第七十九話 朝鍛夕練
魔獣の進行により出来上がった砂嵐が、晴れて消えた。体のあちこちに魔獣や魔物のものであろう血を付着させた彼が、体を向き直り俺と伊織の方を見ている。俺と伊織が、漂う白亜の霊力を刮目した。
握りしめたままの刀を鞘にしまった伊織が、声を発する。
「剣聖......ご無事でしたか」
「......ああ。しかし、作戦には失敗した。奴を、殺せなかった。これは私の責任だよ」
その言葉を聞いた伊織が、とんでもないと首を強く振る。
「剣聖。あなたを責める人があろうはずもない。共に東へ、脱出しましょう」
そう言って敬礼をした伊織の表情は、決意に満ち溢れていた。しかしその言葉に、剣聖は返事を返さない。
代わりに、彼がゆっくりと俺と伊織の方に歩み寄ってきて、二人に触れる。
「君の名前は、なんという」
憧れの人を前にして、俺の声が震えていた。
「......新免、玄一」
それに頷きを返した剣聖が、俺と伊織を引っ張って、抱きしめた。
「伊織。玄一」
「......能く生き残った」
彼が振り絞るように、その声を出す。
人の温もりに触れた伊織と俺が、思わず声を漏らした。なんて、暖かい。こんな、こちらを慈しむ力が伝わってくるなんて。この時のことを、俺は忘れることができない。こんな強くて、暖かい人に俺もなりたい。そう素直に思った。
「生き残っているのは、君たちの他にない。ここからたった三人で、
「誰か一人でも欠ければ、きっと生き残ることはかなわない。皆が皆に、命を賭けよう」
彼が凛とした声で話した。そして最後に、小さく呟く。
「これが私の......最後の仕事だ」
彼らを抱きしめる力が、どんどん強くなっていた。剣聖の表情は、見えない。
「私が拠点にしていた場所がある。まずはそこへ向かおう」
俺と伊織の背を強く叩いた彼が、俺たちを手放した。
俺たちを見るその目はなんだか、悲しげだった。
彼の案内のもと、再び森の中を行く。今、彼らがいるのはシラアシゲ西部。シラアシゲ方面に剣聖を探しながら後退していた俺たちは、どうやら人類の生存圏を出て、魔物の領域に足を踏み入れていたようだ。どうやら彼の言う拠点というのは当時の最前線にあるもののようで、東へ向かわず、彼らがさらに西へ行く。
「ここだ」
鬱蒼とした森の中、突如として剣聖が立ち止まる。彼が地に手をつけて、何かを引っ張った。
彼の言う拠点というのは、どうやら地下にあるらしい。丁寧にカモフラージュされたそこは、初見では絶対に見つけることができないだろう。彼が引っ張っていたのは、どうやら床下扉のようなもののようだった。扉を開けたその先にはロープが吊るされてあって、彼がするすると降りていく。
俺と伊織もそれに続いた。最後に入った伊織が扉を閉じてロープから降り立った後、頭をぶつけそうになってしまうぐらい狭い道を進む。少しした後、開けた場所に出た。
そこは、木の柱で補強された、小さな部屋だった。壁際にはベッドという西洋式の寝床が二段上下に設置されていて、その横に保存食であろうか、食糧が積み上げられている。それに加えてまるで武器庫のように、壁には刀や槍、弓に果ては銃まで、色々掛けられていた。
この部屋を拠点として耐え続ければ、長い期間、生き延びることができるかもしれない。
光のないこの部屋を、剣聖が霊力の光で照らしている。
「昔......一人遭難した防人がいてな。救援が来るまで時間がかかると判断したそいつが、作ったものらしいよ」
二十年前の話だけどね、と彼が呟く。その後彼が積み上げられた保存食から袋を取り出して、それを俺と彼に投げ渡した。俺と伊織がそれを二人で開けてみると、中には乾パンが入っている。それを彼らが、一心不乱につまみ始めた。クソまずいはずの乾パンが、どうやらものすごく美味しいらしい。
剣聖が、俺と伊織の姿を眺めている。その瞳には、白亜の輝きが見えた。
「ここで一度装備を整えよう。君たちと私なら迅速な脱出が可能なはずだ。しかし、間違いなく魔物の妨害と......いや、交戦する必要が出てくる」
俺と伊織に武器を用意するためだろうか、そう言った彼が立ち上がって壁に立てかけられた武器を手に取り始めた。壁に掛けられているものはどうやらなまくらばかりのようで、剣聖が眉を顰めている。
「伊織くん。君の刀も、刃がぼろぼろだろう。何か別の武器が必要だ」
彼が間接的に伊織に愛刀を捨てろと言った。乾パンを口に詰めすぎてリスのような状態になった彼は驚愕しているが、返事のための声を出せない。それを見て、剣聖が苦笑した。
壁に掛けられていた刀を手に取った剣聖が、何か異変に気付いた。彼が塗り固められた土壁をコンコンと叩いて、その後、別の箇所を叩く。
瞬間、彼の拳がぶれて見えて、壁の一部分が崩落した。そこはなんと空洞になっていて、中には、縦に長い木箱がある。どうやら壁を叩いた時の音で中に空洞があることに気づいたらしい。彼が中に入っていた箱を引っ張り出して、蓋を開けた。
中にあったのは、二振りの刀剣。打刀に脇差。どうやらこれは、刀箱だったようだ。
「これは......懐かしい。私が打った刀か。手入れも行き届いているし、彼は隠して帰投したのか」
彼が鞘から打刀を引き抜く。その二刀には、本来あるべきの鍔が何故かない。まっすぐに剣聖が刀を掲げて、切っ先が煌々と輝いていた。
刀特有の妖しさを発するそれが、俺には、どうにも美しく見えたのを覚えている。
「銘は━━
彼が刀をしまい、カチャッと音がなる。
「よし。これを拝借しよう。しかし、それだけではダメだ」
そう言った剣聖が、二刀を並べて床に置いて、腕を伸ばした。その後、手のひらを二刀に向ける。
「玄一くん。それと特に伊織くん。この輝きを、目に焼き付けておいてくれ」
彼の手のひらから、白亜の霊力が迸った。その量は、今となっても俺ごときが測れるものではない。部屋全体を、白亜の霊力が包んでいく。その中に、霊力とは違う、全く別種の何かが見えた。
それが、二刀を包んでいく。しばらくの時がたった後、部屋を包む白亜の霊力が消えた。彼の顔には、珠玉の汗が浮かんでいる。
「これで、もう折れない。伊織くんに、この打刀。朝鍛を」
伊織に、剣聖が打刀を手渡す。彼がそれを、
「玄一くんは、この脇差。夕練を使いなさい。これは兄弟刀だし、君たちにぴったりだ」
今度は脇差を、俺に手渡す。初めて自分だけの刀を手にするという興奮があるのか、俺が高揚している。なお、俺も口の中に乾パンを詰めたままだ。伊織だけじゃなくて俺もかよ。
それはともかく、剣聖の意図は非常にわかりやすい。真剣を使って戦ったことのない俺には、比較的取り扱いやすい脇差、夕練を。すでに打刀を使っていた伊織には、朝鍛を渡そうという判断だ。
そうだ。俺が普段愛用する二刀は、この時剣聖から貰ったもの。この時彼が霊力を使用し行った何かに、俺の刀が壊れぬ秘密があるのかもしれない。確証になるものは何一つないし、いつ折れてもおかしくないと思うが。いつか分かる日がくるだろうか。
俺たちに刀を渡し終えた剣聖が、立ち上がった。やっぱり、彼は背が高い。
「きっと時間が経てばたつほど、脱出は難しくなる。準備が終わり次第、すぐに出発するよ」
彼がそう言って、背嚢に食料を積み始める。最低限携帯できるだけになるが、それでも十分だろう。
この時初めて俺が会話した剣聖は思ったよりも饒舌で、思っていたよりも、優しい人だった。遠くから見れば一本の刀剣のように見えた防人最強と呼ばれるこの人は、想像に反して、人間らしい。
ああ、なんて懐かしい。俺と伊織と剣聖。この三人で、生き残ろうとしたんだ。
この三人で過ごした時間は確かに短かったけど、どんな関係よりも、濃密だった気がする。
けれど結局、最後まで俺は彼のことが分からなかった。今だったら、何か分かるだろうか。何かを彼から、得ることができるだろうか。
見届けよう。この行く末を。
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