閑話 玄一くんのドキドキお見舞い病室(1)




 病室の窓から差し込む日差しが、強くなっていく。段々と暑くなってきた外では、歩いている人が団扇を仰いでいた。汗を流している姿を見て、季節の移り変わりを感じる。青空に泳ぐ雲を覗き見た。


 俺がタマガキに着任した時は春だったが、今ではもう、夏を迎えようとしている。


 兄さんや秋月たちに俺の過去を話してから、はや数日が経った。あれから、俺は傷を癒すことに専念している。暇だし、誰かお見舞いにでも来てくれるかなと思っていたが、世話をしてくれる看護師さんしか病室にこない......少しショックだ。


 医者の診断の結果、俺はもう二日くらいは病床の上で安静にしていなければいけない身ならしい。俺の家から奉考の持っていた本を係官に持ってきてもらったおかげで退屈はしなかったが、流石にずっと本を読み続けるのは疲れるので、まだ三冊ほどしか読み切れてない。


 彼の持っている本は、難解すぎた。しかし彼も解読するように読んでいたのだろうか、文の横に注釈などが書き加えられていて、分かりやすい。これがなかったらまだ一冊も読み切れていなかっただろう。


 今まで本をじっくり読むことなど人生を通してなかったので、これもいい機会だ。奉考の持っている本は、全て防人に関わるものばかりで、きっとこの知識は活かせる。



 病床の上で、一息つく。やることもないし、また眠ろうかな。



「暇そうだな。玄一くん」



「うおおわっ!?」



 唐突に右から声をかけられ、驚き病床の上を飛び跳ねた。その後、気配に気づく。病床の右側に立っていたのは、甚内。


「やあ玄一くん。見舞いに来たぞ。私は出来る忍者だからな。先に他の者たちが見舞いに来ているのを読んで、日を選んだ。そろそろ誰も来なくなって退屈していたところだろう」


「......ああ。ありがとう」


 彼にとって見舞いとは、戸も窓も開いていない部屋に侵入経路を明かさぬままやってくることを言うらしい。というか今の今まで誰も来ていない。俺の最初の見舞い人がこいつか......


 黒装束の彼が、ニヤッと笑う。


「繰り返すようだがきっと君は今退屈だろう。そこでだ。忍者の私は気付いた。見舞品に喜ばれるものはなんだろうと」


「......おう」


「じゃーん」


 そういった彼が右手を使って、懐から一冊の本を出す。というかじゃーんってなんだよ。


 彼が掲げた本は、『冬のまにまに』という表題のものだった。見たところ、奉考が持っているような類の本ではない。


「いや玄一くん。この本は所謂恋愛小説というやつなのだがな......忍者の私でもこれは面白かった。結構前に帝都で流行っていたようなんだが、タマガキに持ち込んだ商人がいてな。タマガキにも流行りが来ている」


「そういうのは女性が読むイメージがあるんだけど......男の俺でも面白いか?」


「無論。これは内密にしておいてほしいが、山名がこっそり読んでいるのを見た。一人涙していたぞ」


「えぇ......」


 くくくと笑う甚内が、その本を、積み重なっている奉考の本の上に置く。腕を組み壁に寄りかかる彼が、口を開いた。


「悪いが、今私は多忙の身でな。近頃あった出来事など喋りたいことが山ほどあるが、失礼する」


「あ、ああ。ありがとう。甚内」


「礼には及ばんさ。君が病室にいて話題から取り残されるのが可哀想でな。では、楽しんでくれ」


 そう言った甚内が、またあの時と同じようにその場から溶け消えた。わけわかんねえ。というか何しに来たんだ。あの人。しかし、何も動きがなかった日々だ。彼が来てくれただけでも、結構楽しいし嬉しい。


 彼が置いていった恋愛小説とやらを、手に取ってみる。そこそこ分厚いが、見たところ読みやすそうだった。今読んでいる奉考の本を読み終わったら、せっかくだし読んでみよう。


 やることが増えてちょっとウキウキしながら、とりあえず今読んでいる本を読み進める。難しいが、気付きが多い。今読んでいる本は、防人を中心に構成された部隊の陣形や機動に関しての研究についてのものだ。あの時御月はこういう意図があって動いていたんだ、とか、実体験に基づいて考えることができて面白い。




 読み進めることしばらく。コンコンとノックをして、誰かがやってきた。どうぞと声をかけて病室の扉を開けたのは、看護師の人だった。


「失礼します。玄一さん。お手紙とお見舞いの品が届いたので、お渡ししようと......」


 戸を開けたお姉さんの後ろから、他の看護師の人が続けて何かを運び込んでくる。一人は、両手でぎりぎり抱え込めるくらいの花束を持っていた。その後ろの人は、恭しく一本の酒瓶を持っている。


「カゼフキ砦からです。お花の方は......病室にうまく置いておきますね。酒瓶は......とりあえず机に。それと、お手紙も一緒に預かっています」


 看護師の人が、俺に複数枚の手紙を手渡す。その手紙の送り主は、御月だった。表情が、自然と緩む。


「では、失礼します」


 おっきな花束を見えるところにうまく配置した看護師の人たちが、病室から出ていった。彼女たちに感謝の言葉を述べた後、封を開けて、手紙を読み始める。なんか、読んでばかりだな。


 こちらの傷を慮る言葉から始まったその手紙は、彼女の直筆。筆先を上手く使って書かれた、彼女らしい美麗な文字。送り主の名を確認せずとも、この字を見れば誰かすぐに分かる気がした。


 とにかく先を読みたくて、文字を追う目を忙しなく動かす。この手紙では、主に俺のタマガキでの尽力を褒め称えていた。これからまた強くなった君と肩を並べて戦うのが楽しみだ、と書かれていて、その言葉がなんだかすごく嬉しい。それと、この大きい花束は、無味乾燥の病室に彩りを加えられたら、と手配したらしい。色鮮やかな花束が、目に入る。言葉にしにくいんだけど、彼女の配慮がすごく嬉しかった。


 あっという間に読み終えて、一息つく。


 この手紙は、大事にとっておこう。そう思って手紙を封筒に戻して閉じた。しかし、あの酒瓶はなんなのだろう。この手紙は、一切酒瓶について言及していなかった。そう思って、奉考の本と一緒にサイドテーブルに置かれた酒瓶を手に取る。


 ラベルに書かれた酒の名前は......魔獣殺し。なんかむちゃくちゃ強そうな酒だ。さらにラベルに直接文字が書き込まれていて、『元気になったら飲むっす。アイリーン』と記されていた。文面でもその語尾つくのか。


 まあそれはともかく、急にこの病室に物が増えた。積み上げられた奉考の本。その上に置かれる、甚内が持ってきた恋愛小説。そして花束に酒瓶。御月は病室のことを無味乾燥と評したが、混沌の様相を醸し出してきている。次はなんだ。



 しばらくして、またコンコンコン、と扉をノックする音がなる。今度は誰だろう。


「玄一。入るぞ」


 扉を挟んだ向こう側の廊下に、響き渡りそうな澄んだ声。扉を開け、背の高い男が入ってきた。


「兄さん!」


「はは。きっと他のものは早くに見舞いに行っただろうと思ってな。俺は日をずらして来たぞ」


「......うん」


 兄さんは普段と変わらない、彼が生み出す白と透明の結晶を利用した最高級の装備を身に纏っている。その重さに、病室の床が軋んだ。


「第四踏破群はそろそろ帝都に帰還することになる。できれば玄一。お前とまた鍛錬をしたいところだったが......その傷ではな。そこで見舞いも兼ねて、別れの挨拶に来た」


「兄さん......」


 彼が甚内がやったのと同じように、懐から何かを取り出す。黒帯に縫い付けられた、澄んだ黒い結晶だった。ニコニコと笑いながらそれを握り、俺の近くへ歩み寄った兄さんが口を開く。


「餞別だ。きっと役に立つ」


 彼が俺に返答をする間も与えず、黒帯を握ってそれを俺の額の方へ。


「俺手製の鉢金だ。装備を一式作ろうかとも考えたが、玄一は軽装が好みなんだろう。俺の作るものでは合わん」


 彼は俺の好みを、覚えてくれていたのか。そう思って、少し感動する。

 彼が俺の頭に黒い結晶を当てて、黒帯を使い固定した。堅牢そうなその黒い結晶は、不思議なことに重さを感じない。


「軽装なのはいいが、頭だけはしっかりと守っておけ。骨の一本や二本は大したことないが、頭だけはまずい。一発を貰えば、動けなくなる」


 病室の中だというのに、突如として霊能力を発現させた兄さんが、懐から取り出して手にした結晶を変形させる。それは形を変えて、大きな鏡になった。


 大きすぎず、かといって小さすぎでもない、鉢金を頭に付けた俺の姿が、鏡に映っていた。黒い結晶を、指で撫でる。そういえば兄さんは模擬戦の時、黒い結晶を使って俺に対するトドメの一撃を放った。しかし彼がそれを使うところを、実戦では見たことがない。どういうことだろう。


「黒い結晶は俺の新技みたいなものでな。軽量だが霊力を含みやすく、恒常的な防御力は期待できないが、霊力を込めた時は最も守りが良い。お前にぴったりだ」


 兄さんがそう言って、哄笑する。黒い結晶は彼の新技━━俺にとっての風纏とか、そういうものだろうか。


 結晶の鏡に映った鉢金を、凝視する。しかし、これは間違いなく役に立つだろう。単純な防御だけでなく、この鉢金を頭に巻いていれば、流れる血や汗が目に入るのを防げるかもしれない。

 

「合うかどうか確認したかったから付けたが、良さげだな。よし。外すから待ってろ」


「いや、いいよ兄さん。しばらくこのまま付けとく。本当にありがとう。嬉しい」


「ふ、そう言ってもらえると作った甲斐があったな。役に立つと良いが」


 微笑した兄さんが、近くにあった椅子に座る。彼は甚内と違って、今は時間に余裕があるようで雑談の場を設けてくれたようだ。そこで彼と、血盟たちがタマガキにいた頃はあまり出来なかった雑談を長々とする。特に師匠のシゴキの話になった時は、凄く盛り上がった。


「そうかそうか! 玄一は冬の湖に叩き込まれたか! 俺は滝やら崖やらいろんな高所から叩き落とされたぞ!」


「いや高所から落とされるって頭ぶつけたりしたら死ぬんじゃないか? 兄さん。それは無理があるって」


「それを言ったらお前も溺れ死にかけた後体が冷えて死ぬだろう。隙のない二段構えだ。お前はそこでどうしたんだ?」


「死ぬ気で泳いだ後、走って体を頑張って温めた」


「ハハハハハ!! よく分からんが体が丈夫になったのはそのおかげか!」


 彼が膝を何度も叩きながら、爆笑する。


 俺は師匠の元に一年しかいなかったが、兄さんは五年間も師匠とともにいたのである。彼の体験談は俺の知らない師匠のシゴキのオンパレードで、正直一年過ごした俺でもドン引きした。兄さんが体験した鍛錬も、普通に死にそうなものばかりである。


「しかし師匠の死線を見極める力は凄まじいからな。俺もお前も死なないギリギリのところを突っ走ってたんだろう」


 兄さんが、本当になぜ死ななかったのか不思議だと強調して笑っていた。


「確かに、言われてみたらそうかもしれない。訓練の時はきつかったけど、飯と睡眠は十分取れたし」


 そう呟いた俺を見て、なぜか兄さんが不思議そうな顔をしている。


「ん? 玄一は絶食と不眠の訓練をしたことはないのか?」


「......聞きたくない知りたくないやりたくない」


 無理矢理両手で耳を塞ぐ。聞いたことのない師匠との鍛錬なんて、知りたくない。知ったら何か縁がつながって、やる羽目になる気がする。彼との鍛錬で得た積み重ねは何度も俺の命を救っているが、金を貰おうがなんだろうが絶対にもうやりたくない。俺はやらない。


 その時、コンコン、と再び扉をノックする音が聞こえた。失礼しますと声を上げ、少しだけ開いた扉から、群長。お時間です。と述べる副長の声が聞こえてくる。それを聞いて、笑みを浮かべていた兄さんの顔が神妙なものになった。


「玄一。俺はそろそろ行かねばならん。お前はタマガキの防人。そして俺は第四踏破群群長。次に会えるのはいつになるか分からないが、また生きて会おう。互いに強くなってな」


 兄さんが、俺の頭についている鉢金を撫でた後、そう言葉にした。彼の瞳をまっすぐ見つめて、強く頷きを返す。


「もし帝都に来ることがあれば教えてくれ。歓迎する」


「ああ。兄さんも、もしまたタマガキに来ることがあれば」


 兄さんが決意するように膝を強く叩く。


 椅子から立ち上がった兄さんが扉を開けて、こちらを見た。歯を見せてニッと笑った後、部屋から出ようとする。


「よし! では征く! またな」


 彼の背中を見送る。彼が病室の外へ行き、廊下に軍靴の音が響き渡っていった。俺よりも強くて格好いい彼は、去り際も格好良い。しかし、なんだか悲しい気持ちになった。まだ、彼といたい。



 でも、この別れを惜しんではならない。絶対に、また会える。


 彼との鍛錬は発見と成長に満ちたものだった。彼から受けたアドバイスは、全て覚えている。


 次に会う時は、肩を並べて戦いたい。兄さんはそう口にしなかったが、お互いの共通認識として、胸に残っていた。








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