第八十六話 星空。夜明けを俟つ。

 


 雲に月の輝きが沈む。道案内をしてくれたその輝きに代わり、天を埋め尽くす星々が彼らを導く。


 星の明かりの下、夜を往く。静まり返った辺りに、三人の地を蹴る足音が響き渡った。


 振り返ることなく、前を行く剣聖。それに二人並びついていく、少年たち。


 この決死行の終わりが近い。この旅を見てみれば、この三人で過ごした時間は、実に短いものだ。



 人との関わりを持とうとしなかった防人最強。剣聖。


 その年齢に見合わぬ強さ。天才と呼ばれた、シラアシゲ郷長の息子。伊織。


 そして、ただ伊織とともに強さに憧れて、最強になろうとした俺。玄一。



 皆がバラバラ。孤高の最強に、前途洋々の天才と、その相棒を名乗る変な奴。たった数日間。それぞれの間に関係はあったけど、この三人で動いたり、時を共にしたのはこの時だけだ。


 三人で何かを語り合ったことはない。ただ肩を並べて死地を共にしただけ。


 しかし何故だろうか。この三人でいた時間が、本当はもっと長かったもののようにすら感じる。この時間を、記憶を、忘れることができない。色褪せることはあっても、心に残り続ける何かがあった。


 彼らの姿を見る。彼らの歩みに、初日の力強さはなかった。


 いつ倒れてしまってもおかしくない。シラアシゲを離れてから何回か休息を取ることが出来たとはいえ、ここまでの激戦を経験したことはないし、あまりにも多くのことが俺と伊織に起きすぎていた。疲れが見えている。しかし精神を病んでないのを賞賛すべきか。


 俺たちだけではない。剣聖も、俺たちが戦いを始める前からずっと戦っているからだろうか、俺の目には普通に映るが、伊織にとっては異常事態に映るほどに変化があるらしい。言うなれば、全員が極度の疲労状態にあった。


 星明かりの下、夜に歩く。足音だけだった辺りに二人の声が混ざった。


 疲れなんてないと強がるように、平気な顔を意識して俺と伊織が会話を始めた。今するのかと引かれそうなぐらいの、くだらない、他愛もない話。前を行く剣聖は、無言で彼らに耳を傾けている。


 会話の途中。何かに気づいた伊織が、剣聖の背に向かって声を発した。


「剣聖。そういえば......父上が剣聖に伝えてくれと言っていたことがあります」


 私にはどういう意味なのかわかりませんが、と彼が続ける。その前置きを聞いて、剣聖がピクッとわなないた。


「お前が何をしたかったのか結局分からなかったが、俺は分かっている。その果てを征けと。最後に、そう仰られました」


 剣聖。歩みを一切止めていなかった彼が、立ち止まった。


「......そうか」


 そう返事を返した後、しばらく経って彼がありがとうと伊織に伝えた。その表情は、見えなかった。







 ゆっくりと、彼らが歩みを進めていく。


 友軍がいるであろう西部山岳地帯、そしてその指揮を取っているであろうタマガキの郷へ。


 魔物や魔獣の姿は夜闇に紛れて見えず、剣聖も鯉口を切るのをやめた。今襲いかかったところで、魔獣がいなければ剣聖の牙城を崩すことはできないと判断したのだろう。敵の姿はない。奴らも夜明けを待って、攻め入る魂胆だろうか。


 夜明け。今までの早駆けの速度からして、もし突破することができるのであれば、明日、友軍と合流することができるだろう。


「後少しだ。新免」


「ああ。相棒」


 気力はある。しかし足がどうにも重かった。この重さを、ずっと覚えている。足にこびりつく痛み。倦怠感。泥と血に塗れた細足を、俺がちらりと見つめた。


「私たちが、承継せねばならない。白葦毛の魂を。想いを」


 俺に生きろと励ますようにして、伊織がそう決意に満ちた顔をして呟く。彼から感じ取れる意志の奔流は、十三歳のものに見えない。彼の父親である剣城が、伊織のことを意思のある子と評したのも納得できた。目的意識が、強い。


 ただの民間人だった俺とは違う、唯一生き残ったシラアシゲの防人としての意志を、この時感じ取った。


 彼が知る先輩の防人は皆死んだのだろう。彼の父であった郷長も、最後には形を失った。慣れ親しんだ地はもうなく、東の地がの彼を待っている。


 突如、前方を進んでいた剣聖が振り返らずに声を発した。


「違う伊織くん。明日だ。明日に全てがある」


 その声色から感じられるのは、後悔の念か。



昨日かこのために生きるな。明日のために、今日を生き続けろ」



 彼がはっきりと口にして、伊織の独白を否定した。その背を、伊織は真顔で見つめている。


 彼がやっと振り返って、伊織の方を見た。剣聖と伊織が見つめ合って、その視線と視線がぶつかった。


 ただただ不思議そうに瞳を見つめる伊織が、静かに言い返した。



昨日かこに明日を求めてはいけないのですか」



 その言葉を聞いた彼が、何かに面食らったような顔をして、目を丸くさせている。続けて自嘲の笑みを浮かべて、こう言った。


「......これは懺悔みたいなものだ。失敗したんだよ。私は。否定してくれて構わない」


 己を恥じた彼がそういって、意味もなく口元を拭った、鞘を握り星明かりに照らされる彼は、どうにもならないほどに美しい。一息入れた彼が話題を切り替える。


「この先の地形は今まで通ってきた道とだいぶ違う。足を取られないように気をつけてくれ。崖から落ちるぞ」


 そう言った彼は地を踏みしめて、また前を向いて歩き始めた。彼は向かうその先を、恐れていない。しかしそれについていく伊織と俺の足取りは、だんだんと覚束なくなってきた。終わりが、近い。彼と肩を並べているという事実だけが、彼らを突き動かしていた。



 剣聖の揺るぎない背を見て、彼らがついていく。



 剣聖。山名や師匠と同じサキモリ五英傑の中でも、抜きん出たとされた存在。整った顔立ちを持つその美男子は、その容姿も剣も老いを見せない。二十年前戦っていた古参というのが信じられないほどに、剣聖と......時の氏神は若々しかった。


 時の氏神。兄さんが手がかりを探しているといっていた、サキモリ五英傑の一人。結局彼女を、この旅の中で俺と伊織が見ることはなかった。


 剣聖の口ぶりからして彼女は単独行動をしていたようだが、結局合流することはなかったし、どこにいて何をしていたのかも知らない。生きているのかも知らない。


 もし、もし彼女が俺たちと一緒にいて、四人で行動することができていたら。皆でタマガキまでたどり着くことが出来たのだろうか。どうしても、もしを探してしまう。これから起きることを思うと、考えずにはいられなかった。


 元々俺の過去は、血盟が俺と剣聖に触れたことから兄さんに話してほしいと言われたものだ。しかし、その目的から大きく脱線している気がする。結局、第陸血盟 犬神の言ったことの意味は詳しく思い返してみても、俺には分からなかった。俺の話を通して、聞いてくれている兄さんや山名に何かわかることがあればいいが。そう考え込む。


 明日を生きろ、か。剣聖の言葉を借りるならば、昨日シラアシゲのために戦おうとしている俺は間違っているということになる。だがそんな人間はいくらでもいるだろう。もしかしたらこの言葉は伊織に向けているように見えて、彼自身が自らを罰そうと言い放った言葉なのかもしれない。


 明日にだけ生きられる人間は、いるのだろうか。



 彼らが夜明けをつ。明日が求めたものであろうが、邪悪なものであろうが、そこに全ての決着があった。













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