第7話・剣崎武美《けんざきたけみ》【剣豪】

 帝国兵の訓練は普段、野外で行われているが、雨天でも剣の稽古ができるように、屋内訓練場も用意されている。

 その中で剣道道場の娘・剣崎武美は、帝国の騎士達と木剣を打ち交わしていた。


「せいっ!」


 百七十cmと女子としては長身な武美よりも、さらに頭一つ高い大男が、大上段から木剣を振り下ろしてくる。

 しかし、武美は僅かに半身をずらすだけで攻撃を避け、大男の喉元に木剣を突きつけた。


「うっ、参りました」

「次、お願いします」


 大男が負けを認めて下がると、壁際で見物していた騎士達の中から、今度は血気に溢れた青年が前に出てくる。


「うおぉぉぉ―――っ!」


 青年は雄叫びを上げて突進してきたかと思うと、そのまま体当たりする勢いで木剣同士をぶつけてくる。

 鍔迫り合いに持ち込めば、華奢な少女など力で押し込めると考えたのだろう。

 その狙いは悪くないが、一つ大きな誤算があった。武美は異能『剣豪』によって、大男にも負けない剛力を得ていたのだ。


「はっ!」

「うわっ!?」


 気合いと共に思わぬ力で押し返されて、青年は慌ててさらに体重をかける。

 しかし、それが罠だった。武美が水のようにスルリと正面から消えてしまい、青年は支えを失いつんのめってしまう。

 そして隙だらけとなった彼の首筋に、一瞬で背後に回り込んでいた少女の木剣がそっと当てられた。


「ま、参りました」


 青年が降参するのと同時に、壁際の騎士達から歓声が湧き上がる。


「素晴らしい。若い少女とはとても思えん熟練の剣技だ」

「流石はアース人の天才剣士ですな」


 屈強な騎士達から万雷の拍手を受けながらも、武美は曇り顔で溜息を漏らす。


(これが剣の極みなのか?)


 彼女が異能によって得た力は、大きく分けて二つある。

 まずは常人の何倍にも増幅された身体能力。武美もこちらに関しては素直に感謝していた。

 いくら必死に鍛えても、やはり男と女では筋力に差が出てしまう。

 その絶対的な性別差を超えられたのは、借り物の力という引け目を差し引いても、喜びの方が遥かに大きい。しかし――


「そろそろ私の出番かな」


 気取った感じのする優男が、勿体ぶった様子で武美の前に出てくる。

 そして、フェンシングのような構えを取ると、素早い突きを放ってきた。


(ほぉ)


 武美は半身になって攻撃を避けながら少し感心する。

 自信満々な態度だけあって、優男の突きは鋭く研ぎ澄まされていた。地球にいた頃の武美なら、一瞬で一本を取られていただろう。

 けれども、今の彼女なら欠伸をしながらでも避けてしまえる。

 何故なら、彼女は異能によるもう一つの力で、相手の機――攻撃の気配を正確に察知していたのだ。


(次は左肩)


 渾身の初撃を避けられた優男が、驚いた顔をしながらも構えただけで、どこに、いつ、どんな攻撃を放ってくる気なのか、超能力者のように分かってしまう。

『剣の極意は機を制する事だ』と、武美の父親は常々諭していたが、彼女は齢十五歳にしてその極致に辿り着いてしまったのだ。


「はぁ!」


 優男がさらに鋭く速い突きを放ってくるが、全て悟られていては当たるはずもない。

 武美は容易く突きを避けながら懐に飛び込み、優男の腹に木剣を押し当てた。


「わ、私が団長以外に負けるなんて……」

「凄い、あのルルススにも勝ったぞ!」


 騎士達がドッと沸き立つなか、武美はまたひっそりと溜息を吐く。


(剣の極みとは、この程度だったのか?)


 師匠であった父親すら、もはや足下にも及ばないほどの高みに到達しながらも、武美の胸に湧いたのは喜びよりも虚しさだった。

 女ながらに剣道を学び、宮本武蔵などの剣豪に憧れて、年頃の少女らしい色恋などにも目を向けず、懸命に剣を磨いてきた。

 努力の甲斐あって、中学では全国大会の上位に収まり、高校では一年ながら団体戦のレギュラーに選ばれて、もっと凄い相手と戦える、自分はさらに強くなれると喜んでいたのに。


「つまらない」

「そいつは悪かったな、お嬢ちゃん」


 思わずこぼれ落ちた愚痴に返事がきて、武美は驚いて顔を上げる。

 すると彼女の前に、いつの間にか髭面のむさ苦しい男が立っていた。


「アークレイ団長っ!」

「お前ら、こんな可愛らしいお嬢ちゃん一人満足させられないなんて、それでも金玉ついてんのか?」


 歓声を上げる部下達に向かって、アークレイと呼ばれた男は下品な冗談を飛ばす。


(これが騎士団の長?)


 むしろ蛮族の親玉といった感じで、訝しげな顔をする武美に、アークレイは笑って木剣を振ってみせた。


「お嬢ちゃん、よければ俺とも一勝負願えるかい?」

「お嬢ちゃんではない、剣崎武美だ」

「そいつは悪かったな、お嬢ちゃん」

「こいつ……」


 分かって子供扱いを続ける騎士団長を、武美は憤慨して睨み返す。

 だが、アークレイが正眼に構えるのを見た瞬間、怒りは氷のように溶けてしまった。


(美しい)


 むさ苦しい外見とは不釣り合いな、一分の隙もない見事な構え。

 父親の師匠、武美にとって大師匠にあたる剣道八段の達人を見た時と同じ、大樹のごとき静けさと雄大さを感じさせた。


(この男は強い)


 先程まで抱いていた不快感など吹き飛んで、歓喜の笑みを浮かべてしまう。

 そうして、武美がすり足で距離を詰めていき、相手の攻撃を誘おうとさらに半歩踏み込んだ瞬間、気がつけば目の前に木剣が迫っていた。


「なっ!?」


 武美は驚愕しながらも反射的に木剣を受け止め、慌てて後ずさり距離を取る。

 異能による段違いの身体能力がなければ、今ので面を取られて負けていただろう。


(機が読めなかった……)


 静かに構え直すアークレイを観察しながら、武美は激しい混乱に襲われる。

 先程までは相手の心を読み取るかのように、攻撃が来る場所もタイミングも完璧に分かっていたのに、騎士団長の剣からはそれが全く感じ取れなかったのだ。


(異能を無効化している? いや、違うな。これは――)


 武美は背筋に震えを覚えながら、もう一度距離を詰めていく。

 そして、また気配もなく放たれた攻撃を、必死に受け止めながら確信した。


(やはり、無我の剣っ!)


 機が読めなくて当然である。アークレイの剣には思考など宿っていなかったのだ。

 何千、何万回と剣を振り続けてきた事によって、脳が考えるよりも早く体が染みついた動作を放つ、鍛え上げられた無心の剣。

 しかも、僅かな予備動作から攻撃を悟られぬよう、鏡で確認したり誰かに見て貰いながら、指先まで動きを徹底した無拍子の剣。


(こんな技を放てるなんて……)


 それこそ伝説の剣豪・剣聖でもないと不可能だろう。

 背中に歓喜の震えが走る武美を余所に、アークレイは無心の表情を止めて苦笑を浮かべた。


「こいつも通用しないのか。それじゃあ――」


 構えを正眼から八相に変えたと思った瞬間、水のように澄んでいた気配が、業火のような殺気に変わった。


「――っ!?」


 歓喜に震えていた武美の背中に、冷たい恐怖の汗が浮かび上がる。


(本気なのか?)


 鬼の形相を浮かべるアークレイからは、先程までとは打って変わって、目に見えそうなほど濃厚な気配が放たれていた。

 渾身の一撃によって武美の頭を打ち砕き、必ず殺すという意思が。


(……怖い)


 木剣を握る自分の手が震えだして、武美はようやく気がついた。

 彼女は剣道の練習や試合中、時に殺気と呼べるほど鋭い敵意を向けられてきた事がある。

 けれども、本心から殺すと思われた事はなかったのだ。

 ここが平和な日本ではなく、平然と人殺しが行われる戦乱の異世界だと、ようやく実感したのだ。


「うおぉぉぉ―――っ!」

「ひっ……!」


 雄叫びを上げて迫る悪鬼のごときアークレイを前に、武美はまるで剣を握った事もない子供のように、悲鳴を上げて目を瞑ってしまう。

 そして、木剣の腹で軽く頭を叩かれた。


「……えっ?」

「俺の勝ちだな」


 驚いて目蓋を開けると、アークレイが厳つい顔に悪ガキのような笑みを浮かべていた。


「ハッタリだったのか……」


 冷静に考えれば、手間を掛けて召喚した強力な異世界人を練習試合で殺すなんて、無益な事をするはずもない。

 けれども、本気で殺されると思っていた武美は、腰を抜かしてその場に座り込んでしまった。


「おぉ、アークレイ団長が勝った!」

「流石は団長、やり口が汚ない」

「……武美殿、可憐だ」


 決着がついて周囲の騎士達が騒ぎ出すなか、アークレイは武美に向かって手を差し伸べてくる。


「悪いな、武美殿があまりにも強いので、少しズルをさせて貰った」

「……呼び捨てでいい」


 武美はそう言いながら、差し出された手を取って立ち上がる。

 すると、アークレイは笑って提案してきた。


「これからも、よかったら部下達に稽古をつけてやってくれ」


 それは騎士達を鍛えるだけでなく、殺意に慣れていないという、武美の弱点を克服させるためでもあるのだろう。

 その気遣いが嬉しくて、武美は笑顔で頷いた。


「分かった、よろしく頼む」

「こちらこそよろしくな、武美」

「――っ!?」


 アークレイに呼び捨てされた瞬間、武美の心臓が高鳴って頬が火のように熱くなる。

 剣道一筋で生きてきた少女は、父親ほど歳が離れた男に抱いたその気持ちが何なのか、今はまだ知らないのだった。

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