幕間 空谷足音

 


 夏の蒸し暑さを吹き飛ばす西風が、白刃を手にする彼らを癒す。強風に煽られて、草木が傾いた。


 ここは、戦場。西の最前線シラアシゲ。魔物に完全支配された領域で、百年以上前に奪われた地まで辿り着こうと兵員が剣を振るう。


 防人でもないというのに、彼ら一人一人の装備はバラバラだった。しかし、皆が胸元に同じ白い徽章をつけている。


 その徽章は、悠然と西を見据える馬の姿描いていた。シラアシゲの兵員であることを証明する、馬紋。それを胸元につける彼らは、魔物と交戦している。



 西風に揺れる草木の中から、様子を伺う魔物の双眸が煌めいていた。



 姿を現した魔物を蹴散らす防人が、短槍を片手で回転させ、勢いに乗り躍動する。魔物を薙ぎ倒し突き殺す彼に、援護する兵員が叫んだ。


あつしさん! 十二時の方向に戦略級魔獣を確認! “腹狸はらだぬき”です!」


「よし! 全員で掛かるぞ! 俺は前へ上がる!」


 短槍を片手で握りしめ、霊力を強めた篤が指示を飛ばした。シラアシゲの兵員はそれに応え、戦略級魔獣”腹狸”を取り囲もうと展開している。



 防人を正面に据え兵員は援護に徹する、魔獣戦の定石とされる陣形展開。まるで一つの生き物のように動き魔物を蹴散らすその集団に、一人の異物がいた。



 槍を握りしめ前方へ突き進む篤を追い抜いて、黒い影が魔獣へ。それを目で追う篤が、目をまん丸にさせる。


 一人の小さな少年が、その身の丈に合わぬ刀を手にして、魔獣の方へ声も上げず突撃した。


「伊織くん!? 君はまだ十だし、危険だ! 下がっていなさい!」


 篤が十歳の伊織を止めようと叫びながら、さらに霊力を高める。兵士でも防人でもない、子供の男の子が、戦場に身を置いているのにはわけがあった。


 シラアシゲの郷長、剣城が、彼の息子である伊織があまりにも卓越しているというので、実戦経験を積ませてみようと、比較的安全な前線での魔物の間引きに参加させたのである。


 いくら優れていようと、魔獣が現れる場に兵員以外を連れて行くのは帝都や東ではあり得ない。しかし魔獣戦を日常としてしまったシラアシゲにとって、それは懸念事項にはなりえなかった。


 今回の目的は、彼に戦場の空気を知ってもらうこと。彼の側には老練な護衛も付けたし、上位魔獣が来ない限りは、なんの問題もないはずだった。


 しかし守られる対象の彼自身が突貫するともなれば、話は別である。



 銀色の霊力が輝いて、軌跡を描いた。下段に剣を構えたまま走る伊織に、陽光が降り注ぐ。



 それを見て加速する篤は、伊織に追いつけない。無論彼は本気を出しているわけではないが、霊能力というのは基礎能力の差が大きく出るものだ。それに長けないものがいくら死力を尽くして全力疾走しても、防人にとっての早歩き程度になってしまう。


(速すぎる......! 本当に子供か!? あれは!?)


 それだけの差が篤と伊織の間にはあるべきだというのに、それがない。伊織は、間違いなく例外だった。長く走り続ければ篤が追い抜くだろうが、伊織と篤の間に距離がある今は、不可能だ。限定的な場面とはいえ、シラアシゲの防人が十の少年よりも劣っているという状況が、果たして本当に起き得るものなのだろうか━━━━



「クォオオオオオオオオオンッ!!!!」



 腹が風船のように膨らんで尻餅をついている、家屋ほどの大きさの狸の姿が伊織の前方にある。矢などの飛び道具を防ぐその腹は、まるで騎兵の母衣のようだ。


 彼が刀を構えたまま、その恐ろしく鋭い爪を振りかざす狸を無視して、跳躍する。迎撃する“腹狸”の薙ぎ払いを、彼は簡単に避けてしまった。


 刀を振り下ろし、宙でその小さな体躯を刀とともに一回転させた彼が、その腹を切り裂いた。


 魔力の膜が張ってある腹を、銀の一閃が簡単に切り裂く。魔獣の魔力層を突破した、銀の一撃。


 一般的な兵員が魔獣と交戦することができない理由の一つに、彼らでは突破できぬこの防御力がある。そしてそれを突破することのできる伊織には、間違いなく魔獣戦に参戦する資格があった。


 ”腹狸”が切り裂かれ萎んでいく腹を見ながら、慟哭した。体を屈めさせ着地した伊織が、帰す刀で顔を狙おうとする━━!


 それを無視して、大気を突き抜ける一陣の風が吹いた。


 弾丸のように突き進む短槍が、”腹狸”の顔に突き刺さる。脳髄を吹き飛ばしたその一撃で、魔獣が地に倒れこんだ。


 伊織が腹狸の死骸を無視して、唖然とする兵員たちの方へ振り返る。彼らを一瞥した後、槍を投げたのは篤であることに気付いた伊織が、彼を凝視した。その視線は、獲物を奪われたことを批難するような、そんなものだった。声をかけようとする篤が、目を細める。


「伊織くん━━」


 何か言いたげな彼を死んだような暗い目で見つめながら、伊織が刀を一度振るった。そして、納刀する。


「私もたたかえる。魔獣がいてもね」


 彼から一線を引こうとしている。威圧するようなその声色。伊織の言葉は、俺を後ろに下げるなと、そう言外に主張していた。









 往来に人々が行く、シラアシゲの郷の町。昼食時だからだろうか、あちこちから良い匂いがするそこを、槍を持つ警邏の兵員が二人、空腹を抑えて見回っていた。


 背が高く細い男と、背の低い小太りな男が露店から目を逸らし、歩き進む。規定のルートを見て回る背の低い男が気を紛らわそうと、口を開いた。


「なあ。聞いたか。郷長の御子息の噂」


 それを聞いた背の高い男が、無論知っていると言わんばかりに答える。


「ああ。まだ十だというのに、初陣を飾ってからずっと出撃しているらしいな。既に何度も魔獣戦に参戦しているらしい。魔獣も一体、彼が直接討ち取ったと聞いた」


 話題提起をしたのは背の低い男だったというのに、その話は知らなかったのか、口を開け驚愕する。


「嘘だろ。戦場に出るだけでも異常なのに......魔獣戦か。内務担当の俺は絶対出たくねぇ。こええよ」


 魔物との命削る熾烈な戦いを想像したのか、彼が体を震わせる。そうして彼が続けた。


「とんでもねぇガキだ。うちの十二のガキなんざ、魔物の話を聞かすだけで泣き出すんだぜ。それよりも年下のやつが嬉々として出撃を繰り返してるなんざ、恐ろしすぎる。ガキは通りを走って遊んでりゃいんだ」


 その言葉に一定の理解を示しつつも、ムッとした背の高い男が顔を顰める。彼のように、伊織に対して得体の知れないものに対する恐怖を感じている兵員は多い。彼らでは測ることのできない鬼才に、恐れを抱いているのだ。そんな彼を諭すようにして、背の高い男が口を開く。


「しかし、強い防人が増えるのはいいことだろう?」


 彼がニヤッと笑った。人差し指を立てて、機嫌良く口にする。


「西の次代を背負う若き鬼才。剣城の銀。け━━」



 笑って続きの言葉を口にしようとした彼が、立ち止まった。



 彼が見つけたのは、たった一人で道を歩いている伊織の姿。


 伏し目がちに歩く彼の横を、笑いながら駆け抜ける子供の一団が通りすぎる。伊織はそれを、憎むような目で追っていた。それを見て背の高い男が、言葉を失う。


「でも、なんだか可哀想だな。才を持ちすぎるというのも」


 憐れみの視線を向けそう言った背の高い男の意図を大人として理解したのか、背の低い男が唸った。最後に、背の高い男が漏らすように口にする。


「輝きすぎる才を持つものというのは、孤独に愛されてしまうらしい」













 通りの賑やかな声は、伊織の耳には入らない。ただ一人帰路に着き、また帰った先では剣城家の者達による、鍛錬や学問が待っている。


 確かに自分は違うかもしれない。でも彼に周りが求めるものをきちんとすれば、楽しく、やれるはずだった。


 しかしその結果彼を襲ったのは、恐怖。困惑。嫉妬。それらを孕んだ化け物を見るような目。


 家の者でさえが、たった十歳にしかならぬ彼の心を助けることができなかった。肉親である彼の父は表面上喜んで見せたが、何かが解せない、と意識せず見せてしまった表情を、伊織はその聡すぎる目で見抜いている。


 彼は退屈で仕方がなかった。生きているのが、つまらない。誰も、彼のことを見てくれない。



(私は......一人だ)



 彼のことを対等に、そして公平に扱ってくれる人物を、彼は二人しか知らなかった。そして彼が普段時をともにするのは、皆彼よりも歳のいったものばかり。彼に、彼が信頼する仲間はいない。



 下を向きただ無心で歩き続ける彼に、誰かが声をかけた。その声が、伊織を思考から引き戻す。



 どうやら考え事に耽るあまり、彼は気付かぬうちに人の多い通りを離れ、家を通り過ぎて行ってしまったようだ。それに気付いた彼が小さく舌打ちをする。


 そして彼が声のする方へ振り返って見たのは、彼と同じくらいの年の少年たちだった。身体中に擦り傷やら何やらをつけている彼らは、枝を剣に模して、構えている。


 ニヤニヤと笑う体格の良い一人が連れた、全員で五名の子ども。そのうちのリーダー格を含む四人は、何故か伊織を取り囲んでいる。それに着いていかず、言ってしまえば浮いている一人の体が細い子どもだけ、やたら傷が多かった。


「やい! お前誰なんだよ! いつもうぜー顔しやがって!」


 リーダー格の男の子が、突如として伊織に言いがかりをつける。唖然とする伊織。それを見て後ろの傷だらけの子が、何かを言い出そうとして、でも言い出せない、そんな素振りをした。


 枝を振り回して伊織の方を見る四人。体格の良い男の子が、意気揚々と声を上げた。


「こいつはまものシンキクサイだ! みんなころせ!」


 伊織が何か答える間も与えず、彼に向かって枝を振り上げる四名。枝といえど、目に入ってしまったりすれば、危ないだろう。



 風を切り、振り放たれた枝。握り拳を作って、何かに耐える伊織。



 四人のいじめっ子に囲われて、唐突に喧嘩を売られた伊織が。



 キレた。











「うぇえええええええええん!!!! いたいよぉ! いたいよぉ!」


 体格の良い男の子が、涙を流し膝を押さえながら、泣き叫ぶ。彼の肌は何かを叩きつけられたように赤くなっていて、彼は地に倒れ込んでいた。リーダー格の子供だけでなく、伊織を取り囲んでいた他の三人も、同じようにどこかを抑えては、泣いている。


 その中央に一人。奪い取った枝を握った伊織が、一人憤慨していた。


「うるせぇんだよ! 阿呆! 私の気持ちも知らずに......クソくだんねえ」


 爆発する感情と思いに混乱する伊織が、枝を握った震える右手を見つめる。そこにどこからか、新たに三人の子供が現れた。前を進み、他の二人を案内するように連れた男の子は、先ほどまでこの一団にいた傷だらけの細い子供。どうやら途中で、この場を離れていたらしい。


「玄一くん! あれ!」


 そう言って傷だらけの子が、伊織を指さす。それを確認した後ろに続く二人の子供が、状況を理解した。


 一人は、女の子。西洋寄りの服を纏った、可愛らしい姿。しかしその洋装は、彼女の男勝りな側面を抑えきれていない。


 そしてもう一人が、少し整えられた形の枝を二本握る、少年の姿。不敵に笑う彼が、跳躍して伊織の前に出る。そして彼が枝を握ったまま、伊織を指差して叫んだ。


「おいお前! 確かにこのばかたちがあほなことしたのは分かるけどな、強いんだからもうちった許してやれよ! なあ皐月!?」


 名前を呼ばれた少女が、強く頷く。ガクガクという音が聞こえてきそうなぐらいに。


「そうよそうよ! 玄一の言う通り! きっとこいつらもごめんなさいするもん!」


 唐突に現れた挙句、ただ襲われただけの伊織に文句を言ってくる、ガキ臭すぎる、というかガキの集団に、伊織がまたキレた。彼が玄一の方を向く。


「うるせえな! 群れやがってよォ!」


 彼が枝を構えた。術理をもって、枝を上段に構え振り下ろす。その一閃は霊力を含んでいないとはいえ、武を孕んだ一撃だ。素人、それも子供に受ける術などない━━


 それを見た玄一が、枝を交差させ、挟むようにして伊織の枝を止める。そしてそれを挟んだまま奪い取った。


「な━━━━」


 伊織が驚愕する。彼は彼が優れた人間であると知っていた。それは霊力や身体能力に限らず、剣の技すらもだ。ただでさえ剣術を覚えるのが早いというのに、それでいて努力を怠らない。今となっては、防人以外のものでは相手にすらならない技を持っている。


 しかしその確信をもって放たれた一撃は初見の子どもに受け止められ、その上彼は剣を奪われた。それは殆どの場合、戦場で死を意味する。



「へんだ! 俺の方が強いんだよ! だからゆるしてやれって! なかよし!」



 誇らしげに、口元を擦りながら玄一が言った。きゃっきゃと笑う皐月を無視して、伊織が見たことのないものを見たような顔をして見ている。たった一回の剣戟で、彼は確信を持った。伊織が玄一を見る目はまるで、彼のことを見つめる周りの人間の目のような━━



 自らが彼に向けた視線の正体に気付いた彼が、抑えきれぬと、大きく笑みを浮かべる。今までずっと感じてこなかったワクワクが、伊織を包んだ。もしかしたら、彼となら。そう伊織が期待して、声を発する。


「なあ。君の名前は、なんて言うんだ?」


 突如として落ち着きを取り戻した伊織を見て、玄一が怪訝な表情を浮かべながら答える。


「俺は、新免玄一っていう」


「新免......そうか」


「お前は?」


 息を大きく吸った伊織が、少し考えた後、答えた。


「私は、伊織」


 名前を覚えようと呟きながら、玄一が頷く。周りで泣き喚いていた子どもは、いつの間にか逃げるようにそこを立ち去っていた。皐月は様子を伺うように玄一のことを見つめていて、傷だらけの細い子は、興奮しながら何か礼を言いたそうな、そんな顔をして伊織と玄一の方を見ている。



「そうか、伊織っていうんだ。じゃあ、友達になろう!」



 その言葉を聞いた伊織はやらなければいけない鍛錬と学問を一時忘れ、男児にあるまじきことだと思いつつも、熱い涙を少しだけ浮かべた。


「ああ。友達になろう」


 瞳を潤わせた涙には、彼の凍った感情を溶かすような、そんな暖かさがあった。








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