第八十七話 これから駆け抜ける君へ




 東の空に昇り始めた太陽が、空を白め、大空を青藍へと塗り替える。オレンジ色に山の輪郭を染めて、その容貌をはっきりとさせた。空には光り輝く、明けの明星がある。


 一度日が出てしまえば、どんどん空が明るくなっていく。


「行こう。新免」


 眩い陽光に当てられて、しかめっ面を見せた伊織が言った。



 



 耳を澄ませてみると、はるか東から誰かと誰かが争う剣戟の音が聞こえる。友軍はこの西部山岳地帯で大侵攻を食い止め撃退しようと、必死なようだ。


「伊織くん! 玄一くん! ただ着いてきてくれ!」


 剣聖がそう叫んだ。前方。右方。左方。後方。全方向から魔物がやってきている。やはり奴らに彼らを逃す気はないらしい。空想級魔獣上位、”白澤”が率いたものと同じ規模の魔物の群れが、彼らに雪崩を打って押し寄せる━━


「勇ましき心よ! 我が剣に重なれッ!」


「白雲!」


 彼が再びその剣を引き抜こうとして強く柄を握る。前の彼だったら刀を抜かずとも、この規模なら簡単に対応できたはずだ。やはりどこかおかしい。伊織はいわずもがな、俺でさえ違和感を覚えはじめている。


 なんたって俺たちが初めて彼に会った時、彼は戦略級魔獣”落ち葉なき巨人”の群れを、刀も抜かずに一筋の剣閃のみで撃破したのだ。そんな彼が、魔獣が少し混ざった程度の魔物の群れにその剣を引き抜こうとするなんて。


 彼が白亜の霊力を高めて、刀身に心を灯す━━!


「雨空」


 彼が抜刀し、回転して一閃。


 彼が白雲を鞘に収めたその時。空から雨粒ほどの小さな斬撃が降り注ぎ、辺りを覆った。小さな小さな一閃が魔物の頭蓋を打ち抜き、脳髄をぶちまけさせる。


「走れ!」


 彼が鞘を持って腰に差している野太刀を支えながら、速度を早駆けのものに上げた。俺たちも死力を尽くし、足を回す。


 右方。魔物の群れに合流するような形で、一際大きな尻尾が目立つ、狐のような見た目をした魔獣が彼らに並走した。


「まだ来るか! 白......」


「烈ッ火ぁあああああああああああああああああああ!!!!!!!」


 野太刀を握り対応しようとした剣聖を越えて、天にも届く劫火の轟音が、叫び声とともに放たれた。


 その劫火を避けようとした狐が跳躍して、火の粉に巻かれる。


「伊織! お前もいつまでぼーっとしてんだ! 戦え! 俺たちも戦うんだよ!」


 柄を握ろうとした状態のまま、走りながらもあっけにとられている剣聖。


 人類最強の呼び声高い彼の指示を無視して、攻撃を始めた自分の親友に対し驚きを隠せない伊織。きっと、俺が防人じゃなかったから、彼の指示を無視できたのかもしれない。


「っ......! ああ!」


 伊織が打刀を握って、朝鍛の妖艶な刀身を見せつける。続けて、俺も腰元に差した夕練を引き抜いた。左手に脇差を。右手に『火輪』を灯す━━!


「............頼んだよ。二人とも」


 彼はそれを責めなかった。むしろそれを見て何故か笑みを浮かべ、喜びがその雰囲気から伝わってくる。今思えば、こうして三人でともに戦ったのは、この時が初めてじゃないのか。


「絶対に勝つんだ! ここで!」


 俺が己を鼓舞しようと叫ぶ。一瞬、途轍もない痛みが彼の右手に奔った。刀を構える伊織も顔を険しくさせて、痛みに耐えている。ぼろぼろの体を何度も立ち上がらせるのは、人と人の繋がりだった。


 彼らが武器を構えながら駆け続ける。途中、敵の油断を見抜いた伊織が左方より迫っていた魔獣の首を、一気に詰め寄り斬り落とした。その隙を突こうと伊織に襲いかかってきた魔物の群れを白亜の剣閃が撃破する。俺が右方より迫り来る魔物を見て、彼らの背中を劫火で守った。流れるような連携。


「ここに賭ける......!」


 彼も熱くなっているのだろうか、剣聖の落ち着きは消えて無くなった。彼が俺たちとともに戦っているという喜びと興奮に身を任せ、白亜の霊力を迸らせた。その勢いで、大地にも白亜の輝きが移る。


「空明」


 そう彼が己の技を言霊として吐き出したその時。無数に展開された白亜の剣閃が、互いの輝きを反射してそれを増し、爆発した。辺りに追走していた魔物が全て吹き飛ぶ。


「今だ! 本気で走れ! そろそろ切り立った崖で挟まれた川があるはずだ! そこを渡れば後少しで友軍に合流できる! 行くよ!」


 彼が強く地を蹴って、先行する。それに付いていこうと、俺と伊織が頷きあって速度を上げた。緋色の残滓と白銀の残滓が混ざる。






 剣聖の攻撃を受けてなお追撃しようとする魔物を無視して、俺たちが駆ける。先ほどまではあんなにいたのに、今度は不自然なほど数を減らしていた。


「見えた! 前方!」


 彼らが向かう先では、確かに切り立った崖が向かい合っていた。間を繋ぐ橋はないようだが、跳躍すればなんとか届くだろう。



 加えて地を削るのではないかというほどの激しい水流の音が聞こえた。どうやら川の流れが早いらしい。川は崖の下にあるので、崖の上にいる俺たちにはっきりとはわからないが。もし足を滑らせれば、危ないだろう。


 俺たちが辺りを見回す。先行したはずの、剣聖の姿が見えない。


「彼は一体どこへ...... ?」


 伊織が不安そうな声色で、必死に彼を探した。


「相棒! あっちだ! 見ろ!」


 その姿を、俺が対岸に発見する。白雲を握った彼は、人型の何かと交戦していた。


 大きな笠を被り、骨で出来た剣を持つもの。その動きは洗練されており、あの剣聖と鍔迫り合いになっている。笠を被った奴が上を向いて、その顔が見えた。そいつには、目が無い。目がある場所はずの場所には何も無く、その顔には口と鼻しかなかった。人型の、魔獣。



 剣を斬り結ぶ彼らの元へ、影を差して何かが飛んでくる。


 右手に包丁を握った、老婆の妖。脚に比べ極端に長い腕を振るって、空から勢いをつけながら彼に斬りかかろうとした。


 それを見た彼が、笠を被った魔獣の剣を強く弾いて、吹き飛ばす。返す刀で老婆の包丁を受けて、白亜の剣閃をあたりに撒き散らした。


 そのうちの一閃を老婆が貰い、奴も吹き飛ぶ。とんでもない高速戦闘。


「昨日の奴......それに......新手だと?」


 剣と剣を激しく交え火花散らす彼らを見て、伊織が言う。対岸にいる俺と伊織に気づいた剣聖が、強く地を蹴り跳躍し、俺たちの元まで。


「剣聖! あれは一体何なのですか!」


 伊織が朝鍛を構えた。チャキ、と鉄の音がなる。


「......そこらの魔獣より強いと思ってくれて構わない。戦うよ。伊織くん。玄一くん」


「了解!」


「わかった!」


 それぞれが霊力を灯し、大気に色が混ざり合う。その姿を見た老婆の魔獣が、なぜか腕を振るった。


 瞬間。崖に到達するまで一体たりとも見なかった魔物が、草木に紛れ辺りから湧き上がる。それを見た剣聖が、強く舌打ちをした。


「あの二体は私が相手をする。伊織くんと玄一くんはまた、耐えていてくれ」


 その野太刀、白雲をずっと抜きっぱなしの彼が、空想級魔獣”白澤”と戦った時のように、そう言った。伊織と俺が何か返事を返す前に、彼が飛び出して刀を振るう。


 老婆が彼を包丁で迎え撃った。しかし笠を被った魔獣は剣聖を無視して、入れ違うように伊織と俺がいる方へ渡ってくる。それに気づいた剣聖が奴を止めようと白亜の剣閃を放つも、骨の剣で打ち消された。


 そう剣聖の思い通りに動くかと、その魔獣が言っているようだった。右手に握った骨の剣を振りかぶり、駆けて向かうのは白銀の元。



「舐めるなよ......!」



 白銀色の霊力で体を満たした彼が、魔獣を迎え撃つ。あの剣聖と剣を交えることのできた奴を相手に、伊織がなんと巧くあしらっていた。敵の攻撃をいなすのが上手すぎる。彼も戦いの中で成長しているというのだろうか。


 その時。火花を散らす奴の背後に、白亜の刀身が迫る。瞬間。その一閃を感知した笠被りの奴が、転がりまわってその一撃をなんとか回避した。俺が対岸の方へ勢いよく振り向く。気づけば老婆は鳩尾に重い拳撃を加えられたようで、身動きがとれない状態にあるようだ。



「伊織! 魔物が来る!」



 相手はあの二体だけじゃない。後方から湧き出た魔物たちが、伊織と俺の元に殺到した。


「烈火ァ!」


 劫火が迫り来る奴らを包んで、燃やし尽くす。それは今までで最も高い火力を誇る一撃だろう。その威力に、ゴブリンが塵と化している。


 しかしそれで終わりではない。さらなる魔物が、奥から湧き出た。それに対し対応が可能なのは俺と伊織だけ。老婆は既に起き上がり、剣聖へ襲いかかっている。彼は奴ら二体と剣戟を交えており、いくら押しているとはいえ、俺と伊織への援護ができない。



 俺と伊織が、二人で何体もの魔物を撃破していく。振り絞った最後の活力。それを全てここで使い切らんと刀を振るい、霊力を高めた。今すぐにでも吐いてしまいそうな、そんな気持ち悪さを彼らが抱えた。


「烈火ァアアアア!!!!」


 戦う意志を、べて燃やすは不退転の炎。劫火が、伊織の方へ飛びかかろうとした魔獣の肉を燃やす。炎を煙幕代わりにして、伊織がその魔獣を真っ二つに斬り殺した。


 迸る白銀の霊力。この逆境を前にして、伊織がどんどんその霊力の質を高めていった。彼の成長速度が、凄まじい。鎧袖一触。戦略級魔獣を物ともせず打ち破っていく。


 朝鍛を振りかざす彼が、新たな敵の登場を目撃した。


 前方より新たに現れたのは、上半身しかない、足が無い魔獣。その移動を助ける両腕は異常に発達しており、その体よりも長かった。


━━!」


 伊織が跳躍して、奴の首を素早く裂く。間違いなく致命傷だ。もう放置して構わないと判断した俺が、奴の方を見ずに別の魔物の対応をする。


 伊織も斬り抜けて、完全に撃破したと確信している。本来ならば、これで間違い無かったろう。


 しかしこれが、失敗だった。


 首がちぎれてしまうほどに切り裂かれ、死を待つのみだった奴は何故か止まることなく。



 その拳を溜めて、振るおうとした。



 その拳が狙うのは、脇差を握り炎を放つ少年。


 なぜ気づかなかった。クソが。



「新免! 危ない!」



 彼と奴の間に割って入る、白銀の輝き。朝鍛が奴の拳に直撃して、甲高い音が鳴った。その威力に耐えきれぬ伊織の左手から朝鍛が上空へ吹き飛び、拳撃を止めきれなかった彼の体に、拳に直撃する。



「ゴフッ......!」



 俺を守ろうと不完全な姿勢で敵の攻撃を受け、完全な一撃を決められた伊織が後方へ吹き飛んだ。彼が飛翔し向かっていくのは、崖の方。



「相棒ぉおおおおおおおおおおおおお!!!!!」



 刀も投げ捨て、俺が伊織を掴もうと飛び出した。ここまで重い一撃を貰って、そのままあの流れの早い川に落ちてしまえばきっと助からない。そう確信した俺が、緋色の霊力を地に刻みつけて、彼の右手首を崖の上でかろうじて掴む。彼の肉体は、今崖の側面にあった。手を離せば、そのまま落ちていってしまうだろう。


「伊織! 頼む!お願いだ!手を握ってくれ!」


 頭から血を流す彼は、俺の手を掴まない。彼の体を支える、俺の右腕が震える。



「なあ......新免。わたしのしんじたきみなら...... 一人でも最......きょになれるよな」



 口から血を吐き出して、彼が言った。その言葉に、力強さはない。



「無理だよ! 相棒! そ、そうだ! お前は俺の相棒なんだよ! お前がいなきゃ俺は最強になれねぇし、お前も最強になれない! 伊織! 頼む!」



 不思議なことに、無防備な状態にある俺を魔物たちは攻撃してこない。いや、きっとできなかったんだろう。周辺から聞こえる、剣の音を聞けば、それが剣聖のものであることは明白だったから。


 彼を止めようとする二体の足音とともに、昨日聞いた遠吠えの持ち主であろう狼の、鳴き声が聞こえた。どうやら今、彼は三体一の状況にあるようだ。しかしそれを無視して、俺が語りかける。



「なあ伊織! 帰ったらもう一度模擬戦をしよう! 俺とさ、今度はズルなしガチンコの勝負だ! それが終わった後、大人みたいにさ、お酒でも飲もう! そん時だったらきっとお前の親父も俺の母さんも文句は言わないって! なあ! お前がいてくれなきゃ俺はダメなんだよ!」


「うるさいな......まったく」


 胡乱げな表情をして、彼が俺の方を見上げた。俺の目から零れ落ちる涙が、伊織の顔にかかる。


「雨か......晴れのほうがすきなんだけどな」


「あい、ぼう」


 俺の手を全く握ろうとしなかった伊織が、それを掴んだ。


「私の信じた相棒......俺が唯一対等になれる......かけがえのない、あいぼう」


「そうだって! 俺はお前の家族でも親友でもなくて、相棒なんだよ! 生きろ! 生きて二人で......」


 彼が強く、俺の手を握った後、優しく撫でるようにする。


「だからさ」


「私、たちは、離れててもあいぼうだし、それをおぼえていれば、最強になれるよ」


「いお、り」


「でも、肩を並べてたたかえたのは、ほんとうにたのしかったな......いとおしい」


 地を踏みしめる、誰かの足音。


 続けて言葉を掛けようとした俺の腹を、誰かが強く蹴飛ばした。強く蹴られた衝撃で、伊織を掴む手を離す。


 激痛に悶え衝撃を逃そうとする俺が、横へ転がる。手放した彼の行く末を見る目は、離さなかった。


 伊織がこちらを見ている。ありがとうと、そう口にしていた。


 ドボンと、川に落ちる。うつ伏せに浮いたまま、彼が流れていく。見えない方へ、行ってしまう。嫌だ。離れたくない。お願いだ戻ってきてくれ。


 彼が視界から消えた。


 地に伏せたまま、俺が一心不乱に蹴りを入れた奴を探し始めた。その正体は、笠を被った、あの魔獣だった。


「クソ、クソクソクソ。殺す。殺す。絶対に、俺の相棒を、最後の、人を」


 胃液を口から撒き散らし、嘔吐しながら、立ち上がった。地に突き刺さった朝鍛を右手に、地に転がっていた夕練を左手に。握る力も、刀を支える力もない俺の体がだらんとして、構えのない構えを取った。


 こちらを観察する笠被り。それを鋭く睨む俺。



 そいつ目掛けて。


 袈裟斬りにしようという白亜の剣が、振って放たれた。


 その姿を見て、俺が瞠目する。怒りに満ちた、圧倒的なまでの剣気。戦いを重ねるにつれて失っていったそれを、彼が最後に取り戻して、初めて見るほどのものへ変えた。


 奴の骨剣がへし折れる。彼がそのまま首を取ろうと刀を構えたが、後ろからその隙を突こうと、老婆と犬が跳躍した。


 しかし彼は気づいている。


 彼が、再び白雲を振るった。その一閃で、彼へ襲いかかろうとしていた老婆と犬を吹き飛ばす。


 それだけではない。白亜の剣閃が、再び場を包む。


 辺りを見渡せば、白亜に塗れた死屍累々。湧き出ていた魔物は全て地に伏せ、ぴくりとも動かない。


「剣聖。お、れ、も」


 少しでも戦おうと立ち上がる俺の首元を掴んで、彼が跳躍。対岸へ渡り、駆け出した。







「............」


 しばらく全速力で駆けていた剣聖が、優しく俺を下ろす。


「剣聖。俺も、かあさんの、とうさんの、さつきの、いおりの、いおりのかたきをとらなきゃ」


 立ち上がろうと、片膝をついた状態のまま力を失う俺。それを、立ち上がって上から見つめる剣聖。二人を陽光が照らして、影が差した。


 最後の支えあいぼうを失った俺に、冷静さはなかった。


 彼が俺の方へ背を向けて、そのまま離れようとする。


「まってください、まってくれ」


 俺がそう、懇願するように口にする。彼が体を向き直り、こちらの方を見た。



「新免、玄一くん。君は生きてくれ」


「なん、で?」


「......身勝手なことだけど、覚えていてほしいんだ。私たちが駆け抜けたここで、私と、伊織と君で過ごした時間は、最高だったってさ」



 彼の剣気が強まる。それは、きっと最後の輝き。



「残念だけど、ここから駆け抜けるのは、君一人の役目だ。他の誰にも出来ないんだ。君にしか、託せない。君だから、託せるんだよ」


「どう、して」


「今はわからなくてもいい。ただ、シラアシゲで過ごした時間だけを、否定しないでくれ」



 この時、言葉は耳に入ってきたけど、何も、わからなかった。ただ素直に、その想いに応える。



「いおりと過ごした時間を、否定なんて出来ないよ」


「━━なら大丈夫だ」



 彼が白雲を手にする。白亜の霊力を回転させて、強くそれを握った。



「ありがとう。そして、さようなら。ここからは君一人。東へ行け」



 凛とした声が、白亜の霊力とともに俺の耳へ響く。それに頷きを返した俺が、おぼつかない足取りで、彼から背を向けた。



「━━━━。」












 歩き続けた。進んでいる気はしない。後ろの方で、慣れ親しんだ剣の音がする。





 その音が弱まって、言い争う声が聞こえた。なんだろう。





 振り返らぬ俺でも気づけるほどに、今度は白金の輝きが、空を満たした。





 木の根に足を躓かせて、転んだ。強く地を蹴るような、地鳴りが鳴って体に響く。






 辺りに全くいなかったはずの魔物に、動きがあった。二刀だけは、離さなかった。



「キョォキキキカカカカキキキキキキキキキキキキキキキキキキィイイイイい!!!!!!」



 後方より、こちらを捕捉する魔物の声が聞こえる。


 ここで記憶が、一度途絶えた。


 最後に聞こえたのは、こちらを取り囲む誰かの音だった。













 彼が目覚めて、森を歩く。ここがどこかは、分からない。視界に、淡い空色が滲んだ。



 進んでも進んでも、森を抜けることができない。どれだけの時がたったのだろう。



 俺には、もう何も無い。生まれ育った場所も。血縁も。憧れも。



 掛け替えのない、相棒も。



 彼らを探して、森を彷徨った。俺の体から出ているように見える、淡い空と殿茶色の木々が、ぶつかって弾けた。



 歩き続ける。そして、疲れ切って座り込んだ。どこにも、行けない。おれは、からっぽ。









 時が経つ。



 何かの音が聞こえて、数年振りなんじゃないかと思いながら、俺が目を開いた。




 世界が割れて、砕け落ちる。灰白色の霊力が、殿茶色の世界を割った。




 明かりが眩しい。本物の陽光を見るのはいつぶりだろう。目の前に、一人の男と一人の女性が立っていた。




 男の背は秋月と同じくらいに小さい。子供っぽい短髪をしていて、背には二本の鉞が差し込まれている。服の上からで分かるぐらいに、鍛え上げられた体があった。


 彼の一歩後ろに侍る女性は、彼よりも背が大きい。それも、山名と同じぐらいに大きいんだから、二人が親と子供みたいに見えてしまった。彼女の後ろで纏めた髪が、辺りを見回すと同時に揺れる。


 世界を見回す彼女を無視して、彼が歩き出した。


 彼がこちらへ歩み寄るのと同時に、灰白色が波紋となって世界に広がる。森が、揺らぐ。




「群長。これは━━」


「言葉は無用」




 彼が俺の目の前に立つ。しゃがれた低い声が、耳に浸透した。


 彼がしゃがみこんで、俺を掻き抱く。



 誰かは知らないけど、その暖かさは、彼のものと同じだった。



 目の前にいる、誰か知らない人が泣いている。たった一筋の涙が、頬から滑り落ちていた。


 続く涙は、もうない。



 その姿を見た女性が、驚愕して目を見開かせた。



「群長。泣いて、おられるのですか」



 群長と呼ばれた男が、女性の方へ振り向く。



「いや」


「これでいて、泣き喚いている」



 その暖かさに、瞳を閉じた。この森に来て初めて、眠りに、つく。


 






 次に俺が目覚めた時にいたのは、平屋。帝都の特殊霊技能養成機関の近くにある、誰も訪れない湖畔のほとり。


 目が覚めたら全く知らない場所だった俺に、彼がその低い声で、状況を説明した。


 まず、西で大侵攻が発生してから、二年の時が経ったこと。最初に襲撃を受けたシラアシゲの郷の生き残りは、俺を除いてたった一人しかいないこと。彼はゆっくりと、皆が死に、俺には何もなくなったことを、告げた。 


 呆然とする俺。自暴自棄に叫び暴れようとした俺を、彼がぶん殴って吹き飛ばした。お前は駆け抜ければならぬと。あの想いを、忘れるなと。


 彼が俺に生きる理由を与える。


 俺のことを見つけてくれた識君は、問答無用で俺を弟子とした。


 技もへったくれもない俺を、伊織と同じように防人にする。そう言った。


 彼と、魔物を殺すことだけを考えた一年間。それを終えて俺は、タマガキの郷に配属されたんだ。



 それが、俺の物語かこ


 この物語を背負って、俺はのうのうと、今日を生きている。






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