第七十七話 病室。日没。



 窓から見えていた夕日が、日没を迎えた。部屋が暗くなったあたりから、電球をつけて部屋を明るくしている。病床に足を伸ばして座る俺の話を、秋月に兄さん、それに山名と甚内が聞き続けてくれていた。


 おそらくこのまま話を続ければ、夜も深くなっていくだろう。それも気にせずに、聞く姿勢を見せてくれていた兄さんたちに感謝を伝えようと話を止めた時。


 何と秋月が泣き出した。


 そのルビーのような瞳から大粒の涙が、彼女の三角巾にこぼれ落ちていく。どうして泣くのか全く見当がつかなかったので、物凄く焦った。背中の痛みも忘れて、何をしたら良いか分からず、忙しなく手を動かす。



 言葉にならない泣き声をあげる彼女の背中を撫でて、必死になだめようとした。その場にいる兄さんと甚内、山名に助けを求めようとしたけど、彼らは何も言わない。ただ、彼らが悲しそうな、何とも言えないものを見たような顔をして、俺と秋月のことを見ていた。



 彼らの様子からして、俺に同情しているわけではないだろう。なんだ、まるでを見て悲哀の情に浸っているような━━━━



 しかし、分からない。どうして、泣くんだろう。



「ぅ゛っく。な、泣いちゃってごめんね、話を遮っちゃったわ」


 一度手で目から溢れる涙を拭った彼女が、再び口を開いた。


「私のことはほっといていいから、続けて」



 何かを決意したような顔をした彼女が、毅然としてこちらを見る。しかし心配で、ほっとくこともできない。秋月が放った言葉と俺の心情のせめぎ合いで、行き詰まってしまった。どうしよう。



「......しかし、その伊織という、玄一の親友か。十三という齢にして西の、それもシラアシゲで防人になるとは。とんでもないことだぞ」



 見かねた兄さんが、助け舟を出してくれた。彼が話題提起をしてくれたおかげで、場の空気を、切り替えることができそうだった。そうだと思った。


 しかし、誰もその一言に返事を返さない。一度泣き止んだと思った秋月はうぅ、と声を漏らして、目からはまた涙があふれそうになっているし、山名は目を閉じて、また考え事をしている。そんな中、ずっと沈黙を貫いていた甚内が、口元の布を外して、声を発した。


「関永。ヒノモトを駆け巡った、『西の次代を背負う若き鬼才』から始まる言葉がある。これの続きを知っているか?」


 甚内の言葉を聞いた兄さんが、悩むこともなく即答する。


「『大太刀のきん』、か?」


 兄さんの答えを聞いた甚内が、微笑する。任務の時は仏頂面。騒ぐ時は変顔なのかと思うくらいの笑み。そんな彼の、弛緩した、柔らかい表情を初めて見る。なぜ、今それを見せるんだろう。


「あっているが、違う。この言葉は元々シラアシゲの防人たちが発祥なのだが、正しく伝わっていないのだ」


 彼が息を吸う。


「『西の次代を背負う若き鬼才。大太刀の金。剣城の銀。』だ。これですら改変されたものだが......伊織という少年の名は西の防人の間で昔、噂になっていた。お前が知らぬのも、無理もない。片方が霞んでしまったほど、大太刀姫が偉大というのもあるのだろうが......」


 それを聞いた兄さんが唸る。甚内の言葉にその通りだと頷いた後、続けた。


「言われてみれば、聞いたことがある。西で十歳の少年が、魔獣戦に参加したという噂を。しかし、お前の言う通りあの事件の少し前に起きたことだったからな。話題を持っていかれたらしい」


「......そうだな」


 兄さんの言葉に、甚内が同調する。その時、目を瞑ったままの山名が口を開いた。


「話を聞く限り、霊力の扱いは間違いなく一流だろう。魔獣が蔓延る敵地で奴らに感づかれぬよう防人の霊力を抑えるなど、手練れでなくては不可能だ」


 郷長の言葉を聞いて、考え込む。やはり当時の伊織の実力は、目を見張るものだったのだろう。思い返してみても、異常だ。今戦って負けるとまでは思わないが、絶対に勝てると言い切れない。数字にして言い表すなら、勝率は七割といったところだろうか。微妙な数値だ。


 しかし彼があの日防人であることを俺に明かすまで、防人としての伊織を俺は全く知らなかった。故に、こうして今初めて聞くような話がぼろぼろと出てくる。


 大太刀の金。剣城の銀、か。間違いなく、大太刀の金とは御月のことだろう。カゼフキ砦にいる彼女は、元気にしているだろうか。


 それにしても、伊織はあの御月と肩を並べる程だと評されていたのか。なんて凄まじい。


 その時、今まで一度も感じたことのなかったはずの彼に対する妬ましい気持ちが、胸に浮かんだ。どうして。俺たちは対等で、彼は相棒だったのに。


 理由はわからないが、頭を振ってこの気持ちを散らす。それを見た兄さんがなんだ? と聞いてきたが何でもないと即答した。


「しかし玄一。お前も、強いな。どんな話が出てくるのかと身構えていたが......まさか敵の本拠まで殴り込みをかけているとは思わなかった」


 兄さんが笑みを浮かべながら言う。それに対し、返答を返した。


「いや......俺は強くなんかないよ。伊織と......彼に助けられてばかりだ」


 唾を飲み込みながら、項垂れる。もっと俺が強ければ、常軌を逸した復讐を志す、変なやつじゃなければ、良かったのに。俺は、どこか壊れている。


 それを聞いて兄さんの表情が真剣そうなものに切り替わった。顔を背けた後、呟く。


「玄一。お前はその強さにして......いや、何でもない。これを言うのは俺の役目ではないだろう」


 彼が己に言い聞かせるように言った。それに対し、返答する。


「よく分かんないけど、わかった。兄さん」


 それを聞いた兄さんが、一度咳をした。ずっと思っていたのだが、彼は話題を切り替えるときに咳をする癖がありそうだ。


 驚くことに彼が突如として、鋭い視線を山名と甚内の方に向けた。場の空気が厳粛なものに、変わっていく。しかし秋月がひっくひっくと泣きじゃくったままなので、謎の空気になっていた。



「甚内。いえ、郷長。今の話を聞いて、確信しました。やはり、時の氏神マキナは生きている。彼女は......いや、彼らの実力は衰えを知らない」



 兄さんが、険しい表情をして山名の方を見つめている。その視線を感じ取ったのか、目を瞑り続けていた山名がゆっくりと見開いた。



「第四踏破群群長に対し、西の戦諸侯として答える。オレは本当に彼女の行方を知らない」



 それを聞いた彼が、天を仰いだ。


 この会話に、どのような意図があるかは分からない。しかし西の戦諸侯として答えるということは、帝の御名に誓うのと同義。嘘偽りないと郷長は言っている。


「参ったな......本当に存じ上げないのですね」


 接触していると思ったのだが、と呟いた彼が、元の姿勢に戻る。


「では、玄一の話を聞いて自分で手がかりを探すことにしましょう」


 そう言った兄さんが俺の方へ向き直り、伊織が話したという情報をできる時にまとめて帝都に送付してくれないかと言ってきた。おそらく、シラアシゲを教訓に二度とあのような事態を起こさないよう、研究が行われるのだろう。快諾する。


 兄さんが話の続きを促した。兄さんに甚内、山名、そしてまだ泣きべそをかいている秋月がこちらを見ている。



「これから話すのは━━━━剣聖かれの話だ」



 胸に燻る烈火を燃やせ。そのためには、思い出さなければ。あの情景を。






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