第23話・法木摩耶《ほうきまや》【魔術の極み】

 異世界に召喚されたクラスメート達が魔物を退治し、世間で英雄と大騒ぎされるようになっても、真面目で努力家な少女・法木摩耶は我関せずと、帝城の書庫にこもっていた。


「……できた」


 羊皮紙で出来た古めかしい本の一ページを、ノートに一文違わず書き写し終えて、摩耶は満足げな声を上げる。

 そこに描かれた文字は、この白翼帝国で使われている文字でも、ましてや日本語とも異なる。

 精霊文字――世界を構成する万物の根源たる精霊に訴えかけ、この世界を改変する術、すなわち魔術に使われる物であった。


「これで間違いないはずだけど……」


 摩耶は誤字脱字がないか何度も確認してから、書き写したノートに向かって合い言葉を呟く。


「光よ、灯れ」


 その瞬間、ノートの文字が淡く輝いたかと思うと、目の前の空間に歪みが走り、そして豆電球のように小さな輝く球体が現れた。


「よしっ!」


 魔術の発動に成功して、摩耶は思わず喜びの声を上げる。

 そして、ここが静かな書庫である事を思い出して、慌てて口を押さえながら周囲を見回した。


(ほっ、大丈夫か)


 広い書庫の中には、摩耶の他には司書の老人が一人いるだけだった。その老人も彼女の方を気にした様子もなく、目録の整理を行っている。

 それに安堵しつつ、摩耶は解除の合い言葉を呟いて小さな光る球体を消した。


(魔術の勉強を初めてもう二ヶ月も経つけど、先は遠いな……)


 まだこの程度の事しかできない自分が情けなくて、つい溜息を吐いてしまう。

 この異世界に召喚された一年A組・三十二名の中で、摩耶の異能はある意味でもっとも残念なものだった。

 何故なら、それは『魔術を上手く使える』という、この世界でも貴重レアではあるが、唯一無二オンリーワンではないものだったからだ。

 例えば天園神楽の『ネット通販』などは、どのような魔術でも再現ができない。

 炎を生み出す事自体は魔術でも、火打ち石といった物理的な方法でも可能だが、火野竜司のように膨大な火炎を、何の用意もなく発生させる事はできない。

 この世界の人間に限らず、魔物であろうとも不可能な現象を引き起こす超常の力。それこそが異世界人の恐るべき異能なのだから。

 だというのに、摩耶が授かったは魔術の才能。この世界の住人も少ないが持っている、既存の力にすぎなかったのだ。


(せめて、もう少し使い勝手が良かったらな)


 摩耶は無意味と分かっていても、つい愚痴をこぼしてしまう。

 たとえ唯一無二ではなかったとしても、地球には存在しなかった魔術という不思議な力を得られた事は、彼女も素直に嬉しかった。

 ただ一つ問題があり、この世界における魔術は、地球の漫画やゲームに出てきた物と比べると、非常に面倒で実用性に欠けたのだ。


(これだけ書いて、ようやく豆電球くらいだもんね)


 摩耶が一時間近くかけて、ビッシリと精霊文字を書き写したノートの一ページ。

 それは魔術を発動した負荷によって、見る間に黒ずんでいき、ついには脆く崩れ去ってしまった。


(何度やっても、紙じゃ一回で限界か……石版なら耐えられるみたいだけど、文字を彫る手間が大変だし、重くて持ち歩けないよね)


 家に置いて使う分にはいいが、漫画やゲームの魔術師のように、怪物と戦ったり大冒険を繰り広げたりするのはまず不可能。仮に石版を持ち歩けるだけの筋力があるなら、拳で殴った方が強い。

 紙ならば持ち運びは可能だが、魔物を倒せるほど高度で強力な魔術となると、四百字詰め原稿用紙換算で三十枚以上もの精霊文字を書く必要がある。

 それだけの文字を一言一句間違わずに書き、そんな苦労の結晶を一度の魔術で使い捨てるというのは、諸行無常が過ぎるというか、努力家の摩耶でも躊躇する苦行であった。


(呪文の詠唱だけとか、もっと手軽に使えたらな……)


 摩耶はまた溜息を吐きつつ、虚空に目をこらす。

 すると、書庫にもう一つの世界が重なるように、無数の淡い光が見えてきた。


「ねぇ、精霊さん?」


 ――…………。


 摩耶が声に出して問いかけても、無数の淡い光――精霊は何も答えない。

 言葉が通じていないというよりも、そもそも生物のような意志を持ち合わせていないのだろう。


(何だかな……)


 常人の目には映らず、魔術の才能を持った者だけが見られるというその光に、摩耶はそっと手を伸ばす。

 しかし、触れる事はできない。空気のような感触すらない。

 見えるものの実体はなく、特殊な文字でこちらの意志を伝えれば、世界を改変して何らかの現象を引き起こしてくれる万物の根源。それはまるで――


「ゲームのプログラムみたい」

「プログラムとは何ですか?」


 思わずこぼれ落ちた独り言に、背後から返事がきて、摩耶は驚いて振り返る。

 するとそこには、彼女達を異世界に召喚した張本人こと、無精髭の中年魔術師・セネクが立っていた。


「何だ、セネクさんか。脅かさないでくださいよ」

「これは失礼」


 胸を撫で下ろす摩耶に、セネクは頭を下げながら向かいの席に座り込む。


「それで、ゲームのプログラムとは何でしょうか?」

「えーと……」


 摩耶は返答に詰まってしまう。

 精霊を見る事ができるという、魔術師の才能は与えられたものの、肝心の使い方や精霊文字については何も知らなかった彼女に、セネクは書庫の中からおすすめの本を選んだり、時には私物の魔術書を貸してくれたりと親切にしてくれていた。

 一年後に彼女達を地球に帰すため、石造りのドームに刻まれた精霊文字を入れ替えるという、とても骨が折れる仕事をしているため、直接教えて貰う機会こそ少なかったが、摩耶にとっては魔術の先生みたいな存在である。

 なので恩があるのだが、この異世界を激変させてしまうかもしれない、地球の知識を迂闊に話していいのかと、躊躇してしまったのだ。


(でも、今さらか)


 摩耶が口を滑らせずとも、美少女お姫様や美人メイドに籠絡されたスケベ男子達などから、もう散々に地球の知識が流出している。

 なので、摩耶は諦めて語る決心をしてから、どう説明するか考え込んだ。


「まず、テレビゲーム、いやコンピューターゲームって言った方が正しいのかな? とにかくゲームっていう、絵が動いたり、音楽が鳴ったりして、こっちがボタンを押して、えーと……」

「あぁ、これの事ですか」


 テレビすら存在しない時代の人に、どう説明したものかと悩んでいた摩耶の前で、セネクはローブの中から小さな箱を取り出して見せる。

 それは、地球の情報流出における最大の戦犯こと、オタク少女・天園神楽がその異能で買い寄せたポケットゲーム機に違いなかった。

 おそらく、皇帝アラケルの手を経てセネクに渡ったのだろう。


「凄い代物ですよね。まるでこの小さな箱の中に、もう一つの世界が入っているようです。それに何より、とても楽しくて仕事の疲れが吹き飛びます」

「あっ、はい」


 子供のように目を輝かせて、ポケットゲームを握り締める髭面中年男の姿に、摩耶は一瞬恩義も忘れて真顔になってしまう。


(ゲーム機を見た中世の人と考えれば、むしろ自然な反応だろうし、説明の手間が省けて助かるけど)


 摩耶はそう思い直して話を元に戻す。


「そのゲームですけど、絵が動いたり音が出たりっていう動作の全てが、プログラム――プログラミング言語っていう、特殊な文字の連なりで出来ているんです」

「……ほぅ」


 子供のように無垢だったセネクの瞳が、一瞬で聡明な賢者のそれに切り替わる。


「このゲームという物は、プログラムという特殊な文字によって編まれていると?」

「はい、それがちょっと精霊文字と似てるなって……あははっ、変な事を言ってごめんなさい」


 何故だか嫌な予感がして、摩耶は笑い飛ばそうとする。

 けれども、セネクは話を逸らす事なく、真剣な表情で告げた。


「精霊文字と似た特殊な文字の連なりで作られた世界……つまり、この世界も精霊というプログラムで構築された、創造物ゲームの世界にすぎないと?」

「――っ!?」


 自分が無意識のうちに避けた不安をあっさりと言い当てられて、摩耶は背を震わせてしまう。

 そんな彼女の怯えを吹き飛ばすように、セネクはとても嬉しそうに笑った。


「はははっ、実に面白い。世界は違えど同じ人間同士、考える事は似通うものですな」

「えっ?」


 戸惑う摩耶の前で立ち上がり、セネクは書架から一冊の本を持ってくる。


「古くから伝わる創世神話の一つに、こんな物があるのです。この世界は原初の女神が見ている夢にすぎないと」

「へー」


 セネクが差し出してきた神話の本を受け取りつつ、摩耶は感心する。

 自分を含む世界の全てが、ゲームのように虚構かもしれない。それと似た発想はこの異世界にも昔からあったのだ。


「そして、女神の見ている夢の欠片こそが精霊であり、だからこそ、精霊に意志を伝える事で、この世界を改変できるのだ、という事なのです」

「なるほど」


 魔術の話にも繋がって、摩耶は深く頷いてからふと首を傾げる。


「あれ? でもその話が本当だとしたら、魔術って夢を変えるために、眠る女神様の耳元で囁いているようなものって事ですか?」

「はははっ、それだと魔術師は全員変態ですね。これは傑作だ!」


 そんなに愉快だったのか、手を打ち鳴らして大笑いするセネクの姿に、摩耶はつい苦笑を浮かべてしまう。


(でも、確かに面白い話だな)


 魔術なんて夢のようなものが実在する異世界に、地球人の摩耶達が召喚された。

 それは異世界の女神が見ている夢なのか、それとも、全ては地球で眠っている摩耶の夢なのか。

 胡蝶の夢みたいな考えが浮かんで、摩耶は試しに頬を抓ってみるが、ちゃんと痛みは走る。


(だからといって、これが現実という証拠にはならないけれど)


 この痛みも目の前の光景も、全ては培養液に浮かぶ脳に送り込まれた、電子信号による錯覚にすぎないのかもしれないが、それを証明する術はない。

 そんな不毛な思考に浸る摩耶の前で、セネクがゆっくりと席を立つ。


「もっとお話ししていたいのですが、勉強の邪魔をしても悪いですし、あまりうるさくすると叱られてしまいますので、そろそろお暇しますね」


 そう言って、こちらに鋭い視線を向けていた、司書の老人をチラリと窺う。


「あっ、ごめんなさい」

「いいえ、貴方は気にしなくていいんですよ。セネクは反省しなさい」


 慌てて謝る摩耶に、老人は孫を可愛がるように微笑んでから、再び魔術師を睨んだ。


「はははっ、老君は手厳しいですな」


 これ以上の説教は勘弁だと、セネクは早足で逃げ去っていく。

 そうして、静寂を取り戻した書庫の中で、摩耶は再び魔術書とノートを開いた。


(神話の本は寮に帰ってから読むとして、もう一踏ん張り頑張ろう)


 魔術を使えるだけという、他のクラスメート達に比べるとしょぼい異能だからこそ、有事のさいに皆の足を引っ張らないよう、できる限りの事をしておきたい。

 そんな思いから勉強に集中する彼女は、自身の危険性に全く気がついていない。

 魔術はより大きな現象を起こすほど、世界を改変した反動なのか、術者に多大な負荷が掛かる。

 百年に一人の逸材と期待されながらも、禁術に手を出したため破門された天才魔術師・セネクでさえも、『異世界人召喚』を成し遂げたさいは疲労のあまり昏倒し、数日間はベッドから起き上がれなかったほどなのだ。

 そんな魔術による反動が、摩耶には一切存在しない。

 まだ初歩の魔術しか試していない事もあって、本人も周囲もその異常性に気がついていない。


 そして、真面目で努力家な摩耶だからこそ、楽してズルをするという発想のない彼女だからこそ、気がついていないもう一つの危険性があった。

 魔術は精霊文字を石版に刻んでも、羊皮紙に羽ペンで書いても、ノートにボールペンで書いても発動する。つまり、形さえ合っていれば何でもいいのだ。

 ならば、人の手で書く必要すらない。

 活版印刷やインクジェットプリンターによって、大量に生産された呪文書が途切れぬ限り、負荷なしで無限に魔術を行使できる世界改変の魔女。

 そんな、原初の女神と大差のない恐るべき力を秘めている事に、摩耶もクラスメートも、セネクや皇帝すらも気がついていないのは、おそらく誰にとっても幸運な事であった。

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