第百六話 玉垣の防人(2)

 


 幻想級魔獣上位“雷鳴なる獣”が魔力を高めた。西の最精鋭であるというタマガキの防人四名。戦いまで秒読みという段階に入って、彼らの雰囲気が一変した。


 冷たい目つき。死線を何度もくぐり抜けた彼らの、本領が発揮される。


 奴が雷の魔力をバチバチと鳴り響かせ、彼らを威嚇した。等しく全員に対し殺意を向けているものの、奴が最も警戒しているのは、間違いなく彼女だった。


 今世西部最強。大太刀姫と呼ばれた彼女の武勇は、全国に轟き西の次代を担う。

 月色の霊力を発露させた御月が、切先を向ける霞の構えをとった。彼女の上着が、立ち昇る霊力と共にゆらゆらと揺蕩う。


 彼女の右方。腕を組みながら空を飛んだ、二色に分かれた両翼を持つノウル。翼を持つ防人がいるという話を昔聞いていたが、彼のことだったのか。俺と同じく空を飛ぶことの出来る彼は、彼の特霊技能であろう、一度俺に向けて放ったこともある、宙で保持し震えさせた羽根を魔獣に向け、いつでも放てるようにしている。


 その羽根一片一片が保持する霊力は、あの朝見たものとは比べ物にならない。ノウルが、丸眼鏡の縁を撫でた。彼が、横目に秋月とリューリンの姿を見る。


 前衛、中衛を担当するのは、御月とノウルの役目なのだろう。そして後衛を担当するのは、見慣れた一人と、少々俺にとって疑わしい一人。


 秋月は黒色に、金色と紅色の意匠が入ったいつもの装備を着用している。以前と同じように彼女は、人差し指と中指を固定する留め具のようなものを付けていた。彼女の横に立つリューリンは鉄刀を左手で掴んでいて、右手を空けている。


 リューリンが霊力の気配を見せた。しかしながら、他の霊技能者のように色が見えない。抑えつけているわけでもないのに、彼女のそれを視認できなかった。


 霊力というのは、基本的に色を持っている。それはその人間の性質に反映されるとか、能力に寄るとか、色々言われているがはっきりとしたことは分かっていない。ただ、皆が持っていることだけは違いないのだ。



 その時。彼女が右手を使って、体に纏わせた鉄管に付いている、打鍵を叩いた。



 体にドンと響く打楽器のような、体を癒やす弦楽器のような、そんな音の感覚がする。その発生源は、彼女の背負う大きな筒のようなものだった。それを受けて自身の身体が、全能感に包まれる。霊力による身体強化に似たような、そんなものだった。


 音を失った音が響き、肩を撫でていく。



 ━━━━音色の霊力。そんなものが本当に存在するのか。



 霊武装を持つ能力者と同じく、滅多にお目にかかれない、一般的な霊力が見せる色彩に属さぬ霊力。リューリンの霊力はその中でも極めて稀なものであろうが、他にも、色に合わせて模様の出る霊力があると聞いたことがある。


 彼女の特霊技能は、この霊力の特質を生かしたものになるのだろう。彼女が、さらに打鍵を進めた。それと同時に、体に響く音のない曲が、演奏されていく。


 高揚感。打刀を引き抜き、己の感覚を確かめる。普段とのズレを感じるそれは、間違いない。彼女は、味方の戦闘技能を向上させる特霊技能を持っていた。


 音無き曲が紡がれていくのに合わせて、秋月が指先を奴に向けた。それと同時に自身の周りに感応式霊砲台を展開して、深紅の霊弾を放つ。霊弾の速度、回転数、共に向上している。リューリンの能力が与えるのは、身体強化だけではないのか。


 深紅の霊弾を避けようと、再び奴が雷に分裂する。再び形を戻そうとするのは知っていると言わんばかりに、彼女の霊弾が枝分かれした奴を追尾した。秋月は後方、膝を着き射撃態勢をとって、ひたすらに撃ち続けている。


 続けて、御月とノウルが動き出した。


 ノウルが羽撃き、空を飛ぶ。奴の頭上を越えた彼が、右手を真っ直ぐに伸ばした。それに合わせて、震えた羽が弾き出されるように飛翔していく。羽根が、流星のように、大気に融け入るような藍色の軌跡を描いていた。



 曲がりくねり追尾する秋月の霊弾と、真っ直ぐに飛翔し雷をも貫こうとする羽根の交差。



 絶え間なく襲いかかるそれを、魔獣が回避しきれず何発か食らう。自由自在に変形できる奴でさえ回避しきれない、なんという弾幕。このまま回避や防御に徹するのは、奴にとってジリ貧だろう。おそらく、様子見程度のものではない、本格的な攻撃に移ってくる━━━━


 雷が地に突き刺さった。地面を駆け抜け迸り、一気にノウルの真下まで移動しようとする。射手を仕留めようという判断か。


ッ!」


 その時、ノウルと同時に動き出し奴の対角線上にいた御月が、跳躍し一気に間合いを詰めて、月華で地を薙ぎ払った。月の斬撃が地に浸透した奴の体を裂く。


 痛がるような、ゴロゴロと大きな音が鳴り響いた。逃げ出すように地から飛び出た奴が再び宙で獣の形を作り出す。そして息つく暇も無く、奴目掛けて霊弾と羽根が飛んできた。



 なんというか、一方的だ。鎬を削る、子供が憧れる英雄譚のような戦いはここには存在していない。ただただ全員の技能を活かした、一方的な殺しが行われている。



 この魔獣の機動力を考慮すれば、逃走するという選択肢もあるかもしれない。しかし周囲にいる特務隊が、大きく奴を取り囲むように展開している。踏破群隊員ほどの実力は持たない彼らだが、それでも精鋭であることに変わりはない。彼らの妨害を受けて生まれる隙を、今戦う四人が逃すわけがないと確信していた。


 空に逃げようにも、両翼を翻す深藍色の防人がいる。秋月に言われたとはいえ、奴を逃すくらいなら空を飛び俺だって参戦する。言ってしまえば、奴は今、完全に取り囲まれていた。


 次々に飛翔する殺意。奴の移動を制限する曲がりくねる霊弾と、追尾機能はないものの殺傷能力を有した羽根。その威力と精度を上げる、リューリンの能力。お互いの能力を活かした、相乗効果。


 しかし、この中で最も貢献しているのは、実はリューリンなのかもしれない。秋月の近くにいる彼女は、最初からずっと、打鍵を続けている。派手な動きはしていないが、この強化能力が連携の根本にある気がした。



 隙を突き肉薄した御月が、奴を切り裂く。響き渡る雷鳴が、夏の微風と共に頬を撫でた。



 後方より、多くの人間の気配がした。彼らの戦いから目を離さずとも、少し、後ろの方を見る。どうやら、更に増援の部隊が訪れたらしい。


 突っ込んできたこの魔獣は、幻想級上位。敵の指揮官級だ。特務隊も周囲に展開し敵の増援を警戒しているし、兵員はいくらいても困らないだろう。


「おうーい。戦況はどうっすか」


 秋月たちよりも更に後方、静観する俺の横に、部隊を引き連れてきたアイリーンがやってくる。四人の戦いを眺める俺に、声をかけた。


「お、玄一は周囲の警戒っすか。幻想級上位が出てきたって聞いたんで、急いで来たっす」


「ああ。戦いを見学していろと、秋月に言われた」


「おー。なるほどっす。ふふーん」


 アイリーンが右手を腰に当て、左手で誇らしげに鼻を擦っていた。


「どうっすか。ここまで防人が連携する、練られた戦いはなかなかないっすよ」


 彼女の言葉に耳を傾けつつも、彼らの戦いを眺め続ける。頭上から、右上から、左上から、常に移動を繰り返し攻撃を続けるノウルが、先ほど自身の腕に纏わせるように保持していたのと同じように、羽根をあちこちに設置している姿を見た。


「本当にその通りだ。それぞれの技術が結集されている。御月は常に援護できる位置取りをしているし、ノウルは移動を繰り返して射線を常に変更している。秋月なんて、奴を撹乱させるために霊弾それぞれの弾速までも変化させているじゃないか。そんな繊細かつ複雑な操作、俺には絶対にできない」


 細やかな動き全てに意図があり、今目の前で行われている戦いはまるで完成された美術品のようですらあった。そんなところに連携に不慣れな俺が入っていたら、ここまでのものは不可能だっただろう。


「お、おう......よく見てるっすね」


 ちょっと引き気味のアイリーンが、人差し指を立てて俺の方を見た。


「しかし、一番すごいのはリンっすよ。彼女の能力、玄一は何か知っているっすか」


「いや、ノウルのものもそうだが、詳しくは分からない。できるのなら、教えてくれるか」


「もちろんっす」


 後方、腕に着けた打鍵を叩きつつ、走り移動するリューリンの姿を見る。彼女、一定の距離を奴から常に保つよう、ちょくちょく移動している。秋月と別れた彼女が、移動しながら今度は太ももに付いている打鍵を叩いていた。


「リューリンの特霊技能の名前は、『瀰漫びまんする進軍の喇叭ラッパ』」


「味方の霊能力を全て強化して、それと同時に敵の能力を低下させることも可能な、バケモン能力っす。玉垣の防人で一番軍事的価値がある能力は何かと問われたら、彼女がぶっちで一番すね。爺さんでも山名でも御月でもなく」


「加えて恐ろしいのが━━」


 困ったなぁ、というみたいな顔して、アイリーンがリューリンの顔を見る。


「後輩くん。元々あの人、ドン引きするレベルで頭良いんすよ」


 勉強的な意味でも、と彼女が付け足す。


 勉強。俺に対して無茶苦茶な冗談をかましアイリーンに説教されていた彼女が、ドン引きするレベルで頭が良い......?


「お、おう。それがどうかしたのか?」


「彼女の味方を強化する能力って、音のない音を駆使してるっすけど、それ利用して、強化するのと同時に霊信号よりも更に細かい指揮を飛ばしてるんすよ。歩数単位の」


「は?」


 歩数単位の指示。嘘だろ。右一歩行って刀振るってあれやれみたいなそういうやつか? そんなの、戦いの中で把握して指示出来るとは思えない。指示できたとしても、どうなの。


「今は御月ノウル秋月ちゃんと優秀な面子なんで、適当っすけど......指示飛ばしてるっすね」


 戦いの最中だというのに気だるげな表情をしているリューリンが、少しだけ眉を顰めた。その後、また打鍵を続ける。


「あ、今ノウルに羽根の位置が悪いってダメ出ししたっすね。ノウルがちょっとキレ気味で戦ってるっすよ」


「えぇ......」


 移動を続けるノウル。彼がバラバラに配置した羽根は、震えながら奴の頭上で滞空し続けている。羽先は全て奴の方を向いていて、だんだんと数が増えていくそれは、何かに備えていた。


 空飛ぶ彼と、宙を埋め尽くさんとする羽根を見上げる。


 彼の特霊技能は秋月のものと同じ射撃を攻撃手段としたものだが、空を飛び羽根を配していくそれは、全くの別物だった。


「それと、ノウルの特霊技能すね。その名前は、『カササギあお』。両翼を生み出して、それに付随する羽根を駆使する能力すね。秋月ちゃんみたいに射撃後の操作は出来ないらしいっすけど、射撃前の操作が可能なんすよ」


「射撃前?」


「そっす。指向性と運動を持たせて、浮かばせておくみたいな感じっす。まあ、見てれば分かるっすよ」


 ふうと一息ついたアイリーンと、彼らの戦いを観戦し続ける。敵の魔獣が如何なる動きに出ようとも、彼らの安定した連携はその全てを簡単にいなしてしまっていた。


 バチバチと苛立つように雷を迸らせる魔獣が、その四本の足を回し始める。


「あー……」


「どうした? アイリーン」


「今来いって呼ばれたっす。ちょっと行ってくるすね」


 アイリーンが右手を大地につけて、屈み込むような、前傾姿勢を取った。


 彼女の腕や脚に、金色の体毛が生えていく。頭部に耳が生え、霊力が鋭い爪を形作り、人間の形を残した、獣人が産まれた。心なしか、彼女の体躯が大きくなっている気がする。彼女を中心に、地がひび割れていた。


 『熊虎ユウコノ王』。タマガキの戦いの際、彼女の能力を見た時は、魔獣よりも大きい巨大な熊の姿になっていた。戦略級魔獣“猿猴”と交戦した彼女は、敵が耐久型であったが故に手こずることとなったが、これを撃破し、役目を果たしている。



 蹴り上げ土塊を吹き飛ばし、彼女が戦場へと向かう。



 熊の姿に近い状態になることによって、身体能力が大幅に上昇している。しかし、今の人間っぽい状態よりかは、巨大な熊になった方が強そうだなと感じた。


 後脚を回転させ、紫電を放つ“雷鳴なる獣”が、一条の雷光と化し突撃する。振り絞り放たれた矢の如きそれは、御月も秋月も、ノウルも無視して、リューリンの元へ。奴が等々、一番潰すべき敵に気づいた。



 魔力の軌跡。間違いない。積乱雲から俺目掛けて突っ込んで来たあの時と、ほぼ同じ威力を孕んでいる━━!



 眩さをも感じる稲妻を前にして、リューリンは後方へ跳躍した。防御の姿勢も取らない彼女は、ただそれを双眼で見つめている。


「ばーか」


 リューリンが、舌を出していた。


 リューリンの前に割って入った金色が、雷光と対峙する。アイリーンが、右腕と左腕を交差させて、真正面から迎え撃った。



 金色の霊力と、雷鳴の魔力が激突する。



 その場で爆発するかのように発光し、稲妻が真っ直ぐに弾き返された。気がつけば、幻想級魔獣上位“雷鳴なる獣”の、体が縮んでいっている。


 背筋が凍り、戦慄する。俺が『風輪』を用い勢いを弱めて、『地輪』で盾を作り受け流した幻想級魔獣の攻撃を、アイリーンは簡単に耐えてみせていた。


「いてて……ちょっと痛いっす」


「お返しっすよー」


 腕をぷらぷらと動かしていたアイリーンが、大きく飛び上がって、弾き飛ばされた魔獣を追撃しぶん殴った。地に降り立ち後ろに下がったアイリーンと入れ代わるように、今度は深紅の霊弾と御月が突撃する━━!


 深紅の霊弾を纏うようにすら見える御月が、右方から薙ぎ払う。


 殴打を受け宙でよろめく“雷鳴なる獣”が、回避しようと左方へ飛び立った。交差する弾幕の穴を突きかろうじて回避したように見えたが、そこは絶対的な死地。おそらくノウルはこの時の為に羽根を配置して、今秋月は奴を誘導するように霊弾を飛ばしていた。


「ノウル! 今よ!」


「分かっている」


 空を飛び、右腕を前方に伸ばしていた彼が、右手を力強く握りしめた。


 空を覆い尽くさんとばかりに待機していた羽根たちが、一斉に動き出す。吸い込まれるように、たった一点のみを目指していた。


 それに、空だけじゃない。木々に隠され葉っぱの中から、地面すれすれの場所から、秋月の周りまで。ありとあらゆるところに配置されていた羽根が、一点━━奴目掛けて、突き進んでいく。



 回避の、しようがない。防御なんて、絶対に出来ない。



 最初の羽根が突き刺さって、奴が苦しむような雷鳴を轟かせた。それに続いて、数え切れない数の羽根が、奴を穿ち、埋め、すり潰していく。


 最後に、深藍色の羽根の塊だけが残って、爆発した。ゆらゆらと落ちていく羽根が、雷鳴の魔力を残滓に、大気に揺蕩い、消えていく。


「みんな、お疲れさま」



 カチャ、と打鍵をやめる音がする。

 音の無い曲が、演奏たたかいの終わりを告げた。




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