第七十四話 血路



 背丈の変わらぬ二人が、立ち上がり並んでいる。手を繋げてしまいそうなぐらいに寄り添った彼らが、覚悟を決めた。横に立つ伊織の方を向いて、俺が問いを投げかける。


「それで、これからどうするんだ? 剣聖と合流しろって郷長は言っていたけど......どこにいるのかも、こんな状況下で生きているのかも、わからない」


 目を鋭くさせた俺の問いに対し、伊織が心配無用と首を振る。


「いや、剣聖が死んでいるはずがない。それに私が撤退する前、魔物の群れの方を見たが......彼の斬撃による、赤黒い、血風が見えた。絶対に生きている。防人最強だぞ。絶対に死んじゃいない」


 伊織が、一度大きく息を吸って吐いた。凛とした表情で、俺の方を見ている。


「新免。それよりも問題は......お前だ。きっと剣聖と合流できたとしても、お前が足手まといになったら脱出は難しい。いや、そもそも私がお前を守りながら剣聖と合流できる自信がない」


 彼の真っ直ぐな瞳が、過去の俺を射抜いている。その言葉に対して俺は、苦虫を潰したような顔をしていた。


「わかってる......俺は......防人じゃない。霊力もお前みたいに使えないし、戦えない」


 彼が俺の肩を強く掴みかかる。


「そうだ。だから、お前を戦えるようにする。皐月のように、霊技能を発現させるしかない」


「は......? でも意図的に発現なんてさせることが出来るのか?」


「わからん。だが......発現の条件があると言われている」


 その言葉を聞いて、俺が顔を明るくさせるようなことはなかった。なぜなら、彼の口ぶりからして、それがどれだけ難しいことか分かっていたからだろう。


 俺が口を閉じたまま、その続きを催促した。


「それは......霊力を持つものが、死地に向き合うことらしい。しかしはっきり言おう。俗説だ。この根拠とされているものは発現させた者全員が共通して何らかの死地に向き合った、ということのみ。そもそも、発現させた人間の数が少ない。人類全体を見ても、稀有な例だ」


 彼が俯き、これしかないんだと感情を吐露する。しかし即座に顔を振り上げ、俺の方を見て、ニヤッと笑った。


「しかし新免。お前は、私の相棒だ。私が出来ることで、お前が出来ないことはない。そうだろう?」


 俺が、笑い返す。


「当たり前だ!」 


 彼らが前を向く。それを見る俺の心臓の鼓動は、ドクドクと高鳴っていった。どうして、伊織は俺のことをこんなにも簡単に信じることが出来たのだろう。どうしたら、この時みたいに賭けに出て、魅せることができるのだろうか。


 彼らが共に駆け出す。それに笑みを浮かべながら、俺も続いた。







 伊織が速度を上げ、ぐんぐん突き進んでいく。当時、彼がどこに向かっているのかは分からなかった。ただ、彼の背を追いかけることで精一杯だった。


 今思えば、彼は生きるか死ぬかの賭けに出ていたのであろう。新免玄一の霊技能が、空想級魔獣との対峙でも発現しないようなものであることを。彼らの頬に、汗が伝う。


 突如として、疾走していた伊織が止まる。それに合わせて、俺も足を止めた。


「新免。あそこに、魔獣の死体が見えるな」


「ん? ああ」


「あの血肉を被るぞ。匂いを消す」


 彼が魔獣の死体の元へ歩み寄る。腹をまっすぐに裂かれた獣型の魔獣の内臓が、地面にこぼれ落ちていた。彼がそれを掴み取り、体に塗りたくる。


「報告によると......鼻の良い奴がいるらしい。新免。ここからは、敵の中央━━心臓部に向かうことになる。俺が口を開くまでは、絶対に声を上げるな。死ぬぞ」


 俺が何のためらいもなく、伊織の動きを真似て内臓を体に塗りたくる。目を閉じて、顔にも忘れることなく塗っていった。


「ああ。しかし、敵の心臓部といったって、どうして?」


「......戦いが始まる前の配置を覚えている。その後の動きを考えると、剣聖がいるならそこあたりだ。それにお前の能力を発現させるのを考えるのなら、中央に行くしかない。新免。今から私の動きに合わせろ。私が伏せたら、お前も伏せろ。私が歩いたら続いて、私が止まったらお前も止まるんだ」


「分かった」


「よし。しばらく走るぞ。ここらにいるのは雑魚だけだ。それと、途中でまた、魔獣や魔物の血肉で匂いを消す」


 それを聞いて頷いた俺が、少し腕を上げる。粘っこい魔物の体液が地に垂れ落ちていった。それを嫌そうな顔で俺が眺める。


「気持ち悪いな......匂いは平気なんだけど......」


「その鼻の壊れ具合ならすぐに慣れるさ。行こう」


「ああ。相棒」


 彼らは突き進む。止まるところを知らない。地を踏み締める確かな足取りが、彼らの覚悟を見せつける。伊織のことだけを信用している俺ならともかく、どうして伊織は一人毅然としていられたんだろうか。彼に、問いたい。





 定期的に魔物の死体を見つけては同じことを繰り返し、進んでいく。途中、シラアシゲの郷を横切った。俺たちの故郷は、魔獣と魔物の手によって破壊の限りを尽くされたようだった。崩れ落ちた家屋が見える。彼らが生まれ育った土地は、徹底的なまでに穢されてしまった。今すぐ戻って、確かめてみたい。それでも。俺たちの郷を無視して、彼らは突き進んでいった。


「ハァハァハァ......ケホッ」


「大丈夫か、新免」


「ああ......相棒。大丈夫だ、行こう」


「いや、一度休憩する。今のままじゃバレる」


「ごめん......」


 森の中。尻餅をつきあぐらをかいて、彼らがその場に座り込んだ。朝からずっと動きっぱなしで、感情は乱高下し、体は休息を求めているのだろう。そのことを理解していたのだろうか、伊織が少しの休憩時間を取る。



「ふー。よくあんなに動けるな。相棒」


「......待て」



 一息ついたその時。ズシンと、後方より地鳴りがなる。息を呑み、伊織が音の方を見た。


 そこにいたのは、木の根を伸ばし、地を滑り歩く。定期的にその根を地面に叩きつけては地に潜り込ませ、土をひっくり返す音を鳴らしていた。


 そこらへんにいる有象無象ではない。間違いなく魔獣。


 この時は知らなかったが、御月の授業で学んだのと、確か第玖血盟の眷属の中にいたから、今はこの魔獣の正体を知っていた。


 戦略級魔獣。”落ち葉なき巨人”。動きも遅く、魔獣の中で強い類のものであるわけではない。しかし、この状況では、気づかれれば最後。一度魔獣に敵がいると察知されれば、周りにいる魑魅魍魎が集うだろう。


 ”落ち葉なき巨人”の方を見た伊織が、伏せることもせず、距離を取ることもしない。何もしない。微動だにしない。彼に言われていたことを思い出して、俺が動きを止めた。本当に動きを止めたままで大丈夫なのだろうかと、圧倒されている。声が、漏れ出てしまいそう。


 顔なんてないはずの魔獣に恐怖したのか、奴の樹皮に大量の顔が浮き上がっているように見える。恐ろしい。記憶の世界で実際にいるわけではない俺の精神すら、蝕む。


 待ち続けること十分ほど。”落ち葉なき巨人”が、彼らの元から離れた。


「もう大丈夫だ。玄一」


 その声を聞いて、俺が息を大きく吐いた。


「あいつは振動に敏感だ。覚えておいてくれ。よし。移動しよう」



 



 剣聖の姿を探しながら、進んでいく。


 魔獣や魔物の姿を見つけては、伏せて隠れる。


 木の根の間に身を隠し、やり過ごす。


 息と動きを止めて、過ぎ去るのを待つ。


 どれだけの時間が経ったのかわからない。ただ彼の背を見ながら、突き進んでいく。


 迷いなく進んでいく伊織がどこに向かっているのかを、俺は知らない。しかし教えてくれと騒ぐこともなく、ただただ、彼を信じて突き進んだ。


 歩き進む中、俺の息が切れそうになる。しかし呼吸を乱せば、魔獣にバレるかもしれない。その恐怖に揺らぐ心を抑えて、俺が伊織とともに進んでいく。彼の存在だけが、恐怖から身を守る命綱となっていた。そんな彼は途中、腰に吊るす打刀が邪魔になると判断したのか、それを背負っていた。


 風が木々の間を通り、葉を揺らす。その音に紛れて、何かを叩くような音が聞こえた。


 瞬間。伊織が俺の手を掴んで、巨大樹の根の間に引っ張りこんだ。抵抗することもなく潜り込んだ俺の視界に、翼を閉じ空から着陸した、一匹の魔獣が映る。


 ヒグマよりも大きい、梟の姿。丸く大きい頭を持ち、その頭蓋が、周りを探ろうと自在に回る。その瞳が、彼らの方を向いた。



「......!」


 

 骨格、肉付き、その翼は、梟のものに限りなく近い。しかしその容貌は、面妖そのものだった。


 その梟の顔には、まるで蝶々の羽のような形をした巨大な四つ目がある。それぞれ四つ目の中に、瞳孔と瞳孔の間で線を引けば三角形を形作れそうな、三つの瞳があった。加えて四つ目の中心には鋭い紫色のくちばしがある。それを見て、途轍もない嫌悪感が背筋を通り抜けた。


 合計十二の瞳を持った梟の首が四方八方へ暴れ出す。それは伊織と俺が残した足跡と、体に塗りたくった血肉からこぼれ落ちて出来た血痕を、確認しているようだった。


「ヨホホホホ、ヨヨヨヨヨョ、ヨホョヨホホホヨ」


 奴が鳴くのと同時に、奴の首元が少し膨らむ。それは紫と青を混ぜたような色をしていて、禍々しい。


 蠢いていた奴の首が、一点を見てピタッと止まった。それは、俺が残してしまった、人のものだと判別できる足跡。 


 梟が首を動かし、その視線が足跡を追って、だんだんと彼らの隠れる木の根の方へ。


 「ヨホヨョヨヨョ、ヨホョヨホホホヨ」


 何かいると確信したであろう梟が前傾姿勢になり、翼を扇状に広げながらゆっくりと歩み寄ってくる。嘴を鳴らす奴から魔力の奔流が、木の根の方に向かって放たれた。


 完全にバレた。相手は飛翔する魔獣。機動力で劣る以上、撒くことはかなわないだろう。どうするんだと問う俺の視線が、伊織の方へ向けられている。


 その視線を受けて。伊織は刀の柄を握って、指を三本立てた。



 参。彼が薬指を折る。それを見た俺が、腰を浮かして、足に力を込め始めた。


 弐。彼が中指を折る。彼が息を吸った。

 

 壱。彼が人差し指を折って刀を掴み、抜刀。



 いざ。木の根から俺と彼が征く。



 決死行。最初の正念場は、ここに。








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