第19話・美食の姫

 白翼帝国の南には、海に面した青海王国が存在する。

 そこの姫である金髪縦ロールの少女・アンジェは、馬車に揺られながら深い溜息を吐いていた。


(この混乱した次期に帝国へ行って内情を探ってこいだなんて、お父様も無茶を言われますわ)


 帝国が異界の破壊者・アース人を再び召喚した事は、何十年も前から潜り込ませていた間者の報告によって、早い内から判明していた。

 しかし、アース人が本当に伝説通りの力を持っているのか、その力で帝国は何をするつもりなのか、詳しい事は掴めていなかったのである。

 そうしている間に起こったのが、かの常闇樹海焼失の大事件であった。


(巨大な『地中の支配者キング・クロウラー』すら屠ったと聞きますし、本当に伝説の破壊者ですわね)


 魔物すら超えた人外の存在。その実力を探るために、青海王国は最も腕利きの間者を潜り込ませようとしたが、残念ながら失敗に終わっていた。

 先に潜入済みの間者は、正体を隠して継続的に情報を送るのが最優先であるため、あまり深追いはできない。

 そのため姫であるアンジェが、王族という身分を利用して、真っ正面から堂々と探る事になったのだった。


(知らぬ仲ではありませんから、命の心配はないと思いますが、気が重いですわ)


 アンジェはまた溜息を吐いてしまう。

 今回の来訪は表向き、皇帝の妹であるリデーレの元に、彼女が一人の友人として遊びに行くという事になっていた。

 青海王国は昔から、『たとえ悪魔であろうと金を払うならお客様』という商売人気質な国であるため、三百年前に大災厄を起こしたという事から敬遠している他国とは異なり、帝国とも普通に貿易を行って良好な関係を築いている。

 そのため、アンジェも父親と共に建国式や皇族の誕生パーティーなどに招かれて、歳が近いリデーレとも顔を合わせており、何故か一方的に好かれてしまい、手紙のやり取りをするくらいには友好関係を築けていた。しかし――


(あの子、苦手なのよね)


 リデーレの無邪気な笑みを思い浮かべて、アンジェは三度目の溜息を吐く。

 王侯貴族の令嬢というものは、表では常に穏やかな笑みを浮かべながら、裏では醜聞を流して足を引っ張り合う、そんな醜く強かな生き物である。

 だというのに、リデーレは負の感情など生まれた時から持ち合わせていないとばかりに、真っ白い純粋無垢な態度で接してくるのだ。

 青海王国の姫として、笑顔の一つすら計算尽くで行うよう躾けられてきたアンジェにとって、リデーレは別世界の生き物すぎて、嫌いではないが疲れる相手であった。


(けれど、あの子から話を聞き出すのが一番なのよね)


 自分と同じかそれ以上に、全て計算で動いていそうな兄の皇帝アラケルと違って、妹のリデーレは天然で政治的な駆け引きなど頭にない。

 そのため、アース人の事を尋ねたら、ポロッと簡単に教えてくれるだろう。


(あまり露骨な質問をすれば、メイドに遮られるでしょうけれど)


 皇帝直属のメイド達が、ただ身の回りの世話をする従者ではなく、護衛や間諜としての訓練も仕込まれた精鋭である事を、アンジェは薄々察していた。

 上手く隠してはいる様子だが、立ち振る舞いの節々に、下級貴族の子女的なか弱さよりも、鍛え上げられた騎士の如き精強さが窺えるからだ。


(噂の七英雄以外にもどんな手駒を隠しているのやら、上手く探れれば良いのですが……)


 気が重くなり、もう何度目かも分からない溜息を吐くアンジェを余所に、彼女を乗せた馬車は白翼帝国の中へと入っていった。





 帝城に辿り着いたアンジェを、先触れの知らせを受けて待っていた、皇帝とリデーレが出迎えた。


「アンジェ姫、ようこそおいでくださった」

「久しぶりだね、元気そうでよかった」

「えぇ、お二人とも壮健なようで何よりですわ」


 勢いよく飛びついてきたリデーレを受け止めながら、アンジェは皇帝の背後を素早く窺う。

 しかし、見覚えのある騎士やメイド達が控えているだけで、アース人らしき姿はなかった。


(破壊者を引き連れて力を誇示する気はない、という事ですわね)


 千の騎士にも勝る化け物を、他国から訪れた賓客の前に連れてくるなんて、脅迫か宣戦布告としか思えない無礼行為である。

 もしもそんな真似をしていたら、アンジェが皇帝に抱いていた印象は地の底へ落ちていた事だろう。


「長旅でお腹が空いたでしょう? まずはご飯にしましょう」

「リデーレ、友人とはいえお客様の前なのだからお淑やかにしなさい」


 アンジェの手を引いて走り出すリデーレを、皇帝が苦笑を浮かべて叱る。

 そんな兄妹の姿を見て、アンジェは心の中で安堵の溜息を吐く。


(お二人とも本当に変わった様子がない。過ぎた力に狂わなかったのは、素直にありがたいですわ)


 アース人の力を手にした白翼帝国が、青海王国に攻め込んでくるという、最悪の展開は避けられそうだった。


(仮にそんな事になれば、こちらとてタダでは済ませませんけれども)


 単純な国力だけで言えば、海上貿易によって莫大な富を築いている青海王国は、白翼帝国の二倍以上もある。

 そして、貿易国として築いたツテを総動員して、周辺諸国をまとめて対抗すれば、帝国側に大損害を与える事が可能だった。


(アース人を倒せずとも、帝国を滅ぼす事はできますわ)


 伝説の化け物集団に軍隊をぶつけるなんて、真っ正直に戦う必要はない。

 各地の村々を襲い、畑を焼き払い、井戸を汚物や毒で汚染し、村人を殺したり誘拐して、帝国の基盤を滅茶苦茶に破壊していけばよいのだ。

 それでもアース人達の力には抗えず、いずれ敗北を喫するだろうが、その頃には帝国も国として成り立たないほどに崩壊しているだろう。

 そして、疲弊しきった帝国は、東からの侵略者によって滅ぼされる――という最悪の展開になる事は、皇帝も絶対に避けたいはずだ。


(昔から聡明な方でしたから、そんな馬鹿はしないだろうと思うものの、この世に絶対はありませんものね)


 人は善くも悪くも変わるものだという事を、アンジェは若い身ながらも理解している。

 今のところは大丈夫そうだが、この美しい青年皇帝が力と野心に酔って狂い、三百年前と同じ悲劇を繰り返す可能性も、決してゼロではないのだ。

 そう思って気を引き締め直しているうちに、アンジェはリデーレに手を引かれて食堂へと辿り着く。


「ねぇ、アンジェは最近何か変わった事あった?」

「そうですわね、ラコンテ伯爵の誕生日パーティーに招かれまして――」


 円卓に着いて料理が来るのを待つ間、元気に話しかけてくるリデーレに、アンジェは笑顔で対応する。

 皇帝はそんな二人を見て、無言で優しい微笑みを浮かべていた。


(アース人の話を振るのは尚早ですわね)


 天然な妹の方はともかく、聡明な兄の方は彼女が訪れた理由を察しているだろうから、無理に隠す必要はない。

 とはいえ、あまりがっついては足元を見られてしまうだろう。

 アンジェがそんな事を考えつつも、リデーレの振る雑談に応じていると、ノックの後に食堂の扉が開かれて、一人のメイドが現れた。


「ご歓談中のところ、失礼致します」


 メイドはそう謝罪すると、皇帝の元に歩み寄って耳打ちする。

 それを聞いた皇帝は、ほんの一瞬だけ眉を寄せると、すぐに苦笑を浮かべて立ち上がった。


「申し訳ない、急ぎの用事ができてしまったため席を外させて頂く」

「え~っ」

「余の事は気にせず食事を楽しんでくれ」


 不満そうに声を上げるリデーレの頭を、皇帝は優しく撫でて宥めると、アンジェに向かって頭を下げてから、メイドと共に食堂から去っていった。


(何があったのかしら?)


 アンジェは内心首を傾げる。一国を束ねる皇帝ともなれば、急な用事の一つや二つは飛び込んでくるものであろうが、隣国からの賓客を持て成すよりも重要な用事など、そう多くはない。


(ひょっとして、アース人が何か問題を起こしたのかしら?)


 そう思い、どうにか探る方法はないかと思案していると、再び食堂の扉が開いて、メイドが料理を載せた台車と共に現れた。


「わあっ、待ってました!」

「姫様、はしたないですよ」


 大喜びで手を叩くリデーレを、メイドは優しく窘めながら、円卓に皿を並べていく。

 その並べられた鮮やかな料理を目にして、アンジェの眉がピクリと動いた。


(何がありましたの?)


 白翼帝国の料理はさして美味しくない。そもそも、食材が豊富ではないため、美味しい料理を作るのが難しい国なのだ。

 内陸で海がないため海産物が採れず、北の山脈は鉱山資源こそ豊富だが森林が少ないため、山菜採りや牧畜もろくにできない。そして、自然が豊富な西の常闇樹海は、危険な魔物だらけで近寄る事もできなかった。

 ここまで自然の幸に見放された国もそうそうないだろう。

 ともあれ、帝国の料理といえば麦のパンや粥を主食に、イモやマメを副菜として、麦のビールを飲むという、彩りのないメニューが一般的である。

 流石に帝城で出される料理はもう少しマシであったが、それでも豊富な海の幸と、他国から様々な食材や調味料が集まる青海王国とは、比べ物にならないほど貧相であった。なのに――


(こんなにも美味しそうで、私が見た事もないような料理まであるなんてっ!?)


 本当に何が起こったのだと動揺しながらも、アンジェは目の前に並べられた料理を隅々まで観察する。


(この赤いゼリー状の物は、ひょっとしてニンジンやトマトから作っているのかしら? メインは鶏もも肉の煮込でしょうけれど、嗅いだことのない甘酸っぱい香りがしますわ。そして茶色・白・赤と三色の層が一体となったデザートらしき物など、何を使ってどう作ったのやら……)


 素材、調味料、調理方法と、どれも未知に溢れている。

 そんな疑問のあまり料理を凝視するアンジェを余所に、リデーレは遠慮無くスプーンを伸ばした。


「う~ん、美味しい! アンジェは食べないの?」

「いえ、頂きますわ」


 リデーレに促されて、アンジェもスプーンを手に取り、まずは赤いゼリー状の物を口に運ぶ。


(やはり、トマトをゼリー状にした物でしたわね。けれども、トマトの酸味を引き締めるピリッとした味わいと香りは、まさかコショウッ!?)


 アンジェの目が驚愕に見開かれる。コショウは大陸の南東部にある熱帯地方で、細々と作られている香辛料である。

 生産地から遠い西方では、同量の金が必要とまでは言わないがかなり高価で、一部の富豪しか口にできない代物であった。

 ただし、彼女が驚いたのは調味料の高価さではなかった。


(我が国で仕入れ、他国に輸出している物とは風味が違う。いったいどこから入手しましたの?)


 まさか青海王国すら知らぬ南東部の生産地と、秘密裏に独自の交易路を築いたのかと、アンジェは戦慄してしまう。

 オタク少女・天園神楽の異能『ネット通販』によって仕入れた、安くて美味しい地球産のコショウだとは、流石に分かるはずもない。


(鶏もも肉の煮込みにも、酸味と甘みを引き立てる、何か分からない調味料が使われていますし)


 それが地球産のバルサミコ酢という事を知らないアンジェは、言いようのない悔しさを覚えつつも、頬が落ちるような美味さに自然と笑みを浮かべてしまう。


(そしてこのデザート。赤は酸っぱく、白は乳の風味があり、黒は苦くも甘いと、三つもの異なる味が共存しているなんて、本当にどうやって作っていますのっ!?)


 イチゴ、チーズ、チョコのクリームを冷やして固めたテリーヌなのだが、冷蔵庫が存在しないこの世界では、北方の雪国でもないと作れない料理なため、温暖な青海王国で生まれ育ったアンジェでは考えもつかない。

 そして、まさか料理を作るためだけに、『氷使い』の異能を持つアース人に協力を頼んだなんて事も、想像できるはずがなかった。


(知らない調味料や調理法にばかり目を惹かれますけれど、料理人の腕も素晴らしいですわ)


 アンジェの予想でしかないが、どれも分かってさえしまえば、そこまで作るのが難しい料理ではないのだろう。

 ただ、目の前に並んだ物と同じ味や食感を再現するのは不可能に違いない。

 それくらい、素材の切り方から火の通し方まで、一分の隙もなく仕上げられた、完成形とでもいうべきオーラが感じられたのだ。


(おそらく、この料理人が作った物ならば、ただの野菜煮込みすら極上の美味と化しますわね)


 そう戦慄めいたものを感じ、額に一筋の汗を浮かべるアンジェを余所に、リデーレは早くも食べ終わって無垢な笑顔を浮かべていた。


「はぁ~、美味しかった。アンジェはどうだった?」

「えぇ、とても美味ですわ。ありがとうございます」


 内心の敗北感を押し隠し、アンジェは優雅な笑みで礼を告げる。

 そして、自然な様子を装って切り込んだ。


「こんなにも素敵なお料理を作ってくださった方に、是非とも直接会ってお礼を申し上げたいですわ」

「料助に会いたいの? じゃあケルース、悪いけど呼んできて貰える」


 アンジェのお願いを受けて、リデーレは壁際に控えていたメイドに声をかける。


「姫様、それは――」

「どうかお願い致します」


 やんわりと止めようとするメイドに最後まで言わせず、アンジェは上目遣いで頼み込む。

 他国の姫君がここまで求めているのだ、一介のメイドに断る権利などない。


「畏まりました、少々お待ち下さい」


 頭を下げて食堂から去って行くメイドの背中を見送りながら、アンジェは内心ほくそ笑む。


(料助という聞き慣れない名前に、メイドのあの態度からして、やはりこの料理にはアース人が絡んでいますのね)


 最近急に召喚された異世界人と、急に現れた見た事もない美食。

 その二つを結びつけて考えるのは、アンジェでなくとも当然の話であった。


(破壊の使者だけかと思っていましたが、料理もするのですね)


 よくよく考えると、常闇樹海を焼き払った七英雄の中には、どんな怪我や病気も治す聖女がいたという噂が立っていた。

 ならば料理人がいても不思議はないかと、アンジェはアース人に対する印象を改める。

 そして、リデーレと料理の感想を話し合っていると、メイドが一人の少年を連れて戻って来た。


「あの、俺に用事だとか……」


 他国のお姫様に呼ばれたと聞いて、オドオドと落ち着きのない様子で現れた黒髪の少年に、アンジェは席を立って歩み寄る。


「貴方が先程のお料理を作ってくださった方ですのね。とても美味しかったですわ」

「こ、光栄です」

「申し遅れましたが、私は青海王国の国王ブラーヴの娘・アンジェと申します。貴方のお名前を伺ってもよろしいかしら?」

「りょ、料助、味岡料助です」

「では料助様、よろしければお料理の事など、私達に話して聞かせて貰えませんか?」


 アンジェはそう言って微笑み、料助の手を引っ張った。

 メイドは止めたそうな表情を浮かべていたが、やはり他国の姫君に無礼を働くわけにもいかず、渋々と壁際に控える。

 そして料助本人はというと、美少女のお誘いを断る勇気はないようで、アンジェとリデーレに挟まれる形で円卓に座った。


「ねぇねぇ料助、あの酸っぱくて甘くて苦いけど美味しい三色のデザート、凄く良かったわ。いったいどうしたらあんなに不思議な物を作れるの?」

「あれはですね、イチゴやチョコのクリームを冷やして――」


 アンジェが話を振るまでもなく、リデーレが興味津々で料理の事を尋ねて、料助が頬を赤くしながらそれに答える。

 それを見て、彼女はすぐに気がついた。


(この方、リデーレを好いていますのね)


 アンジェは苦手に思っているが、男受けの良い性格だし、何より絶世の美少女である。若く純情そうな料助が惚れ込むのも無理はない。


「ふふっ、リデーレと料助様はとても仲がよろしいのね」

「えっ!?」


 アンジェがそれとなくおだてると、料助は驚きながらも嬉しそうに口元を緩める。

 それを見て、リデーレは無邪気な笑みを浮かべた。


「うん、とっても仲が良いお友達なのよ。アンジェも仲良くしてね?」

「えぇ、リデーレの友人とあらば、私の友人も同然ですわ」


 アース人と個人的な繋がりを築けるなど、これ以上はない好機である。

 リデーレの天然に感謝するアンジェの横で、料助は少し引きつった笑みを浮かべていた。


「と、友達なんて恐縮です、あはは……」


 謙遜ぶっているが、惚れた少女に全く気がない素振りをされて、落ち込んでいるのがバレバレであった。


(お気の毒様ですわ)


 リデーレの天然に振り回される者同士、アンジェは料助に共感を抱きつつも、青海王国の姫として職務を果たすため、アース人の情報を探りにかかるのだった。

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