第七十三話 立ち上がる君へ



 亡骸に触れる俺が、慟哭した。その苛烈さに誰もがかける言葉を持たず、一歩離れる。その中で、ただ一人。伊織だけが、俺の肩を掴み、声をかけた。


「行くぞ。玄一」


「は......? 伊織......お前......」


 母親を失ったにもかかわらず一切の気遣いを持たぬ伊織に対して、俺が怒りで震えていた。声が出ないほどに猛っている。どうして、これが彼の優しさだと気づけなかったんだろう。



「ま、まぁああああああああああああまま魔物だ!」



 その時。誰かの叫び声が聞こえた。咄嗟に応戦しようとした兵の一人が何かに吹き飛ばされ、俺たちの元まで飛んでくる。襲いかかってきた魔物の姿を、伊織と俺が目で捉えた。


 青き肌。ガリガリに痩せこけた、人型の魔獣。”骨喰ほねばみ”。空想級魔獣と目された、その魔獣の数。


 五体。


 無理だ。こんなものを相手にするのは。そもそも、同種の空想級魔獣が数体いるなどありえない。異能を疑ってしかるべきだが、これは能力による幻影などではなく、。全て、空想級に相応しい魔力を持っている。どうやって空想級魔獣五体を、仕留めるというのか。


「嫌だぁあああああああああああああああやめてくれぇええええええええ!!!!」


 あの触手が、こちらへ飛んでくる。若い男めがけたその一撃は、彼の心臓を貫いた。彼が血を吐き、力を失う。続けて飛んでくる他の触手が、彼の骨を喰らい始めた。触手が頭蓋骨に突き刺さった勢いで、眼球が地に落ちる。遅れてバキバキという音がなった。


「クソッ!」


 尻餅をついた俺を守るために、続く二撃を伊織が切り裂いた。トカゲの尻尾のように、切り飛ばされてなお触手が地を這いずり回る。

 

 更に飛翔する触手。応戦しようと霞の構えをとる伊織。彼が深呼吸をして、それと同時に銀色の霊力が迸る。彼が刀を振るおうとする、その時。


 彼に割って入るようにして、誰かが触手を切り裂いた。


 彼に良く似た、黒髪。ボロボロで今にも崩れてしまいそうな剣城は、子を前にして、無双の力を取り戻した。


「伊織!」


 低い声が、死力を尽くした霊力の輝きと共に放たれる。


「聞け! 明らかにこちらの進路を読まれている! 策なく撤退しようとすれば確実に彼奴らの網にかかり、死は免れん!」


「父さん! 私も......」


「伊織! あえてシラアシゲ方面に後退しろ! 剣聖らと合流し、この地から脱出するんだ! これはシラアシゲの長による、に対する最後の命である!」


 伊織が彼を見つめる。俺は、伊織と彼の父である剣城の間にあったものを知らない。けれどこの二人は、言葉無くとも、通じ合っていた。


 伊織がじっと見つめ続ける。剣城の顔はこちらから見えない。彼は顔をこちらに向けない。ただその背中が、物語っている。


「は......父さん。防人であれと、言うのですね」


 伊織の瞳から、涙がこぼれ落ちた。溢れんばかりのそれは地にポタポタと、落ちていく。


「武運を」


「ああ」


 伊織が納刀し、俺の元まで下がる。再び俺の首根っこを掴んだと思ったら、来た道を引き返し、シラアシゲの方へ駆け出した。


 俺には言葉を放つ余裕すらない。声を出せない。ただ、右手を母の亡骸の元まで、伸ばした。遺体の元に、触手が迫る。やめて。


 場面が切り替わった。








「ハァハァハァ......!」


 伊織が俺を掴んだまま駆ける。どれだけ走ろうとも、充満する死の匂いから逃れることは叶わない。どこを見ても、誰かが死んでいる。無間にも思えてしまう、ここは、この世の地獄だ。


ッ!」


 彼が霊力の波紋を飛ばす。それは無力を塗り替えて、周りに敵がいないかどうかを確認しているようだった。


「......ここしかない」


 伊織が俺を前方にぶん投げた。それには勢いがあり、俺は受け身を取ることも忘れ、ゴロゴロと転がっていく。体のあちこちに擦り傷が付いていた。


 伊織に、また救われた。立ち上がる彼と、地に倒れこむ俺。先ほどと同じようなことを繰り返しているように見えたが、俺も彼も、もうボロボロだった。


「らしくないな......新免!」


 伊織が激しい剣幕を見せる。敵に気づかれてしまうとかそんなことも忘れて、ただただ怒りを叫んでいた。


「伊織......? なんで俺を助けるんだ......もう無理だよ......」


 その言葉に、彼は顔を真っ赤にさせたまま、反応を見せない。


「みんな死んだ。母さんも、皐月も。お前の親父も他の防人も......みんな」


 涙を流しながら、一人項垂れる。涙は止まるところを知らず、地に落ちていった。


 土を踏む音が鳴り、伊織が一歩前へ出る。


「見損なったぞォ! 新免玄一! なんと女々しい!」


 下を向いていた俺が、天を仰いだ。その勢いのまま、俺が仰向けに倒れこむ。


「伊織......お前、防人だったんだな。郷長の息子ってのも、初めて知ったよ。一人で......行けよ。雑魚の俺なんて置いてけ」


 その言葉に、伊織はただただ、震えている。そんな中、顔を背けゆっくりと口を開いて、語り始めた。


「なあ......新免。私と君の模擬戦を覚えているか。十歳の時から始めたそれは......毎日楽しくて......でもお互い本気で......技を競い合った。それでさ。いつも私たち、互角だったろう?」


 一転変わった彼の語りを、俺は右腕で目を隠しながら聞いている。


「実は......少しズルをしていたんだ。霊力を使える私は......君に気付かれぬよう、度々強化を施していた。一方的に負け続けるのは、悔しくて。霊力を使わず技で勝とうと何度も挑んだけど......結局今日まで勝てなかったよ」


「私は......天賦の才があると持て囃されてきた。だけど、君の技に一度たりとも勝てなかったんだよ。防人に、なっても」


 赤黒く淀んだ大地。青く澄み渡る空。見上げた伊織が、この空のように澄み切った声で問う。


「まったく。こんなことになるなんてな。なあ、新免。俺は君の━━何だ?」



「......相、棒」



「そうだ。相棒。私......俺たちは対等で、最強になれる。だから━━」



 ━━━━立ち上がろう。


 彼の瞳が煌めいた。想いを抑える彼が己の胸ぐらを、掴む。


 絶望的状況。どう足掻いても乗り越えられぬように見えるこの試練。皆が死んだ。俺を知る人間は、伊織を残して全てこの世から去った。夜闇よりも昏い気持ち。


 しかし。彼となら、絶対に越えられる気がした。



「立ち上がれ、新免。俺の、相棒」



 右腕で涙を拭い、こちらを見て笑いかける彼を見る。もう目は逸らさない。そう聞こえてきそうなぐらいに、俺が彼のことを見つめていた。


「ああ。相棒!」


 伊織の手を借り、俺が立ち上がる。威勢を取り戻した俺が、不敵に笑いながら毒を吐いた。



「それはそれとしてズルなんてしやがって、巫山戯てんのか」


「勝つために手段は選ぶべきじゃないよ。新免」


「......模擬戦だろうが」



 二人が声を上げ笑う。互いを励まそうと、彼らが拳をコツンとぶつける。その二人の背に、俺は魅せられていた。


 相も変わらず、タマガキの郷の防人、新免玄一は、彼らをじっと見続けている。ここは記憶の世界。


 それがどうした。


 少しでも、思い出すんだ。あの情景を。


 もう一度、見届けるんだ。この風景を。


 けれど、視界が潤んで、心が揺らいで、何も見えなかった。



 なあ。また助けてくれないか。






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