第八十五話 決死行

 



 四方。魔物を襲う白亜の剣閃。


 顔を裂く。腕を切りとばす。細切れとなる。叫びを上げる暇もなく、ただただ、死を押し付けられていく。


 圧倒的なまでの武威。これが、剣の果て。


 白亜の天蓋が彼らを包む。


 俺と伊織を包むそれは、星々を浮かべる大空のよう。それに触れて、辺りを覆っていた魔力が吹き飛ぶ。そこには霊力も、魔力も、何も残らない。まっさらだ。



「これが......剣聖」



 防人最強。その本気の一撃に当てられた俺が、そう呟いた。


 気づかぬうちに納刀していた剣聖が、白亜の輝きで体を覆う。彼の身を包んでいた青黒い血液が、吹き飛んで消えた。彼のその美しい長髪が元の白に戻る。前方にある、”白澤”の首が彼を見つめているような気がした。


「行こう。少しでも東へ。まだまだ、敵が来る」


 そう言った彼が、東の方へその視線を飛ばした。最大限の警戒を見せるそれは、更なる敵を予期しているよう。


 彼が駆け出して、俺たちが続いた。






 あぜ道を俺たちが突き進む。剣聖が再び鯉口を切って、妨げとなる魔物を撃破していた。しかしその勢いは、先ほど見たものより少し劣る。


 進むにつれて、誰かに倒された魔物の死体を見つける。しかしそれと同時に、濃い血と泥の匂いがした。


 ああ。やはりここは、この世の地獄だ。


 東へ近づくにつれて、道中の郷や基地の兵員だろうか、少しでも魔物の勢いを止めようと抵抗した部隊の残骸が見える。


 五体満足に死ぬものは誰一人としてなく、皆、どこかを失っていた。


 引きちぎられて、腕がない。

 歯型が肉について、顔がない。

 へし折れた槍を墓標に、肉塊と化し形がない。



 伊織も俺も、唇を強く噛み締めて、その姿に目をそらす。ああ。これでシラアシゲがどうなったのかを、再確認させられてしまった。都合のいい生などない。戦いの果てに、誰かもわからなくなってしまった彼らの、冥福を祈った。


 剣聖が鯉口を切って魔物を殺す。焦燥した表情の彼が、遥か遠くから殺意を飛ばしてくるものの存在に気づいた。


「空想級が混じっている......まだ若いが......」


 敵の存在を察知した彼の元へ、更なる敵が到来する。空を飛ぶ、ワイバーンに近い見た目をした戦略級魔獣。奴が翼を何度も叩いて、剣聖の前方で滞空した。


「キシャァアアアアアアアアア!!!!」


 彼が鉄の音を鳴らして、白亜の剣閃が奴を迎え撃った。


 白亜の剣閃を、二撃。首を二度切り裂き、そうして魔獣の息を絶たせた。彼が一息つく。


「......だめだ」 


 走る伊織がわななきまがら、口にする。想いを暴走させた彼が、銀の輝きを見せた。


「剣聖! やはり私たちも!」


「ダメだ! とにかく駆け抜けろ! 介入が来る!」


 普段は冷静な剣聖が、珍しく伊織を強く否定して叫んだ。刀の鞘を握って、彼が走り続ける。後方からくる魔物を無視して、俺たちも続く。



「━━━━ウォオオオォオオオオオオンン』



 その時。何か、狼のもののような遠吠えが聞こえた。独特な音程を持って放たれたそれは、何かを知らせているよう。



「くっ......!」



 安定していた彼の白亜が揺らぐ。やはり彼は、度重なる激戦の果てに体を━━


 何かに気づいた彼が、全く抜いていなかったはずの刀を突如として引き抜いた。彼がこの刀を抜いたのは、空想級魔獣上位”白澤はくたく”と戦った時だけだったというのに。


白雲はくうん!」


 刀身を迸る白亜の電光。


 彼が跳躍して、全く俺たちが気づけていなかった、前方より迫ってきていた人型の魔獣と衝突する。探知を行なっているのに気づくことが出来なかった伊織が、声を漏らして驚いた。


 その魔獣は手に包丁を持ち、老女のような見た目をしている。着物を身にまとい、小綺麗な格好をしたそいつが、彼の刀を包丁で受けた。


「なっ━━━!」


 それを見て伊織がさらに驚く。初めて見る、剣聖と敵の剣戟。刀と包丁が金切り声を上げ、火花を散らした。


 空想級魔獣上位を一方的に撃破した彼を相手に、駆け引きを成立させる敵がいるなんて。術理に満ちたその包丁さばきは、彼の剣を相手になんとか善戦している。剣の果てに至った彼が、圧倒できていない。


 老いた女性の顔を持つそいつはピクリともせず、表情を変えずに笑ったままだ。足が極端に短く、手が長いそいつの攻撃を、剣聖が何故かその体格を無視した剣捌きで受けている。


 白亜の雷鳴と殿茶の一閃が何度もぶつかり合う━━!!


 しかし彼は剣聖。隙を見つけた彼が奴の包丁を即座に巻き上げ、それを明後日の方向へ吹き飛ばした。武器を失い唖然とする奴を相手に、追撃する彼の右脚が奴の鳩尾を貫く。老女が天高く吹き飛んだ。


「殺す......!」


 そう口にした彼が跳躍した時、木々から空へ飛び立つ鳩の群れが彼の進行を妨げた。この時の感覚を思い出して気づいた。何故かあの鳩には、魔力がある。


「チッ......」


 彼がその鳩を宙で細切れにして、空中で姿勢を制御し撤退していく老女の姿を見送る。あの剣聖が敵を逃した。


 老女が遠くへ駆け逃げる姿を、伊織が凝視する。


「剣聖。あれは、もしかして━━━━」


「伊織くん。いつか分かる時がくる。今は行くぞ」


 彼らが突き進む。







 気づかぬうちにどれだけの時が経ったのか、カラタチを出発した時は早朝だったというのに、日が陰り始める。魔物や魔獣の襲撃は止まるところをしらない。しかし前を突き進む剣聖が、その全てを切り裂いていた。


「剣聖! 夜が来ます!」


 沈む日を目視した伊織が彼に叫んだ。加えて、私たちにも戦わせてくれと彼が叫ぼうとする。


 その叫びを途中で妨げて、剣聖が言った。


「夜もこのまま突き進む。敵の姿がはっきりした以上、止まることはできない。それに、カムナギは放棄されたようだ。こうなれば、タマガキまで退くしかない」


 彼がすぅと息を吸った。


「......彼がいてここまで押されるなんて」


 走りながら思索を続ける剣聖が、小さく呟く。


 続いて、彼がポツリと何かを漏らした。


「━━━━。」


 剣の果てに至り、無機質だとも評された彼が、誰かの名前を呟いていた。その名を、聞き取ることは出来なかった。慈愛に満ちたそれは、誰に向けてのものか。





 彼が鯉口を切る。右方より迫ってきていた魔物の喉を切り裂いた。


「速度を緩めるよ。足元に気をつけて。転んだだけでも致命傷になりかねない」


 剣聖が俺と伊織の方へ振り返り、横顔を見せて言う。彼を信じ、彼も俺たちを信じて、一丸となった俺たち。夜の帳が下りる。






 そこにあるのは、月明かりのみ。夜を迎え小走り程度の速度になった彼らが、進んでいく。魔物の襲撃は、絶えない。また空想級魔獣やあの老女が現れれば、苦戦は免れないだろう。しかし幸いなことに、それらの襲撃はなかった。


 暗闇の中で白亜の剣閃が光を発して、魔物を切り裂く。その明かりで初めて、俺たちが敵の姿を確認した。どこに敵がいるのかも、俺と伊織では把握が出来ない。


「ハァ......ハァハァハァ」


 十分な休息を昨夜とったとはいえ、この暗闇は、心を蝕む。いつ前を進む剣聖が消えていなくなってしまうかわからない。いつ横から魔獣が飛び出てくるかもわからない。見えないのが、こんなにも怖かった。


 息を切らした俺が、疲労困憊した体に鞭を打って、ただただ足を一歩前へ。



「━━━━ウォオオオォオオオオオオンン」



 再び遠くから、月へ向かった遠吠えが聞こえる。あの魔獣が再び現れるんじゃないかと、俺が震えた。


「大丈夫だ。新免」


 伊織が気丈に、横から俺を励ます。ゆっくりと彼の方を向いた俺に、一言。


「私たちは、最強になれる」


 そう、また口にした。言葉にすれば何度でも立ち上がれると。俺たちには、この言葉があれば十分だった。前を行く最強の姿を見てなお、変わらぬ想いを伊織が伝える。


 幸いなことに夜行性の魔物が少ないのか、日中に比べたら襲撃はマシだった。剣聖が一人で淡々と、対処している。彼の足取りに不安はなく、会話する余裕があるだろう。


「そうだな。相棒。こんな経験して生きて帰ってこれたら、そりゃ間違いないな」


 俺が肯定した。月明かりの下、久しく忘れていたように思える、シラアシゲにいたころのような雑談を俺たちが交わしていた。


 二人が笑いあう。二人の装備も体も、刀を除いてボロボロ。そんな状態になっていても、その笑顔は変わらなかった。


 前を行く剣聖が、少し震えた。









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