第七十八話 異体同心



 薄明。藍色の空を朝焼けの色相が染め上げていって、夜が明ける。辺り一帯に散乱していた白金の霊力は、かすみとともに消えた。もはや、ここに留まることはかなわない。


 魔獣の襲撃から、一夜。十分に体を休ませることができた伊織と俺が、用意していた寝床から起き上がり、立ち上がった。彼らの肉体に付着していた魔獣の血液は乾いて、いまなお異臭を放っている。起きて早々、彼らが再び魔獣の血肉を全身に塗りたくった。


「なあ......相棒。剣聖は、どこにいるんだろうな」


 ポツリと漏らした俺の言葉に、彼が返事をした。


「......大丈夫だ。新免。あの人は、文字通り人類最強だぞ。お前の想像できる領域にない」


 伊織がそう、自らに言い聞かせるように呟いた。剣聖が戦う姿を見たことのある彼でも、もしかしたらを想像してしまうくらいには、この状況は絶望的なのかもしれない。そもそも、一夜たった今、彼らの方から剣聖を探す手段がない。すでに剣聖は離脱して後方に退いている可能性すらある。ただ、運良く彼がこちらを見つけることを、この時は祈るしかなかった。


「出発しよう。新免。どっちにしろ、東には向かわねばならない」


 彼がまた、昨日と同じように動くよう、俺に指示をした。白金の休息を経て、再び死地へと向かう。








 彼らが歩みを進める。昨日とは違い、不気味なほどに魔物や魔獣を見かけなかった。死屍累々。一夜たった人の死体に魔物の死体。生きているものが、見当たらない。


 森林を行く。木漏れ日の降り注ぐそこは辺りを明るく照らしてはいるが、異様な雰囲気を放っている。


「敵がいない......どういうことだ......これは」


 伊織が思わず呟いた。敵の主力がさらに東へ進撃しいなくなったとも推察できるが、それにしても魔物に一体も遭遇しないというのはあり得ない。伊織があたりをキョロキョロと見回す。その時、彼が異変に気付いた。


「なんだあれ......干からびた死体? いや腐敗するには早すぎる......まさか」


 彼が一度立ち止まって、その顔を蒼白に染めた。


「新免。聞こえるか。返事はしなくていい」


 彼が不自然なほどに、小さな声で呟く。それに対して俺が頷きを返した。


「絶対に地を強く蹴ったりして、振動を出さないでくれ。声も出すな。絶対に驚くな」



「この森は、魔獣で出来ている」



 辺りの枝葉が、動いたような気がした。








 俺に静止するよう伝えてきた彼が、忍び足でやってくる。俺の耳元まで近づいてきた彼が、囁いた。


「玄一。この森はおそらく、戦略級魔獣 ”落ち葉なき巨人”のみで出来ている。この数はあり得ないと思うかもしれないが、これが大侵攻だ。おそらく篤さんの報告にあったのはこのことだろう」


 まさか本当だったとは、と彼が呟く。顔に気色を取り戻した彼が、続けた。


「今から、私が踏んだところを踏んでついてきてくれ。多分、木の根を踏んだりその近くに足をおけば、気づかれる」


 その時、何かに気付いた彼が、ゆっくりと干からびた死体の方を指差した。そこに、先ほどまで一匹たりとも見なかったというのに、ふらふらと一匹のインプがやってくる。死体から食える部分でも見つけようというのか、インプが頭に張り付いた。


 瞬間。周囲にある四本の樹木から、木の根が飛び出していった。音に驚いて飛び立ったインプを捉えるように突き進んでいき、それが奴の腰に巻きつく。


 うめき声をあげたインプが、その手で木の根を強く叩いた。しかしそれが外れることはなく、むしろ木の根は締め付ける力を増していっている。


 最終的に、インプの体は真っ二つに引きちぎられ、木の根に吸い付かれたそれは、あの人間の死体のように、干からびてしまった。


「きっと、気づかれれば。頼むぞ。新免」


 そういった彼が俺の耳元から顔を離し、慎重に、ゆっくりと一歩一歩を刻んでいった。


 まっすぐに一歩。一つ右へ一歩。大きく木の根をまたいで一歩。ゆっくりと、進んでいく。


 バランスを崩し尻餅をつけば、そのまま吸い殺されるのだ。とんでもない緊張感が、彼らの体を包む。


 この大木が、どうやって魔獣であると気づくことができようか。休眠状態のようなものに入っているこいつらは、魔力を発していない。能動的に動かないのが、不幸中の幸いだろうか。


 しかし素晴らしいのは霊力も使わずに踏んではならない場所を見つけ出す伊織の洞察力だ。つくづく、俺の相棒というのはとんでもない傑物だったように思う。


 彼がまた一歩。それに続いて俺が一歩。進んでいく。だんだんと慣れてきたのか、彼らの速度が上がった。



「新免。あと少しだ」



 彼が後ろを振り返り、小声で言う。それに頷きを返した俺が、油断することなく、彼が踏んだ場所を選んで進んでいった。


 森林を歩き続け、右方。樹木のない、開けた場所がある。おそらく、ここから抜けることができるだろう。緊張を弛緩させ、俺が息を漏らす。


 同じく右方を見た伊織が、そちらの方へ一歩進もうとした時。どこからか、影が差した。


 空より降り立つは、一匹の魔獣。


 四つ目をその面に乗せた、ヒグマより大きい梟型。


「四つ目の梟......やはり諦めていないか......!」


 奴がその紫色のくちばしを開いて、その舌を見せつける。奴が、ハァハァと息を漏らしていた。


 こちらに他の魔獣や魔物をけしかけるだけで決着が決まるというのに、昨日から奴はそれをしない。おそらく奴は、獲物を生きた状態で食したいのだろう。故に辺りの魔物に俺たちの存在を知らせるような真似をしないのだ。


 独り占めをした時のことを考えているのか、奴がよだれを垂らし始める。


 奴はこちらに近づいてこない。この森が無差別に生物を喰らう魔獣で出来ていると気付いているのだろう。森から出てくる俺たちを待つのみで、奴は近寄ってこない。



 正面には四つ目の梟。後方には魔獣の森。



「玄一。お前のその霊技能、身体強化もできたよな?」


 俺が拳を握って、小さな声で答える。


「ああ......俺が戦おうと思ったら、強くなれるんだ」


「よし。いつこの森が起き上がるかも分からないし、時間がない。説明する暇もない。勝負に出るぞ」



 そういった彼が、己の体に銀色の霊力を纏い始めた。その霊力に森が目覚めようとしているのか、葉がざわめきを広げる。


 伊織の背を見つめる俺が『火輪』を右手首に纏い、緋色の霊力を纏う。霊能力を使い慣れぬ彼の霊力は、炎のようにゆらゆらと不安定な動きをしていた。


「行くぞ!」


 彼が抜刀して、真横にあった一本の木を真っ二つに切り裂く。倒れていく樹木に合わせて、辺りの木々が一気に躍動した。それに振り返ることもなく、彼が駆け出す。


「この森をあの梟にけしかけながら突っ走るぞ! 新免!」


 それを聞いた俺が振り返ることなく、伊織の言葉を信じて駆け出した。踏みしめた大地に、緋色の炎が燻る。前方にいる梟はまさか彼らがわざわざ魔獣の群れを叩き起こし突っ込んでくると思わなかったのだろう。くちばしを開き、叫んでいた。


「ヨホホホホホホォオオオ!!!!」


 梟は俺たちを喰らうことを諦めていないのか、捕らえ攫おうと翼を広げ、鉤爪を見せつける。昨日、仕留めることのできなかった伊織を相手にするのは難しいと判断したのか、まっすぐと飛んで俺の方へ。



 それを見た俺が、右腕を畳んで溜めた。


 緋色の霊力が強い煌めきを放つ━━!



「舐めんじゃねぇぇええええええ!!!!」



 俺が右腕を伸ばし、右手を大きく広げた。右腕を纏う緋色の霊力は形を変えて、劫火ごうかと化す。



「ヨホホォォオオオオオ!!!!」



 反撃もしてこないだろうと予測していた俺が、突如として霊力による一撃を放ったのだ。それに驚愕した梟が大きく羽ばたいて、その劫火を避けようとする。劫火の一撃を身に掠めた奴が、火の粉を放った。



「流石だ! 相棒!」



 この隙を、彼が逃すはずもない。俺の後ろから跳躍し現れたのは、伊織。打刀を手にした彼が、銀色の霊力をより一層光り輝かせ、奴を斬り上げる━━!



「ヨョョホホホホ!!!」



 防人による本気の一撃を受けた梟が、宙より転げ落ちて地に体を強打した。俺と伊織が、それを無視して駆け抜ける。


 後方より砂塵を撒き散らし追いかけてくるのは、樹木の魔獣の群れ。断末魔をあげた梟が、それに飲み込まれていく。振り返って見てみても、その姿は見えない。間違いなく喰われただろう。


「伊織! こっからどうするんだ?」


「知らん!」


「お前嘘だろ!?」


 伊織が大爆笑する。彼は今、どうやらとんでもなく機嫌が良いようだ。普段のクールな彼との、落差が激しい。


「新免! 俺たちなら行けるぞ! あの領域に!」


 彼が全力疾走しながらも、右腕を高く掲げて叫んだ。それを見た俺が瞠目する。


「ああ! 違いないさ!」


 俺が同じように笑って、大きな声で叫んだ。もはや何も考えていない。ただただ、思いのままに彼らが走り続けている。


 後方より迫る樹木の群れ。奴らの勢いを見ていると、とても逃げ切ることはできなさそうだ。一体、何体の魔獣がいるのだろう。防人になった今、思い返してみても、分からない。



 やはり、分からない。


 一体、




 前方。魔獣でできたものではない森林から。


 腰まで届くであろう白髪が靡いた。鍛え上げられた肉体を駆使して跳躍した彼が、樹木の群れの方を向く。


「なっ!?」


 その姿を目視した伊織が、叫んだ。それを見て俺も彼の方を向く。


 樹木の群れを一瞥した彼が、野太刀の柄に右手を置いて。


 刀を抜いたように見えない。しかし、宙を回転し一閃。白亜の霊力が、剣閃を描いた。


 巻き上げられていた砂塵が、止まった。樹木全てが右に倒れていって、草木の音がなり、最後に地響き。


 樹木の赤みがかった切り口が、陽に照らされ映えている。



「やべぇ。無理かも」



 伊織が腕を掲げたまま、そう呟いた。初めて彼が戦う姿を見た俺は、開いた口が塞がらない。



 刀の柄に手を置いたままの彼が、こちらを振り返る。長い白髪が揺れて、美男子とも評せる、彼の整った顔がこちらを向いた。


「無事かい。伊織くん......それと、少年」


 サキモリ五英傑。剣聖。古今無双と謳われた歴代最強の防人は、一振りで。魔獣の群れを滅ぼした。




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