第24話・旅川瞬一《たびかわしゅんいち》【瞬間移動】

 帝国から遥か南東に位置する、温暖な地域の海岸。

 そのゴミ一つない砂浜に座り込み、小太りで坊主頭の少年・旅川瞬一は異世界の透き通った海を眺めていた。


「世界が変わっても、海の青さは変わらんね」


 魔術やら魔物やらが実在するファンタジー世界なのだから、赤や黄色の不思議な海があってもよさそうだが、残念ながら無いらしい。

 もっとも、地球と似た環境でなければ、地球人と変わらない人類が誕生する事もなく、自分達が召喚される事もなかったのだろう。

 そんな事を考えながら、のんびりと海を眺める瞬一の元に、のっぽで角刈りの少年・大図計介おおずけいすけが歩み寄ってくる。


「何かあった?」

「いや、今の所は特にないね」

「そっか」


 計介は特に気落ちした様子もなく、瞬一の隣に座り込む。

 二人は中学一年生の頃から同じクラスで、旅行好きという共通の趣味が縁で仲良くなり、長期の休暇には家族ぐるみで旅に出るくらいの親友だった。

 そんな二人だったからだろう、瞬一は目に見える範囲と、一度でも行った事のある場所に一瞬で移動できる『瞬間移動』の異能を、計介は周囲の地形を記録し、それをいつでも確認できる『地図作成』の異能を授かった。

 その力を活用して、二人は異世界の大陸を旅して回っているのだった。


「今、何か跳ねなかった?」

「どれどれ……おっ、あれが噂の人魚マーメイドかね?」

「凄い、本当にいたんだ」


 上半身は裸の女性で下半身は魚という、地球でも童話などで有名な魔物が、イルカのように高く跳ね上がる姿を目にして、瞬一達は思わず歓声を上げる。

 そんな呑気な二人の元に、皇帝から護衛として付けられた白髪の執事・コルニクスが歩み寄ってきた。


「お二方、そのご様子ですと、お目当てのマーメイドが見られましたかな?」

「はい、話に聞いた通り綺麗なお姉さんだったのね」

「そうやって男を誑かし、海に引きずり込んで喰らうと言われておりますので、間違ってもお近づきになりませぬよう」


 年頃の少年らしく鼻の下を伸ばす瞬一に、老執事はやんわりと注意しつつ、手に抱えていた物を差し出す。


「そこの村で購入したパニスでございます。よろしければお召し上がりください」

「あっ、どうも」


 黄色みがかったパンのようなそれを、二人は遠慮なく受け取って齧りつく。


「うん、甘くて美味いけどパサパサしてるね」

「これ、何で出来てるんですか?」

「トウモロコシで作られたパンです。この辺りでは小麦よりもトウモロコシの方がよく取れるそうで」


 老執事はそう言って、パンで喉が渇いた二人のために水筒を差し出す。


「こちらは湯冷ましの水ですので、安心してお飲み下さい」

「わざわざすみません」


 二人は苦笑して水筒を受け取る。旅に出たばかりの頃、全く危機感なしで井戸水を飲んで、見事に当たって寝込んだ事があったのだ。

 それ以来、特に『瞬間移動』の持ち主である瞬一は、老執事が安全だと言う物しか口にしないよう気をつけている。


「見た事のない異世界を歩き回るのは楽しいけど、気楽に食べ歩きできないのが辛いね」

「本当に」


 ご当地料理の食べ歩きこそ旅の醍醐味だと思っている瞬一は、心底残念そうに肩を落とし、計介もそれに同意を示す。

 慣れない異世界の食材で腹を下すのも問題だが、日本よりも遥かに治安の悪いこの世界では、食事中に財布を盗まれたり、強面のお兄さんに絡まれるなんて事がしょっちゅう起きる。

 それもこれも、二人が隙だらけで血の臭いがしないカモに見えるからだった。


「お二方はその所作から、育ちの良さが滲み出ておりますからな」


 そう慰めてくれる老執事が、スリやゴロツキを尽く打ち倒してくれたので、瞬一達は今もこうして安全に旅ができていた。


「あーぁ、俺もコルニクスさんみたいに護身術を学んだ方がいいのかね」

「はははっ、お望みとあらばご教授致しましょう」


 膨らんだ腹を叩きながら、砂浜に寝転がる瞬一に、老執事は笑ってそう答える。

 彼の身に染みついているのは護身術どころかその逆――暗殺術の類であり、皇帝直属のメイド達を鍛え上げた張本人だという事は、わざわざ口にはしない。

 そうして、暫し砂浜で日光浴をしてから、瞬一はゆっくりと起き上がった。


「よし、そろそろ次に行こうかね」

「うん」


 計介も立ち上がり、掌から光る窓を浮かび上がらせる。

 そこには彼を中心とした半径十kmもの範囲が、俯瞰視点で映し出されていた。


「どっちに行く?」


 荒くてカクカクとした衛星写真とは違い、ズームすれば人の顔が見分けられるほどに鮮明で、かつリアルタイムで滑らかに変化する計介の地図に、瞬一は改めて見惚れながら右の方を指さす。


「とりあえず、海岸沿いに東かね」


 瞬一はそう決めると、計介と老執事の手を掴み、遥か先の崖に目をこらす。

 そうして僅かに力を込めた瞬間、彼ら三人は崖の上に立っていた。


「ほいっと」


 瞬一は再び力を込めて、崖の上から見下ろせる地平線の先、五km以上も離れた浜辺にまた一瞬で移動する。

 そうして瞬間移動を繰り返し、徒歩ならば二日はかかる行程を、ほんの数分で踏破してしまうのだった。


「ふー、こんなもんかね」


 視界の端に大きな街が見えたところで、瞬一は瞬間移動を終了する。

 街の中までは直接飛び、その瞬間を誰かに目撃されると、大騒ぎになってしまうからだ。


「うん、大丈夫そう」


 計介は地図を拡大し、周囲二百mほどに人影がなく、今の瞬間移動を見られていなかった事を確認すると、地図を仕舞って瞬一と共に歩き出した。


「あー、もう腹が減ってきた。瞬間移動は便利だけど、燃費の悪さがイマイチね」

「そう?」


 距離と時間で計算すれば、とんでもなく高効率な移動手段に違いないのだが、瞬一は不満そうに腹をさする。


「さぁ、あの街では何を食べようかね」


 期待に目を輝かせて歩く瞬一達の後を、老執事も無言で追いかける。

 その顔は穏やかな笑みを浮かべていたが、瞳の奥には鋭い光が宿っていた。


(やはり、このお二方の異能は素晴らしい)


 本人達は『食べ歩きが楽になる能力』という程度にしか思っていないようだが、それがどれほど戦略的な価値を持つ事か。

 まずは瞬一の『瞬間移動』。大人数や大荷物の移動は難しいそうだが、数人を一瞬で遥か遠くに運べるというだけでも脅威である。

 離れた味方との伝令役や、要人の逃亡の手助け、そして何より他国へ容易く潜入できる事が大きい。

 そもそも今からして、国境を塞ぐ門を飛び越えて、他国に無断で侵入している状態なのだ。


(お二方は何故か密入国の意識が薄いようですが、憲兵などに正体が露見すれば、良くて投獄、悪ければ拷問の末に処刑だというのに)


 呑気に食事の相談をする瞬一達を眺めて、老執事はつい苦笑を浮かべる。

 海で囲まれた平和な島国で育ったために、船や飛行機を使うならともかく、車や電車ではパスポートが必要ない――陸地はいくらでも自由に移動できるという感覚が染みついているせいだとは、流石に想像できるはずもない。


(それらの危機意識に関しては、少しずつ勉強して頂くとしましょう)


 実際問題、皇帝の指示で老執事が同行していなければ、既に三十回は死んでいたであろうくらい、瞬一達は異能の強大さに反して迂闊すぎる。


(教育係を引退した老いぼれに、再び教え子を与えるとは、皇帝陛下も人が悪い)


 かつて死神と恐れられた老執事は、つい愉快な笑みを浮かべつつ、計介の方に目を向けた。


(『瞬間移動』に負けず劣らず、『地図作成』の異能も素晴らしい)


 本やネットによって世界中の地図を見られるのが当たり前、そんな世界から来た計介達はやはり気がついてもいないが、この異世界における正確な地図とは、国の行く末を左右する重要機密であった。

 他国へ侵攻する際、地図があるかどうか、つまり地形が分かるかどうかは軍隊の生死を分かつ。

 渇きを癒やす水場はどこにあるのか、山や崖に行く手を阻まれないか、沼地で病気にやれないか等々。

 地図がなくてスムーズな進行計画が立てられず、手探りでノロノロと進んでいては、すぐに食料が絶えてしまうか、地の利を持つ敵軍に奇襲を受けて壊滅してしまう。

 そんな黄金にも勝る戦略的価値を持つからこそ、各国は他国の地図を入手しようと奔走し、自国の地図を機密として厳重に管理している。


(だというのに、計介様は周囲の地図を容易く得てしまわれる。それも恐るべき精密さで)


 この世界には偵察衛星どころか飛行機すらなく、ついでに写真機すらない。

 また、密偵が他国を探るさいは呑気に測量などできないし、他国の手に渡ったさいの事を考えて、自国領の地図を敢えて不正確に描かせたりする事もある。

 そのような理由により、地図と実際の地形に数㎞ものズレがあるなんて事もざらだ。

 なのに、計介はミリ単位の狂いもない地図が作れて、しかもリアルタイムで変化が観測できる。

 それはつまり、姿も見えない遥か遠方から、敵軍の人数から陣形、進行方向すら把握できるという事だった。


(瞬一様の瞬間移動と合わせれば、敵陣の中から大将の位置を割り出し、その首だけを狩って逃走する事すら可能……ふふっ、死神の名が泣くほどの暗殺者ぶりですな)


 やる気さえあれば最高の後継者になれるだろうと、老執事はまた笑みを浮かべてしまう。


「さっきはパンを食べたから、次は飯か麺がいいね」

「トウモロコシ麺? 面白そう」


 自分達の背後で老執事が物騒な事を考えているとはつゆ知らず、瞬一達は次なる料理を求めて街の中に向かうのであった。

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