第八十四話 剣の果て

 


 二十年前。人類が初めて経験した、空前絶後の大侵攻。


 東西同時に攻め入る魔物の群れ。通常指揮官として動く戦略級魔獣が、ただの一兵卒に成り下がるという前代未聞の戦。


 その未曾有の危機を。


 綺羅星が如き五人の防人が、なんと彼らの独壇場としてしまった。



 五星煌々として。


 一人は道を切り開いた。


 一人は空を手にした。


 一人は叡慮えいりょを賜った。


 一人は戦友ともを救けた。




 そして一人は━━━━果てに至った。



 ただ一人で敵の首魁を討ち取った。



 彼が、剣の果て。


 剣を握るもの全てが敬い、讃え、恐れ、妬み、恨む、剣の果て。



 その果てに至るまでに如何様な道を歩んだのか、その全てが不明。誰も彼のことを知らなかった。知れなかった。結局二つ名だけで、彼の名すらも明らかになっていない。


 彼の出自もまた不明。まるで魔物の侵攻に合わせて表舞台に上がったと言わんばかりで。


 剣聖。西の臥竜がりょう白烏しろがらす。空想級魔獣歴代最多撃破記録者。彼が誰かは分からなかったけど、皆がそう、彼を称えた。防人の象徴。一際目を引くその輝きは、四星の輝きをも搔き消すと。


 しかし彼らが知るのは結果のみだ。その圧倒的なまでの強さに、過程を見ることはかなわなかった。


 誰もが目撃することのなかった、彼の戦いの断片を、俺と伊織が初めて目にする。



 彼がその野太刀を握り、相対するは空想級魔獣。”白澤はくたく”。人面を持つ二足歩行の牛は、体を纏う雲を使って、次々と魔獣を生み出していく。万にも及ぶのではないかという種の魔物を、止まることなく生み出していった。


 これが空想級の、それも上位。どのような制限が奴にあるのかは分からないが、奴一体で、軍勢となることも可能だろう。


 一対魔獣の群れ。普通に考えればどんなに強い防人であろうとも、勝ち目はない。踏破群を呼び込もうとも、生き残ることは不可能だろう。



 しかし彼は、間違いなく奴と同じように例外だった。空想だと一蹴されるような存在たちが、ここにはある。



 白雲はくうんという銘の野太刀を手にし、彼が水平に刀を振り抜こうとする。


 白雲が放つ眩さに当てられた”白澤”が、その人面を顰めた。太刀風が、言語化できぬ音を鳴らす。



 霞によって形作られた魔獣たちが、空に浮かぶ雲ごと斬り裂かれ、霧散した。



 奴が目を開けた時に、奴に侍っていた霞の魔獣は、一体たりとも存在していない。奴が人間臭く、驚愕した表情を見せつけている。



 震える手足。蠢く九つの瞳。奴の感情が、揺らいだ。



 空想級魔獣が恐れている。誰を? 彼を。何を? 剣の果てを。


 恐れとは無縁であろう空想級魔獣が初めて、恐れを抱いた。人間に。



 ”白澤”が、再び霞を使い偽りの魔獣を展開する。それと同時に霞が奴の体に纏わりついて、それが鎧に槍と武装を形作った。余裕綽々だった奴に、もう驕りは見えない。どうやったら彼を倒せるのかを考えて、それに気づいた。


 足手纏いがいることに。


「オイオイオイオイオイオオイオイオイオイオイオイオイ」


 奴がはっきりと、人語を放つかのように叫ぶ。その声を聞いた後方の魔物が、動きを見せた。


 奴らが囲みにかかるのは、俺と伊織。剣聖の弱点はそこだと踏んだのだろう。彼らを危地に陥れば、剣聖は隙を見せると。


 しかし剣聖は振り返らない。顧みない。彼らならやれると、そう信じきっていた。野太刀を握った彼が、”白澤”の方へ突っ込む。



 ここから、彼の戦いを見る余裕はなかった。ここからが、俺と伊織の戦い。


 俺が夕練を左手に握り、右手に烈火を宿す。共に立ち並ぶ伊織は、両手で朝鍛を握った。


「相棒! 来るぞ!」


「新免! 行けるな! 私たちなら!」


 彼らの元へ、道中彼らへ襲いかかった斑馬ふちこまが突っ込む。全速力で駆けて突っ込んできた奴の首を、伊織が刎ねた。馬が横転する。


 刀を振りぬいた伊織を襲おうと、ゴブリンやインプが突撃してくる。それに気づいているはずの伊織に、動きはない。


 俺が突っ込む。


「烈火ぁあああああああ!!!!」


 昨日より威力を増した劫火の奔流が、奴らを纏めて焼き殺す。強力な個体は伊織が、数で攻めてきた場合には俺が、そうやって役割をはっきりさせて、連携を取っていた。


 俺たちは、それを相談して決めたわけじゃない。伊織と話さなくても、その場で決められたんだ。言葉は、必要なかった。


 再び俺が烈火を放ち、地を履い迫ってきていたトカゲ型の魔物を焼き殺す。しかし俺は連続してこの炎を放てるわけじゃない。だんだんと押されてきた。


 放った後の隙が大きい俺を、伊織がうまくカバーする。しかしあまりにも敵が多すぎる。土石流のように、止まるところを知らない。


「新免! 危ない!」


 そう叫んだ彼が、俺の背後に迫っていたオークの首を跳躍して刎ねる。肉薄されてきている。数に押しつぶされれば、死は免れない。


「伊織! そういやお前にも防人としてのスキルはないのか!?」


 切羽詰まった俺が、他に打破する策はないのかと叫んで聞く。それを聞いた伊織が、下段に打刀を構えて駆けたまま、叫び返した。


「ない!」


「嘘だろ!?」


「私は父上やマキナさんに認定してもらったが、まだ発現していないか既に発現していて気づいていないかのどちらからしい!」


 俺が夕練を使い、ゴブリンの喉を搔き切る。その後右手から烈火を放ち、右方から迫ってきていた魔物の群れを、一気に片付けた。それを見た伊織が、初めて俺が剣聖に会った日のように笑いながら叫ぶ。


「新免! お前がいなきゃ私は死んでたよ!」


 彼が魔物の胴体を真っ二つにした。


「やはり私は孤独だった! そんな中お前みたいに対等になれる奴がいて本当に良かった! ありがとう!」



 血に塗れ、泥を被り、汚れきったその体で抗って、刀を振るう。銀色の霊力を纏い、死と踊る伊織の姿は、一枚の絵画のように美しかった。



「死ぬ間際の奴みてぇなこと言うんじゃねぇ!」



 戦いの興奮に当てられたであろう俺が、急に怒り出して叫ぶ。俺もまた、刀を振るって。伊織ほどではないが、劫火とともに剣舞を舞い、魔物を切り裂いていった。


 死体だらけのあたりで、魔物が足を滑らせている。


 こうして一歩離れてみてみれば、俺と伊織の連携は完璧といって良い。俺が前に出れば彼が引き、俺が引けば彼が出る。俺たちより強い奴はそりゃいるだろうが、俺たちほどうまく連携できる奴はいない。そう断言できるほどだった。


 もうとっくに死んでいてもおかしくない。しかしこの連携が、歪な均衡を成り立たせている。




「オィィいいイイいいイイィイイイイイイイイいい!!!!!!!!!!!!」




 突如として遠くから、白亜の波紋と魔獣の叫び声が届く。苦悶に満ちたその叫びは、彼の戦況を見なくとも理解させた。



「よし。このままなら何とか━━」


 刀を踊らせる彼が口にする。その時、均衡を破る魔物の増援が森の奥から現れた。その中心には、一際大きい魔物の姿がある。


 ぶくぶくに太った、茶色の体毛に覆われる肉体。溢れんばかりの脂肪に包まれるその体に、腕と足は埋もれてしまっているように見える。どすどすと足音を立てながら現れたそれは、熊の顔を持っていた。


 その瞳から、魔力が煌めく。


「そう簡単にはいかないか……」


 伊織が刀を構えて、鉄の音がなる。現れたのは、戦略級魔獣。


 その登場を見て、彼らを囲んでいた魔物が下がっていた。戦力の逐次投入は被害を増すだけだと悟り、魔獣による撃破を狙っているのだろう。


 ゆっくり移動していた奴の肉体から、ボコンと腕と足が飛び出た。先ほどまでの不安定な歩き姿はなんだったのかと思うぐらいに、地に足をつけバランスをしっかりと取っている。その巨躯から放たれる一撃は、重いだろう。


 剣聖にとっては雑魚かもしれないが、俺たちにとっては危険極まりない敵。俺が緋色の霊力を高める。


「新免。援護を頼む。流石にいくらお前でも魔獣戦は無理だ」


「わかった」


 彼が、一歩前へ。


 それを見た熊が、右腕を振るって彼の首を吹き飛ばそうとした。その一撃を引きつけた彼が銀光を放つ刀で迎え撃つ━━!


 一閃。


 彼が完全に刃筋を立てたというのに、奴の腕を両断できない。この魔獣のぶよぶよした脂肪の下に、鍛え上げられた筋肉が隠れているようで、その筋に突っかかって切り落とすことができないようだ。


 裂傷が出来ようとも、奴は痛がる素振りを見せない。奴が右から左、左から右へと、両腕を連携させて伊織に振るう。その動きは遅く、見極めるのは容易だったが、一撃が重い。受けるのは得策ではない。


 しかしそれを真正面から迎え撃つ伊織が、刀で繰り返し受ける。彼が眉をしかめた。


「相棒!」


 少し押されていると判断した俺が、烈火を横から放ち仕切り直しを助けた。熊は攻撃をやめ、烈火を前に、伊織は一歩下がる。


 魔獣が苦戦していると判断したのか、他の魔物も動きを見せ、俺と伊織の元へ殺到しようとした。これが、魔獣戦の面倒なところだ。魔物の介入があれば、邪魔をされ一気に勝率が低くなる。


 伊織が群れを横目で確認して舌打ちをした。


「邪魔させるかぁああああああああああ!!!!」


 それを見て叫んだ俺が、右手を強く握る。霊力が収縮するそこは、拳が火種となり炎が立ち昇っているように見えた。それと同時に脚部へ緋色の霊力を宿す。


「烈火ぁあああ!!!!」


 俺が伊織や剣聖のように跳躍し、宙で回転して右手を伸ばした。俺の右手から放たれ、空から降り注ぐ烈火が魔物を焼き殺すのと同時に、地に霊火の円環を描き、伊織だけが戦うための決闘場を作り出す。


 宙を舞う俺を見た伊織が、一転不敵に笑う。緋色の輝きに負けないほどの銀光が、彼の瞳に宿った。


 ここが勝負どころと判断したのか、伊織が動きを変えた。炎の輪の中で彼は奴の周りを移動しながら、跳躍し、立体的な動きを取り始める。隙を見つけては斬り掛かり、一撃を加えたら即座に離れ、錯乱させる。


 今見てみても、彼の動きは素早い。所々反撃を受けそうで危うく見える動きもあるが、それは絶対に避ける自信がある証左。熊の攻撃が空を切る。


 この齢にして、そこらの防人よりも高い実力を持っている。これが、あの御月と並んで称えられた伊織の力か。


 彼の銀色の霊力が強く光り輝いて、それが刃に伝播する。白銀の刀身が、熊の姿を映した。


 この場で霊力を出し惜しみする気はないのか、彼は本気だ。さらに激しく動き始める。


 熊が彼を目で追おうとするが、追いつけない。彼が左に、右に、上に。奴のでっぷりと太った体が追いつけない速度で。


「新免! その炎を私に!」


 彼が叫んだ。炎の円環の中で隙を窺っていた俺が即座に意図を理解し、彼の方へ烈火を放つ。


 彼がそれを刀で受けて、烈火が白銀の刀身を包んだ。


「感謝する!」


 揺らめく烈火を朝鍛に纏わせた彼が、銀の軌跡を残し奴の背後に回った。脂肪のせいで首の回らない熊は、後ろを見れない。


 彼が横一文字に刀を振るって、奴の体を焦がしながら首を斬り裂く。叫喚。


 青黒い血がダラダラと流れ落ちていき、奴がゆっくりと地に倒れて、ズシンという音がなった。


 勝負ありだ。伊織の霊力が、少しその勢いを弱める。


 しかしそれと同時に、壁となり魔物の侵入を防いでいた烈火が燃え尽きた。周りにいる魔物が、敗れた魔獣と生き残った俺たちの姿を見て飛び込む構えを見せる。



 視界を埋め尽くす魔物の肉体。そこに煌めく、幾千もあるのではないかという瞳。



 彼らを見つめる、魔物の数は数え切れない。


 絶望的なこの戦況。この場面。こんな巫山戯るなと叫びたくなるような状況でも、彼らは笑った。


「まだまだ行くぞ! 新免!」


「ああ! 相棒!」


 彼らが刀を構える。なんて、美しい。俺は防人になってから、何度か諦めそうになった。しかし彼らの中に、諦めるなんて発想はない。二人なら、と彼らが鼓舞している。俺もまた、こんな風に戦いたい。


 汗をダラダラと流し、霊力を振り絞って、刀を構える彼ら。


 数に物言わせ、彼らに飛び込もうとする魔物の群れ。



 相対するその間に。



 大きな肉塊が、天より落ちてきた。


 べちょっと、少し汚い音がなる。人にしては大きい男性の顔。それを見た伊織が瞠目するとともに、感嘆の息を漏らす。



 空想級魔獣”白澤”。その首が、吹き飛んで彼らの元へ降ってきた。


 突如。全身を青黒く染めた男が、野太刀を握ったまま現れる。


「すまない。遅くなった」


 凛とした声が、白亜の霊力とともに響き渡った。


 瞬間。伊織と俺を囲んでいた魔物は、白亜の斬撃によって。


 全て斬り裂かれた。




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