第八十三話 始まりの場所

 


 夜闇を切り裂き、東の空が白み始めた。


 本当に加護でもあったのだろうか、夜間魔物や魔獣の襲撃は何故かなく、安全に体を休めることに成功した。


 俺と伊織が家の外で待つ剣聖の元へ行く。


 彼はいつも通り、長い白髪を真っ直ぐに下ろして、腰には野太刀を差していた。凛とした表情をする彼は、まるで彫刻のように美しい。


「もう一度、この社と彼女に挨拶していこう。守ってくれたのは、彼女たちだからね」


 剣聖の提案を受けて、俺たちはあの巫女服の女性の墓と、拝殿に挨拶をして、ここを去った。鳥居をくぐって石段を降りようとした時、俺が後ろを向いて拝殿の方を見ている。



 暁に旅立つ。ここからが決死行。短くて長い、俺の原風景。







 カラタチを出て、東へ歩みを進める。ここからが、真の戦い。再び魔物の領域に足を踏み入れた彼らに、魔物たちは気づくだろう。憎き剣聖がいると。彼を殺すために殺到するであろう魔獣や魔物の数を思えば、これからの死戦は約束されているようなものだった。


「......」


 彼らが声も発さずに、あぜ道を進んでいく。彼らの立ち位置は昨日と同じように、前方の剣聖を中心に、右側に俺を、左側に伊織を配している。


 度々霊力を使用し剣聖と伊織が魔物の探知を行なっていたが、反応はないようだ。カラタチに敵がいないのも不気味だったが、何か起きているのだろう。そう彼らが考えた時に。



 前方に、以前見たような死骸の海を発見した。重なり合う、数えきれぬ量の魔獣。特に目立っているのは、青白い肌に、枝分かれした頭蓋を持つ人型の魔獣。その触手は骨を手にし━━



 戦いの後だろうか、人間の手だけが、うち一体の体にこびりついていた。その魔獣を焼き斬り殺したであろう肩口の傷とは別に、刀が、突き刺さっている。その刀と手は、俺にとって見慣れたものではない。


 伊織にとって、見慣れたものだろう。あの別れから、このような再会をするのか。


 白金の輝きが彼の瞳に映る。



 彼が刀に気づかぬふりをして、口を開いた。彼の言葉を思い出したのか、防人であることに徹そうとしている。なんという意思力なんだ。



「剣聖。これは空想級魔獣”骨喰ほねばみ”の死体です。それも、八つ。八体もどうして、そして、どうやって」


「......おそらくこの魔獣の異能は、骨を一定量食らうことによって増殖するものなのだろう。しかし空想級魔獣としては弱いから、撃破された」



 伊織が剣聖の方を向く。



「剣聖。マキナさんがいるんですね。近くに」


 剣聖が隠していたのを申し訳なさそうにして、言った。


「ああ。しかし彼女は私たちとは別行動だ。彼女には、やらなければいけないことがある」


 時の氏神が作り出したであろう魔獣の死体の山から目を逸らして、剣聖が東の方を向く。


「行くよ。彼女の援護を受けられるのはここまでだ」


 彼が再び鯉口を切って、木の上からこちらを見ていた何の変哲もない鳩を斬り殺した。また、彼が魔物以外の生物を殺している。もう慣れたのだろうか、俺と伊織はそれを無視して、彼に着いていく。


「ここから走るよ。敵が来る。昨日は君たちに助けてもらったけど、ここからは、私の番だ」


 剣聖がそう口にする。彼は言っているのだ。もう戦わなくていいと。今は移動だけに全霊力をかけて、突き進めと言っている。


 俺は彼の本気の戦いを、忘れることができない。何をしていたのかはわからない。どうやってそこまで辿り着いたのかもわからない。だけど、それは間違いなく、一つの答え剣の果てだった。


 彼が白亜の霊力を輝かせて、駆け出した。それに銀と緋が続く。





 彼らが傾斜を駆け上がり、石ころが転がり落ちていく。前方を進む剣聖は、まだ刀を抜かない。伊織や俺は彼に追いついていくのが精一杯で、刀を抜けない。


 ゴブリンが俺に飛びかかっている。それを俺が迎え撃とうと緋色の霊力を高め、身構える直前。


 白亜の剣閃が、奴の首を斬り落とした。


 あり得ない。どうやって前に向かって走りながら、後方の味方襲う敵を斬り殺すというのか。彼はこちらに一瞥もしない。ただその背中が、信じてついてこいと物語っていた。


 前方。三体の魔獣が姿を現す。真っ赤な色をした、カマキリ。確かこいつは、戦略級魔獣”赤蟷螂せきとうろう”。 続いて、空を泳ぐなまず。知らない。そして、四枚の翼を足代わりにして地を歩く鳥。訳がわからない。


 彼が奴らの元へ突っ込んで、再び刀も抜かずに一閃。それは魔獣の急所を全て斬り裂き、それに加えて後方から追いかけてきていた魔物すらも斬殺する。


「......」


 己を鼓舞する、鬨の声も上げない。ただただ、それが当然であるかのように振舞っている。流石の伊織もここまで間近に彼の戦いを見たことはなかったのか、目をまん丸にさせたままだ。


 速度を維持する。山の傾斜を登りきり、跳躍して、今度は斜面を滑り降る。その妨げとなる草木を、彼が一閃。道を作り出した。


 彼が剣を振るえば、辺りの環境がガラリと変わってしまう。木々は倒れ、地形は変化し、これが......最強なのか。


 今、なまじ強くなってしまったが故に、彼と俺の差を理解する。それでも俺はこのに、この姿に、ならなくちゃいけないんだ。



 斜面を滑り降るまま、剣聖が再び鯉口を切る。こちらに影を落としていた空飛ぶ魔獣が地に落ちて、地響きが鳴った。見渡してみれば、空に、大地に、あちこちに魔獣がいる。


 おそらく、戦線が近い。魔物や魔獣の密度が、異常になってきている。これが、大侵攻。普段の襲撃ではあり得ぬ規模の群れ。


「伊織くん。玄一くん。ここから魔獣以外の魔物は無視する。助ける余裕がない。自分たちで対処してくれ」


 彼がはるか遠くの魔獣を斬り殺しながら、言った。


 声に出して返事を返す余裕のない俺たちは、強く頷きを返す。


 彼が俺たちを置いて、強く大地を蹴った。その膂力によって吹き飛んだ土石が、俺と伊織に当たりそうになって、彼らが顔を腕で覆う。



 前方。森の中を行った彼の姿は見えないが、彼がいるであろう場所を中心に、地平線に半球体を作るようにして白亜の結界が出来上がった。


 その後白亜の剣閃が半球体を埋め尽くし、中にいたであろう魔物の青黒い血飛沫が風に舞った。これが伊織の言っていた、彼の作り出す血風。攻撃できる範囲が、広すぎる。それでいて剣閃一つ一つに決死の威力が込められており、魔獣に死を避ける術はない━━


 彼がどこからか再び跳躍して、俺たちの元へ戻る。途中宙を回転しながら、空飛ぶ魔物を斬り殺していった。彼が俺と伊織とともに駆ける。


 先ほどまで敵を全て斬り殺そうと、視線を忙しなく動かしていた剣聖が、何かに気づいたのか、なんと一点を見つめ始めた。それは森の中。


 そこには裂傷を負いながらも、先ほどの斬撃の嵐からがいる。


 太った牛の形をしていて、白と茶の体毛を持っている。牛の形をしているというのに、その顔は、まるでそこらへんの通りを歩いている、中年男性のような顔つきをしていた。


 その体には、霞のような雲が纏われている。奴がこちらに向ける悪意は、他の魔獣が出せるものではない。


 四足歩行。蹄を地に突き刺したその魔獣が、立ち上がる。


 二足歩行となった魔獣のたるんだ体が、突如として引き締まる。そして額に、三つ目の瞳が開いた。同時に、胴体に六つの目玉が開く。



「......! 伊織! 玄一! 私はここから君たちの方に援護ができない! あれはおそらく━━━━」


「空想級魔獣上位! ”白澤はくたく”といったところだろうか!」


 その言葉に合わせて、空想級魔獣”白澤はくたく”の魔力が、辺りを覆った。伊織も俺も、もしそれを正面から受けていたら、圧倒されて嘔吐してしまうのではないだろうか。


 実際に、同じ空想級魔獣である”千手雪女”の圧を受けて、あそこまでの恐れを抱いたのだ。剣聖を絶対に殺すと決意している、空想級上位の悪意など。戦士であっても、耐えられるはずがない。



 その余波だけで、怖い。この時のことを思い出すだけで、背筋を突き抜ける悪寒。なんて恐ろしい。



 しかし彼らの前には、人類最強がいた。



 剣聖のことを睨む”白澤”の蠢く目玉から、魔力による光線が飛び出る。無差別に放たれるそれに巻き込まれた魔獣が真っ二つに焼き切れて、。加えて木々が倒れ燃え始める。


 一本の光線が、伊織の元へ。そこに彼を守ろうと剣聖が鯉口を切り、白亜の剣閃が鍔迫り合いをする。


 剣と剣の鍔迫り合いなんて比べ物にならないほどの、けたたましい音が響き渡った。しばらくして強く光り輝いた後、光線を空へはじき返し、白亜の剣閃が消える。彼の剣閃が負けるのを見たのは、この時が初めてだ。


 無差別に放たれていた光線が萎んで消える。その後、奴の体を覆う雲が、ありとあらゆる魔獣の形を模し始めて、形作られた魔獣が偽りの生命を手にして動き出した。詳しくはわからないが、あれが奴の異能だろう。


 ここまで絶対的存在であった剣聖を、初めて脅かす魔獣が現れた。この事態を前に、彼もここまでの攻勢は予想外だったのか、息を呑む。



「伊織くん。玄一くん。かなりの魔獣を削ったから、辺りにいるのは魔物だけだと思う。難しいことは分かってる。だけど、ここが最初の勝負だ」





「私が勝つまで、二人で生き残れ」





 親指を伸ばし鯉口を切るだけだった彼が、初めてきちんと柄を握った。その瞳が向く先は、空想級魔獣上位。”白澤”。


 その姿を、伊織と俺が見つめている。こんな状況だというのに、彼らの瞳には、憧れの戦う姿を焼き付けようという意思があった。


「伊織。俺たちもああなりたいなら......彼の言うことぐらいできないとダメだよな」


「まったく、違いない」


 伊織と俺が刀を抜いて、お互いの背後を守るように背中を合わせる。後方より迫ってきていた魔物の視線が、彼らの方を向いた。


 魔物に囲われようとも、彼らの視線は最強の元へ。何故だ。この時、差を理解していたはずの伊織は何故、この領域を目指せる。



 とうとう、剣聖がその野太刀を抜く。大仰なその太刀に比べて静かな、シャラン、という音が鳴った。



「勇ましき心よ。我が剣に重なれ」



 その言葉に合わせて、彼がそれを完全に引き抜いた。あまりのも密度、濃度に、白亜の霊力が電光のように刃を駆け巡る。真っ白なその刀には波紋がない。ただ白だけがある。


 刃が陽に照らされ輝くこともない。何も、無い。


白雲はくうん


 刀の銘を口にした剣聖が、霞の構えを取り、切っ先を空想級魔獣”白澤”へ。伊織が構えを真似て朝鍛を握り、俺が夕練に緋色を纏わせる。




 剣の果ての戦いが、今ここに始まった。









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