第百七話 幾望の月(1)

 


 落陽の時を迎え、うっとおしく蒸し暑い初夏に影が差し込む。涼しさを届けるそれは、戦いに火照った体を癒した。


 幻想級魔獣上位”雷鳴なる獣”を撃破した後、戦果は十分であるとカゼフキ砦へ向け、出撃していた全部隊が撤退を開始した。魔獣と交戦をしておらず、体力と霊力に余裕のある俺と、一部の防人が殿を買って出て、今俺たちは部隊の最後尾にいる。


「んふふふ。玄一。私たちの戦いを見学して、何か学びはあったかしら?」


 俺たちに対する魔物の追撃がある可能性もあるが、今俺の横を歩く秋月は、明らかに油断しきっている。そりゃあ、幻想級上位ほどの敵を討ち取れば、流石にもう襲撃には来ないだろうと油断もするか。


 腕を組み、疲れを感じさせない表情で進む秋月を、御月が苦笑しながら見ていた。


 今、殿を担うのは、俺、秋月、御月の三人だ。加えて、特務隊の面々が俺たちに追従している。


 あの戦いは確かに凄かった。あそこまで見事な戦いぶりを見せられて、どこかあてられている。それぞれの霊技能を活かした、一方的な戦い。あのような強敵を相手に、勝利は必然であると言えるような、そんな確信を手にした戦いを、俺もしてみたくなった。


 特に御月の動きは━━━━派手ではないのだが、最も輝いていた。自らが抱いた心情から感じる、眩さのようなものに、困惑している。


「本当に凄かったよ。御月も、秋月も。参考になることが多かった」


 率直な感想を述べる。二人の━━特に秋月の戦い方は俺の戦い方と別物であるが、連携における細やかな動き、テクニックは、俺のものにも適用できる。


 俺の嘘偽りのない言葉を聞いて、秋月は満足気だ。しかし、隣を歩く、御月の表情は明るいものではない。


「いやしかし......もっと完璧に出来た。奴に対して、私がもっと圧を掛けることが出来ていれば......危うい場面も少なかったはず」


 勝利したとは思えぬほどに、真剣な、暗い表情を見せる。


 あそこまで立派な戦いを見せたというのに、御月にとっては不完全なものだったようだ。有り得ない。あそこまでの動きができる防人は、それこそ西の防人や踏破群のものだけだ。大太刀姫。今世西部最強と呼ばれる彼女は、別次元に立っている。


 ぶつぶつと考え込む御月を見かねて、秋月が歩みを緩め、声をかけた。


「御月。勝ったんだし大丈夫よ。そこまでこだわりすぎる方が、きっと危なくなっちゃうわ」


 私たちだっているのよ、と秋月が言う。

 一拍を置く。彼女の言葉は、御月を慮ったものだったが。 


「何が?」


 俯いていた御月が、秋月の方を見上げる。目を丸くさせた御月は、秋月の言うことの意味が分からないのか。


「何がって......その......」


 その御月の触れてはならないような雰囲気に、言いにくいのか、答えに窮する秋月。彼女を御月は、ただただ不思議そうな目で、見つめている。


「......まあ、いいわ! 玄一、今日は飲むわよ! 御月も来なさい!」


 言語化した明確なものを返せないと感じたのか、秋月が話を逸らす。出来ればこの後は、先程の戦いについて見たものを文章に起こし、自分で試して鍛錬したかったところだが、秋月の誘いなら絶対に行かねばならない。


「分かった」


「ん! 御月はどう?」


 帽子の鍔を握り被り直して、顔を逸らした御月が返事をする。


「いや......私はやることがあるから」


 一度断った御月を見て、秋月が、ニヤッと冗談を言うように口にする。


「ん、今日は私の奢りよ。先輩防人の私より優先すべき事案かしら」


 腕を組む秋月は、いつも通り明るい。


「ああ」


 御月が即答した。







 結構な度合いでへこんでいる秋月が、とぼとぼと歩く。そういえば、タマガキの戦いで山名が宴を開いた時も、御月は居なかったな、と考え込みながら、玄一が慰めるように彼女についていった。


「......」


 もう少し断り方があったはずだ、と御月が反省する。しかし、断ったこと自体は一切後悔していない。何故なら、彼女はもっと頑張らなければいけないから。


 大きく息を着く。彼女が近くにいる、誰かの気配に気づいた。


「大太刀姫。行っても良かったんじゃないか?」


 木陰より姿を現したのは、黒装束を纏う忍の防人。甚内。


「甚......内。君こそ、どうしてここにいる」


 その問いに対し、右手の苦無を撫で確かめる甚内が返答する。


「君も気づいていただろう。我々が魔獣と交戦する直前、とんでもない戦いが南で起きていた。その調査に赴く途中だ」


 カゼフキの隊と魔物の群れがぶつかった頃、南部で何者かの交戦があった。ぶつかり合う戦いの余波は途方もない規模であり、何が起きたのか把握する必要がある。


「そうか」


 しかし御月は、まるで知っているとも言わんばかりに興味なさげだった。


「......」


 口元の布を掴み引き上げる甚内は、何かに少し、苛立っている。苦無を腰元に取り付け、右手で後頭部を掻く彼が、御月の方を見た。


「あー、なんだ。大太刀姫。この後、どんな用があるんだ?」


 御月が己の不甲斐なさから、舌打ちをした。


「......今日の戦いの立ち回り、もっと上手くできた。それを修正するために、練習しないと」


 目を細めた甚内が、彼女の姿を捉えていた。ただただ果てを追い求め、それ以外の要素を削り取るその姿。苦しい、見ていられない、という感情を押し殺し、表情をいつものものに留めて、彼は彼女を導こうとする。


「お......御月。戦いの疲れもあるだろう。共に肩を並べて戦う仲間と交流し、関係を深めるのも必要なことさ。行ってきなさい」


「......行っても、いいのかな?」


「なんの問題もないさ。無理は、良くない。楽しんでおいで」


 優しげな口調で、甚内が語りかける。何が起きたのかを把握するには、今すぐにも南へ調査に赴かねばならないというのに、彼は急ぐ素振りも見せなかった。


 一度距離を取っていた甚内が、御月の横に立つ。彼は寄り添うようにして、言葉を待っていた。


「無理なんて、ずっとしてないよ。本当に、行ってもいいのかな? 私はやらなきゃいけないし、秋月だって、怒ってるかもしれない」


「秋月に限って怒る、なんてことは無いさ。それに何事も、メリハリが大事なだけだ。御月。君は、良くやっている」



 差し込む夕日。特務隊の軍靴の音、木々のさざめきが彼らの会話を覆い隠す。


 御月がおもむろに、腰に差した短刀を握りしめた。それは、己の思考を無理やり切り替えるようで。


「......ありがとう甚内。最近、調子が悪いみたいだ。考える事が、余りにも多くてな」


「......ああ。大太刀姫。空想級魔獣との戦いも近い。仕方ないだろう」


「じゃあ、先に行って秋月たちに声をかけてくる。甚内も、調査の方は気をつけて。何かあったらすぐに呼んでほしい。飛んでいく」


「了解した」


 つま先をコンコン、と土につけて、ブーツの感触を御月が確かめる。彼女が月色の霊力を瞬かせて、駆けはじめた。


 いつもより少しだけ軽やかになったその足取りを見て、彼女の心情を彼は知った。まだ昔と、変わっていない、なんて。




 とぼとぼと歩く秋月に、後ろから声をかけた御月が、先ほどの誘いを受ける旨を伝えていた。秋月と二人で行くのも良いが、御月も交えて行くのは楽しいと、玄一が喜ぶ。一度断られたと思っていた秋月が、諸手を挙げて歓喜していた。


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