第百十九話 一日千秋(2)
病棟。体は癒えたと、定期的な通院を除き離れたそこで、面会の予約を取り、お医者様の診察を受ける。診察室の中。今俺の前には、白衣を着た初老のお医者様と、横に座り、真剣そうな表情で診察が終わるのを待つ、秋月の姿があった。
椅子に座り、机の上で広げた資料をぴらぴらとめくり確かめながら、こちらの容態を確認する先生が、口を開く。紙のカルテに様々な情報を書き込んでいく彼が、こちらに確認を取り始めた。
「秋月様。彼は空想級魔獣と相対し、霊力と魔力がぶつかり合う激しい戦闘行為を行なった、そうですね?」
「ええ。そうよ。防人が霊力の扱いに苦戦する、なんて話聞いたこともないから、よく分からないのだけれど」
困ったわ、と左手で口元を抑える秋月が、俺の右肩を掴んだ。こちらの不安を和らげるように、肩を撫でる。
一度広げていた資料を閉じ、再び別の資料を手にした彼が、俺たちの方を向き、説明を始めた。彼の後ろの方で、忙しなく行き来する看護師さんの姿が目に入る。
「我々が霊力に覚醒し、魔物との戦争を始めた”大変革”以降、防人という人の心身は、兵器と化しました」
「人類が剣に銃、より強い武器を作る技術、科学を歴史上追い求めたように、それに直結する我々人類の医学、特に霊医学は、飛躍的進歩を遂げたのです」
彼が広げたのは、霊医学のものと思われる資料。数十年の時を刻み、蓄積されたであろうその叡智。
「そしてこの中に、防人の、新免さんの症状に酷似した例があります」
無意識のうちに、握りこぶしを作る右手の、力が強くなる。肩を撫でていた彼女の手の動きが、ピタリと止まった。
「おそらくこれは、魔力による霊的障害━━霊障の一種であると、思われます」
肩に乗せられた小さな手に、ぎゅっと、力が込められたような気がした。竦み上がる心に、彼女の願いの熱源が、暖かさを届ける。
診察室の中。無意識のうちに震えた声で、具体的に霊障と呼ばれる病気がなんなのかを聞いた俺の言葉に、医者が答える。
「防人の萩野さんの報告を私も拝見いたしましたが、新免さんが行動不能に追い詰められたのは、額を直撃した、氷柱の一撃だったそうですね」
「……そうです。他にも怪我を負ってはいましたが、それがとどめの一撃となりました」
「しかし新免さんが頭に装備していた、黒の鉢金が氷柱を弾き返したことにより、死を免れたと」
「……はい」
氷柱の一撃。額に突き刺さり、脳髄を撒き散らして、自らの命を奪ったと確信したあの氷柱。当たり前にいつも着けていたことから、忘れていた、兄さんの鉢金。
踏破群群長の本気の霊技能により生み出された、最硬の防具。それは、俺の命を救った。俺が生きているのは、兄さんの、あの鉢金のおかげ。真正面から空想級魔獣の一撃を弾き返してなお、傷一つなかったそれ。
「外傷はなかったものの、おそらくその一撃は、高濃度の魔力を新免さんに叩き込んだのだと思われます。そこから意識を失い、前後の記憶が混濁している、と」
「霊障という症状は本来、高濃度の霊力を持つ防人には、無縁の障害です。魔力に初めて晒された民間人や、魔獣戦に参加した兵員が患うことの多い、症状なのですが……」
彼が目頭をつまんだ後、こちらを見る。
「防人の霊力を以ってしても対抗できぬ、空想級の魔力ゆえに、新免さんは霊障を患ったのかと思われます」
椅子に座る俺を追い越して、ずいっと秋月が前に出た。
「それで、それはどうやったら治せるのかしら」
凍てつくような威圧感を孕んだ、秋の霜のように冷たい、低い、彼女の声。後ろの方にいた看護師の女性が、何故かビクッとして、手にしていた資料を落とした。彼女の表情は、見えない。
彼女の真正面にいる彼は、顎に手をやり、今まで見たこともないであろう防人の霊障の治療法を沈思する。
「残留する空想級の魔力を除去せねばなりません。しかし、新免さんがそれだけの霊力を生み出すのは、現状難しい。そして、他の霊障の対処法のように、残留する魔力が霧散するのを待つというのも、空想級の魔力であるが故に、考えづらい」
初めて空想級の魔力に触れるが、供給のない残滓だけでも、凄まじい濃度だ、と沈痛な面持ちをした彼が呟く。
「故に、手術、のようなものを行う必要があります。他者の霊力を流し込み、それを残留する空想級の魔力にぶつけ、大部分を除去しましょう。そうすれば後は、少しずつ戻る新免さんの霊力が、残滓を消滅させます。非常に危険ですが……もし防人として再起を目指すのであれば、やる他ありません」
「……」
無言の秋月が、こちらへ振り返った。俺の顔を見て、彼女は少し、泣きそうな顔をしている。そんな顔を、しないでほしい。
「しかし一番の問題は……この残滓に対応できる、霊医学者がいないであろう、という点です。霊力の操作に長けたものでも、霊力そのものの強度が、この魔力を除去するには足りない……」
すぅと、決意をした、息をする音。
「私がやるわ」
「なっ……秋月様が?」
「ええ。医学の知識だってある程度はある。防人の霊力を持ち、かつ、西でその操作に最も長けているのは、この私だわ。あなたの立会いの下、施術を行いましょう」
「……」
秋月の瞳を見つめる彼が、俺の方を見る。彼は俺の表情を、様子を、伺っているようだった。
「玄一さん。こうして話を進めてしまっていますが、貴方は……それで良いのですか?」
彼が、霊医学の歴史とともに、この施術から考えられるであろう事故、予期される結果を話していく。俺が血盟と交戦し敵の霊力で怪我をしたように、他者の霊力というのは、劇薬に近い。特霊技能を持つもの同士が戦い、その結果、敗者が廃人になったという話も聞く。
だがそれでも、憧憬。
瞼の裏に焼き付いているんじゃないかというぐらいに見惚れた、剣聖の姿。横に立ち並び、それを共に追いかけた、相棒との誓約。託された願い。
目の前にいる彼と秋月を、ゆっくりと見つめ返した。
「俺は……構いません。秋月なら信頼できる。失敗したって、絶対に恨まない。それに、何もしないで最強になれなくなるのなら━━━━」
「俺は、死を選ぶ」
その他に、存在理由などない。シラアシゲへ帰らなきゃいけないんだ。俺は。
冷徹にこちらを見つめていた彼の瞳が、大きく見開かれた。なぜか歯を強く食いしばった彼女は、顔を背けるようにしながら、こちらを見ている。
「…………分かりました。ではまず、体調を万全に整えましょう。そのための細やかな準備を、こちらで用意します。秋月様にも後日、資料を送付いたしますので、ご確認の程、よろしくお願い申し上げます」
「では今日は、お疲れ様でした」
こんなところで、こんな形で立ち止まることなんてできない。浮き足立つ心。初めて遭遇する、自身の道に対する明確な脅威に、汗が、焦りが、止まらなかった。鼻腔を刺激する診察室の匂いが、俺が病に侵されているということを、ひどく何度も伝えてくる。
「大丈夫━━」
瞳を閉じた彼女が、俺に寄り添う。紅葉の温もりが、寒気立つ体を助けてくれた。
きっと、大丈夫。
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