第六十一話 唸れ刃 穿て大槍


 先に動き出したのは、奴の方だった。舌なめずりをした青頭巾がこちらへ向き直り、口を大きく開き俺の元へ突っ込んでくる。観察。奴の手元に武器はない。あったとしても、奴が着ている緩んだ着物の中に隠せる暗器の類だけだろう。しかし最も恐ろしく、やはり警戒すべきは奴の魔獣が如き顎。一度奴に捉えられてしまえば、俺は食い殺される。だが。


「徒手空拳で剣士の間合いに入るなど!」


 『地輪』を纏わせ威力を向上させた打刀を大きく横に振り抜き、奴の首を狙う。脇差は何かあった時の対応策として、手元に残した。


 さぁ。どうくる。


 奴が両腕を縦に構え、俺の斬撃を受けた。鉄と鉄がぶつかるような音。裾で見えていなかった奴の手元が、今露わになる。


 そこにあったのは、手の甲と腕全体を守る青染の籠手のようなもの。ただの籠手であれば、俺の強化された斬撃を止めることは出来ないはずだ。それが防がれたということは、この籠手は間違いなく上位の魔獣の素材でできているか、奴の霊力によって強化が施されている。いや、もしくはその両方か。


 奴が俺の刀を弾き、その勢いを利用して右拳を溜め、真っ直ぐこちらへ放った。その拳が描く軌道を見ればわかる。素人ではない。こいつ、なんらかの格闘技を修めている。



 奴の拳を脇差で受け流す。対し奴は受けられるとみるや左腕を下から突き上げるように放とうとしていた。拳には紺色の霊力が纏われており、その一撃は重いだろう。相手はこちらの顎を狙ってきている。避けろ。


 風纏による移動の補助を利用し、その場から後ろに転がるようにして避けた。



 舐めていた。奴とて徒手空拳で刀剣に相対することがどれだけ厳しいか分かっていたはずだろう。それでも突っ込んできたということは、俺の懐に入る自信と、技量があったということだ。


 血盟。これほどの実力があって、何故。歯を食いしばった。


「ふむ。その齢にして、その剣技。惜しいな。もし同志であれば、心強かったというものを」


 体が沸騰しているような俺とは対照的に、奴は冷静にこちらを見て俺の動きを分析していた。動揺はなく、先ほどの人間を食ったという行為が当たり前になっている証。


「黙れよ。お前こそ、それほどの実力があって魔獣と戦わないんだ」


 俺の言葉を聞いた青頭巾が大きくため息を吐く。


「否、魔獣と戦うために我らは穢れた血を駆除している。そこを履き違えるなよ。小僧」


 だめだ。お互い話が通じていない。刀を握り直して、次に備える。それを見た奴が顎を手で触りながら、言った。


「ふむ。技を競うのも一興ではあるが......楽しむ時間はない」


 奴は距離を取っている俺の方を向いて、再びその口を大きく開く。また突っ込んでくるつもりだろうか。後手に回っていることを承知しつつも、刀を構える。


 その時、奴が後ろに仰け反りながら大きく息を吸った。何をするつもりだ?


 仰け反った上半身を戻す勢いで、奴が大きく口を開く。


 そこから飛び出てきたのは、奴が食らった俺の春疾風。その翠色の輝きを残しながらも血しぶきを纏っており、奴の霊力によってその威力は増幅されている。


 奴の霊技能は食らった霊力や魔力を強化して吐き出す能力だろうか? しかしそれでは人を食う理由がない。考えろ。


 ここは観察するためにも一度受けに回る。春疾風を防ごうと、『地輪』に霊力を送り込み、それと同時に大地の無力を黄土色に塗り替えた。


「土塊ノ大槍」


 大地よりせり出るは、二本の土でできた杭。それが春疾風の行先を塞ぎ、威力を大きく削いだ。そよ風程度になったその一撃を、最後に刀を振るって霧散させる。


 春疾風が消え去った先には、先ほどと同じように俺の懐に飛び込もうと駆け出した青頭巾の姿があった。刀を構え直し、迎え撃つ。


ッー!」


 刀と拳撃の応酬。右、左、上段、上段、下段。何合と重ね合ううちに、ぶつかり合った霊力が色を残して大気に消えていった。


 奴が突如として股を裂き、体を屈めさせる。その隙を狙って脇差で奴の首を落とそうとするも、俺のなぎ払いは奴が頭を低く下げたことによって空を切った。左手を地に着き、股を大きく広げる不可思議な体制になった奴は、左足を畳んだ後右足を伸ばし、体を回転させて蹴り技を放つ。その動きに淀みはなく、洗練されていた。


 足元への攻撃を刀で受けることは不可能。一度跳躍し、俺の足を狙っていた奴の蹴り技を避ける。宙に浮き動けなくなった俺を見た奴が、素早く立ち上がり、掌底打ちの構えを取っていた。


「まだ若いな」


 奴のその言葉を聞き、煽り返す。


「お前こそ、老いて物忘れが激しくなったんじゃないか?」


 本来動きの取れないはずの空中で、『風輪』による風纏を使用し後方へ飛ぶ。奴の掌底打ちが空を打った。


 奴の拳撃、引き出しが予想よりも多い。これ以上奴と間合いを密着させるのは危険だ。一度距離を取ろうとそのまま後方へ飛び、追撃を防ごうと両刀を振るい太刀風を放つ。その威力は奴を殺すのには不十分だろうが、牽制にはなるだろう。


 突き進む風の刃。それを見て奴が構えを解き、口を大きく開く。その大きさはもはや、物の怪の類だ。俺の胴体よりでかいかもしれない。


 奴が風の刃を全て食らう。そうして口内で何度か咀嚼した後、ゴクリと飲み込んだ。少し危険かもしれないが、奴がどこまでの攻撃を飲み込むことがあるのか。勝つために知る必要がある。


「土塊ノ大槍」


 大地が揺れ、俺の後方より先ほどと同じような土の槍が現れ出た。その穂先を奴の口元に向け、一直線に進む。先ほどの風の刃と違い、その大きさは奴の体より大きい。そんなものを食らうことなど、物理的に不可能なはずだ。


「食べやすい大きさに切り分けてほしいものだね」


「好き嫌い言わず食いやがれ」


 大槍の大きさを見た奴が口を閉じた後、体をひねり奴の体を掠めながらもそれを避けきった。本来であればこの大槍さえも途中で曲げて奴の元へ誘導することが可能なのだろうが、今の俺では厳しい。


 不発となった大槍はそのまま大地へ沈んでいく。それを見届けた俺は、奴の口内にちょうど収まりそうなぐらいの土槍を放った。


 奴が飛来する土槍を見て、今度は迎え撃つように大きく口を開く。土でできた槍の穂先が奴の口内に入っていった。喉をそのまま貫くのではないかという俺の予想を越え、奴はそのままそれを飲み込む。


 まるで干ばつの後、水を三日近く飲めなかった人間が水にありつけた時のように勢いよく、休みも入れずに槍を飲み込んでいく。先ほどのように咀嚼もせず、口を開けたまま続々となだれ込む土砂を飲み込んでいた。それに合わせて奴の喉からゴクゴクという音がなる。どう考えてもその量は奴の腹に納まる量ではない。間違いなくこれが奴の霊技能だろう。


 それに加えて普通他者の霊力で構成された攻撃をあそこまで体内に入れ込めば、必ずダメージが入る。その様子がないということは、奴は食らったもの全てを受け止められるということだ。


 剣を以って戦おうにも奴の格闘術は優れており、守りが硬い。下手に反撃を食らえば危うい。


 かといって遠距離攻撃に撤したところで、奴に絶対的な防御手段がある以上崩し切るのは難しいだろう。


 ならば増援を呼ぶか? しかし甚内の姿は見えぬし、踏破群はタマガキの外。秋月はこの敵とあまりにも相性が悪いし、そもそも第玖血盟と交戦中だ。


 これ以上は無駄と霊力の供給を断ち切った土槍が消失する。それを確認した奴が、げっぷをした。


「無駄だ。小僧。俺に食えぬものなどなし」


 その言葉に返答をしない俺を見て俺が焦っているとでも思ったのか、奴がニンマリと笑う。口の大きさが変わらずでかいままで、唇が大きく横に広がりとにかく不気味だ。


 考えろ。戦え。烈火の如き意思は無くさずとも、深き海のような冷静さを兼ね備えて、戦うんだ。


 ここまで二度違う大きさの土槍を放った。奴は一度目に放った大槍のようなあまりにも大きすぎるものを飲み込むことができないが、その妖怪のように広がった口に収まるものであれば全て飲み込めるようだ。加えてそれに絶大な自信を持っている。


「さて、どうするかね。小僧」


 頭の中で状況を整理する。俺が不利なことに違いないが、決して絶望的というわけでもない。俺の目的は、奴を斬ること。それだけに絞って戦う。この数十合の中で、読み取った奴の動き、戦闘理論、性格。それを踏まえた上で、勝利への道筋を描く。


「来いよ」


 まずは奴の油断を誘おうと、背を向け駆け出した。








 住民の避難が終わり、防戦隊も立ち去った無人の町。その道を我物顔で、一匹の犬が突っ走っていた。もしそれだけであるならば、この混乱に乗じてどこかの家の飼い犬でも逃げ出したのであろうかと、容易に推察できる。しかしながら、その犬は何故か灰色の服を着ている。それだけではなく、犬が駆け抜けるうちにみるみる大きくなっていって、犬から狼へと、狼から大狼へと。それに合わせて、どんどん足も早くなっていっていた。


 犬が駆け抜ける。その勢いで、土煙が舞っていた。


 これまで一度も減速していなかった犬が、何かを振るような音を聞き取り、急停止して後方に跳躍する。犬の右上から何かが飛んできたようだ。その飛来物の速さは、弓矢のそれよりも早い。


 もしそれが犬に当たれば怪我を負っていただろうが、犬は早めに跳躍したことによってそれを避け切った。先ほどまで犬がいた場所に黒染めの暗器が突き刺ささる。間違いない。これは忍者の使う投擲武器。苦無だった。


「随分と急いでいるようだが、ここから先に行かせるわけにはいかない」


 屋根の上より現れたのは、一人の男。背は高く、全身が黒染め。口元が隠され、唯一見える褐色の地肌は、目元のみ。タマガキの郷所属の防人。甚内である。


 彼の姿を見据えた大狼が、再びその姿を変容させた。四本足で立っていたというのに、人のように二本足で立ち上がり、それに加えて着ていた衣服が形を変え、狩衣かりぎぬと呼ばれるものになる。その犬が甚内をじっと見据えた後、口を開いた。


「タマガキの防人か」


「ご名答。初めましてだ。第ろく血盟。犬神いぬがみ


 その姿を見て、甚内が確認をするまでもなく断言する。第陸血盟。犬神。血脈同盟幹部である血盟の中でも、六番目に位置する古株。そしてその実力は間違いなく、人類全体で見ても突出したものだろう。甚内の姿を確認した後、犬神の気配が変わった。寸分の狂いもない、純粋な殺意。それを前にして、甚内はただ笑っている。


「九番目、十番目、十一番目と......九番目の気質からして、指揮を取れるわけでもない。上がいることなど、火を見るより明らかだ」


 犬神が目を細める。そのまま甚内が続けた。


「さて、既に三人の血盟が現れているというこの絶望的状況に際して......貴様のような強者を通してしまっては、戦況が決定付けられてしまう。悪いが、付き合ってもらおう」


 彼が腰に差していた忍者刀を引き抜き、ゆっくりとその切っ先を犬神へ向ける。それを見た犬神が、甚内を見上げながら言った。


「儂を強者と認めるか。当然ではあるが、そうも敵のことを称賛しても良いのか。名も知らぬ防人」


 甚内が口元を隠している布を掴み、深く付け直した。


「揺るぎない事実だ。現実に即さなければいけない忍者が客観視も出来なければ、それは三流以下だよ」


 犬神の表情を読み取ることはできない。ただ一言、油断でもなく、傲慢でもなく、甚内と同じように、冷静に言い放った。


「貴様。この第陸血盟を止めるには弱すぎる。霊力の掴みどころがない。圧がない。弱すぎるからか知らんが、実力が読み取れん。戦いにすらならん。消えろ」


 舐められているとでも思ったのか、静かに苛立ちを感じていた犬神が足を曲げ屋根の上に乗る甚内の方へ跳躍しようとする。その時、突如として犬神の背に苦無が突き刺さった。


「!?」


 犬神が振り返る。そこには同じ、甚内の姿。瞬間移動でもしたのかと犬神は考えたが、屋根の上にいる甚内は健在だ。間違いない。二人いる。


 前方にいる甚内が、声を漏らし、笑っていた。


「お褒め頂き恐悦至極。忍に対し実力がわからぬ、か。これほどの称賛は無い」


 犬神がそれを黙って聞きながら、背に突き刺さった苦無を抜き取る。そこから血は出ず、犬神に痛がる様子もなかった。犬神がその犬の手で苦無を掴み、手にとって観察する。本来情報を渡さぬために、銘も何もないはずの苦無に、家紋のような、徽章のような何かが掘られていた。


 それを見た犬神が大きく声を上げて笑う。その見た目に似合わず、その笑いは人間のものだ。


「貴様、この徽章。西の暗部の生き残りか。あやつらは最後に特攻して死んだと聞いていたが、貴様だけ逃げ帰り生き残ったか。これは愉快」


「............」


 返答もせず沈黙を保っている甚内は、折りたたみ式の手裏剣を片手で広げた。


「喋らぬか。しかしこれで少し興味が湧いた。あやつらの中に防人がいたことは知っていたが......それと一戦交えることができるとは。さて、西の暗部がどのようにして魔獣を狩ったのか、見せてもらおう」


 犬神がその霊力を解放させる。その灰色の狩衣に合わせた灰色の霊力が、ただ解放しただけだというのにその場の無力に乗り移った。その余波で甚内の髪が揺れる。しかしながら、彼に動く気配はない。


 圧倒的な霊力。一目見ただけでわかるであろう圧倒的な実力の差。それを前にして、甚内が口を開いた。


「一戦交えることに異論はないが......貴様の期待には応えられん。私にできるのは、忍びの術のみだ。


「何━━?」


 そう甚内が言い放った瞬間に、から再び苦無が犬神の元へ飛んでいく。それに加えて、足元が赤く光り輝いたと犬神が思ったその時、爆発が起きた。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る