第八十八話 病室。夜夜中。

 


 日が沈んでから、長い、長い時間がたった。


 病床の上。伊織あいぼう剣聖かれの話をした。


 一度話を始めてしまえば、言葉が体の中から湧き上がってくるような感覚になって、止まるところを知らなかった。


 彼らの活躍を語るときは、高揚しなんだか楽しい気持ちになって、まくしたてるように言葉を紡いだ。


 しかし俺たちの終わりを告げるときは、なんだか胸が締め付けられるように痛くなって、その何倍もの時間を要した。



 俺たち三人の、たった数日間。その長さに見合わぬ濃密な体験を、病室にいる彼らに語り終える。



「これで、終わりだ。これが物語だったのなら三人で生きて帰れただろうけど、そう上手くはいかなかったよ。俺以外、たぶん、死んでしまった」


 病室にいる、俺の話を聞いていた彼らの反応は、三者三様だ。



 話に熱中した秋月は、俺にのめり込んでくるんじゃないかと思うぐらいに、話が進むにつれてどんどん近寄ってきていた。こちらを見ていた秋月の目は、ぱんぱんに腫れている。


 途中、一度泣き止んだと思ったら、人型の魔獣に待ち伏せを受けた話をしたところで、また彼女が泣き出した。今も泣き止まず、ひっくひっくと声をあげながら、こちらを見ている。顔がしわくちゃだ。



 その秋月の横に座っている、終始真顔で話を聞いていた兄さんは、そこまで反応するかというぐらいに話にのめり込んでいた秋月を横目に見て、少し引いていた。


 俺の話を聞き終えた後、椅子にもたれかかる彼は真剣そうな表情のまま、天井を見上げ考え込んでいるようだった。彼は何も言わない。



 椅子に座らず立ったままの甚内は、口元の布をいじりながら、窓から見える夜闇の方を見ている。



 最後の一人、山名は左手で顔を覆って、またいつもの様に、目を瞑っている。その瞼が、何故かぴくぴくと動いていた。



「最後に待ち伏せていた魔物の群れを突破できず、剣城の銀は川に落ちて、剣聖は一人戦いに赴いた、か......」



 天井を見上げたままの兄さんが、静まり返った病室の中、そう呟く。


 彼が姿勢を正して、こちらの方を見た。


「ありがとう。玄一。お前の話は、本当に、貴重なものだった」


 そう言った彼がまた、俺の頭をくしゃくしゃに撫でる。おっきな手のひらが、俺の髪の毛をボサボサにしていく。しかしそれは不快ではなく、なんだか嬉しかった。目を少し細める。


 俺の頭を撫でる兄さんを見て、秋月が無言のまま、俺の方を向いた。その時、右腕を伸ばした彼女が兄さんの手を無言でのけて、俺の頭を上からガシッと掴んだ。突如として動き出した秋月に、兄さんがビビっている。


「え」


 秋月が俺の頭引っ張って、自分の胸元まで抱き寄せた。背中が曲がる。やばい。


「げん゛に゛ぢぃいいいいいいいいい!!!!」


 無理やり俺を引っ張ってきた彼女は、俺の後頭部の方に右手を伸ばし撫でながら、左腕と胸元のところに、絶対に離さないと言わんばかりに俺の顔を突っ込んでいる。


「げん゛に゛ぢにはわ゛だじがいるからねっー!!!」


「ちょいいだだだだだだ秋月! 背中! 二回目!」


 強く俺を抱きしめる彼女の涙が、俺の髪の毛に降り注ぐ。それと同時に彼女の体が、ふにっと俺の顔に当たった。柔らかい。


 怪我をして手当をしたからだろうか。彼女から包帯の、病院の匂いがする。その強い匂いに紛れて、紅葉の甘い匂いが微かに鼻腔を刺激した。


「秋月ィ! 玄一は怪我人なんだぞ! 離れろォ! 落ち着けッ!」


 唖然とし口を開けたままだった兄さんが再起動した。秋月を無理やり俺から引き剥がそうとするけど、秋月は俺の後頭部にがっちりと右腕を回しているので、取れる気配がない。むちゃくちゃな状況だ。


 あ、秋月の肩を掴んで引き剥がそうとする兄さんの動きで、めっちゃ背中動く。しぬ。


 ちらりと見れば、秋月の体から紅葉の霊力が漏れ出ていた。



「ぁ......ぉぉ」


「ええい! 何故霊力を纏っているんだ秋月! 玄一が声にならぬうめき声を出してるぞやめろ!」








 一切譲らぬ秋月と兄さんの大攻防の末、最終的に秋月が彼女の椅子をさらに俺の方に寄せて、俺の背中が痛くならない姿勢で俺を撫でることにより決着した。背中が曲がると痛いので、背筋を伸ばした状態になっている。身長差からか、右腕をぷるぷると精一杯伸ばす無言の秋月に今俺は撫でられていた。どういう絵だよ。


 兄さんが一息つく。秋月と兄さんがどんちゃん騒ぎになっていたというのに、甚内と山名は一切の反応を見せなかった。


 甚内は窓の方を見たままで、考え事をしているのか、一切口出ししてこない。普段の彼なら絶対に茶化すのに。


 椅子に大股で座っている、左手で顔を覆い続ける山名は、その騒ぎにおそらく気づいてすらいない。ずっと、深く考え事をしている。



「郷長」



 兄さんが、今なお片手で顔を覆う山名に声を掛ける。名前を呼ばれやっと意識のいくらかを飛ばしたのか、指の間から彼の視線が兄さんの方を向いた。途中、一瞬秋月を見て目を離した後、二度見する。そりゃ驚くわ。



「もう夜も深いですし、玄一と秋月も怪我人ですから、休ませたい。今日のところは、解散としましょう。また明日。玄一の話について、私と郷長。貴方で話し合いがしたい」


「......相分かった」


 山名が、震える小さな声で了解した。その後、彼が俺の方を見る。


「玄一。お前の過去は確かに......凄惨なものだったな。しかし、その中には肯定できる輝きも、残ったらしい」


 覆っていた手を退けて、彼の目と俺の目が合う。


「この西の兵員は皆......大侵攻以降、心に傷を抱えている。それを割り切っているもの。お前と同じように傷を抱えながらも、肯定できる何かを受け取ったもの。色々いるが......その中には、過去を否定するものもいる。それを覚えておけ」


 彼がゆっくりと、一息入れた。


「他に告げることはない」


 そう言った山名が突如その場から消えた。彼が座っていた椅子の上に、桜の花びらが散る。山名の横に突っ立っていた甚内も、彼の輪郭が何故かおぼろげになってきたなと思ったら、山名に続き溶け入るようにその場から消えた。なんだこの二人。


 この病室の中に残ったのは、俺と無言の秋月。そして兄さんのみ。


 兄さんが椅子から立ち上がり腕を上げて、体を伸ばす。彼の体が扉の方を向いた。


「......ままならぬ話だ。玄一。今日はありがとう。踏破群群長として、お前の兄弟子として、感謝を述べる」


 彼が戸を開けながら、こちらを慮るような声色で、そう言った。


「兄さんも聞いてくれてありがとう。おやすみなさい」


「ああ。おやすみ」


 彼が病室の戸を開けて、部屋を出た。先にいなくなった二人が謎な去り方をしたので、逆に奇異に映る。


 最後に残ったのは、未だに俺の頭を撫で続ける秋月。さっきからいないような扱いを皆から受けていたが、ずっと彼女は俺の頭を撫で続けている。山名が俺に話している時も。彼はどういう気持ちで語っていたんだろうか。止まる気配がない。


「なあ......秋月。そろそろ......寝たらどうだ?」


 忙しなく動かしていた右腕を止めて、彼女の瞳がこちらを見上げた。


「......大丈夫? 一人でも寝れる?」


 心配のしすぎだ。そう思ったけれど、秋月にとっては、俺がそれだけ危うく映るのかもしれない。心配しすぎなんじゃなくて、心配させすぎなのかも。


 彼女に大丈夫だと告げるために、笑顔を意識する。


「大丈夫だ。秋月。それに秋月も腕を怪我してるんだから、安静にしてた方がいい」


 笑顔を作った俺を見透かすような目をして、秋月がこちらを見た。


 しかしそれで納得したのか、彼女が立ち上がって、扉の方へ向かう。


 こちらに背を向ける彼女が振り向いて、優しい声色で、声を発した。


「玄一。おやすみなさい。二人で元気になったら、話がしたいわ。貴方に、伝えなきゃいけないことがあるの」


「ん......? わかった。じゃあ怪我を頑張って治そう」


「ん! じゃあ玄一! おやすみ!」


 秋月が元気よく歩き出して、部屋から出た。






 誰もいなくなったこの病室に、俺だけが残る。


 久しぶりに、彼らのことを思い返した。ところどころもやがかかっている部分もあるけど、多くのことを覚えている。


 ああ。懐かしい。これから俺は多くの人たちとともに、防人として魔物と戦っていくだろうけど、相棒と剣聖と肩を並べた、あの戦いを越えるものは、きっと経験しない。


 俺はきっと、楽しかったんだ。彼らとともにあるのが。戦うのが。あんな地獄の中でも。


 皆の仇を背負った俺がそんなことを思ってはダメだって、無意識の内にそれを忘れようとしていた。けれど、それは間違いだ。


 俺は、間違いなく楽しかった。あの三人で敵を薙ぎ倒し、ただ一つの目標に向かって西を駆け抜けたあの特別が━━━━


 でもやっぱり、辛い。母さんは、死んでしまった。シラアシゲにいた父さんも死んだだろう。


 皆はっきりとは言わなかったけど、あの話を聞いて、剣聖はともかく伊織あいぼうは戦死したと思っているだろう。俺は彼が死んでしまう場面をはっきりと見届けたわけじゃないが、生きている、なんて甘い話は、この残酷な世界には存在しない。



 ここから駆け抜けるのは、俺一人だけ。



 道中。あの時あちこちの死体がこちらを見ているような気がした。


 仇を取れと。我らが故郷を取り戻せと。ああ。俺も憎いさ。奴らが。シラアシゲを奪った奴らが。伊織を奪った奴らが。憎い。


 体を同じ様に掻っ捌いて引きちぎり、骨を抜いて、殺して、やりたい。ありとあらゆる手段を使って、殺戮の限りを尽くしてやりたい。



 俺はそれを......失ったものの代わりに、最後の生きる意志にして。師匠の元鍛錬を重ねた。それが俺の始まりだと思い込んで、二刀を握った。



 でも、それが始まりなんかじゃない。始まりはもっと純粋で、美しい、彼と紡いだものだった。



 始まり。それは、相棒と一緒に最強になりたいって刀を手に取ったこと。でも、肩を並べて最強に至る、彼はもういない。


 あの時願った、純粋な意志は一滴の憎悪に汚されて、もう存在しない。もう存在できない。けれど。


 俺たちは、離れていても、相棒。彼との軌跡を覚えている限り、きっと最強になれる。



 気づけば、涙を流していた。秋月のことをバカになんて出来ないくらいに、涙が、流れていく。こんなのは、全部そう割り切ろうとしているだけだ。本当は、ただただ彼に会いたい。



 彼とともにあった日々を思い出して、最強になりたいと願う意志が、胸に灯った。一度勢いを失ったそれは再び強く燃えあがり、緋色の霊力が、その思いを乗せて大気に漏れ出る。


 俺は、戦うんだ。彼がいなくとも一人で駆け抜けるんだ。


 なんだか感情がぐちゃぐちゃになってきて、まぶたが重い。疲れた。その心地よい重みに全てを委ねて、瞳を閉じる。

















 白む空に雲が泳ぐ。鳥の群れが編隊を組んで、空を駆けた。早朝、日の出を迎えたこの時間。タマガキの郷より、はるか東。


 出来るだけあの地から遠ざけようと設置された、大侵攻の戦没者墓地。大きな慰霊碑を中心に無数の墓標が立ち並ぶそこに、桜の花びらが舞う。一人の、歴戦の偉丈夫がそこを訪れていた。


 彼が歩みを進め、銀色の義肢が機械的な音を鳴らす。彼は不思議なことに無数の墓標、慰霊碑を無視して、その墓地の外れを目指した。



 しばらくして、傾斜を登った先。そこには、西の方を向く神木なのではないかと思うほどの大木がある。加えて根元にあるのは、一本の、真っ白な墓標。墓標の前には、最近のものだろう。花と香が添えられていた。



 しかしそこには、名も家名も記されていない。



 ただ、『剣の果て。ここに眠る。』と、記されていた。



 顔を真っ赤に染めた男が、墓標の前に立つ。



「......巫山戯るなよ。剣聖ぇぇぇえええええええ!!!!!」



 体を強く震わせる彼が、天にも轟くのではないかという声量で、強く叫んだ。



 彼がその銀の拳を真っ直ぐに繰り出し、その白き墓標をへし折った。桜色の霊力が波紋となり雷鳴となり、辺りに迸る。すんでのところで拳を止めた彼は、その大木を傷つけていない。


 隠すようにされたたった一人のためだけの墓地に、桜散り慟哭する。



「全て分かったぞ! 巫山戯やがって! 何故奴らをオレに託す!! あの機械女にでも、空を飛び回る阿呆にでも、任せておけばいいではないか!」



 へし折れ不完全になった姿の墓標を掴み、墓の向こうにいるものに問いかけるよう、轟かす。



「何故オレなんだ! 剣聖! 識ィ! なあ! 何故あの二人ではなく!」




「無空の境地に至れなかった! このオレに託す!!」


 



 彼が息を切らし、ゆっくりと空を仰いだ。怒り狂う彼が、何かに気づいて視線を後ろに飛ばす。


「......甚内。お前か」


 その声を受けて、木陰より黒装束の忍が現れた。その視線は、彼の怒りに冷めた理解を見せ、彼とともにあろうとする、主従の関係を示している。


「随分と荒れているようだな。郷長」


「............」


 銀色の義肢を付ける偉丈夫、山名は、その言葉に返事を返さない。何も見なかったことにしろと言外に伝える彼が、甚内に問う。


「お前こそ、奴に礼を述べなくていいのか」


 その言葉を聞いて、甚内の表情から緩みが消え去る。仏頂面を貼り付けた彼が、視線を外した。


「私はあの地で死なねばならなかった。任務と彼の願いを盾に、のうのうと生き延びた私が、玄一くんに礼を言うなど烏滸おこがましいよ」


「......難儀な奴だ。お前は救われただろうに」


 甚内が吐き捨てるように口にする。


「......俺は多くを語るべきじゃない」


 甚内が口元を抑えた。そして山名に、関永との話し合いの時間が近いことを報告する。それに山名が頷きを返し、いつもの彼が戻ってきた。


 冷静沈着。揺るぎなき西の大黒柱。さきがけの山名が、タマガキの方へと足を向けた。横目に、白き墓標を見つめている。


「甚内」


「なんだ。郷長」


「輝明に、踏破群とともに帝都に入るよう伝えろ。奴に白露しらつゆ家と連携させ、場を整えさせる」


「......彼は優秀だ。こちらにいてくれた方が助かるが」


 山名の指示に、甚内が難色を示す。参謀の輝明。第四踏破群の窓口を務めた彼は職務に忠実で、老練な実力者だ。私情を交える節があるが、それに目を瞑っても問題ないほどに、彼は優れている。


「数年後を見据える。必ずタマガキの防人を、帝都に派遣しなければいけない時が来る......大太刀姫を表舞台に引き摺り出したいのだ。彼らは」


 それが交換条件になる故、是非もなしと山名が呟く。決定事項としてその指示を甚内に告げた山名は、その隻眼で西を見据える。


「西の歩みを止めてはならない。あの話を聞いて、さらにそう確信した」


 彼が左手で何かを思い出すように、銀色の義肢を撫でる。


 その後、彼が左腕を胸元において、拳を強く握った。



「一ヶ月後。再び反攻を開始するぞ」



 頷きを返した甚内は木陰に消えて、山名が左腕を振るう。


 吹き荒れる西風に乗り、桜の花びらが舞う。


 それがゆらゆらと宙を泳いで、白き墓標を慈しむように撫でた。









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