幕間 西風吹く帝都

 



 街路樹が植えられた石畳の道を、白き装具を身につけた彼が行く。彼の一歩後ろには、同じく結晶の白で染められた装備を身に纏う、女性隊員の姿があった。すれ違う道行く人々は、彼らの胸につけられた、勇の一字とそれを囲む水晶を描いたエンブレムを凝視しては、急ぎ一礼してその場を去っている。


 砕石で加工された道路に、自動車と人力車が行き来していた。ハットを被り、背広を着て手提げ鞄を握る男が、早足で人力車の方へ向かい、声をかけている。どうやら、急ぎの用があるらしい。忙しなく出発した彼らとは対照的に、質の良いものであろう絵羽織を着る女性が、とことこと淑やかに歩いていた。



「……流石は一等地だ。あんなものまであるとは。軍は実用化出来ないものかね」



 ふ、と笑みを浮かべた男━━第四踏破群“勇士の結晶学” 群長、関永は、事情あって内地の中央部へ訪れていた。彼に侍る、踏破群副長が返答する。


「高級品ですから、帝都を除いて今時点では不可能でしょう。維持費がかかりすぎますし、第一、あれを走らせる道がないので、西部や東部への補給が確立出来ません」


 彼女の言葉を聞いた関永は頷きつつも、決してそれの実現が不可能だと考えてはいなかった。彼は今、西部より踏破群が帝都へ帰還した際、随伴して西部から帝都へ派遣された老練なる参謀のことを考えていた。彼が派遣されてきたのは、まず間違いなく、西部を支援する白露家との連携を深めるためだろう。


 自らの思考を整理するため、彼は副長と話を続ける。彼女には、彼の議論についていけるだけど教養があった。


 西部の支援を本格化した四立名家、白露家の狙いは何か。そこまで話題が広がったあたりで、それを無理やり打ち切る。


「西と白露の合意を考えれば、白露が狙っていることもなんとなくは分かるが……俺は軍人でしかない」


「ま、今はいい。西部の反攻作戦も終了したと聞くし、暫く動きはないだろう」


 石畳の道を行く関永。街路樹の葉が、風に揺れ音を鳴らし、彼の黒髪が靡く。


「群長。到着しました」


「よし。行くか」


 彼らが立ち止まった目的地であろうそこは、車両が出入り出来るほどの大きさの門がある。覗き込むように中を見てみると、階層構造の建築物が見える。門前にて警備を行う、帯刀した歩哨が、関永に敬礼をした。


 表札には、帝京第一駐屯地、と記されている。






 帝都の一等地に配された、軍の駐屯地。狭い土地を上手く利用したのであろう、隊舎や営庭、酒保に武道館と、様々な施設が土地に余すことなく敷き詰めている。昔、政府の方にある華族からこの駐屯地を郊外に追い出して土地を確保したいという要請があったそうだが、一蹴されたらしい。その話を関永が聞いた時は、随分と平和を謳歌しているのだなと呆れ返った。


 駐屯地の奥へ。彼らが兵員の案内の元、進んでいく。


「こちらが、第八踏破群の隊舎になります」


 関永らがここ、帝京第一駐屯地を訪れたのは、第八踏破群の群長から、面談をしたいとの要請があったためだ。


 隊舎の中を進み、待機していた踏破群隊員から、関永が敬礼を受ける。それに敬礼を返し、彼らが廊下を進むこと、暫く。


 二人は今、群長室へと案内された。案内の兵員がノックをした後、開けた扉を通り、関永と副長が入室する。部屋はなかなか広い作りになっていて、ヒノモトの地図や、帝都のミニチュアオブジェ、魔物の剥製など、様々な装飾品によって彩られていた。


 ヒノモトの地図を背負い執務机の前に座っているのは、両肩を出し、ノースリーブのラフな格好をした女性。その横に侍るように、軽鎧を着て眼鏡をかけた男がいる。


「久しいな関永! 元気にやっているか?」


 両手を執務机につけ、勢いよく立ち上がった金髪の女性は、第八踏破群 群長。湖月騎士団を率いる、防人である。


「ああ。みお。俺は元気だぞ」


 執務机から離れ、澪が関永たちを歓迎する。彼女は関永たちに、執務机の前にあるテーブルと椅子の方へ移動するように伝えた。第四踏破群の二人を横並びに座らせ、対面に彼女が座る。


 メガネをかけた第八踏破群副長が、茶を淹れようと急須を手にとっていた。


「本日、君たちを呼んだのは他でもない。例の、君達第四踏破群が西部で回収してくれた、我らが第八踏破群隊員の遺品のことだ」


「彼の上司であった者として、深く感謝する」


 深々と頭を下げた澪の姿を、目を細めた関永が見つめた。


「礼の必要などない。彼の冥福を祈る」


「……ああ」


 鋭い目つきになった澪が、手をぎゅっと握る。静かな室内の中で、急須からお茶を注ぐ音だけが、響き渡っていた。


「加えて、西の戦はどうだった。無論情報は受け取っているが、実際に敵と矛を交えた君から、血盟の話を聞きたい」


「それと、西部情勢だ。いかんせん、あそこに関しては情報が少なすぎる」


 茶を用意した副長に、礼を述べた澪が湯呑を手に取る。クイっと茶を飲んだ後、湖色━━薄緑色の片鱗を無意識の内に発露させた彼女が、関永の方を見た。


「了解した。共有しよう」








 額を抑え目を見開き考え込む澪が、呟く。


「そこまでの激戦だったとは……」


 本来であれば機密となる情報でも、第八踏破群群長である彼女には知る権限があり、関永から事の顛末を聴くことができた。彼の持つ情報というのは、書類上で事務的に記されただけの情報とは全く違う。第四踏破群群長である関永のことを彼女は信頼していたし、彼女もまた踏破群群長の一人だ。戦いの激しさというのを、話の中から、感覚的に共有できている。


「ああ。こういっては何だが、かなりギリギリだった」


「しかし、西にはまだ武名名高い防人がいるはずだ。タマガキには大太刀姫と古豪の幸村がいるし、西部戦線にも、二つ名持ちの生き残りの防人がいるだろう。何故魁は、後方に回さなかったんだ?」


「……反攻作戦中だというのは知っていたと思うが、空想級が出現していた。その守りとして、彼女達を下げられなかったらしい」


「なんと……やはり最前線は話が違うな」


 神妙な顔つきをした関永が、手元に小さな水晶の短刀を生み出す。切先越しに澪を見つめた彼が、話し続けた。


「血脈同盟の戦闘能力は、非常に高い。特に、一桁の血盟の実力、その中でも上位は、お前と同じかそれ以上には強いぞ。澪」


「ああ。君の語り口から、その警戒は伝わっている」


 再び湯呑を手にして、口につけようとした澪が、儚げに笑った。それは、なんだか悲しげで。


「しかし、かつて隆盛を極めた西部も、今では反政府勢力の一つを相手に苦戦するのだな」


「仕方ないだろう。三年前の戦は、それほどまでに激しかった」


「まるで見てきたかのような口振りだな。西部に展開していない我々は、知らないというのに」


「……」


 一息ついた澪を見て、関永が声色を明るいものにし、話題を変えようとする。


「しかし、未だ西の強兵は健在だ。加えて、次世代の軸となる防人達がいる」


「ほう? 大太刀姫のことか?」


「ああ。今回会うことは出来なかったが……彼女は恐らく、俺より強い」


「なんと!」


 関永の実力を知る澪が、驚きの声をあげる。終始口を噤んでいたメガネをかけた副長も、大きく目を見開き、驚愕していた。踏破群群長の実力というのは、伊達ではない。


 驚く彼らを置き去りにして、関永が楽しげに続ける。


「それと、タマガキの防人は言わずもがな精鋭揃いだが……その中に新人が入った」


 すると今度は、澪が体を前のめりにして、関永に問う。


「新人。もしかして、あの二天のことか?」


「二天……? お前の言う人物であっているとは思うが、二つ名は無かったはずだぞ」


「ああ、すまん。ある新聞記事で、魁がそう言ったと小ちゃく書いてあってな。それを異様に覚えているだけだ」


 なるほど、と頷く関永が、声を少し大きくして、大ぶりに手を振りながら口にする。


「聞いて驚け。そいつは俺の弟弟子だ。才気に溢れ、俺も自らを高め続けなければ、追いつかれてしまうのではないかと焦っている」


 ニコニコとしながら腕を組み、鼻を鳴らした彼を見て、ガタっと動き出した澪が、驚きのあまり腕をテーブルにぶつけた。ガタンと机が強く揺れたが、幸いにも、湯呑の中身は溢れない。


「なっ……! かの識君の弟子は、君だけだったはずだ。君以外誰も耐えきれず、脱落したはずだろう」


「それとは別口だ。未完ではあるが、その大器が完成する日を、楽しみに待っている」


 一度深呼吸をして、落ち着きを取り戻した後、関永の言葉に深く頷きを返した澪が返答する。


「若き才を見てその将来を空想するのは、先達の特権だな。私も、今年養成期間に入学した冬青そよご家の麒麟児の行先を、楽しみにしている」


「そんなのがいるのか」


「ああ。しかし、自覚がないようだから言っておくが━━」


 澪が腰を上げ、人差し指で関永の顔を差す。口角を少しあげ、妖艶な笑みを浮かべた澪が、そのまま頬をすっと撫でた。


「二十二という齢にして、第四踏破群群長に就任した、関永という才に溢れる男の、行く末も私は見せてほしいと思っているぞ。なんだったら、君になら抱かれてもいいと思ってる。私は」


 唐突なその言葉に、両踏破群の副長がビクッとする。先ほどから彼らの会話に聞き入っていたが、唐突なプライベートの話題に、ちょっと驚いていた。


「滅多なことを言うな。澪。俺は据え膳を食う男だぞ」


 失笑した澪が、少し咎めるように小さな声で呟く。


「知っているさ……関永。しかしこれは忠告だが、防人といえどあまり女を囲いすぎると、流石に外聞が悪くなるぞ」


「身持ちを固めろと言いたいのか?」


「そうは言わんが、もしその時が来れば、検討してくれ」


「ふ、よく言う」


 腕時計を確認する素振りを見せた第四踏破群副長の姿を見て、関永が立ち上がった。


「では、そろそろお暇させてもらおう。我々第四踏破群も、暫くは帝都の警備に就くことになっている。よろしく頼むぞ」


「ああ。比較的常識人の君が残ってくれて私は嬉しい。頭のおかしい群長やつらも多いからな」


「ああ。俺もお前がいてくれてよかった。澪。では」


 扉を開けて、関永と、一礼をした副長が去る。両肘を机につけ、手を組んで彼らを視線で見送った澪が、ふうと一息ついた後、ゆっくりと瞳を閉じた。

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