第15話・凱旋
常闇樹海に放たれた炎は七日間も燃え続けて、広大な森林の半分以上が灰となった。
そんな焦土と化した樹海を、騎士団長アークレイは小高い丘の上から眺めて満足そうに頷く。
「これで西方の脅威が取り除かれた」
炎と煙に巻かれて無数の魔物達が焼死体と化し、山火事から逃げて西へ向かった魔物達も、先に住んでいた魔物達と殺し合いになっている。
そして、縄張り争いに負けて、火が消えた樹海から東側に出てきた間抜けな者達は、今まさに死体と化していた。
「本当に大したもんだ」
アークレイは焼け果てた樹海から、その手前にある荒れ地へと目を移す。
そこでは百を超える
「はっ! せいっ!」
オークが振るう巨大な棍棒を、武美は紙一重で避け、最小限の動きで首や心臓を貫いていく。
「おぉぉぉ―――っ!」
対する力也は雄叫びを上げて、怪力の化け物と恐れられるオークを、紙のように千切り捨てていった。
「討伐には三倍の騎士が必要で、半数は帰って来られないと言われるオークがこれだ」
「どちらが化け物か分かりませんな」
アークレイの背後に控えていた騎士の一人が、思わず青い顔で呟く。
これでも大人しいくらいなのだ。今日は後ろで観戦している火野竜司や光武英輝達も加われば、オークが千体いたところで一時間ともたないだろう。
今は周囲にアース人がいないため、普段は押し隠している恐怖を正直に吐露する部下達を、アークレイは叱ったりせずに笑いかける。
「確かに、俺達なんざ蟻よりも簡単に殺せる化け物だが、魔物と違って話が通じるし、何よりお嬢ちゃん達は可愛らしい」
「えぇ、本当に可憐だ」
練習試合で負けて以来、武美にぞっこんの優男・ルルススが真顔で頷くのを見て、他の騎士達は思わず笑い声を上げる。
彼らも騎士とはいえ人間だ。生物の本能として自分を殺せる強者を恐れる。
だが誇りある騎士だからこそ、帝国の脅威を討ち払ってくれた恩人達に対して、失礼な態度を決して表に出さず、敬意と賞賛を示しているのだ。
「さて、そろそろ戻るか」
武美が最後のオークを斬り倒したのを見届けて、アークレイ達は丘の上から退散する。
「念のためあと四日、様子を見たら帝都に戻るぞ」
それだけの間、燃え残った樹海から出てくる魔物を駆逐しておけば、暫くは安全だろう。
その時間を利用し、英雄達を一度帝都に帰す必要があったのだ。
「ウェール、先に戻って陛下にお伝えしろ」
「お任せください」
若い騎士が馬を走らせるのを見届けて、アークレイ達は武美達の方に向かった。
「よう武美、今日も格好良かったぞ」
「それが女子に言う褒め言葉か?」
「はははっ、返り血に染まった奴が女を語るか」
しかめ面をする武美を見て、アークレイは大声を上げて笑う。
それからタオルを取り出して、彼女の髪についたオークの血を拭き取った。
「ほれ、綺麗な黒髪が台無しだぞ」
「馬鹿っ、やめろっ!」
顔を真っ赤にして怒鳴りながらも、強くは抵抗しない武美を見て、騎士達は一斉に心の中で思う。
――こりゃあ、ルルススに勝ち目はないな。
慌てて武美に駆け寄るが、素っ気なくあしらわれる優男に、騎士達は哀れみの視線を送るのだった。
◇
アークレイの部下から報告を受け取った皇帝アラケルは、「明日の夕刻、広場で重大な布告を行うので、国民はできる限り集まって欲しい」と御触れを出した。
そして翌日の夕方、広場に詰めかけた大勢の人々の前に、皇帝は深紅のマントをひるがえして現れた。
「我が親愛なる帝国の臣民達よ、今日はよく集まってくれた」
演壇の上に立ち、赤い夕日を背負って黄金の髪を輝かせる美青年の姿は、それだけでも見に来た甲斐があったと確信するほど美しく、聴衆を恍惚とした気持ちにさせた。
そんな国民達の耳に、魔術師セネクの魔術によって拡大された皇帝の声が響き渡る。
「皆も既に噂を聞き及んでいるであろうが、改めてここで宣言しよう。余は帝国に伝わる秘術によって、異世界・アースより勇敢な英雄達を招き寄せた」
「やっぱり、そうだったのか!」
聴衆の間にざわめきが起こる。三百年前に帝国を大陸の支配者にまで成長させ、そして崩壊させた原因でもあるアース人。
その存在に対する恐れは、他国に比べれば薄いものの、帝国の民衆にも根付いていた。
動揺する人々に向かって、皇帝はあくまで穏やかに語りかける。
「我が愛する臣民達よ、恐れる事はない。この度招かれたアース人達は皆善良で、我らが帝国のために力を尽くしてくれている」
半分は嘘である。高慢な社長令嬢・金家成美をはじめ、帝国に非協力的な者達もまだ多い。
だが、そんな事実は露ほども見せず、皇帝は堂々と言い切った。
「その証拠として、我らを長年苦しめてきた常闇樹海とそこに巣くう魔物達を、紅蓮の炎で焼き払い、輝く剣で斬り裂き、帝国に平和をもたらしたのである!」
「えぇっ!?」
人々は揃って驚愕を浮かべる。邪悪な魔物が跋扈する樹海は、踏み入れば必ず死ぬ危険地帯であり、あの世と変わらない場所として恐れられてきたからだ。
それがほんの数日で無くなったと言われても、そう簡単には信じられない。
だが、戸惑う聴衆の中にいる何人かが、皇帝の言葉に同意を示した。
「本当だよ、俺はこの目で見てきたから間違いない。常闇樹海が黒焦げになってたんだ」
「俺も故郷の村が心配で近くまで見に行ったら、アース人らしき奴らが凄い勢いで魔物を退治していたぞ」
「じゃあ、本当に樹海も魔物も……」
証言者の半分は皇帝が用意させたサクラであったが、本当に無関係な旅人や商人も交じっていた。
そして何よりも事実である。皇帝の堂々とした振る舞いもあって、人々は徐々に話を信じ込んでいった。
「西の脅威であった常闇樹海と魔物達が取り除かれて、我らが帝国はさらなる繁栄を遂げるであろう。これも全て善きアース人達のお陰である」
皇帝は重ねてアース人が善だと念押しし、国民達を安心させる。
「仮に東から赤原大王国が攻め込んで来たとしても、アース人達の力をもってすれば敵ではない」
本人達が人間同士の殺し合いを忌避しており、今のままでは参戦が望み薄だからこそ、皇帝は敢えて力強く断言した。
これを聞いた人々は、本当に赤原大王国が攻めて来た時、揃ってアース人達に助けを求めるに違いない。
そして、平和な世界で育ったお人好しの彼らに、すがりついてくる子供や老人の手を振り払える者は少ないと、皇帝は既に看破していた。
「西の脅威を取り除いたアース人達は、数日の内に凱旋を果たす。我が国に光をもたらした新たな英雄達を、皆も盛大に出迎えて欲しい」
「「「おぉーっ!」」」
人々は揃って拍手を送り、皇帝の声に応えるのだった。
◇
皇帝の演説から三日後、帝都に帰ってきた一年A組の面々を、国中の人々が大歓声で出迎えた。
「アース人、万歳! 新たな英雄、万歳!」
「キャーッ! こっちを見てーっ!」
馬車に乗って大通りを進む英輝達を見に、すし詰めとなって集まった大勢の人々が、黄色い声を上げて花片を振りまき、彼らの帰還を祝う。
それを目にした英輝は、喜びよりも戸惑いの方が大きかった。
「ここまでしなくても……」
「君達は樹海の魔物から我が国を救ってくれたのだ。このくらいは当然だろう?」
自分がした事の大きさをまだ理解していなかったのかと、苦笑するアークレイの横で、風越翔太は観衆に向けて呑気に手を振り返す。
「あははっ、まるでオリンピック選手みてー」
「恥ずかしい……」
皆の軽い擦り傷を治したりしたくらいで、あまり活躍の場がなかった薬丸志保は、自分だけ場違いな気がして俯いてしまう。
そんな彼女を土岡耕平が慰める後ろで、金剛力也は自分に向けられる人々の笑顔を呆然と見回していた。
「皆が、俺を……」
訓練された騎士達は褒めてくれたが、無力な一般市民達は自分を恐れるのではと身構えていたので、絶賛されるとは思ってもいなかったのだ。
自分の妹と同じ年頃の少女と目が合って、輝くような笑みを向けられた力也は、堪らず目尻に涙を浮かべてしまう。
「うぅ……」
「お前は存外、泣き虫なのだな」
武美が苦笑を浮かべながら、前と同じようにハンカチを差し出す。
そうして、割れるような歓声に包まれながら、彼らの乗った馬車はゆっくりと進み、広場に設けられた表彰台の上で待つ、皇帝の元へと辿り着いた。
「さあ、こちらへ」
先導するアークレイに従って、英輝達が揃って表彰台に上がる。
若い英雄達の姿を目にして、広場に詰めかけた何千何万という人々から地響きのような歓声が響いてくる。
それが落ち着くのを待ってから、皇帝は魔術で拡大された声を上げた。
「我が愛する臣民達よ、彼らが魔物の脅威から帝国を救ったアース人達である」
「「「おぉーっ!」」」
またも歓声と拍手が鳴り響き、こういう場に慣れていない志保や耕平がガチガチに固まるのを見て、皇帝は微笑を浮かべる。
「彼らに対する感謝は、幾万の言葉を尽くしても足りないが、戦いの疲れも溜まっているであろうし、長々とした謝辞は省略させて頂く」
そう言って、既に退屈そうな表情を浮かべていた火野竜司に目を向ける。
「竜司よ、ここに集まった者達は不幸にも其方らの力を知らぬ。空に炎を打ち上げて、皆に力を知らしめてやっては貰えまいか?」
「はっ、見世物にされんのは嫌いなんだがな」
竜司はそう言いつつも、不良として世間から嫌悪されてきた自分が、人々から英雄と称えられるのが可笑しかったのだろう。
ニヤリと笑みを浮かべると、巨大な火の玉を天に向かって撃ち放つ。
それは上空で破裂して、まるで花火のように青空を赤色に染め上げた。
「うわーっ、綺麗っ!」
「これがアース人の力……」
子供達は大喜びで目を輝かせ、大人達も常闇樹海の件は本当だったのだと改めて実感する。
そうして、アース人の存在を確信した国民達に向かって、皇帝は締めの言葉を叫んだ。
「アース人、万歳。白翼帝国に栄光あれ!」
「「「アース人、万歳。白翼帝国に栄光あれ!」」」
護衛の騎士達が復唱した言葉が、民衆達にも伝播していき、国中に響き渡るほどの大合唱へと成長していく。
それに戸惑ったり恥じらったり、あるいは満足そうに笑うアース人達を眺めながら、皇帝は密かに気を引き締める。
(まだ始まったばかりにすぎぬ)
西の脅威を取り除く事には成功したが、まだ赤原大王国という東の脅威が残っている。
また、アース人という強大な戦力を手に入れた帝国を危ぶみ、今は友好的な周辺諸国が攻め込んでく可能性もゼロではない。
魔物はともかく人殺しには強い忌避感を抱くアース人達を、戦争に参加させる手段を講じておかなければ、帝国は攻め滅ぼされてしまうだろう。
(汚れを知らぬ異界の若者達に屍を築かせるか。余の死後は地獄行きであろうな)
だが、どれだけ罪深かろうとも、愛する帝国の臣民を守るためなら何でもすると誓い、こうしてアース人を召喚したのだ。今さら立ち止まる事など許されない。
歓声を上げ続ける人々に、皇帝は笑顔で手を振りながらも、冷静に次の計画を練るのであった。
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