幕間 慄然の識

 



 帝都の中央部。静謐なる霊地に置かれた、ヒノモトの民が崇め奉る、帝が住む帝居。静けさのみが支配した夜の中、縁側に座り語り合う、彼ら二人の間に月明かりが差し込んだ。


「なあ。全てを識るという君は知っているんだろう? 私がただ一つの場所に向かって、生きているということを」


「……」


「つれないな。識」


 不機嫌そうに過去を思い出す男の、灰色の髪の毛が、揺れる稲穂のように夜風に煽られた。


「初めて貴様らと出会った時は、その荒唐無稽具合に絶句した」


 正直な感想を述べられた白髪の男が、クスッと笑う。


「君がその胸に宿している、完全無欠の夢も同じようなものではないかな」


「貴様ほど馬鹿げてはおらん」


 その返答に笑みを返し、夜空に浮かぶ月を見上げた男の、真っ白な長髪が縁側に垂れる。彼の横には、腰元から外された、野太刀が置かれていた。


「貴様にはあの女がいるだろう。奴がいれば、それを果たすことも出来るのではないのか」


「ああ。それは間違いなく確信している。しかし君の夢が叶わぬように、私の夢も叶わない。いや、叶った後がないと言うべきか」


「……そういうことか」


 縁側。傍に置いた野太刀を手にし、おもむろに立ち上がった白髪の男が、前へ進んで、識の方へ振り返る。


「無論私は道を探し続ける。しかし、何かあった時。君に後を託したい」


 彼がその頼みを拒絶するのは、簡単だった。しかし、彼が駆け抜けるこれからの道に、叙情的な感傷を抱いた識は、珍しくそれを快諾した。









 殿茶色のに染め上げられた無力を粉砕し、灰白色の霊力を以って場を支配する。木にもたれ掛かり、眠りについた少年を二人は保護した。西部で大侵攻が発生してから、二年の時が経っている。


「群長。この少年を……どうするおつもりですか? もしお望みとあらば、私が鍛え上げて見せます」


「否。これは我の約定故、我が奴の面倒を見る」


「……承知致しました」


 彼よりもずっと背の高い女性が、彼に向け深々と礼をした。







 帝都の湖畔。少年のためだけにあつらえた、彼を育てる場所。人間が耐えるには、過酷すぎる訓練を施し、ただひたすら彼を鍛え上げようとした。湖に沈め、地中に埋め、空に飛ばし、霊力を限界までに使わせ、彼が疲れ切り、寝静まった頃。


「ハァッ……! ハァッ! か、母さん、父さん、いおり、あいぼ、さ、さつき」


「いったら、だめ、いくな、しんで、あ、う」


 布団の中で悶え苦しみ、彼が悪夢に苛まれる。少年の精神は、完全に壊れかけていた。否。壊れかけで済んでいるのがあり得ないほど。


 西部。シラアシゲから生還したのは彼ともう一人だけであったが、シラアシゲに隣接する、壊滅した他の郷から生還したものがいた。しかしその殆どが、凄惨な体験から心を病み、廃人と化している。こうして正気を保っている彼が、正気でないのだろう。


 のそりと布団から立ち上がり、大粒の汗をかきジタバタと暴れる彼を、識が抱き締める。


「大丈夫だ。我がいる」


「あ、う、け、けんせ……」


 こうやって識が彼を抱き締めると、彼はすぅと寝静まった。このままでは危うい。幸いにも、魔物に対する憎悪が強くある。識はそれを利用し、彼が向き合えるようになるまで、彼を助けるものが現れるまで、耐えられるように工夫した。






 一年の時が経つ。流石は託された男だ。見聞を深め全てを識ると謳われた彼でも、ここまでの人物はなかなか知らない。加えて、防人としての才も卓越している。彼の特霊技能は出来る限り、他者に知られるべきではないだろう。知るものが見れば、簡単に気づいてしまう。


 おそらくこんな未完の彼を託せるのは、この世にただ二人のみ。時代の寵児と、空の魔王。


「玄一」


「なんだ。師匠」


「貴様に問う。貴様はもしここを離れられるとしたら、何がしたい」


「魔物を殺す。そして最強になって、魔物をぶち殺す。全部殺して、皆の仇を取るんだ。シラアシゲに魔物の死骸の山を築き上げてから、墓を作りたい」


「そうか。では、貴様は西に行くべきだろう」


 玄一の答えを聞いた識は、即答した。


「西に行けば必ず、貴様は成長出来る。我が手配する。貴様の修行はもう、ここで終わりだ」


「……本当か!? 師匠!?」


 歓喜の声を上げた青年は、爛々と、目を憎悪で輝かせている。来たる日のために鍛え続けた彼は、喜びに打ち震えていた。






 出立の日。思えば一年間、一歩たりとも玄一がこの湖畔の外へ行くことはなかった。識に会いにくる人物たちを見ることはあったが、人との関わりも随分と希薄にさせたように識は思う。しかしその犠牲が、彼を強き防人の卵にさせた。


「師匠。一年間、有難うございました。行って参ります」


「……」


 返事を返さぬ己を見て、彼はそのまま、西に向けて歩み始めた。ここが、彼の始まり。次に出会う時はきっと、想像できぬほどに、変わっているだろう。


 滅多に笑わぬ彼が微笑して、今はいない誰かに向けて、ひっそりと何かを呟いた。





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