第五十五話 彼奴

 


 猫型の幻想級魔獣と戦う覚悟を決める。奴は飼い主の指示を愚直に守り俺を殺そうと追いかけてきているが、いつこのクソ猫が住宅街のど真ん中で大暴れするかわからない。始末せねば。


 奴が空飛ぶ俺を目で追いながら、その牙を見せる。


 死んでいるはずなのに、本当に生きているよう。死してなお、魔獣としての圧を残している。


 戦うと決めたはいいものの、できるならここらで戦いたくない。奴を出来るだけ建物のない場所へ誘導する。確か住宅街の南側は未開発地区で、人がいないはずだ。ヤるならそこだろう。


 しかし、第玖血盟の動きがわからない。帰るなどと騒いではいたが、奴は今自由に動ける状態だ。危険すぎる。できることなら兄さんたち踏破群や他の防人に連絡を取りたいところだが、それにはあの猫が邪魔だ。


 『風輪』を使い、さらに加速する。その勢いで髪が乱れた。さらに距離を取ろうとした俺を見て、黒猫が速度を上げる。


 俺の出せる最高速度より速い。追いつかれる。


 更に勢いをつけた黒猫が、跳躍しその右手で俺をはたき落とそうとしてくる。速い。奴の右手がブレたように見えた。


 体を一回転させ、両刀で奴の攻撃を上手く弾き返す。奴の爪と俺の刀がぶつかり、火花が散った。一時空中で体勢を崩すも、すぐ立て直す。


 奴の攻撃を受けて、減速してしまった。それに合わせて奴が今度は両手を掲げ、連続攻撃。


 右。左。右。今度は奴の攻撃を受けるようなことをせず、ゆらゆらと空を飛ぶ虫のように、時に大きく羽ばたいた大鷹のように、緩急をつけて奴の攻撃を避けた。


 見たところ、この猫は強力な攻撃手段を有していないらしい。もし幻想級魔獣としての奴の異能がそういったものなら、とっくに使っているだろう。奴の異能はなんだ?


 空を飛ぶ俺。迫ってくる黒猫。横にゆらゆら動く俺を、奴の目が離さない。緊張をほぐすように、大きく息を吸って吐いた。






 奴の攻撃をあしらいながら、避けることしばらく。建築資材が積み上げられる空き地だらけの区画へ。ここだ。ここなら戦える。


 一度風纏を解除し、着地。地を擦りながら減速した。土煙が舞う。


 二刀を今一度握り直し、奴の方を見据えた。それを奴が上から金色の瞳でじっと見つめている。


「来い」


 体にある霊力を回転させる。両腕から空間を掌握しようと霊力を放出した。それに加えて打刀に『地輪』を、脇差に『風輪』を展開する。


 周りの無力を奴が掌握しようとする様子はない。もし奴が外向型の異能持ちであれば、俺の掌握を邪魔しない理由などないだろう。異能は内向型でほぼ確定的。奴と相対するに当たって、あらかじめ脇差に霊力を集め始めた。風切り音が刀身から暗闇に響く。


 攻撃の構えだろうか、黒猫が前足をゆっくりと上げる。二刀を構える俺と奴の数秒のにらみ合い。


 先手必勝。


 こちらから動く。打刀を振るい、『地輪』を起動させた。


「貫け!『土塊つちくれ大槍おおやり』!」


 大地から現れ出るは天をも貫く土の大槍。その切先は鋭く、奴の体を簡単に貫くことができるだろう。この技は、兄さんの結晶を見ていて『地輪』でも再現が可能であろうと真似したものだ。その強度、質ともに彼のものより劣るが、威力は十分だろう。彼の結晶と同じように大きさの違う槍達が黒猫目掛けて突き進む。その勢いで、大地が揺れた。


 足を地につけていた黒猫が揺れを感知し、大槍を避けようと跳躍する。


 目論見通り。足場を槍衾にされた黒猫が取れる選択肢は一つ。跳躍による回避、それか異能による別の選択だ。どちらに転んでも有意。跳躍を選んだ奴は読み通りの位置へ動いた。


 奴の逃げ先を潰すように槍を展開しているため、奴の行先は見えていた。


 あらかじめ脇差に充填させていた『風輪』の一撃を解放しようと構える。しかし『太刀風ノ颪』を発動できるほど十分ではない。まだ風の音が聞こえる。無風の状態でないと最大の威力を発揮できない太刀風では奴を殺しきれない。奴を殺すには何か別の技が必要だ。


 現状を確認する。黒猫は今空中にいるため動けない。加えて奴は空中での回避手段を有していないだろう。ならば外すことはない。太刀風のような線での攻撃ではなく、点での攻撃が可能だ。


 打刀を持つ右手は下段に。左腕を畳み込み、片手だけで霞の構えを取ったような形になる。


 切先での一撃。霊力を解放させ、奴目掛けて突くように左腕を真っ直ぐ伸ばした。


「吹き荒れろ! 『春疾風はるはやて』ッッッ!!!」


 切先から放たれる一撃は秋月の霊弾のように、真っ直ぐぐんぐんと突き進む。翠色の霊力が迸り、その勢いで土砂が、周りにあった建築資材が吹き飛んだ。この一撃ならば、奴の体に風穴を開けるだろう。


 迫り来る疾風の槍を見て、黒猫が回避しようと空中で体を一回転させた。奴が体をくねらせ避けようとする。猫らしい動きをしやがって、回避手段はないという俺の予想を裏切った。


 春疾風が宙に消えていく。黒猫は直撃こそ免れたものの、翠色の弾道は奴の腹を削り取っていた。奴が着地しようと地に足をつける。


 削り取った腹から血は出ず、奴に反応はない。いくら魔獣といえど腹を削り取られば痛がるそぶりを見せるはずだが、これが第玖血盟の力。第四踏破群からの報告によれば、死兵となった眷属には痛覚がない。


 頭めがけて放ったが避けられた。腹を削った程度ではまだまだ動き続けるだろう。失敗だ。


「ニョォォオオオオオオ」


 奴が鳴く。この行動でさえも、血盟が猫ならばそう鳴くであろうと願ったが故。本来であれば死んだ猫が声を上げることなどはない。


 奴の魔力が増幅して、すわ異能かと身構える。そこから何故か、魔力が一気に縮小していった。


「ニャァァアアアアア」


 奴が鳴くとともに、。奴の金色の瞳だけが宙に残り、最後に瞳を閉じて消えた。


 見えない。魔力が完全に消え去った。感知しようとも何もそこにはおらず、辺りを見回してもどこにも奴がいない。


 逃げたか? まさか。逃げたならその魔力の残滓が残っているはず。完全に消えるはずがない。


 耳を澄ませる。何も聞こえない。繰り返すようだがどこにも、奴がいない。



 その時。第六感としか形容できない感覚が、俺の体に最大級の警告を放った。



 その感覚を信じ、右脇に倒れこむようにして転回。受け身を取ってすぐに立ち上がる。先ほどまで俺がいた場所の地面が、黒猫の殴打によってへこんでいた。奴の手だけが宙に浮き、それはゆっくりと夜の帳に消えていく。


 再び霊力による感知を行う。あの手の先に奴の魔力があるはずだというのに、何もいない。


 後ろから風を切るような音。刀を背負うようにして防御の構えを取った。


 再び奴の一撃。防御の構えを取っていたとはいえ、奴の重い一撃が体に響く。まただ。霊力で感知を行っても、どこにもいない。



 こうなれば間違いないだろう。奴の異能は、完全隠密、ないしは存在の消失。攻撃をする時の手以外奴の姿は見えないし、その場に存在するはずの魔力が完全に消えている。そうとしか思えない。


 俺が今まで戦った唯一の幻想級魔獣”槌転”よりもはるかに恐ろしい。なんて強力な異能。もし最初からこの異能を使われていたら、間違いなく一撃で殺されていただろう。


 この真っ暗闇の中で、どこから敵の攻撃が来るかわからないという緊張が、俺の体を蝕んだ。



 







 地面を転がり回る。これで何回目かわからない。体は土まみれで、服は汚れきっていた。


 奴の攻撃を避けようと、なんども無茶な姿勢で動く。


「くっ!!!」


 体勢を崩した俺の元にさらなる追撃。カウンターを何度も試みたが奴の手から先が存在しているように思えない。様々な手段で試したが、空を切るばかりだ。


 いつか直撃を食らうだろう。奴の一撃は重い。その時が来れば、ここが俺の墓場となる。奴の姿が存在していないし、唯一見える奴の手を切り裂こうにもどこから来るかわからないんだから、対応のしようがない。


 一度仕切り直そうと『風輪』を使い、空を飛ぼうと試みたがそこを狙い撃ちされた。離陸しようとする虫に猫がすることなどただ一つ。それを避けようとするなど無理だ。風が無理なら土塊を使いたいところだが、奴の連撃がそれを許さない。使う隙がない。


 斯くなる上は。


 両腕をだらんとおろして、目をつむる。奴の次の一撃を、読んでみせる。それでぶった切れば問題ないだろう。最後に信じられるのは、霊技能でもなんでもない。俺の剣技だ。


 奴の攻撃を待ち、静寂が場を包む。あのクソ猫にまだ動きはない。




 無音の空間に、誰かの足音。




「あんたね、一人で自暴自棄になるんじゃなくて少しは誰かを頼りなさい。このバカ」


 賭けに出て刀を構えていた俺を守るように、霊弾の一撃が、俺目掛けて鋭く振り抜かれた奴の手を弾いた。霊弾により弾かれた手を、遅れながら叩っ斬る。しかし浅い。


 そこからその声の主が追撃の霊弾を放ち、それを避けようと奴の手が暗闇に引っ込んだ。


 振り返り、霊弾を放った主を見る。二つに分けられた紅葉の髪。中指と人差し指を立てて、その先を魔獣に向ける、小さな防人の姿。その紅い瞳が見据える先は、不倶戴天の敵。魔獣。


「遅れてごめんなさい。踏破群や甚内を叩き起こしておいたわ。関永たちが行くんで血盟の方は心配なし。私たちでこいつをどうにかしましょう?」


 暗闇の中で光り輝く紅い霊力。彼女は小さい。小さいが、とてつもなく大きい。


「......秋月!」


「ん、玄一。サクッと片付けるわよ!」


 彼女が大きな霊弾を宙に四つほど浮かせた。その後、真剣そうな表情で口を開く。


「こいつは幻想級魔獣”彼奴きゃつ”。主に夜間その姿を確認されるわ。あんたは十分体験したでしょうけど、その異能は暗闇に溶け込み完全に相手から見えなくなる能力。夜中だと幻想級上位に、昼間だと戦略級になる珍しい魔獣ね。奴の異能の対処法二つ。攻撃してきたタイミングでどうにかするか、日が昇るのを待つかのどっちか。じゃ、頑張りましょ」


 新たな敵の登場に、猫の小さな声が、どこからか聞こえた。





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