第20話・金家成美《かねやなるみ》【絶対防御】

 青海王国の姫・アンジェが、その巧みな話術で味岡料助から情報を引き出し始める少し前、アース人達が暮らす屋敷の食堂では、少女の怒鳴り声が響いていた。


「ちょっと、何よこれはっ!」


 社長令嬢の金家成美が出された料理を指さして、給仕をしていたメイドを睨みつける。


「親子丼という料理だと伺っております」

「そんなの見れば分かるわよ!」


 メイドが真面目に答えると、成美はさらに目尻を吊り上げた。


「この私に丼物なんて貧相な物を出すなんて、侮辱もいい加減にしなさい!」

「……ちっ、またかよ」


 成美のヒステリックなワガママぶりに、食堂に集まっていたクラスメートの誰かが小声でぼやく。

 それを耳にした成美は、キッと周囲を睨みつけてから、再びメイドに向かって怒鳴った。


「とにかく、作り直しなさい!」


 こういう時、メイドは大人しく料助の元に向かい、理由を話して別の料理を作って貰うようにしている。しかし、今日は事情が異なった。


「申し訳ございません。料助様はただ今、青海王国からいらっしゃったアンジェ姫様を歓待する準備で忙しく――」

「はぁ、何よそれっ!?」


 メイドが最後まで言うのを待たず、成美は金切り声を上げる。


「この私よりもお姫様の方が大事だっていうのっ!?」

「……当たり前だろ、馬鹿」


 またクラスメートの誰かが小声でぼやいたが、それに成美がキレて叫ぶよりも早く、学級委員長の光武英輝が疲れた顔で立ち上がった。


「金家、その辺にしておけ」


 彼らがこの異世界に来てからまだ二ヶ月も経っていないが、彼が成美に向かってこの台詞を告げた回数は、とっくに両手の指を超えている。

 そして、大抵は火に油を注ぐ結果に終わっていた。


「うるさいわね。庶民共から英雄だの何だと持てはやされているからって、調子に乗ってんじゃなわいよ」

「そんな事はない!」


 英輝は思わず声を荒げてしまう。英雄と持ち上げられて、人間同士の戦争に利用されそうな現状を、彼こそが最も恐れていたからだ。

 しかし、そんな英輝の内心を知る由もなく、成美はただストレス発散に嫌味をぶつけ続ける。


「森を焼いた放火魔のくせに何が英雄よ。あーぁ、焼き殺された木や動物が可哀想」


 地球では親の金に物を言わせて、毛皮のコートや革のバッグを買い漁っていた成美に、自然破壊に涙する優しさなどあるわけがない。

 だが、今も罪悪感を抱えていた英輝は真面目に受け止めてしまい、反論の言葉を失ってしまう。


「くっ……」

「何よその嫌そうな目は。文句があるならお得意の剣で私を斬れば~?」


 成美が調子に乗って挑発するのは、英輝が自分を傷つけられないと確信しているからだった。

 それは彼が真面目な善人だからという性格の問題ではない。成美が得た異能の前では、何人たりとも彼女を害する事など不可能だからである。


「金家さん、喧嘩はいけませんよ」


 言い負かされた英輝を見かねたのか、三つ編みの学級委員長・洗平愛那がいつもの台詞と笑顔で割り込んでくる。

 その声は妙に心地よく、すさんでいたクラスメート達の心を落ち着かせていく。

 だがそれさえも、成美には何の影響もなかった。


「うるさいわね、この偽善者」

「ぎ、偽善者っ!?」

「あんたなんてお綺麗事を唱えるばかりで、実際には何もしてない偽善者じゃない」

「そんな……」

「あぁ、何もしてない事はないか。毎日クソとクソみたいなお説教は垂れてたっけ。いっそトイレで暮らせば?」

「ひ、酷い……っ!」


 成美の汚い罵倒に耐えきれず、愛那は涙を浮かべて食堂から飛び出していってしまう。

 それを見たクラスメート達は、一斉に怒りを爆発させた。


「お前な、マジで調子に乗りすぎだろ」

「いい歳こいて、言って良い事と悪い事の区別もつかないの?」


 四方八方から避難の声を浴びて、かつての成美であれば、流石に怯んで退散していた事だろう。

 だが、己の力に確信を持った今では、全て負け犬の遠吠えにしか聞こえなかった。

 何故なら、彼女は異能『絶対防御』によって、どのような攻撃でも傷つく事がないからだ。

 巨大な魔物さえ両断した英輝の光剣はもちろん、例え伝説のドラゴンが吐く火炎吐息ブレスだろうと、それこそ核爆弾であろうとも、成美の肌に毛先ほどの傷すら付けられないのである。


(社長令嬢で無敵の私に逆らおうなんて、庶民の分際でおこがましいのよ!)


 やはり自分は世界に愛された存在なのだと、成美は自尊心を肥大化させて、怒れるクラスメート達を逆に見下す。

 そうして、嫌な空気で満たされていた食堂に、颯爽と金髪の美青年こと皇帝アラケルが現れた。


「アラケル様っ!?」


 驚いて声を上げるオタク少女・天園神楽に、皇帝は一瞬だけ微笑みを向けると、すぐに生真面目な表情を浮かべて成美の前に立った。


「成美よ、何か不満があると聞いて来たのだが」


 アース人同士で本気の喧嘩になれば、屋敷どころか帝都が吹き飛びかねない。

 そのため、小さな諍いであろうとも、すぐ皇帝の耳に届けるよう徹底されていた。

 今回も成美が騒ぎ出した時点で、メイドの一人が密かに食堂を抜け出して、アンジェ姫と歓談中の皇帝に報告し、彼が自ら仲裁に訪れたのだった。


「其方の美しい顔を歪めてしまった原因とは、いったい何であろうか?」


 下手に出る皇帝の世辞に、成美は少しだけ機嫌を良くしながらも、あくまで不遜に言い返す。


「不満も何も、この私に庶民向けの安い料理を出すなんて、馬鹿にするのも大概になさい!」

「それは申し訳ない事をした」


 皇帝は謝罪を口にしながらも、成美が指さした親子丼に素早く目を向ける。

 こちらの世界、それも食材が豊かとは言えない白翼帝国では、決して安くない卵と鶏肉、そして神楽の異能で異世界から買い寄せた米を使い、天才料理人の料助が手がけた逸品である。

 それがどれだけ貴重かなど、成美には理解できないし、理解する気もないのだろう。


「親子丼、美味しいのに」

「あいつは不満を言いたいだけでしょ」


 二人の女子が騒動を横目に、美味しそうに料理を食べている姿が視界を掠めて、内心微笑ましく思う皇帝に向かって、成美はさらに不満をぶちまけた。


「それに、私よりもどこかのお姫様を優先したそうじゃない。自分達が卑劣な誘拐犯だって自覚が足りないんじゃないの?」

「……誘拐された人質はお前ほど尊大じゃねえよ」


 誰かが小声でツッコミを入れていたが、成美の耳に届いたとしても無意味であっただろう。

 先程の女子が指摘したように、彼女は人を見下し不満をぶつける事で、ただ自分の優越感を満たしたいだけなのだ。

 皇帝はそんな成美の性根をとっくに見抜いている。だから、無意味な反論などせずに、片膝を突いて頭を下げた。


「成美よ、不快な思いをさせた事、深くお詫びしよう。アンジェ姫との会談を中断して、こうして其方の元にはせ参じた事で、どうか許しては頂けないだろうか」


 帝国の皇帝という社長令嬢よりも遥かに偉い人物が、他国のお姫様よりも自分を優遇したという事実。

 そして何より、絶世の美青年が頭を垂れて許しを請うという絵面に、成美は痺れるような快感を覚えて満面の笑みを浮かべた。


「いいわ、今日の所は許してあげようじゃない」

「ありがとう」

「分かったらさっさと料理を作り直して、私の部屋まで持ってきなさい」


 礼を告げる皇帝の頭を気安く叩くと、成美は勝利の高笑いを上げて食堂から去っていった。


「あのクソ成金ッ!(ガリガリガリッ)」


 想い人に恥を掻かせたばかりか、まだ自分も触れた事がない金髪を叩いた成美に対して、神楽が憎悪のあまり箸をテーブルに突き立てる。

 皇帝はそんな彼女の姿に気がついて苦笑しながら立ち上がり、困惑した表情で固まっていた学級委員長に話しかけた。


「英輝よ、いつも皆をまとめるために尽力してくれた事、改めて感謝する」

「そんな、俺は何も出来なくて……」


 皇帝のお礼に対して、英輝は複雑な表情で言葉を濁す。

 自分達を戦争に利用しようとしている、決して信用できない相手なのだが、こうして騒動を仲裁するだけでなく、こちらに気を遣ってくれる善い部分を見せられると、拒絶する事もはばかられる。

 そんな英輝の善性から出る戸惑いに対して、皇帝は眩しそうに笑みを浮かべてから、他のクラスメート達にも声をかけた。


「皆も何か問題や不満があれば、気兼ねなく余に相談して欲しい。それでは、食事の邪魔をしてしまい失礼した」


 そう告げると、皇帝はメイド長のイリスを引き連れて、食堂から去って行くのだった。


「アラケル様、ステキ……♡」

「うちらの担任より年下だろうに、ずっと大人だよな」

「何を食ったらあんなイケメンに育つんだろ」

「それにしても金家の奴はさあ、何なの?」


 食堂に残された一年A組の面々が、騒がしく話し始める声を背に、皇帝は屋敷を出て帝城へと向かう。

 その顔には笑みさえ浮かんでいたのだが、後ろに控えたイリスの表情は氷のように冷たかった。


「……陛下」

「そう怒るな、美しい顔が台無しだぞ?」


 皇帝はそう言って、イリスの強張った頬を優しく撫でる。

 それで幾らか気が晴れて、彼女は普段の穏やかな表情に戻りつつも、堪えていた不満を吐き出した。


「陛下は甘過ぎます。いくらアース人とはいえ、あんなに傲慢で無礼な女を野放しにし、あまつさえ膝を突いてみせるなど、由緒ある皇帝の名が泣きます」

「ふふっ、手厳しいな」


 姉のように叱るイリスの姿が懐かしくて、皇帝はつい笑みを漏らす。


「確かに其方の言う通りだ。我が愛する臣民の前であれば、余が膝を屈する事は許されぬ」


 王や皇帝という統治者は、他者から侮られたら終わりの仕事である。

 統治者が民から軽んじられると、税の未払いや犯罪が横行して、国は瞬く間に衰退してしまう。

 そして何よりも、周辺諸国から容易いと思われて、攻め滅ぼされてしまうからだ。

 だから、統治者は時に虚勢であっても胸を張り続けなければならない。


「しかし、あの場にいたのは異邦人たるアース人と、我が手足たるメイド達だけであろう。己の半身に恥を詫びる必要はあるまい」

「屁理屈ですね」


 皇帝が自分達を半身とまで言ってくれた事に、イリスは身が震えるほどの喜びを感じつつも、それを必死に隠して反論する。

 そんな彼女の内心をどこまで見抜いているのか、皇帝は軽く微笑んでから、瞳だけを鋭く光らせた。


「それにしても、成美のような人物を召喚できたのは、実に僥倖であった」


 誰にも傷つけられない異能を持っているからと、皇帝すら見下すワガママ放題の少女。

 誰もが殺したいほど疎ましく思う存在を、彼が幸運だと喜ぶ理由は、冷静な打算からであった。


「成美という共通の敵がいる事で、余とアース人達の信頼が深まるのだからな」


 古来より、人は共通の敵を得た時に最も団結する。

 そもそも、集まって仲間を作るという行為自体が、一体では貧弱な生物が、強大な敵から身を守るために生まれた術なのだ。

 敵のために団結していたのが、団結のために敵を求めるというのも、面白い主客転倒である。


「初代皇帝陛下は他国を敵として侵略を繰り返す事で、アース人の刃が国内に向かうのを防いでいたが、今回はその手が使えぬ」


 学級委員長の英輝を筆頭に、彼らは人間同士の戦争を極端に忌避している。

 三百年前の悲劇を繰り返さぬため、狙ってそういう人物達を召喚したとはいえ、外に敵を作れず団結が困難というのは欠点であった。

 しかし、外ではなく内側に、それも帝国ではなくアース人達の中に、金家成美というどこまでも憎らしく、そして除去できない敵が現れてくれたのだ。


「余は何もしておらぬというのにな。幸運の女神に愛されているのではないかと、自惚れそうで怖いほどだ」


 皇帝は本心から幸運を喜んで笑う。

 だから、成美に膝を突いた事など気にするなと視線で告げて、アンジェ姫が待つ帝城の食堂に向かって歩き出す。

 イリスもそれ以上は何も言わず、皇帝の後ろに付き従った。





 その日の深夜、遊び人の鳥羽遊子すら眠って静まり返った屋敷の中を、イリスは一人の小柄なメイドを連れて進んでいった。

 向かった先は金家成美の部屋。合い鍵を使って扉を開けると、音も立てず中に滑り込み、ベッドの上で呑気にイビキ立てているワガママ少女の枕元に立つ。


「ラーナ」

「はい」


 イリスの声を受けて、小柄なメイド・ラーナはナイフを取り出して、眠る成美の腹に振り下ろした。

 しかし、ナイフの刃は成美に刺さる寸前で、不可視の壁に阻まれて止まってしまう。


「ふっ」


 ラーナは両足が宙に浮くほど体重をかけるが、ナイフは微塵も動かなかった。


「意識が無くとも働くとは、本当に凄い力ですね」

「だからこそ、あれほど傲慢に振る舞えるのでしょう」


 深く感心するラーナに、ナイフを仕舞うよう身振りで命じながら、イリスは全く起きる気配のない成美の顔を見下ろす。

 試してはいないが、毒の煙や死の魔術であろうと弾かれてしまうだろう。

 成美への攻撃は本当に全て無効化される、故にこそ『絶対防御』なのだ。しかし――


「ラーナ、足の方を持ってください」

「はい」


 イリスは頭の方に回って、二人がかりでベッドに手をかける。

 そして力を込めると、寝ている成美ごとベッドが持ち上がった。


「結構です」


 イリスは満足げに頷くと、そっとベッドを下ろす。

 そして成美の部屋を出て、忘れずに鍵をかけ直すと、屋敷を後にするのだった。


「イリス様、先程のあれは?」


 帝城に向かって真っ暗な庭を進みながら、困惑を浮かべて尋ねてくるラーナに、イリスは笑って答える。


「ただの憂さ晴らしです。いつでも殺せると分かっていれば、醜悪な雌鳥がわめいていても寛大な心で許せるでしょう?」


『絶対防御』に守られた成美を傷つける方法は、この世に存在しない。

 だがそれは、彼女が死なない事とイコールではないのだ。


「成美様の力は薄い壁のようなもので、体に直接触れるのは無理でも、ベッドやシーツごと運べるのです。ならば、鉄の箱にでも閉じ込めてしまえばよろしい」


 食事ができなければ一週間ほどで、水が飲めなければ三日ほどで、空気が無くなれば数分で人は死ぬのだ。

 どんなに無敵の盾で守られていようとも、生物である以上は『栄養が不足すれば死ぬ』という弱点は克服しようがない。

 そして、竜司や英輝ならば容易く破壊できる鉄の箱も、防御が完璧なだけで非力な成美には、脱出する手段がないのだ。


「拷問のような真似は悪趣味だと、陛下に叱られそうで嫌なのですが、他に方法がないのでは仕方がありません」


 ――嘘だ。陛下を侮辱した女を苦しめて、後悔の断末魔を上げさせたいくせに。


 ラーナはそう思ったが、この皇帝専属メイド長を怒らせると怖いので黙っておいた。

 ただ、そんな考えが顔に出ていたのだろう、イリスはラーナを軽く睨んでから言葉を付け足した。


「陛下は成美様が共通の敵として必要だと仰りました。今言ったような方法で害される事がないよう、むしろ警護を怠らないように」

「はい」


 ラーナも真面目な顔で頷き返す。

 彼女達は皇帝に仕えるメイドなのだ。殺したいほど憎い相手であろうとも、主の望みとあれば命懸けで守る。それがプロフェッショナルの誇りであった。

 とはいえ、メイドとて一人の女である。


「敵役とはいえ陛下に求められるなど、百万回殺しても飽き足らぬほど妬ましいかもしれませんが、決して私情を挟んではなりませんよ?」


 ――その注意は私じゃなくて、ご自身に言ってください。


 とても穏やかな笑みで告げるイリスに対して、ラーナはそう思ったが、自分まで鉄箱に閉じ込められるのは御免なので、黙って頷き返すのだった。

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