第九十一話 初夏。秋の調べ。(3)

 


 初夏。風が蝉の声を運んで、静寂を破る。勢いに任せて口走ったことを恥ずかしく思ったのか、秋月が顔をその髪の毛のように紅くさせてそっぽ向く。その仕草を見て、無意識に頬が熱くなった。


「ん、伝えたかったってことは......このことよ。私の話から入った方が分かりやすいかなって思って入れたけど、話すの躊躇った割にはあまりいらなかったわね」


 彼女がこの謎な空気を払拭しようとしているのか、話題を変える。それに合わせるように、言葉を返す。


「てっきり、もっと細かく話してくれると思ったんだが」


「ん、正直、あんまり話したくないの。恥ずかしいし......玄一に幻滅されたくないわ。また、機会があったらね」


 フェアだとかどうとか言っといてごめん、と彼女が両手を合わせる。


「言っておくが、俺が秋月に幻滅するようなことはないぞ」


 人に言っておきながら自らを蔑み続ける秋月を見て、言葉を伝える。


「ん、ありがと」


 伏し目がちに彼女が礼を言う。打ち付けるように放たれる滝水の冷気と水飛沫が、辺りを彩る。


 その返答とは裏腹に、彼女は俺の言葉を、また受け取らなかった。









 伊織。ひいては剣聖になろうとしている。秋月は俺の生きる理由の本質を、そう評した。


 御月に並び、麒麟児と謳われた伊織。人類最強の呼び声高い、最強の英傑。俺は彼らの代わりを、何が何でも果たさなければならない。きっと俺は伊織と結んだ最強に至るという約束を、そう、変容させたのだろう。



「なあ。秋月は......俺が彼らの代わりになろうとしているのを、咎めないんだな」



 彼女の言葉によってはっきりと認識した強迫する願望を頭に浮かべ、口にした。


 彼女にそれだけを、聞いてみたかった。最強という言葉を隠れ蓑に、潜ませていたその願望をなぜ彼女は許容できるのかを。


 きっとほとんどの人が、彼に並べるものなどいないと否定するだろう。


 烏滸おこがましい願いだ。確かに強い防人はいる。だが彼にはなれない。彼は特別だと。


 記憶の中にある剣聖に接したことのある人々皆が、そう言葉にせずとも語っていた。俺だって、あの剣の果てを伊織と見たことがある。その時の状態でさえ、普段と比べ弱いと伊織は言ったのだ。弱った剣聖と同じことができる防人が、何人いるだろうに。そんな彼に並び立つなんて、口が裂けても言えない。



 果てに至るという言葉ではない、最強という言葉であっても、俺は魔獣戦に出撃しようとした日、嘲笑あざわらわれた。あの時山名だけは笑わなかったが、彼も俺が剣の果てに至りたいと言えば、十中八九否定しただろう。したはずだ。


 しかし秋月は、それを否定しない。それが不思議でならなかった。


 くりっとした目を向けて、秋月が返答する。



「ん、だって貴方、たぶんできるじゃない」


「な━━━━」



 なんの間も置かず放たれたその言葉に、開いた口が塞がらなかった。それを見て、面白い顔ねと秋月が言う。ちょっと酷くないか? 


「ん、玄一。貴方に私の持論を教えておくわ」


 彼女が人差指を立てて、こちらを見る。先ほどのやりとりでできた笑みは、顔から消えていた。



「いい? 戦いの強さにしたって、勉学にしたって、私は今からいうことが全てだと思っているの」


「それはね。才能×かける努力」



 彼女の意図するものを考えながら、聞き返す。


「才能掛ける努力?」


「ん。成果だったり自身の成長っていうのは、だいたいこの式で表せるわ。これはね、平凡な私が確信した結論よ」


 玄一に覚えておいて欲しいの、と秋月が念を押す。隙あらば鼻をうごめかし自慢げな仕草をする秋月が、真剣な表情でこちらを見ている。深く、頷きを返した。


「残念な話なんだけど......私たちは平等に出来ていないわ。どんなに頑張っても剣術が上手くならない私みたいな子がいれば、簡単に上手くなっちゃうような子もいるの。同じようなことがあちこちで起きて、私たちはその差を感じながら生きている」


「でも実際に細かく見てみれば、出来る子はもともと別なところで武術の経験があったり、上手くいかない子はそもそも戦いが嫌いで性格が合わなかったり、色々理由がある。だけど明らかに説明できないものもあったりして、私たちはそれを全部見つけて理解することが出来ないから、『才能』という言葉で片付けるの。まあ、言ってしまえば成長に関わる複合的要素、と言ったところかしらね」


 滝の水飛沫で出来た霞む虹を見ながら、秋月が続けた。


「その才能に唯一並び立つことが出来るのが、努力。才能を携えて努力をして、それで成果が出るのよ。だから残念だけど、一の努力で一の成果を出す人がいれば、一の努力で百の成果を出すような人がいるわけ。ま、そういう意味で、私は平凡ってことよ」


 秋月が身を乗り出すように姿勢を変える。


「でもね!」


 彼女が大きな声で話の転換を示すように、強く叫んだ。自信に満ち溢れ花咲くような笑顔を見せた彼女が、宣言するように続ける。


「努力だけは才能に囚われないわ。努力はね、才能なんかじゃない。それは当人の意志力。それを持ってみんな頑張って、自分の行けるところまで行ってみせるの。いくら才能があっても、努力をしなければゼロの成果。私はへいぼんぼんだったけど、努力して防人になって見せたわ!」


 賞賛せよと言わんばかりの宣言。それに合わせて両手を腰につけ大きく胸を張る彼女に、小さく拍手を送った。もっと速くおっきくやりなさい! と言うので、防人の本気による高速拍手を行う。むふふと秋月は嬉しそうだ。


「あと、嫉妬しちゃうし笑えてくるけど、逆に言えば天才と言われる人たちだってみんな少なからず努力して、その力を持ってる。何もしてない人なんていない。だから、尊重しなきゃダメよね」 


 難しいけど、と彼女が最後に口にした。







 一通り話を終えて、体を伸ばした秋月が一息ついた。彼女の話を噛み砕いて、考え込む。初夏の木漏れ日が辺りに降り注ぎ、冷え切っていた体は気づけば暑いくらいになっていた。


 考え込む俺を、目を半分くらい閉じた状態で秋月が何故か見ている。


「で、玄一にはきっと戦いの才能がある。努力する意志力もね。なんかさっきから貴方自覚ないみたいだから言っておくけど、やってることかなりえげつないわよ。自分でこの話振っといてなんだけど、腹立つくらいね!」


 うーと今度は恨み節を言うように声を上げる秋月。玄一十六才なのに......私大人なのに......と秋月が一人で頭を抱えていた。その様子に俺は、はは......と苦笑いを返すことしかできない。自分では、まだまだだと思っているのだが。


「正直、俺は周りの人たちに追いつけていないと思うんだ」


 俺の言葉を聞いて、何言ってんだこいつと言わんばかりに、秋月がこちらを凝視した。しかし途中、彼女が腕を組み考えるような仕草を見せる。


「あー......」


 いやちょっと待てよと言うように、何かを察した秋月が口を開いた。


「よくよく考えたら貴方の周り猛者揃いね......師匠はサキモリ五英傑で、直属の上司もそう。兄弟子は踏破群群長。一番歳の近い同僚は、西部最強って......そこらへんの師団より余裕で強いわ」


「そういう環境にいるのは良いことのはずだけど、自信はなくなるわよねぇ......」


 わかると秋月が妙に実感籠もった感じで同意した。


 今秋月が名を挙げた人たちの姿を頭に浮かべながら、自身と比べる。今俺が彼らと戦えば、瞬殺されるだろう。それだけの差が、彼らとの間にあるのだ。剣聖がどうこう言っている段階ではない。


「ああ。御月なんて、俺と二つしか変わらないんだぞ。それであの実力だ......」


 絞り出すような小さな声で、付け加える。


「できるのなら.......彼女に並び立ちたい」


 いかつい面子の中に混じる可憐な彼女の姿。その異質さに、怯えの感情すら浮かびそうだ。孤高、と評することすらできそうな彼女は、その名の通り、月に似ている。


 苦笑いを浮かべながら、揺れる水面を見つめる。御月の名前を上げた時、何故か秋月が生唾を飲み込むような音をさせていた。そういえば、俺と御月が別れたのはカゼフキ砦。そして秋月と初めて会ったのはタマガキに帰還してからだ。御月と秋月が共ににいるのを、俺は見たことがないな。


「玄一......御月は......確かに強いわ。けれど、彼女は本当に、可哀想な子」


 考え事に耽っていた頭に冷や水をかけるような言葉に、驚愕する。勢いよく振り返って秋月の表情を見てみれば、それはあの夜夜中よるよなか、俺に向けていたものと同種のものだった。


「......どういう意味なんだ? 御月が、可哀想な子って」


「......」


 秋月が言葉を続けずに、沈黙を貫く。彼女は今、頭の中で俺に伝えることを紡ごうと、慎重に言葉を選んでいる。



 滝水の打ち付けるような音だけが、響き渡る。水場につられた蜻蛉が、こちらへ迷い込んできた。陽に照らされ煌めくような赤色を見せたそれが、誘われるように秋月の前へ行く。


 笑みを浮かべた彼女が、人差し指を彼に向け立てる。止まり木となったそれに蜻蛉が着陸した。



「悪いけど、教えることはできないわ。御月についての、をしてはならないっていう、不文律みたいなものが西にはあるの。ただ、そういうものがあるってことだけは知っておいてほしいわ」


 どうして、という言葉が口から飛び出しそうになる。しかし彼を驚かせないで、と人差し指を立て俺の口元に置いた彼女が、それをせき止めた。


 慮るような彼女の態度も虚しく、柔らかな止まり木から蜻蛉が飛び立つ。行っちゃったと口にした彼女が蜻蛉の行先を追う目を戻して、こちらを見た。


「大事な仲間だもの。気になるのもわかるわ。けれど、あえて知らないでおいてほしいの。全く知らない玄一がいることが、彼女の救いになるから」


 その言葉にも、どう言う意味だと問いたくなった。俺は、彼女に並び立ちたい。空想級魔獣に追われたあの日見た月の輝き。一人光り輝くそれを見て美しいと思ったけど、それだけじゃ、ダメな気がしたから。彼女のことを、もっと知りたい。


 しかし聞かないで、と秋月が切実な表情で語っていた。


 沈黙。


「それが、御月のためなら」


「うん......ありがとう。玄一」


 考えた上でそう言ってくれて嬉しいわと、秋月が口にした。







 燦々と輝いていた太陽も、長々と話を続けていればだんだんと沈んできた。とっくに正午は過ぎているだろう。一度落ち着いて気づいた強い空腹感をごまかすように、お腹を撫でる。


「お昼食べてないのに、こんな時間になっちゃったわ。玄一。もういきましょ」


 私のおごりよ、と言いながら秋月が背を向ける。首を回しこちらを見た秋月が、口を開いた。


「そうだ玄一。伝え忘れてて思い出したことがあって、これは山名からの正式な命令なんだけど......貴方の昔話は、あの病室にいた人間だけに留めておくように、だって」


 ま、あんな話が流れたらとんでもないわと、何故か秋月がわざとらしく締めくくった。しかし剣聖やシラアシゲのことなど機密にすべきことが多いのは理解できるので、了解の頷きを返す。


「んじゃ、元気になったし、寿司食いに行くわよ寿司!」


 秋月が元気よくあぜ道を駆け出した。それに遅れながらも、演習場を後にしようと俺も走り出す。


 踊る夏風。前髪を弄んだ。














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