第5話・光武英輝《みつたけひでき》【光使い】

 私立大翔間高等学校・一年生A組の面々が異世界に召喚されてから、最初の朝が訪れた。


「朝食のお時間です、お目覚めください」


 涼やかなベルの音と共に、部屋の扉をノックする音が響いてきて、真面目な学級委員長・光武英輝は目蓋を開いた。


「夢じゃなかったか……」


 目が覚めたらマンションの自室、なんて都合の良い話はなく、昨日案内された屋敷の二階にある、八畳間ほどの一室にいる自分に気がついて、英輝は軽い溜息を吐く。

 そしてすぐにベッドから下りて部屋の扉を開けると、美しいメイドが立っていた。


「おはようございます、英輝様。朝食の準備ができておりますので、一階の食堂にお集まりください」

「あ、あぁ」


 年上の美女に恭しく挨拶をされるという、日本ではなかなか無いシチュエーションに、英輝は戸惑いつつも返事をする。

 そんな彼に一礼すると、メイドは他のクラスメート達を起こすため、部屋を順番に回っていった。


「……行くか」


 英輝はまだ狐につままれたような気分だったが、部屋を出て階段を下り、一階の食堂へと向かった。


「みんな、おはよう」


 高校の教室が二つ入るくらい広い食堂には、既に何人かの生徒達が集まっており、英輝は彼らに挨拶をしながら適当なテーブルに着く。


(席順とか決めなくて大丈夫だろうか?)


 六人掛けのテーブルが六つと、余裕があるくらいの席を見回して、誰か除け者にされたり喧嘩が起きたりしないかと、学級委員長らしい事を考えてしまう。

 そうこうしている内に残りの面々も集まり、三十一人が席に着いたのを見計らって、廊下から料理を手にしたメイド達が入って来て、音もなく優雅に配膳を始めた。


「ちょっと待ってくれ、火野が来ていないようだが?」


 一人欠けている事に気がついて、英輝が声を上げる。

 すると、すぐ横で給仕をしていたメイドが、苦笑を浮かべながら答えた。


「火野竜司様はお疲れのようで、食事は後でいいからもう少し寝ていたいとの事です」

「あっ……」


 メイドの説明を聞いて、数名の生徒達が一斉に顔を赤らめる。

 彼らは竜司の部屋に近かったため、壁越しに響く女の嬌声とベッドの軋む音を耳にしていたのだ。


「あいつ、マジでメイドさんに手を……」

「サイテー」


 男子達は妬み交じりの怒りを浮かべ、女子達は純粋な嫌悪を浮かべる。

 それを見て、英輝も昨夜何があったのか察した。


(合意の上ならともかく、力尽くで迫ったんじゃないだろうな?)


 そうだとしたら許せない。素行の悪い竜司だけにありえると、英輝は怒りを漲らせる。

 まさかメイドの方から誘った色仕掛けであり、しかも暗殺者の本性を隠しているとは、流石に想像もできない。

 ともあれ料理の配膳が終わり、何をするにも朝食を済ませてからだと、英輝がスプーンを手に取ったところで、少女の金切り声が響いてきた。


「ちょっと、こんな貧乏臭い物を食べろって言うのっ!?」


 驚いて声の方を見れば、社長令嬢の金家成美が怒り狂った形相で立ち上がっていた。


「朝はオレンジソースのフレンチトーストに、トリュフのサラダって決めてるのよ。作り直しなさい!」


 その食い合わせはどうなのか、という疑問を抱きつつ、英輝は改めて出された朝食を眺める。

 香りからバターや卵、砂糖は使われていなさそうだが、焼き立てで美味しそうな白いパン、それに茹でたソーセージと、温かなタマネギのポタージュ、そしてデザートにリンゴのような果物という献立だった。


(味は悪くなさそうだが……)


 良く言えば素朴、悪く言えば貧相な感じが拭えない。

 だが、ここが見た目通り中世ヨーロッパくらいの文明だとすれば、農民は祭りの時でもなければ肉を食べられず、普段は大麦のお粥や焼いたイモばかり食べているとか、そういったレベルの食生活であろう。

 それを考えればこの朝食は、十分にご馳走の部類だと思われた。


(逆に牛の丸焼きとか、食べきれないほどの料理を出されても困るしな)


 豪華な食材で国の財力を見せつけ、相手を威圧するという外交術は、地球でも行われていたし、この異世界でも行われているに違いない。

 そういった示威行為を避け、かといって無礼にもならない適度なご馳走――というのが、この朝食なのだろう。


(流石に深読み過ぎだろうか?)


 これを作った料理人、もしくはそれを命じた人物に、そこまでの深い意図があったかは分からない。

 ただ一つ確実なのは、肥えた舌を持つ現代日本人、それも贅沢に慣れ切った社長令嬢には、この朝食に込められた誠意など全く伝わっていないという事だった。


「人を勝手に誘拐して、さらには犬のエサみたいな物を出すなんて、馬鹿にしてんの?」

「申し訳ございません」


 もてなしを無下にされたというのに、メイド達は嫌な顔一つ見せず、居丈高な社長令嬢に頭を下げる。

 成美の言い分は間違っていない。どのような理由があろうとも、彼らは勝手な都合で一年A組を異世界に拉致した誘拐犯なのだ。

 そして、強大な異能を得た英輝達は、彼らが束になっても敵わないほど強い。

 理も力も自分達にあるのだから、横柄に振る舞う方が当然なのかもしれない。

 だが、そこはお人好しな日本人の血というやつであろう。メイド達を楽しそうになじる成美の姿に、英輝は眉をひそめて立ち上がった。


「金家、その辺にしておけ。彼女達に失礼だろう」

「そうだそうだ!」


 メイド達が美少女ばかりだからか、他の男子達も英輝に同調する。

 そして、もう一人の学級委員長も穏やかに声を上げた。


「金家さん、喧嘩はいけませんよ」


 三つ編みの少女・洗平愛那あらいだいあいなの妙に心地よい声が食堂に響き渡る。

 すると、それに影響されたかのように、黙っていた女子達も声を上げた。


「そうよ、喧嘩は駄目よ」

「ご飯が不味くなるじゃない」


 クラスメート達から一斉に非難された成美は、流石に分が悪いと思ったのか、悔しそうに鼻を鳴らして背を向けた。


「ふんっ、馬鹿みたい!」


 そう言い捨てて、食堂から飛び出して行ってしまう。

 一人のメイドがその後を追いかけるなか、他のメイド達は英輝達に向かって頭を下げた。


「申し訳ございません、お食事が冷めてしまいましたね。作り直しますので、今暫くお待ち下さい」

「いや、大丈夫です」


 皿を下げようとしたメイド達を手で制して、英輝は席に座り直してパンに手を伸ばす。

 それを皮切りに、他のクラスメート達も安堵の表情で食事を再開した。


「金家の奴、前から金持ちを鼻にかけて気にくわなかったけど、マジで感じ悪いな」

「ほっとけばいいのよ。お腹が空いたら嫌でも食べに来るでしょ」

「あの、次からは皆の食事、俺が作ってもいいですか?」

「料助様のお料理でしたら、成美様も納得して頂けると思いますが、よろしいのですか?」

「あぁ、料助の異能って料理だっけ? さっそく役に立ったな」


 友達同士で談笑したり、メイドに質問をしたりしながら、和気藹々と素朴な異世界料理を平らげていく。

 そうして、皆が食べ終わった頃合いを見計らったかのように、食堂の扉を開けて皇帝アラケルが姿を現した。


「皇帝陛下っ!?」


 オタク少女・天園神楽が目にハートマークを浮かべて立ち上がる。

 他にも数名の女子達が絶世の美男子に見惚れているのを見て、男子達が苦虫を噛み潰した顔をするなか、皇帝は静かに話し始めた。


「おはよう、客人達よ。昨夜はよく眠れたであろうか? 何か不満な点があれば、すぐメイド達に言いつけて欲しい。できる限り対処しよう」

「じゃあ、スマホ使いたいんだけど~?」

「いや、それは無理でしょ」


 褐色金髪のギャル・鳥羽遊子とばゆうこのアホな発言に、隣の友人が思わずツッコミを入れる。

 それを見て、皇帝は微笑を浮かべた。


「スマホとやらを含めて、我らは其方らの事をまだ何も知らぬ。互いに理解を深めるため、何でも気軽に話して欲しい」

「なら遊びに行きたいんだけど~? 昨日からスマホも弄れないしチョー暇でさ~」

「だから遊子っ!」


 偉い人なんだから遠慮しろという、友人の鋭い視線も全く気にせず、遊子はまた図々しく話しかける。

 だが、皇帝は気分を害した様子もなく親しげに答えた。


「道案内にメイドを一人連れて行かれよ。幾ばくか金を持たせる故、買い物を楽しまれるといい」

「マジでっ!? じゃあ行こ行こ!」


 許可を得た瞬間、遊子は大喜びで立ち上がると、近くにいたメイドの手を掴んで、駆け足で食堂から飛び出していった。


「ちょっ、遊子っ!?」

「鳥羽が無礼を働き、本当に申し訳ありません」


 遊子の友人が悲鳴を上げて、英輝がクラスを代表して謝ると、皇帝は笑って首を横に振った。


「気にせずともよい。皇帝の地位など異世界の客人達にとっては何の意味もなかろう。彼女のように一人の友人として接してくれると嬉しい」


 そんな事を言われても、自分達より年上で威厳に満ちた美男子に、遠慮なくタメ口で話せる者など、遊び人の遊子、不良の竜司、社長令嬢の成美くらいなものであろう。


「他に何か聞きたい事はないだろうか?」

「…………」


 皇帝が質問を促しても、皆は遠慮して黙り込んでしまう。

 それを見て、英輝がクラスの代表として声を上げた。


「昨日も少しお伺いしましたが、俺達を召喚した理由をもっと詳しく聞かせてください。具体的には、俺達にこの異能で誰と戦わせる気なんですか?」

「おい、英輝っ!?」


 遊子とは違う意味で遠慮を知らぬ質問に、クラスメート達は驚いて声を上げる。

 とはいえ、それは皆が気になっている事でもあった。

 遠慮がちに顔を窺ってくる彼らに、皇帝は真剣な表情で頷き返す。


「もう少しこちらの生活に慣れてから、と思っていたが、先送りにして不安を煽るのも悪かろう」


 そう前置きすると、メイドに命じて大きな地図を持ってこさせた。


「これが我らの生きる中央大陸である」


 皆に見えるよう、メイド二人で掲げられた地図には、オーストラリアに似た大陸が描かれており、皇帝はその中央より少し左側を指さす。


「我が白翼帝国はここにある。南には交易大国の青海王国があり、東には黒鉄王国などを挟んで、大陸の覇者である赤原大王国が――」

「それらの国との戦争に、俺達を利用しようと言うんですね?」


 皇帝の説明を遮って、英輝は鋭く睨みつける。

 彼の光を自在に操る異能を以てすれば、千の兵すら殺せるだろう。

 神楽のように戦えない者達もいるが、それでも一年A組の総力を結集すれば、数万の大軍すら蹴散らせるに違いない。けれども――


「人間同士の殺し合いなんてまっぴらです」


 それが生まれ故郷の日本であり、家族や友人知人の危機とあれば、仕方なく武器を手に取ったかもしれないが、縁もゆかりもない誘拐犯を助ける義務はない。


「たとえ脅されたって、俺達は戦争の道具になんかされたくありません」

「そうです、戦争はいけません」


 英輝がきっぱりと断言し、それに委員長仲間の愛那も同意し、他のクラスメート達も深く頷く。

 しかし、それに対して皇帝は、目眩を堪えるような素振りをした後で、怒りも焦りもせず、ただ眩しそうに眼を細めた。


「其方らは、本当に平和な国で生まれ育ったのだな」

「えっ?」

「今のはただの嫉妬だ。聞き流して欲しい」


 驚く英輝達にそう言ってから、皇帝は話を戻した。


「昨日も告げたが、我らと其方らでは歴然とした力の差がある。故に無理やり戦に駆り立てる事などできぬし、したいとも思っておらぬ」

「そうですか」


 拍子抜けな答えが返ってきて、英輝は肩に込めていた力を抜いた。

 確かに皇帝の言う通り、異能を持つ自分達の方が圧倒的に強いのだから、意に反して人殺しをさせるなんて不可能である。

 余計な心配だったかと、安堵した彼らの隙を突くかのように、皇帝は不意に話を切り替えた。


「ただ、西の魔物退治だけでも力を貸して貰えぬだろうか」

「魔物?」


 驚く英輝達に向かって、皇帝は地図の西側に描かれた深い森を指さす。


「この常闇樹海には、太古より数多の危険な魔物がひしめいており、時折近隣の村に被害が出ているのだ」


 その被害というのは、畑の作物を食い荒らされるといった、日本でも聞くような話では済まされないのだろう。


「其方らを侵略戦争の道具にはせぬ。だがせめて、我が帝国の民が安心して眠れるように、樹海の魔を討ち払う手助けをしては貰えないだろうか?」

「どうかお願い致します」


 皇帝の切実な訴えに続いて、メイド達も揃って頭を下げて頼み込んでくる。

 あくまで冷静に考えるならば、これでも英輝達に戦う義理はない。

 しかし、人間同士の殺し合いではなく、魔物――有害な動物の駆除であれば、温和な日本人にも抵抗は少ない。

 そして、手を貸さなければ村に被害が出る――誰かが死ぬと暗に言われて、それでも冷酷に協力を突っぱねるには、彼らは人生経験がまだ浅く、何よりも人が善すぎた。


「そこまで言うのでしたら……」

「誠かっ!? 感謝する!」


 思わず答えた英輝に駆け寄り、皇帝は感動の面持ちで手を握り締めてくる。

 それを見て、メイド達が笑顔で拍手を始めたので、クラスメート達も思わず釣られて手を打ち鳴らした。

 譲歩的要請法ドア・イン・ザ・フェイス――最初に無理な要求をして断らせ、その罪悪感につけ込んで、少しだけ簡単な要求を呑ませる。

 それと良く似た手法によって、自分達がまんまと丸め込まれた事も、皇帝が最初からこれを狙っていた事も、英輝を含めた一年A組の誰一人として気がつく事はなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る