第12話・金剛力也《こんごうりきや》【鋼の肉体】
――近寄らないでっ!
決して忘れる事のできない、少女の悲鳴が頭の中に木霊するのと同時に、体が大きく揺れて、巨漢の高校生・金剛力也は微睡みから目を覚ます。
「ここは……」
「お前、よくこの状況で寝れんな」
寝ぼけて目蓋をこする力也に対して、前に座った金髪の不良・火野竜司が呆れ果てた顔をする。
その間もガタゴトとうるさい音が鳴り響き、体が上下に揺れ続けて、力也は自分が馬車に乗って荒れ地の中を進んでいた事を思い出す。
「そうだ、西の村が魔物に襲われたとかで……」
二日前の朝、皇帝アラケルの口からそう聞かされて、戦える異能を持った生徒達が協力を求められた。
同じ人間ではなく魔物とはいえ、本当の殺し合いになると言われて、怯えて断る者も多かったが、協力を約束していた学級委員長・光武英輝を初め、暴れたくてうずうずしていた竜司など、七名の生徒達が十数名の騎士団と共に西へと向かったのである。
「ったく、魔物と戦う前にケツが割れて死にそうだぜ」
竜司が尻を浮かして愚痴を漏らす。
日本の平らに舗装された道路と違って、石ころや凸凹が多い道を、サスペンションやゴムタイヤも無い馬車で進んでいるのだから、乗り心地が良いはずもない。
そんな彼に対して、剣道少女・剣崎武美が溜息を吐く。
「この程度で弱音を吐くとは、軟弱者め」
「あぁ?」
竜司の目が険しく尖り、指先に赤い炎が生まれる。
そんな険悪になった空気を、馬に乗って馬車と併走していた騎士団長・アークレイが笑い飛ばした。
「はははっ、竜司殿の言う通りだぞ。お前も股の膜が破れぬよう気をつけろよ」
「なっ!?」
「おっと、もう誰かに破られていたか?」
「この不埒者が。私をそんなふしだら娘だと思っていたのかっ!」
武美は顔を真っ赤にして怒鳴るが、それは墓穴を掘る行為であった。
「はっ、処女だって自白してんじゃねえか」
「まぁ、剣崎は処女だよな」
「うちのクラスで経験済みの女子って、遊び人の鳥羽くらいじゃね?」
「……最低」
竜司が笑い、サッカー部員の風越翔太と、その友人・土岡耕平がヒソヒソと囁き合い、それを耳にした医者の娘・薬丸志保が嫌悪の表情を浮かべる。
そうして、他の者達が無駄話に花を咲かせている間も、力也は先程見ていた夢を思い出して、大きな体を丸めてうつむいていた。
「真奈美……」
「金剛、大丈夫か?」
隣に座っていた委員長の英輝が、心配して顔を覗き込んでくる。
「妹さんの事が心配なら、無理に参加せずともいいんだぞ?」
彼が戦いで死んだら、地球に残してきた妹・真奈美が悲しむだろうと、そういう事を言いたいのだろう。
英輝の気遣いに感謝しながらも、力也は苦い表情で首を横に振った。
「大丈夫だ、問題ない」
強がりではない。そもそも、英輝の気遣いは的外れであった。
妹の真奈美が兄である力也の身を心配する事など、絶対にないのだから。
「そうか、ならいいが」
あまりしつこく聞くのも悪いと思ったのか、英輝はまだ心配そうな顔をしながらも口を閉じる。
それを申し訳なく思っていると、馬車が急に停車した。
「馬達が怖がっている。ここから先は歩いて行こう」
先程まで談笑していたアークレイが、険しい表情で馬から降りて、道の先にある丘を見上げる。
そんな騎士団長の様子から、力也達も戦場が近づいてきた事を悟った。
「ようやくかよ。ケツが割れる前で助かったぜ」
嬉しそうに飛び降りる竜司に続いて、力也達も馬車から降りる。
そして、馬達の護衛に数名の騎士を残して、緩やかな丘を登っていった。
十分ほどかけて丘の上に到達すると、視界が開けて畑に囲まれた小さな農村と、その後方に流れる川、そして遥か地平線の彼方に広がる樹海が目に飛び込んでくる。
「あれが目的地のコルヌー村と、魔物が潜む常闇樹海だ」
「…………」
相当な距離があるというのに、恐ろしい化け物の声が響いてきそうな、昼間でもなお暗い樹海の姿に、力也達は思わず言葉を失ってしまう。
そんな彼らの前に立って、アークレイが淡々と語る。
「大昔に色々とあって、陛下のご先祖様が逃れてきたこの西方の地は、枯れた荒れ地ばかりだったんだと」
元々、樹海の魔物を監視するための砦――現在の帝城があるだけで、街などない場所だったという。
「そこを必死に開拓して、ようやく今の帝国にまで成長できたわけよ」
だが、人が増えて国が大きくなれば、避けられない問題が発生する。
「お陰様で、もうまともに開墾できそうな土地が、こんな場所しか残っていなくてな……」
他国に戦争を仕掛けて豊かな土地を奪う力が無いのならば、危険を承知で樹海の近くを切り拓いていくしかない。
そうして作られた村の一つが、このコルヌー村
「…………」
悲痛な表情の騎士団長に、力也達は何も言えずに黙り込む。
その時、丘の下から強い風が吹いてきて、コルヌー村の方から腐った生ゴミのような臭気が流れてきた。
「うぐっ……何この臭い」
思わず口を押さえる志保に、アークレイが険しい表情で告げる。
「お嬢ちゃん、馬車の所まで戻ってていいぞ」
「でも、誰か怪我人がいたら――」
「残念だがあの村にはもう、お嬢ちゃんが治せる奴は残っていねえよ」
「えっ……それって、まさか……」
一拍置いてその意味を理解し、言葉を失って震える志保の背中を、騎士の一人が優しく押す。
「志保殿、戻りましょう」
「だ、大丈夫です、行きます」
志保は顔を青ざめながらも騎士の手を拒む。
アークレイもそれ以上は何も言わず、村に向かって歩き出した
注意深く警戒する騎士達を先頭に、まだ青々とした麦畑の間を進み、村の建物がよく見える距離まで近づくうちに、力也達も腐敗臭の原因に気がついてしまう。
家の壁や周囲の地面が、乾いて黒くなった大量の血で汚れていたのだ。
「これ、村の人達は……」
医者を目指しているからこそ、血液の量から生きている村人がいないと悟り、志保はショックのあまり蹌踉めいてしまう。
そして、道を踏み外して麦畑の中に入ってしまった足が、ゴツッと何かに当たった。
「ひゃっ!」
志保は驚いて足を引きながら、反射的にそれを見てしまった。
片目をえぐり抜かれて、その苦痛と無念で酷く歪んだ表情のまま、虫にたかられている男の生首を。
「いやあああぁぁぁ―――っ!」
アークレイ達が止める暇もなく、志保が甲高い悲鳴を上げてしまう。
その声が響き渡るのと同時に、家々の閉じられていた扉が勢いよく開いて、村人を皆殺しにした襲撃者達が姿を現した。
成人男性より頭二つほど低く、緑色の肉体は痩せて見えるが、危険な樹海で生き抜いてきただけあって強い力を秘め、簡単な道具を使う知能も併せ持った、人間に最も近くて遠い醜悪な魔物。
「やはりゴブリンか」
アークレイ達が素早く剣を構えるなか、力也の視線は一体のゴブリンに釘付けとなっていた。
その手には、小さな少女だったものが握られていた。
顔は醜く腫れ上がり、腰から下は切り落とされて、全身に歯形がついた食いかけの死体。
それを見た瞬間、決して忘れられない黒い記憶が、洪水のように溢れ出してきた。
力也達の父親が交通事故で亡くなってから三年後、母親はある男と再婚した。
既に中学二年生だった力也はともかく、まだ小学六年生だった妹の真奈美には、父親が必要だと思ったのだろう。
また、母親一人で二人の子供を育てるのは、やはり経済的に厳しかったのだろう。
義父となった男は若い会社員で、酒に酔ったり博打にはまったりする事もない、普通の善人に見えたので、力也はわだかまりを呑み込んで歓迎した。
しかし、妹の真奈美は何故か義父を嫌って近づこうとしなかった。
「義父さん、何か変な目で私を見るの」
そう言って怯える妹を、力也は笑って宥めた。
彼は父親を喪って泣き崩れる母親を見た時から、苦労をかけないように正しき生きようと、善人であろうと心がけてきたから、そんな人間がいるなんて思ってもいなかったのだ。
いや、人間には――ひょっとしたら自分の中にも、そんな黒い感情が潜んでいると認めたくなくて、目を逸らしていただけなのかもしれない。
だから、当然の帰結として崩壊は訪れた。
ある日、家族を守るために始めた柔道部の部活が、顧問の都合で急遽休みとなったため、普段より早やめに帰宅すると、玄関には妹と義父の靴があった。
共働きの母親はまだ帰っていない。そして、居間の方からくぐもった泣き声と暴れるような音が響いてくる。
「――っ!?」
氷柱でも刺されたように力也は凍りついてしまう。きっと本当は何が起きているのか悟っていたのだろう。
だが、それを否定したくて、強盗か何かだと思いたくて、足音を殺して居間の扉を開ける。
そして、暴れる妹を馬乗りになって押さえ付け、ズボンを脱ごうとする義父の姿を見た瞬間、何かが切れる音と共に、視界が真っ赤に染まった。
そして気がつくと、義父は血塗れになって床に転がり、妹は破れた服を手で押さえながら、壁際で震え上がっていた。
「真奈美、もう大丈夫――」
「近寄らないでっ!」
とにかく妹を安心させようと、一歩踏み出した力也に対して、真奈美は甲高い悲鳴を上げた。
力也は思わぬ拒絶に傷つきながらも、義父に乱暴されかけた直後だから仕方ないのだろうと納得し、務めて優しく語りかける。
「大丈夫だ、悪い義父さんは俺がやっつけたんだ。だからもう怖がらなくて――」
「違うのっ!」
懸命に慰めようとする力也に対して、妹は涙でくしゃくしゃになった顔を左右に振り、か細い声でこう告げたのだ。
「お兄ちゃんが、怖いの」
「えっ?」
「だって、お兄ちゃん、義父さんを殴りながら――笑ってた」
笑っていた。妹を守るためとはいえ、悪い義父を懲らしめるためとはいえ、暴力を振るいながら、それを喜ぶように笑っていた。
「……嘘だ」
力也の喉から乾いた声が漏れる。だって、妹の言葉を認めてしまったら、自分は義父と同じ悪人の側になってしまう。
善良に生きようとしてきた今までの人生が全て否定されてしまう。
けれども、ふと視界に入った居間の姿見に映っていたのは、真奈美の言った通りの顔だった。
返り血で赤く染まりながら、口の端を孤月のように吊り上げた、鬼のように凄惨な笑み。
「あっ……」
それはひょっとしたら、異常な状況だから起きた見間違いに過ぎなかったのかもしれない。
けれども、力也はそれが真実だと思い込んでしまった。
自分の本性は善良な仏などではなく、暴力に酔いしれる鬼なのだと。
「おおおぉぉぉぉ―――っ!」
力也の喉から耳をつんざく咆吼が上がるのと共に、彼の巨体が赤黒く染まっていく。
そして、少女の死体を握ったゴブリンに向かって、地響きを立てて駆けだした。
「ギャッ!?」
手前にいたゴブリン達が驚きながらも身構え、錆びたナイフや石斧を投げつけてくる。
だが、金剛石のごとく硬化した力也の肉体には、毛先ほどの傷すら付けられなかった。
「おぉぉぉ―――っ!」
力也は間にいたゴブリン達をトラックのように跳ね飛ばし、少女の死体を投げ捨てたゴブリンに、巨大な拳を振り下ろす。
パンッと軽いた音を立てて、ゴブリンの頭蓋骨が破裂し、茶色い脳味噌が宙に散った。
けれども、その程度で鬼と化した力也の怒りは収まらない。
見た事もない化け物の登場に、怯えて逃げ出そうとするゴブリン達を容赦なく追いかけ、文字通り千切っては捨てていく。
そして気がつくと、五十体はいたであろうゴブリン達は全て肉片と化していた。
「はぁはぁ……」
力也は息を切らせながら異能を解き、呆然と立ち尽くしていた仲間達の方を振り返る。
だが、おびただしい返り血によって真っ赤に染まった彼は、ゴブリンなどとは比べ物にならないほど、恐ろしい怪物の姿をしていた。
「ひっ……!」
志保が思わず悲鳴を上げて、翔太の背中に隠れてしまう。
それを目にした瞬間、力也の胸にあの日と同じ痛みが湧く。
(俺はまた、同じ過ちを……)
いや、同じどころかもっと酷い。義父は大怪我を負ったものの生きていたが、今度は魔物とはいえ人型の生物を、五十体も皆殺しにしてしまったのだ。
(やっぱり、俺は善人になんか成れない、暴力に酔いしれる邪悪な鬼なんだ……)
絶望して項垂れる力也の前に、誰かが歩み寄ってくる。
驚いて顔を上げると、そこには騎士団長アークレイの厳つい顔があった。
「よくやった」
「えっ?」
「よくぞゴブリン達を倒してくれた」
唖然とする力也の両肩を叩いて、アークレイは真剣な表情で彼を褒め称える。
「村人達の件は残念だったが、力也殿が仇を取ってくれた事で、皆も安らかに眠れるだろう」
「でも、俺は――」
暴力を振るったのだと、悪い事をしたのだと言おうとした力也の元に、他の騎士達も笑顔で集まって来る。
「いやー、凄まじい戦いぶりでしたな。我々が手を出す暇もありませんでしたぞ」
「武美殿との手合わせを通じて、アース人の強さは知っていたつもりでしたが、まさかこれほどとは」
「これで近隣の村人達も安心できるでしょう」
騎士達は揃って賛辞や感謝を述べるばかりで、力也を責めたり恐れたりはしなかった。
それに彼が戸惑っていると、少し遅れて竜司が歩み寄ってきた。
「ったく、獲物を独り占めしてんじゃねえよ」
不満そうに吐き捨てながらも、力也の足を蹴って健闘を称えてくる。
次に武美が寄ってきて、血濡れた彼に向かってハンカチを差し出してきた。
「お前は正しい行いをしたのだ、胸を張れ」
初めての実戦で惨たらしい死体を目にしたせいで、顔色を青くしながらも、勇ましい言葉で力也を励ます。
そんな武美を見て、アークレイが意外そうに目を見張った。
「おいおい、お嬢ちゃんが貴婦人のようにハンカチを差し出すなんて、明日は槍が降るぞ」
「私だって女子だぞ、ハンカチくらい持っている。あとお嬢ちゃんと呼ぶな」
「はいはい、お嬢ちゃん」
「そこに直れ、成敗してくれる!」
キレて剣を抜く武美から、慌てて逃げ出すアークレイを見て、騎士達が一斉に笑い声を上げる。
まだ志保や翔太など何人かは怯えた目をしていたが、今ここにいる多くの者達が、力也を怖がらず受け入れてくれていた。
「俺は……」
戸惑い立ち尽くす力也の元に、武美に捕まって叩かれ、頭にコブをこさえたアークレイが歩み寄ってきて、いつになく真面目な言葉遣いで話しかけてくる。
「力也殿、非道な魔物達を退治し、犠牲者達の無念を晴らし、近隣の平和を取り戻してくれた事を、白翼帝国の騎士団長として改めてお礼を申し上げる」
アークレイが胸の前で剣を構え、配下の騎士達も揃って同じ構えを取り、力也に向かって一斉に頭を下げる。
それは皇帝や他国の王族にしか示さない、最上級の敬意を示す所作であった。
力也は当然そんな事を知らないが、深い感謝の念が痛いほど伝わってきて、自然と目から涙がこぼれ落ちてしまう。
(そうか、俺はこの言葉が欲しかったんだ)
ありがとうと、ただ感謝して欲しかったのだ。
怒りに酔った暴力だとしても、その根底にあるのは悪を憎む善良な心だと、自分は鬼などではないと認めて欲しかったのだ。
「うっ、うぅ……」
「何でテメエが泣いてんだよ」
堪えきれず嗚咽する力也の足を、竜司が呆れ顔でまた蹴ってくる。
それさえも、今の彼にとっては心地よかった。
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