第6話・風越翔太《かざこししょうた》【風使い】
白翼帝国の首都である帝都は、三層の城壁によって守られている。
第一の城壁が街全体を囲み、街の中心に立つ帝城をさらに二層の城壁が囲んでいた。
第二と第三城壁の間は、兵士達の訓練場となっており、数件の兵舎などが建っている以外は、何もない空き地となっている。
その空き地が今、たった二人の少年によって、近寄る事すらできない戦場と化していた。
「食らえっ!」
サッカー部員の風越翔太が、ボールを蹴るように足を振ると、つま先から圧縮された風の刃が放たれる。
その進行方向に立つ帰宅部の
「甘い」
耕平が左手をかざすと、目の前の地面が盛り上がり、分厚い土の壁となって風の刃を防いだ。
「今度はこっちの番だ!」
さらに右拳を突き出すと、土壁が無数の弾丸と化して、翔太に向かって撃ち放たれる。
散弾銃どころかクレイモア地雷のごとき面制圧攻撃は、鉄の鎧を身にまとった騎士すら蜂の巣に変えてしまうだろう。
しかし、土弾が襲いかかった先に、翔太の姿は既になかった。
「どこに行ったっ!?」
「ここだ!」
慌てて周囲を見回す耕平の頭上から、翔太の声が響いてくる。
彼は風の翼を身にまとい、青空を背負うように天高く飛翔していたのだ。
「ちょっ、ズルいぞ!」
空を飛ぶこと自体よりも、その格好良さに耕平が抗議の声を上げる。
そんな彼に向かって、翔太は全身を風のドリルと化して急降下した。
「これでトドメだ!」
「だからズルいっての!」
特撮ヒーローのごとき格好良い飛び蹴りに、耕平はまた文句を言いつつも、十枚もの土壁を生み出して対抗する。
圧縮されて鉄のごとく硬くなった土壁を、風のドリルは次々と突き破っていく。
しかし、最後の一枚まで到達したところで、ついに勢いを失い止まってしまった。
「くそっ、俺の負けか」
「勝った気がしねえ……」
悔しがる翔太に対して、耕平は落ち込んだ顔で歯ぎしりする。
そうして、力試しが一段落した彼らの元に、遠くから見守っていた保健委員・
「二人とも無茶しすぎよ!」
「このくらい平気だって」
「何言ってんの、怪我しているじゃない」
気楽に笑い返す翔太の左腕を、志保は血相を変えて指さす。
見れば皮膚が裂けて血が滲んでいた。おそらく、蹴り貫いた土壁の破片が当たったのだろう。
「うおっ、いつの間にっ!?」
気がついた途端に痛みが湧いてきたのか、顔を歪める翔太の傷口に、志保は急いで手をかざす。
「じっとしてて」
そう言って集中すると、彼女の掌から温かな光が放たれて、腕の傷が見る間に塞がっていった。
「スゲー、流石は保健委員!」
「関係ないでしょ」
翔太の素直な賞賛を、志保は赤くなって否定する。
ただ、彼女がこの異能『治癒』を授かったのは、保健委員になった事と決して無関係とは思えなかった。
志保の両親は共に医者であり、彼女も当然のように医者を目指していた。クラスの保健委員になったのもその一環である。
そんな彼女だからこそ、人の怪我や病気を治療できる異能を授かったのだだろう。
「はい、これでもう大丈夫よ」
「サンキュー。じゃあ耕平、二戦目と行こうぜ!」
「おいおい」
まだやるのかと耕平が拒否する前に、志保が眉を吊り上げて翔太を怒鳴りつけた。
「馬鹿、また怪我をしたらどうするの!」
「薬丸がいるから、いくら怪我しても大丈夫じゃん?」
「あのね、私だって死んじゃったら治せないのよ」
どこまでもお気楽な翔太を、志保は呆れ顔で叱りつける。
彼女の異能は凄まじく、体の半分が吹き飛んでも治せる自信があった。
しかし、死者を蘇らせる事だけは決してできない。それは神の領分であり、人間に許された行為ではないのだろう。
「それに、私はこの力をあまり使いたくないのよ」
「えっ、何でだよ?」
嫌そうに顔をしかめる志保を見て、翔太は本気で驚いてしまう。
彼は風を操れるこの異能を得られて、跳び上がるくらい嬉しかった。
だから、同じようにはしゃいでいた耕平と、こうして力を試していたのに、志保はそれが嫌だと言う。
「薬丸って医者を目指してるんだろ? 超ピッタリのスゲー異能じゃんか」
「だからよ!」
全く分かっていない翔太に苛立って、志保は思わず声を荒げてしまう。
「こんな力を貰ったって、私はちっとも嬉しくない」
幼い頃、志保が医者になりたいと言い出した時、両親は揃って反対した。
収入は高いものの、重労働で肉体的にキツいというのもあるが、どんなに頑張っても救えない命があるというのが、その理由だった。
――医者はね、人を救う仕事だけど、綺麗な事ばかりじゃないんだよ。
両親は揃って困った顔をしながらも、幼い子供に対しては厳しすぎるほどの現実を伝えてきた。
志保も成長した今はよく分かっている。常に死と向き合うだけでなく、大病院になれば派閥だの何だのと、人を救う医者の世界も、決して綺麗事だけでは回らない。
それでも医者になりたくて、まずは医大を目指して、中学の頃から勉強に勤しんできたのだ。
なのに、そんな努力を嘲笑うかのように、異世界で与えられた異能は、どんな怪我や病気も容易く治せてしまえる。
「こんな力があったら、医者が馬鹿みたいじゃない」
交通事故で運び込まれた子供を救えず、両親から泣きながら責められて、家でヤケ酒をあおっていた父親と、必死に慰めていた母親の姿が脳裏に浮かぶ。
志保の両親が何十年と研鑽してきた医術を以てしても救えなかった命を、今の彼女は鼻歌交じりに救えてしまえる。
その事実は全能感による恍惚よりも、大切なモノを貶された怒りを抱かせた。
だが、そんな志保に対して、翔太は訝しげな表情を浮かべる。
「じゃあ、目の前に死にそうな人がいても、薬丸はその力を使って助けないのか?」
「助けるに決まってるでしょ!」
それとこれとは話が違うと、志保は迷わず叫び返す。
すると、翔太は呑気な笑顔を浮かべた。
「ならいいじゃん。せっかく貰ったモノなんだから、喜んで使おうぜ」
「だーかーら、それが嫌だって言ってるの!」
分からない奴ねと、志保は苛立ちながらも説明する。
「たとえば、風越君がその力を使えば、漫画みたいに凄いシュートだって打てるでしょ。でも、そんな方法でプロのサッカー選手になりたい?」
志保は当然、「それは嫌だな」という答えが返ってくると予想していた。
けれども、翔太は少し考え込んでから、全く予想外の言葉を口にする。
「う~ん、皆が反則じゃないと認めてくれるなら、別に構わないかな」
「ま、待って、こんな貰い物の力で認められても嬉しくないでしょっ!?」
慌てる志保に対して、翔太は普段のおちゃらけた態度からは考えられないほど、大人びた表情で静かに答える。
「けど、サッカーの才能だって天からの貰い物じゃね?」
「えっ……」
「言っとくけどさ、俺はプロになれる才能なんてないぜ」
翔太がそう言い切ったのは、本物を知っているからだった。
「マジでプロ選手を目指す奴らはさ、小さい頃から有名なクラブチームでエリート教育を受けたり、名門スポーツ校に入って鍛えたりしてんだよ。ウチみたいな普通校の部活で遊んでる俺なんかじゃ無理無理」
「そんなの――」
「諦めずに努力すれば、とか言うなよ」
ありきたりな台詞を吐こうとした志保を、翔太は鋭い視線で黙らせる。
「よく言うけどさ、努力できるのも才能なんだよ」
より正確に言うならば『努力を苦に思わない性格』こそが天賦の才能だった。
努力とは大抵苦しい。頭を鍛えるために勉強するにせよ、体を鍛えるために運動するにせよ、とても疲れるのだから普通の人は嫌がる。
生存には直接関係ない、エネルギーの無駄使いをしているのだから、生物としてはむしろ当然の反応だ。
だが時々、それを嫌がるどころか喜ぶ者が現れる。
努力は苦しい、そして苦しい事は続かない。だからこそ、努力を苦に思わない者は、延々と己を高め続ける事ができる。それこそが天才と呼ばれる存在だった。
「中学の同級生でクラブチームに入った奴がいるんだけどさ、毎日遅くまで練習して、土日も休まずボールを蹴って、それで楽しい楽しいって喜んでんだぜ? ドMかよって」
罵声のような言葉を吐きながらも、翔太の顔には深い羨望が浮かぶ。
彼はそこまでできなかった。そこまでサッカーを愛せなかった。
「性格こそ努力したって変えられない、天から与えられた
「それは……」
思ってもいなかった重い話に、志保は答えられずに口ごもる。
それを見た翔太は、臭い自分語りをしてしまった事に気がつき、慌てて笑って誤魔化した。
「とにかくさ、つまんない事は気にしないで、貰ったモノはバンバン使えばいいんだよ」
「でも……」
「まずはさ、俺の病気を治してくんない?」
「えっ、どこか痛いのっ!?」
先程の治癒で治せていなかったのかと、慌てる志保の両手を、翔太はそっと握り締める。
「この病気は異能じゃ治せないんだよ」
「そ、それってまさか……」
恋の病、と思って真っ赤になる志保に、翔太は真剣な表情で告げた。
「実は――童貞って言う病気でさ、薬丸がちょっと股を開いてくれたら治るんだけど」
「死ねっ!」
乙女心を裏切った翔太の顔面に、志保は全力のグーパンチを見舞う。
「痛っ! 医者の卵が死ねとか言うなよ」
「うるさい、馬鹿、馬鹿っ!」
怒って殴りかかってくる志保から、翔太は持ち前の俊足で逃げ回る。
そんな二人のイチャイチャを見せつけられて、すっかり蚊帳の外にされていた耕平は、一人寂しく唇を噛む。
「くそっ、地味な土属性はやっぱりモテないのかよ……っ!」
土属性だからモテないのではなく、モテない地味男だから土属性になったのでは――という悲しい可能性を、耕平は必死に脳裏から追い出して、モテる風使いに嫉妬の眼差しを向け続けるのだった。
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