幕間 夜烏は見ている




 西部。ごく一部の上層部を除いて誰も知らない、西の暗部を担う部隊の拠点。剣聖を援けるため設立され、対人戦闘と諜報に特化したその部隊の名は、夜烏よがらす。優秀な兵員を選抜し結成された彼らは、蝋燭を囲い、暗闇の中で協議していた。


 白髪の増えた髪の毛を結い、皺の目立つ男たちは座布団に座っていた。彼らは部隊の中でも、指揮をする立場にある者たちなのだろう。彼らは呼び出した部下に向けて、指令を下そうとしている。


「長期間の任務だ。貴様には明日、玉垣に行ってもらう」


「……子守をしろと言うのですか」


「……あの事件を受けて、かの公は彼の死を装い、彼を後ろに下げることにした。対象の護衛、およびその動向を報告しろ。そして、接触を許可する」


 蝋燭の炎が夜闇に揺れる。


「能力、年齢を鑑みても、お前が適任だ」


「……了解しました」







 タマガキの郷に訪れた彼はまず、彼の、否、彼女の人間関係を観察する。対象を理解するためにはまず周りから。それが彼の知る、こういった任務の定石であった。


 タマガキの郷にて一人、生きる彼女の姿を確認する。耳にかかるくらいの長さの髪の毛。目にかかるほど長い前髪。白い肌。顔立ちは異様なまでに整っており、通りかかる淑女が皆、振り返って見てしまうほどの美男子。しかし身に纏う装具は全て魔獣の素材で出来ており、特にそのレザージャケットが、凄まじい威圧感を周りに与えていた。



「貴様ァッ!! 子供とはいえ、英傑たる郷長に対するその態度、許しておくわけにはいかん!」


「理由つけてんじゃねえ。雑魚が騒ぐな」


「き、きさッ……! 決闘だ! 成敗してくれる!」



 同僚である防人に決闘を挑まれた時は、月色の霊力を迸らせ、二秒で瞬殺した。



「ん! 御月! 私と一緒に、お洋服とか買いに行かない? その後ご飯一緒に食べて……きっと楽しいわよ!」


「うるさい。チビ」


「ぐえっ……ち、ちび……」



 独自の情報網を利用して彼女の背景を知っていた同僚の女性防人は、めげずにコミュニケーションを取ろうとしていたが、その度に何度も拒絶された。



「おはようっす御月! 今から一緒に朝飯食べにいかないっすか!?」


「……」


「ねえ御月ねえ御月ねえ御月ねえ御月ごはんごはんごはんー!!! ご! は! ん! すー!」 



 一番うるさかった同僚の防人は、シンプルに、徹底的なまでに無視されている。



 最初の内は、まだ良かった。タマガキの郷長を通し、彼女の身に何があったのか、どうして彼女の心はここまで深く閉ざされているのか、説明があったから。しかし時が経てば経つほど、彼女の立ち位置は悪くなっていくだろう。



「いるんでしょ。出てこいよ」


「……」



 木陰に隠していたその身を、彼が露わにする。彼女から放たれる、鬱陶しそうな視線をその身で受けて、彼は沈黙していた。


「シラアシゲやカラタチでうろちょろしてた奴らでしょ? 鬱陶しいんだよ」


 鋭い、射殺すような目つき。それは十二の少女が持つような━━持つべきような、ものではない。


「かまわないで。私は、一人でいい」


 他者との関わりを断とうとする、痛々しい彼女の姿を見る彼が、腕を組んだまま、ゆっくりと話す。


「……暫くの間。君のことを見ていた。君は少々、人の善意を無碍にし過ぎる」


「あ?」


「確かに、君には同情することが多い。しかし、そのまま殻に籠って立ち止まっていては、前に進めない」


「偉そうに……! 説教なんか始めやがって!」


 その手に己の特霊技能、月華を顕現させた彼女が、彼にその鋒を向ける。


「…………」


 応戦の構えを見せた彼は無言で剣を引き抜き、苦無を手にした。朧の霊力を放つ彼の、姿が霞む。







 レザージャケットが泥に塗れ、艶やかな黒髪には砂が積もっている。地に倒れ伏し、彼を見上げるように睨む彼女を見て、彼は言った。


「君は汚い戦い方を知らない。その特霊技能のお陰で、強者としての戦いを続けたあまり、磨かれた弱者の剣を知らない。それを知らなかったのが、君の敗因だ」


「クソッ……! お前……!」


 彼が手にした忍者刀を納刀し、屈みこむ。彼は彼女の手を握って、立ち上がらせた。


「これから君に、負けない戦い方を教えてやる。だから代わりに、御月。怖がるのをやめなさい」


 彼の手に引かれ、立ち上がった彼女が、すぅと呼吸を整える。どうやら彼女も、このままではダメだと薄々感じていたらしい。背中を押してくれる、ただキッカケのようなものを欲していたようだ。


「……なまえ。なんて言うんだ」


 口元の布をずらし、褐色の肌を晒す。素顔を見せた彼が、その霊力と同じように、霞むような声で言い放った。


「……甚内」


「じゃあ、甚と呼ぶ。その戦い方、教えてくれ」








 どうやら少しずつではあるが、他の防人と一緒に買い物に出かけたり、食事を共にしたりと、彼女は社交的になってきた。そうして過ごしている内に刺々しい口調は鳴りを潜め、穏やかになってきている。


 一時はどうなることかと心配していたが、当時彼女は十二歳。子供の反抗期みたいなものだろうと捉えたタマガキの皆は、水に流している。



 この任務に彼がついてから、二年の時が経った。



 時間と共に変わったのは、彼女の性格だけではない。


 美少年のように見えていた彼女は、成長とともに段々と女性らしい体つきになり、その可憐さから、一躍郷一番の美人となった。成長し花開く美しさに、皆が将来を期待している。


 男らしい彼女は未だに、女性らしい服に抵抗があるようで、色々な服を着せようとする他の防人から逃走していたが、短かった髪の毛をこの二年、伸ばしている。


 知識を得るため、学術的な本以外も読めと伝えた時に、与えたものの影響を受けたようだ。難解でもない子供向けの、勇者さまが見目麗しいお姫さまの主人公を助けに、やって来てくれるだけの話だったが。しかし本を与えた日を境に、何かが変わったような気がしていたので、本をキッカケに、心境の変化があったのやもしれない。


「甚。今日の訓練はどうだった? 久々だったけど……」


「問題ない。御月」


 口元の布を掴む甚内が、御月を横目で見る。彼女と彼の不思議な付き合いも、長くなった。告げるなら今だろうと、彼が声に発する。


「御月。俺は今から、シラアシゲに行く。上から、新たな指令が下った」


「……もうこないの?」


「ああ。しかし、また会う日は来るだろう」


「……そうだな」


 剣聖直属の諜報部隊。夜烏。そこに所属する防人、甚内は、新たな指令を受領し、それを遂行するため、シラアシゲへと向かった。


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