幕間 落月屋梁
月は西に沈むだろうか。ここは、西部最前線。日没を迎えてなお、明かりを絶やさず、夜警が立つカゼフキ砦。
先の大戦の折、放棄されたカムナギの郷。その奪還を目指した仇桜作戦の橋頭堡となるはずだったこの砦だが、作戦の発案者である奉考の死、空想級魔獣の襲来、血脈同盟の登場によって作戦は凍結された。
今現在カゼフキ砦は、魔物の攻撃に備えるため防備を固め続けている。一度魔物にダンジョンとして支配されていたこの砦の修繕や改造はほぼ完了し、駐留している御月とアイリーンのおかげで、周辺の魔物の掃討も完了していた。その準備のおかげで、御月にはもしあの空想級魔獣、”
彼女は今、設置された指令室にその身を置いている。椅子に座る彼女はコップに注いだ茶を飲みながら、周辺地域から上げられた報告書を読み込んで対応策を練っていた。
日没を迎え暫くたった今でも、床に就かず、集中している。彼女は十八というその年齢にもかかわらず、指揮官としての業務を全うしていた。惜しむらくは、遊び心がないところだろうか。それも、長所なのかもしれないが。
御月が、椅子にもたれかかる。腕を伸ばして少し声を上げた彼女が、机の上に置いてあった一つの報告書を手にした。
その報告書には、”了”と書かれた印判が押されている。それは、彼女自身がすでにその報告を読み、受け取ったという証。しかし彼女が、もう一度その報告書をめくった。
彼女は報告書に載る担当者の名に、見覚えがあった。おそらく、本部に勤務する係官の一人だったはずだろう。連名として、第四踏破群群長、関永の名前もある。
この報告書は、タマガキの郷に襲来した血脈同盟との戦いについて詳細に記していた。
なんと驚くことに、彼女が最初に受け取った血盟との戦いに関する報告書はこれだった。中間報告も上げられていたはずなのだが、彼女は読んでいない。御月に中間報告を読ませたら、そのままタマガキに突撃するだろうと判断したアイリーンが、実はこっそり回収していたのだ。
(まったく。寝耳に水とはこのことだぞ......)
いつ踏破群と血盟が激突するかを考えて、ドキドキしていた彼女だったが、すでに報告を受け取った時にはその全てが終了していたのだ。そりゃあ驚く。報告書を勝手にせき止めていたアイリーンに対し、御月がいつものように怒りそうになったのだが......
(「これ読んだら御月は絶対突撃したっす。女の勘っす」)
なんて言われたせいで、怒るに怒れなかった。御月本人にも、心当たりがあったらしい。
報告書を素早く読み取る彼女が、大きくため息をつく。結果だけ見てみれば、これは西の大勝利だ。いくら踏破群がいたとはいえ名の通った血盟を四名撃退し、うち一人を葬ったのだ。
この戦いの結果、西に対する血盟の報復を恐れるべきだが、他の踏破群や保守派の存在がある。おそらく西の勝報を聞いて、彼らは焦るだろう。
なんといったって、今まで彼らが逃していた獲物を、西が簡単に仕留めてしまったのだから。メンツが丸つぶれだ。故に西と同じように、全力で血盟を潰しに行くはず。その対応に追われるであろう血脈同盟の、報復は恐れなくとも良い。
彼女が目を細め、思考を続ける。
(山名の傷は癒えたのか......? いやまさか。絶対無理をしているに決まっている。タマガキに帰投したら諫言しなくてはな......武官や係官は今なお、英傑の幻想に囚われている、か)
(━━無敵な人なんて、存在しないのに)
彼女の表情が、暗いものに変わった。それでもなお、彼女が思索を続ける。
過去から
しかし。
(玄一......それに秋月は......無事なのかな)
彼女の心に、暗雲が立ち込める。彼が第拾壱血盟を撃破したと聞いたときは、一体短期間の間にどれだけ強くなったんだと耳を疑った。その後第陸血盟が彼と彼女に大怪我を負わせたと聞いたとき。
━━月の刃を以て、屠ってくれようかと猛った。
彼女の瞳に、月色の輝きではない。
秋月は命に別状ないそうだったが、玄一は意識不明で、眠っていると。
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暗雲低迷。彼女がこれはいけないと頭を振る。憂いごとを真に受けては、指揮官失格だ。
一度切り替えようと考えた彼女が、戸を開けて、指令室から外に出る。空に浮かぶ月に、彼の無事を想った。
(私があの空想級を殺してタマガキに戻れていれば……みんなを守って、全員殺せたのに)
月を見ていた彼女が自責の念に苛まれ俯く。そんな彼女が、近づいてくる誰かに気づいた。右方からやってきたのは、少し顔を赤くさせてお酒を手にしている女性。
「アイリーン。君か」
「こんばんはっす。御月。眠れないすか?」
「いや、報告書を読んでいたところだ。少し、気分転換をしようと思ってな」
「何言ってるんすか。休むのも、指揮官の仕事のうちっすよ。夜更かしは、いけないっす」
「......すまない」
アイリーンが、その場に座り込む。彼女が手にしていた、清酒を開けた。ポケットから二つの木杯を取り出して、御月に一つ投げ渡す。
「心配っすか。後輩くんと、秋月ちゃんのこと」
その一言を聞いた御月が、瞠目した。その後、彼女が微笑する。アイリーンが、人の感情に目敏いことを御月は知っていた。
「ああ。すごく、心配だよ。次上がってくる報告が、死んでしまった。なんてものだったら、すごく嫌だ」
「......私もそれは嫌っすねー」
アイリーンが、御月の木杯に酒を注ぐ。御月が、一口。月を見上げたアイリーンが、彼女を慮る声色で、問う。
「でも正直、意外っす。玄一とはまだ付き合いが短いし━━━━ここは別れの多い世界じゃないっすか。そこまで不安がる御月を、初めて見たっす」
「はは、ひどい物言いだな。確かに荒れていたのは否定しないが」
「なんででっすか? 単純に、気になって」
それを聞いた御月が杯に唇をつけたまま、顔を背けた。月明かりと篝火の光しかないので見づらいが、少し顔を赤らめている。
それを見たアイリーンの瞳が、光り輝いた。好物の餌を見つけて興奮した犬のように、御月に詰め寄っていく。
「ねぇなんででっすか? ねえなんでなんでなんでなんでなんでっす? ねえ教えてっす教えてっす教え」
「まったくもう! わかったからこちらに近寄るな、アイリーン!」
御月が、アイリーンのことを押し戻した。その動きで、木杯から少しだけ清酒がこぼれる。
答えを待ち、ワクワクするアイリーン。答えづらそうな御月。しばらくして、彼女が当惑した表情を浮かべながら、呟くように言った。
「その......なんていうか......初めて会った時から、目が離せないんだ。決して一目惚れとか色恋の類のものではないと思うんだが......わからない。最初から、自ずと信頼できたというか......」
思い悩む彼女の表情に、確かに恋慕の情はなさそうだった。ただただ、わからない、と御月が言う。人が何か悩んでいたりする時に素早く察知するくせして、このような話題になった途端ニュアンスを取り違えたアイリーンが、御月にも春が来たっすかー! なんて笑っている。そうじゃない。
「いやぁーじゃあ良かったっすね! 本当に!」
「? 何のことだ?」
「さっきタマガキから報告が来ててぇ〜玄一、普通に起き上がったらしいっすよー! いやぁ丈夫っすね、割とピンピンしてるらしいっす」
あははははと高笑いをするアイリーン。木杯をどっかに投げ捨てた彼女が、瓶ごと清酒を飲み始めた。この女、どうやらすでに酔っ払っている。そんな彼女は、ゴゴゴと音を出す御月の姿に気づいていない。
「......アイリーン」
「ふぇ? なんしか?』
「お前というやつはぁああああああああああああああ!!!!」
御月が彼女の清酒を奪い取って、霊力を灯し蓋を閉める。蓋を閉める時に、鳴ってはいけない音がした。そのハマり具合を見ると、もう一度開けるのには時間がかかるだろう。
「ぎゃぁあああああああ!!! 私の秘蔵酒がぁああああああああああ御月を励ますためにあげだのに゛ぃいいいいいい゛い゛い゛いいいいい」
御月の握り拳が震える。彼女が声を上げたその時、彼女の後ろ髪がふわっと動いた。
「アイリーン!! 指揮官命令だ! これから一週間。禁酒!!」
「えっ」
それを聞いたアイリーンが、跪き御月にすがりつく。あまりにも速い。速すぎる。その速度で、土煙が辺りに舞った。
「御月! それは後生っす!! お゛ねがい゛っず!」
「ええいダメなものはダメだ! 人の心を弄んで......!」
命令の撤回を嘆願するアイリーンの声と、御月の怒りが夜空に響いた。それを聞く夜警の兵士の苦笑いが、篝火に照らされていた。
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