れたところで、皇帝陛下もお叱りにはなるまい)
そう思いつつも、老執事は道行く人々の会話に耳を澄ませて、瞬一が腹を満たすまでの間、さらなる情報収集に努めるのであった。
◇
青海王国の姫・アンジェは、訪問していた白翼帝国の食堂で、最後の朝食を取っていた。
(この美味しい料理ともこれでお別れですわね)
目玉焼きとベーコンが香ばしいガレットを味わい、喜ぶ舌とは対照的に、気持ちは暗く沈み込んでしまう。
それは美食の日々が終わってしまうせいか、それともこの料理を作る者と会えなくなってしまうせいか。
(料助様……)
自分の中に生まれた初めての感情に、アンジェは内心激しく戸惑いながらも、一国の姫として厳しく躾けられてきた体は、いつも通り優雅に食事を終わらせるのであった。
(それにしても、リデーレはどうしたのかしら?)
ご飯はみんなで食べた方が美味しいからと、いつもは呼ばずとも押しかけてくる天然皇女が、今日に限って何故か来なかった。
その事に遅まきながら疑問を覚えた丁度その時、食堂の扉がノックされて、皇帝アラケルが姿を現した。
「おはよう、アンジェ姫。朝食のお味は如何だったかな?」
「はい、今日もとても美味しゅうございました」
爽やかな笑顔で現れた皇帝に、アンジェも優雅な笑顔で応える。
だが、頭の中は一瞬で計算高い商人のそれに切り替わっていた。
(なるほど、リデーレがいると出来ない話があるのですわね)
だから、何か理由をつけて皇女を遠ざけて、皇帝一人で訪れたのだろう。
(それにしても、今この時というのは……)
荷造りは昨日のうちに終わっており、腹が落ち着き次第、アンジェは馬車に乗って青海王国に帰る予定だったのだ。
そんな慌ただしいタイミングでなくとも、今までも十分に話す機会はあった。
(なのに今という事は、昨夜にでも急な知らせがあったのかしら?)
失礼なアース人にからまれたアンジェが、料助に助けられていた頃に、皇帝の元に何か情報が入って、それが原因で彼女と話す必要ができたのか。
そこまで考えて、脳裏に料助の凜々しい横顔が蘇り、思わず頬が熱くなるアンジェの前で、皇帝はゆっくりと席に着く。
「ところでアンジェ姫、昨夜はアース人の一人が、其方に大変な失礼を働いてしまったようだな。本当に申し訳ない」
深々と頭を下げてくる皇帝に対して、丁度その時の事を考えていたアンジェは、内心の動揺を表に出さすよう懸命に努力しつつ、穏やかに笑い返した。
「いいえ、お気になさらないでください」
あの時、あの失礼なアース人・宇畑夢人がアンジェに絡んでいた光景を、帝国のメイド達も当然ながら目撃していたのだろう。
そして、皇帝に報告したり、どう対処するべきか迷っているうちに、丁度良く料助が現れて、という事が裏であったに違いない。
(料助様があと少し遅ければ、メイド達が止めに現れたのかしら?)
だとすると、あれは本当に運命的で――と考えて、まるで夢見がちな少女のような事を思う自分に、アンジェは羞恥のあまりまた赤くなってしまう。
そんな普段とは異なる彼女の様子に、皇帝は少し訝しげな顔をしつつも話を続けた。
「寛大なお心遣い痛み入る。それで、無礼を働いた直後に、このような事を口にするのは厚かましいにも程があるのだが、一つお願いを聞いては貰えないだろうか?」
「はい、何でしょうか?」
本当に厚かましいタイミングだが、アンジェは変わらぬ笑顔を返す。
(このように不利な状況でお願いしなければならないとは、余程の緊急事態ですのね)
それを青海王国が救ったとなれば、白翼帝国に対して大きな借りを作る事ができる。
そう冷静にソロバンを弾いて、要望を待つアンジェに対して、皇帝は再び頭を下げてから答えた。
「実は――」
「えっ?」
皇帝の口から出たお願いに、アンジェは意表を突かれて目を丸くした。
「そのような物をですか? お父様ではなく、私でもよろしければ、今すぐにでもご用意致しますが」
「ありがたい、是非ともお願いできるだろうか」
満面の笑みで頷く皇帝の前で、アンジェはまだ戸惑いながらも、背後に控えていた執事に命じて、目的の物を取りに向かわせた。
(何故そのような物を……もしやっ!?)
ある想像が脳裏に閃く。だが、それはあまりにも荒唐無稽な考えだった。
(いいえ、荒唐無稽な力を持つアース人がいるのです、何があっても不思議ではありませんわ)
こと帝国の動きに関して、常識なんてものは邪魔でしかない。
柔軟に想像力を働かせるアンジェに対して、皇帝は重ねて礼を告げる。
「本当にありがたい。お礼に何かして欲しい事があれば、遠慮なく言って欲しい」
「あら、お気になさらずとも――」
「そうだ、料助を青海王国に貸し出すというのはどうだろう?」
「――っ!?」
昨夜からずっと頭に浮かんでいた少年の名前を出されて、アンジェは迂闊にも驚愕を表に出してしまう。
「アンジェ姫?」
「いえ、とても魅力的なお話でしたので、驚いてしまいました」
戸惑う皇帝に対して、アンジェは慌てて取り繕いつつ、必死に胸の動悸を抑える。
(……この方、どこまで知っていますの?)
つい疑ってしまうが、アンジェ本人すら掴み切れていない料助に対する感情を、皇帝は何も知らないのだろう。
ただ、大きな借りを返すにあたって、異能を持つアース人を貸し出すにしても、まだ青海王国が掴んでいない異能の持ち主を出して、切り札を曝すような真似は避けたい。
そう考えると、既にアンジェがよく知っており、有能だが武力はないため、青海王国に取り込まれたとしても危険がない料理人の味岡料助というのは、帝国が差し出す対価としては実に都合が良いのだ。
(ここは断るのが正解)
まだ知らぬ高い戦闘能力の者を貸し出させて、あらゆる手段を用いて青海王国の味方にする。これが最善手のはずだ。
(けれども、相手が御しやすいアース人とも限りませんし……)
あの失礼な宇畑夢人や、素行が悪いと聞く七英雄の一人・火野竜司などを貸し出されても、百害あって一利なしという危険性もある。
(それでしたら、人が善くて害がなく、斬新な料理で青海王国に利益をもたらしてくれる、料助様を選んだ方が安全かつ確実ですわ)
アンジェはそう冷静に計算するが、そこに私情が混じっていないかは自信がなかった。
「料助の料理がなくなると、文句を言う者がいるのでな。彼が暫く留守にしてもいいように、城の料理人達を鍛え直す時間が欲しいので、今すぐにとはいかぬのだが……」
「はい、急かしたりは致しませんわ」
申し訳なさそうな皇帝に対して、アンジェは内心の落胆を隠して笑顔で頷く。
(『焦った者から損をする』とも言いますし、まずは落ち着いて計画を立てましょう)
料助を青海王国に招くのならば、彼が存分に腕を振るえる調理器具や材料は当然として、彼の技術を見て覚えられる、優秀な料理人も集めておく必要がある。
そうして準備をしている間に、彼女の胸に生まれた淡い炎も、落ち着いてくれるかもしれない。
(えぇ、こんなのはすぐに忘れてしまう、一時の気の迷いにすぎませんわっ!)
アンジェはらしくもない自分を叱りつけ、荷物を持って戻って来た執事から、羊皮紙と羽ペンを受け取る。
そうして、皇帝の要望通りに文章を書き上げる彼女は知らない。
料助が生まれ育った地には『会えない時間が愛を育てる』という言葉がある事を。
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