閑話 玄一くんのドキドキお見舞い病室(2)

 


 兄さんが病室を去り、廊下に兄さんと副長の足音が響いていく。彼に貰った頭についている鉢金を、確かめるようにゆっくりと撫でた。


 腕を伸ばして、一休み。その時、廊下の方から兄さんたちの声が聞こえた。まるで、ばったり会った人に驚くような。遠ざかる兄さんたちの足音が止まったのを思えば、彼らが誰かに会ったのは間違いないだろう。


 笑い声が聞こえた後に、兄さんたちの足音が遠ざかって、一人、聞き覚えのある足音が廊下から聞こえてくる。それがどんどん近寄ってきて、扉の前で止まった。


 ノックもせずに、ガチャッと扉が開く。そこに立っていた来訪者は、今までやってきた人の中で最も背が低く、声が高かった。



「ん! 玄一久しぶり! お見舞いに来たわよ!」



 あの日見た病衣とは違い、今の彼女は前に見たことのある黒を基調とした装備を身に纏っていた。使い込まれたように見えないそれは、新品だろう。ボロボロになったであろう前の装備と、同じものを購入したのだろうか。


 そういえば”血浣熊”の素材でできた俺の装備も、急激に他者犬神の霊力が雪崩れ込んだ影響で、霊力を通す回路のようなものがズタボロになってしまい、使い物にならないと俺が気絶している間に処分されてしまった。少し残念だが、今後はまた、御月が着ているものと同じだが少し違う、男性用のタマガキの装備を着ることになるだろう。


 目の前にいる秋月は既に三角巾を外していて、普通に腕を動かしていた。他にも怪我をしていた箇所は既に癒えているようで、防人の傷を癒す速度は、やはり常人とは比べ物にならない。いや、そもそもそこまで傷が重かったわけではないのかもしれない。


 彼女が腕を組んで、ふふんと機嫌良さそうに鼻をうごめかす。


「初日に押しかけたりしたらいっぱい人来てるだろうし疲れちゃうかなって思って、大人な私はきちんと日をずらしたわよ! きっとそろそろ退屈してた頃じゃないかしら。玄一!」


 彼女がこちらを自信満々に見て、はにかむ。彼女は右手に紙袋を持っていて、その動きで音が鳴った。


「......おう。ありがとう秋月」


「ん! へへー」


 ニコニコとしている秋月が、先ほどまで兄さんが座っていた椅子に座る。顎を両手の上に乗せて、こちらを見ていた。彼女が俺の鉢金を凝視した後、病室内を見回す。


「お花に本に......え、お酒? それと頭につけた鉢金はよく分からないけど、全部お見舞いの品かしら」


「ああ。この鉢金は兄さんが作ってくれたんだ」


「ほー。カッコいいわね。似合ってるわよ」


 そう言った彼女が立ち上がって、俺の鉢金を恐る恐る触る。澄んだ黒い結晶の部分を撫でた後に、黒帯に触れた。俺の背の方にだらんと垂れるそれを手にして、まじまじと見つめている。


「これ、反物で有名な相模屋のものよ。帝都で入手困難になってる」


 はえーと呟きながら、彼女が目利きをする。どうやら彼女曰く、これは何らかのコネがなければ手に入らない、かなり品質の良いものなんだそうだ。全く気づかなかった。そんな貴重なものだったなんて。


「玄一が意識不明だった時関永が何か手配してたのを見たから、もしかしたらこれを注文してたのかも。良かったわね。これはいいものよ」


 どうやら兄さんは、本当に労力をかけてこの鉢金を用意してくれたようだ。もっと感謝すれば良かったと、後悔する。次に会う時は、俺も何か渡せたらいいな。そう思って、口元が緩んだ。


 じっくりと黒帯を眺めていた秋月が、それから手を離す。そうした後、ふっふっふと笑いながら、私も負けてないと誇らしげに笑みを浮かべた。どうやら彼女が手にする紙袋は、お見舞いの品として持ってきたものらしい。


 椅子に座る彼女が、紙袋の中に手を突っ込んでガサガサという音を鳴らす。何かを取り出しこちらに見せようとする彼女は、ウキウキと楽しそうにしていた。


「んふふ。私もお見舞いの品を持ってきたのよ!」


 紙袋から何かを取り出した秋月がそれを背に回して、こちらに見えないように隠す。ニコッと笑って、彼女が説明を始めた。


「あのねあのね、お見舞いと退院祝いを兼ねて最初はお家でも送ろうかなって思ったのよ」


「おう。うん? 家?」


「えっと、お見舞いの品物何がいいかなーって考えた時に、私のお兄様が入院した時に貰ってたの思い出したんだけど、なんかそれじゃあ違うなって思って!」


 家......? 見舞いの品に家を送るという慣習がこのヒノモトにはあるのだろうか。聞いたこともないし、家......家? 家か。よく分からない。とりあえずスルーしよう。


「それで用意したの。これ。じゃーん!」


 そう言って彼女が、自慢げに何かを差し出す。


 それは、手作りの物のように見える藍色のマフラー。竜胆りんどうの花の刺繍が加えられたそれは、フカフカしてて暖かそうだ。使われている素材もどうやら良いものなようで、触っただけで違いがわかる。


「ん。手作りの襟巻きよ。手作りで何かを送るのも、良いって聞いたの!」


 彼女が、俺の首にマフラーを巻きつける。俺は今、抱えきれぬほど大きい花束の置かれた病室で、本を積み上げ、その横に酒瓶を置き、頭に鉢金をつけている。そして今俺の首にマフラーが巻き付けられた。次に入ってきた人びっくりするんじゃないかなぁ......この絵を見たら。なんかそういうことばっかり気にしている気がする。ここ最近。


「ん! 似合うわよ。玄一。ちょっと待ってねもうちょっとで巻き付け━━」


 彼女がこちらへ身を乗り出す。身長の低い彼女は、俺の首の後ろにマフラーを巻き付けるのに苦戦していた。


「あ、秋月。気をつけてくれ。横に本が積み上がってるから......」


 その警告虚しく、柔らかい病床の上で彼女がバランスを崩す。彼女が倒れ込んだその時、本の積み上がるサイドテーブルに彼女が肘を強くぶつけた。


「んぎゃっ」


 ゴン、と、痛そうな音が鳴るとともに、机上に積み上がっていた本たちが床へ落ちる。


「ん、ごめんなさい。貴重な本たちが......」


 彼女が拾い集めようと、床に落ちている本たちに目を向ける。奉考の残した難解な本ばかりが床に散らばっていたが、その中に一つ。異彩を放つ一冊があった。


「え゛っ」


 秋月の口から、今まで聞いたこともない、何かに驚く声を聞いた。彼女が見つめているのは、甚内が持ち込んできた恋愛小説。『冬の随に』。


「秋月。痛くないか?」


 肘を強くぶつけた彼女が少し心配で聞いてみたけど、彼女は返事を返さない。体をぷるぷると震わせながら、耳を紅葉のように赤くしている。


 彼女がブンッと風切る音を鳴らしながら、そのルビーのような瞳を煌かせて、こちらを見つめていた。


「あ、あの、そのね。げ、玄一もこの本を読んでると思わなかったの。私はただね、この本の登場人物の子がマフラーをね、こ、こい......にね、送ってるのを見てね、いいなーって思っただけでね、あのねそのね、本当はね、違うのよぉ」


 彼女は今、見たところ魔獣戦に突入した時よりも焦っている。よく分からないが、とりあえず秋月的にはマフラーを送ることがタイムリーかつ素晴らしい選択肢であるように思えたようだ。


 彼女の顔が、りんごのように更に赤みを増す。


「あば、あばばばばばばっばばばばばば」


 何かを言おうとしては考え込み、自問自答に陥って思考停止している秋月の口からは、よく分からない言葉が出ていた。あばって何?


 ダメだ。声をかけて肩を揺すってみても反応がない。明らかに落ち着きを失っている。


 何かを知られて焦っているように見える彼女に、冷や水を浴びせることになりそうで心苦しいが、冷静になれるであろう一言を告げた。



「秋月。今は、夏だぞ」


「あっ」



 秋月が今度は、氷のようにカチカチに固まった。








「あぁ。そうなの。甚内が持ってきたのね、この本」


 平静さを取り戻した秋月が、お茶を湯呑に注いで飲む。ふうと一息ついた彼女が、あいつしばくわと物騒なことを口にしていた。


 ちょっと落ち込んでどこか遠くを見ているような目をしている秋月に、偽りのない感謝の気持ちを伝える。


「しかし、大事にするよ。寒くなったら必ず使う。嬉しい。ありがとう」


 マフラーの襟を掴んで、口元に寄せた。なんだかあったかい気持ちになれるし、この竜胆の花の刺繍、職人技かと思うほどに上手い。彼女は手先が器用なのだろう。今日貰ったものは嬉しいもの......ばかりで、元気が出る。


「玄一......どういたしまして! 使う日を楽しみに待ってるわ!」


 しょんぼりとしていた秋月が、しなしなになった花が雨に恵まれて復活するように、元気を出した。






 いつもの調子を取り戻した彼女が、俺が病室に籠っている間に起きた出来事について語り始めた。『冬の随に』という恋愛小説の話になった時は、ここだけの話なんだけど、と秋月が前置きをして、本部でそれをこっそり読んでいた山名が、号泣していた話をドヤ顔でし始めた。めちゃめちゃ広まってるじゃん。


 あのねあのね、と間断なく話を続ける彼女はとっても楽しそうで、俺もなんだか楽しい気持ちになってくる。何も出来事がない病室の中なのもあるからだろうか、彼女の話がやたらと面白かった。


「いや最近ね、近所のワン吉とニャン助のね、争いが激しいのよ。でもお互い怪我するようなことはしないでね、爪出してないし、実際はじゃれあってるっていうか」


「うんうん」


 秋月の聞き手に徹する。今彼女が話しているのは彼女の家の近くに住んでいる犬と猫の話で、面白くなさそうに聞こえるが絶妙に面白い。静かな病室で本を読むのも楽しかったけれど、やはり賑やかなのが一番だ。今日はたくさん来客があって、嬉しい。


 しかし、瞼が重い。俺もテンションを上げすぎたのか、だんだん疲れてきた。


「ふわぁ......」


 意図せずして、欠伸を漏らす。ニコニコしながら話を続けていた秋月がそれを止めて、俺の方を見た。


「ん、玄一ももうおねむかしら」


 即座に話を止めて、病人だったわ、ごめんね、と謝罪の言葉を口にした秋月が、俺が頭につけている鉢金とマフラーを取り外そうと前のめりになる。なんとなく眠くなってきているのも彼女は察していたのか、動きが素早かった。


「いや......秋月。ごめん。本当はもっと聞いていたいんだけど」


 頭に巻いた鉢金を解こうと、彼女が腕を俺の後頭部に伸ばす。彼女の顔が目の前にあって、解こうとするたびにそれが揺れた。彼女の大きなお目目がこちらを見ていて、近くじゃないと気づけなかった、長いまつ毛が揺れている。そしてまた、紅葉の甘い匂いがした。


 心臓が飛び跳ねる。


「ん。大丈夫よ。元気になったらまた話そう? とりあえず、寝るまで一緒にいてあげる」


 彼女が俺の肩を掴んで俺を病床に押し倒して、その後布団をかけ直した。まだ日が出ていたので、部屋を暗くしようと彼女が窓のカーテンを閉める。なんだか、彼女は世話焼きだ。眠くてうまく頭が働かないので、何をされているのか分からない。


 彼女が子供扱いするみたいに、俺の髪の毛を撫でている。


「おやすみ。玄一」


 彼女の声が、耳に溶け入る。秋月がまだ部屋にいるのに眠るのは申し訳ないと思ったが、紅葉の微睡に身を任せて、眠りに落ちた。











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